殺す。解体す。掃除する。
和田駄々
第1話 食欲
洗剤Aを上から塗り、30分ほど放置する。その後、洗剤Aごと綺麗に雑巾で拭き取り、洗剤Bを吹き付けた別の雑巾で拭く。すると、今まで血まみれだった床が新築同様の美しさを取り戻す。
この時注意しなくてはいけないのは、洗剤Aと洗剤Bを直接混ぜてはいけないという事と、2枚の雑巾をきちんと使い分けるという事。それから、ここで何が起きたかについて家主に尋ねてはいけないという事だ。
ただし、家主から言ってきた場合はこの限りでは無い。
「悪いね、こんな平日の夜中に。明日も学校だろう?」
「ええ、まあ」と、俺は作業を続けながら答える。
「今日の昼間に街まで出てうどんを食べてたら、急にこう、ムラムラっときてね。我慢出来なかったんだよ」
ソファーに座り、くつろぎながら煙草を咥える家主は、名前を三木と言い、殺人の常習犯だ。世間で言う所の、殺人鬼という存在。
「なんでだろうね」
「うどんですか?」
「そう」
「……麺が腸に似てるからとかですか?」
「そんなに似てないだろう。だったらむしろ家系ラーメンの縮れ麺の方が良く似てるよ」
「それもそうですね」
誤解のないように言っておくと、俺自身は人を殺した事など一度もない。ただ、死体を見る機会は人よりも遥かに多いし、その中身を見る機会も同じくらいに多い。職業柄仕方のない事だと諦められる程度に不快ではない。
「前はパエリアを食べていた時にたまらなくなった」
「パエリアですか」
「ああ。半分くらい残して店を出て、すぐ松崎に電話したよ。君のお父さんにも」
「うどんよりはパエリアの方が人間に近いかもしれないですね」
「具材が一杯入ってる所とかね。美味しかったんだが、もったいない事をした」
「……パエリアの方ですよね?」
「そうだよ。私にカニバリズム趣味はない」
三木の場合、人を殺して中身をぶち撒け、適当に弄って飽きたら終わりという、まるで子供がブロックで遊ぶようなやり方をする。でも別にそれを批判するつもりはない。おかげで俺のような掃除人の仕事がある訳だし、時間あたりの給料に不満はない。
「食欲と殺人衝動の関連性。これで一本論文が書けそうだな」
「面白そうですね」
と一応は答えたものの、大してそうは思っていない。三木は紛れもなく異常者だし、異常者の理屈をまともに聞いても、俺の人生には何の足しにもならないと思う。
「この後家に帰って寝たら、すぐ学校かい?」
時計の針は3時を回っていた。親父の作業の進み具合にもよるが、4時までにここを出れれば、車の中で3時間は寝られそうだ。
「車で寝るくらいですかね。朝練があるんで早いんですよ」
「あ、そういえば部活やってたんだっけ?」
「はい。バスケ部です」
「バスケ部で朝練あるって珍しい気がするね」
「そうですか?」
「終了しました」
そう言って部屋に戻ってきたのは親父だった。俺もちょうど床の掃除を終えた所だ。
「ご苦労様」
三木が親父に労いの言葉をかける。親父は軽くお辞儀して、三木の対面のソファーに腰掛ける。
「大志、風呂」
親父から俺への指示は、大抵単語によって示される。この場合は、死体を処理した後の風呂を掃除しろという意味だ。
俺は答えず、三木さんにだけ軽くお辞儀をして、掃除道具を持って風呂場に向かった。
俺が風呂を掃除している間、三木と親父は雑談して時間を潰している。政治の話とか、昔の話とか、あるいは殺人の話とか。たわいもない内容で、何度か付き合わされた事もあるが、俺はほとんど頷き役だった。
今日は時間も時間だし、風呂の掃除が終わり次第すぐに帰る事になるだろう。
風呂場につく。青い小さなポリバケツと、業務用のミキサーと、骨を溶かす用の圧力鍋と薬品を外に出し、中の掃除を始める。血はほとんど流されているし、水場なので内蔵の散らかったリビングの掃除よりは遥かに楽だ。
夜中の3時50分頃、三木宅を出た。俺は黙ってバンの後部座席に座り、出発と同時に丸まって眠る。親父は無言でのまま車を走らせる。席を挟んで俺のすぐ後ろには、中身の入ったポリバケツがシートベルトで固定されている。
欲を言うと毛布があればいいのだが、暖房もついているから寒くはない。数時間後に学校がある事を考えると眠れなくなるので、むしろ仕事の事を考える。三木の殺人は先月以来一ヶ月ぶり。今月は筧と花井がそれぞれ一件ずつで、割と忙しかった。そういえば小野からの依頼が最近ない。一時期は週に3回も呼び出しがあったが、ぱたりと無くなった。海外に逃げたか、あるいは自殺でもしたのか、単純に殺人に飽きたのか。親父からは何も聞いていない。原田は捕まった。ちょうど昨日、家を出る時のニュースでやっていた。
「着いたぞ」
親父に起こされる。今寝たばかりなのにとおもったが、時計を見るときっちり3時間経過していた。夢は見ていないようだった。常連の事を考えていたら時間が意識を飛ばしていた。
「大志」
車から降りる時、親父に封筒を渡される。中身は決まって5万。現場の汚れ具合に関わらず、報酬は一律1人30万円と決まっている。
この場合の1人は被害者1人だ。
親父はその内の5万円を俺にバイト代として渡す。
「じゃあ、着替えたら学校行くから」
「ああ」
先に俺は部屋にあがる。親父はポリバケツだけもって後からだ。掃除道具や処理道具は車の中に置いていく。どうせ仕事でしか使わない車だし、仕事では必ず使う。
着替えるのは面倒なので、歯磨きだけして服はそのまま布団に沈んだ。毛布に染み付いた自分の匂いと比べて若干だが血の匂いを感じた気がしたが、疲れてるのでシャワーは明日の朝にしよう。といっても、約30分後だが。
7時。目覚ましに起こされる。当然ぐっすりという訳ではないが、ひとまずの疲れは取れたように感じた。ポケットの違和感に手を伸ばすと、5万円の入った封筒があった。そういえば、そのまま寝てしまったのだと思い出し、中のお金を財布に移す。合計15万円。そろそろ銀行に行って預けないと具合が悪い。今日の学校の帰りにコンビニのATMにでも寄るとしよう。
1階に下りたが、親父はまだ寝ているようだった。どの道起きていても朝食を拵えてくれるような親父ではないが、この場合は俺が代わりに新聞のチェックをしないといけない。と言っても、見る欄は一面と事件欄だけ。うちの常連客が捕まっていなければそれでいい。
90歳の老人同士の殺人が1件と、タクシーの料金トラブルでの殺人が1件。関連はなさそうだ。あとは授業開始前の休み時間などで、ネットのニュースを見て再確認するだけで十分だろう。
シャワーを浴び、制服に着替え、コップ1杯の牛乳を飲んで家を出た。7時30分。45分からバスケ部の朝練なので、自転車を飛ばせばどうにか間に合う。朝飯は抜きだ。
予定通りの時間に体育館に到着し、着替えてから朝練開始。うちの高校のバスケ部は1、2、3年生合わせて30人の、バスケ部にしてはそこそこの大所帯であり、都大会では優勝こそないが、ベスト8に入った事は何度かあるというまあまあの成績を持った部活だ。俺個人はというと、補欠の補欠といった所で、1年生なので仕方ないといえば仕方ないのだが、レギュラーへの道はまだまだ遠そうだ。
とはいいつつも、別にレギュラーになりたくてバスケ部になった訳でもない。もっと言えば、バスケが好きでバスケ部になった訳でもない。友達に誘われた訳でもなく、バスケ漫画を読んで始めた訳でもない。
理由を聞かれたら、なんとなく、としか答えようが無い。
チームメイトは、ちょっと悪ぶっている奴もいるが基本的には気のいい奴らで、先輩も態度が少し大きいだけで悪い人ではない。そんな先輩達に文句ばっかり垂れている同級生もいるが、みんなバスケが好きなので頑張っているようだ。ボールを使っての練習が主なので、飽きにくいというのもあるかもしれない。
8時30分、朝練終了。部室で急いで着替え、8時50分開始の授業に向かう。
「大志、なんか眠そうだな」
そう話しかけてきたのは、同級生の藤岡だった。下の名前は確か、学だったか。
「練習、全然身が入ってなかったぞ」
なんとなく籍を置く俺とは違い、藤岡は小学校の頃からのバスケ好きで、人一倍練習する努力家だ。才能があるかどうかは俺の目からは分からないが、1年生で1番最初にレギュラーになるとしたら多分藤岡だろうとは思う。
「ちょっと夜更かししてな」
と、俺は答える。もちろんその内容については聞かれるまでは言わない。
「ゲームか何かか?」
藤岡の方が理由を考えてくれたので「そうだ」と答えておいた。
「まあほどほどにしておけよ? 目にクマ出来てるぞ」
忠告を受け取り、教室に着く。席についてスマホでささっとニュースを確認。新しい殺人事件は起きていないし、捕まった常連客もいなさそうだが、一応何度かチェックする。
「斉藤君」
背中から声をかけられた。同じクラスの牧田という女子だ。俺は視線を向けずに耳だけを傾ける。
「日直の仕事、朝はやっておいたから帰りはお願いね」
そういえば、今日俺はこの牧田と同じく日直当番だった事を思い出す。朝練のある生徒は朝の仕事が免除される代わりに、放課後のゴミ捨てと黒板消しと日直日誌の提出をしなくてはいけないというのがルールなのだ。それによって放課後の部活に遅れる事は許容されている。だったら、朝練の方を免除してくれればいいのにと思わなくもないが、わざわざ学級会を開いて議題に挙げる程の気力は俺にはない。
「ああ、分かった」
牧田に答える。ニュースも確認完了。それと同時に担任が教室に入ってきた。
「起立、礼、着席」
牧田の号令で、俺の学校での1日が始まった。
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