第11話 呪い
俺は幽霊を信じていない。
これまで何人もの死体に触れてきたし、殺人が起きた直後の部屋を掃除してきた。恨まれたり祟られても仕方の無い仕事だと自分でも思うが、枕元に誰かが立った経験もないし、気配のような物を感じた事すらない。そして俺の何十倍、いや何百倍も死体を扱ってきた親父も幽霊を見た事がない。正確には、そんな話をした事すらないので、もしかしたら頻繁に見ているのかもしれないが、わざわざ言う程の事でもないレベルなのかもしれない。
この話は、宇宙人と同じようなもので、広い宇宙のどこかしらには人間と似たような文明を持った生き物がいるのかもしれないが、俺の生活に影響を与えない以上、いてもいなくても一緒、つまりいないのと一緒だという考えを俺は昔から持っていて、この話を藤原にしたら、「冷めすぎだろ」となじられた。
そんな、雪男も超能力者も聖人も黒魔術も信じていない俺が、唯一信じている物がある。
それは、「呪い」だ。
幽霊を信じていないのに、呪いを信じているというのは一見矛盾しているように見えるかもしれない。だが、俺の中では1本筋の通った理屈がある。
そもそも俺の信じる呪いの定義とは、真夜中に五寸釘で憎い相手を攻撃するような物とはちょっと違って、「生まれながらに持っている、避けようのない運命」のような物。それはカルマとも言い換える事が出来て、俺は無宗教だが、近い考えの宗教もあるらしい。人間の力でどうしようもないという点において、先に挙げた超常現象の数々と、同じ性質の物だ。
殺人者と日常的に関わっていると、どうしてもこの人物が殺人を犯さない姿が想像出来ない事がある。例えば別の趣味、釣りとかスポーツとかゲームとか何でもいいが、それらの何かではその人物は到底存在し得なかったように漠然と感じる。
金運が遺伝する話にも近い。極一部の例外を除いて、金持ちの子は金持ちで、貧乏人の子は貧乏人のまま一生を終える。あるいは避けようのない事故。道端を歩いていてトラックに突っ込まれるような、単純に言えばただの事実。
犯罪行為を全てひっくるめて悪と断ずる事は凄く簡単な事だが、俺から見ると馬鹿みたいに見える。
おそらく、有史以前から殺人者は一定の割合で人類の中に存在していて、そして排除されたり、バレなかったり、戦争という状況によって世間に許されてきたのだろう。
本能に根ざす、抑えられない衝動。それが俺の言う呪いだ。
とはいえ、別に俺はそれら呪われた人物、つまりは俺の客を擁護したり庇っている訳では決してない。ましてや自分のしている仕事を正当化している訳でもない。ただ1つ言えるのは、この世から呪いは解けない。そして俺の仕事は無くならないということだけだ。
呪いすらも需要と供給の中にある。
誘拐実行の2日前、俺は約束通り藤原を誘って、指定された公園を通って帰ろうと思っていた。だが、その3日前、部活動中に先輩がダンクを決めた際、体育館のバスケットゴールが壊れてしまった。普段は天井に張り付いていて、電動で降りてくるタイプの物だったのだが、スイッチを押してもうんともすんとも言わなくなって、出しっぱなしになってしまった。老朽化しているという事もあり、修理交換という話になり、それから3日間体育館が使用禁止になった。
部活終わりの寄り道という形で、時間を計算して誘導しようとしていた俺の計画は見事に破綻し、仕方なく、俺は藤原をカラオケに誘った。まあ、この手のあらかじめ立てられた計画という物は、往々にして1から10まで上手く行く事はない。それは分かっている。
誘拐実行当日の計画が、この手の予想だにしない事故で変更にならないとも限らない。とはいえ、そこまで俺も面倒を見切れないので、牧田の臨機応変さに期待するしかないといった所か。
次回、牧田とのカラオケに向けて、更なる上達を目指して本気で練習する藤原の歌を聴き終わったその帰り、公園に差し掛かった。
気づかれないようにさりげなく牧田の姿を探す。いた。カーキ色のジャケットに同じ色の帽子を被った男と話をしている。牧田は数日前に着ていた中学生の制服を着ている。時間通りだ。藤原がそれに気づかないようであれば、俺が指をさそうかと思っていたが、藤原の方がむしろ俺より先に気づいていた。
「おい大志、アレって第二中の制服だよな?」
「ああ、そうだな」
「何やってんだ、あんな所で」
ジャケットの男の表情を見ると、最初にやにやしていたのが、段々と険しくなっていくのが分かった。これも予定通り、牧田が何か怒らせるような事を言ったのだろう。顔が嫌だとか、お金だけ欲しいとか。援助交際も俺のバイトと同じように、犯罪だがビジネスでもある。相手にも負い目があるとはいえ、わざわざこんな所まで呼び出しておいてめちゃくちゃな理由で断られたら、誰にだって限界はある。
「あれ? なんかヤバくないか?」
思っていた以上に正義感があったようで、今にも走り出しそうになっている藤原を俺は止める。
「大丈夫だろ。知り合いか何かじゃないか」
その時、牧田が先に手を出した。平手打ちを喰らった男は、一瞬何が起こったのかわからない様子だったが、駆け出そうとする牧田の腕をかろうじて掴んだ。牧田は男に蹴りを入れて逃げ出す。と、同時に藤原も走り出した。
そして追ってくる藤原に気づいた男がまずいと思ったのか、牧田とは反対方向に逃げた。
「おい! もういいって藤原!」
なおも男を追おうとする藤原を呼んで止める。そうしないと、こいつの足では追いついてしまいそうだった。
「でもよ、ただ事じゃなかったぜ今のは」
「結局あの子も逃げられたんだし、別にいいだろ」
「そうかもしれないけど……」
牧田の策は俺が予想していた以上に上手くいったようだった。これで藤原は確実に男の顔や特徴を覚えたし、あの中学生の正体が牧田だった事にも気づいていない。
「なあ、一応警察に言っておいた方がいいかな?」
「いや、いいだろ。実際何も起きていないんだし、動きようがないとか言われるぞ」
それに、どうせ何日後かには詳しく話を聞かれる事になる。
その日の夜、仕事中に牧田から着信があった。ちょうど作業の真っ最中だったので一旦無視し、帰りの車の中で折り返し電話をかけた。
「ごめん、仕事中だった?」
「まあ……」
「そっか、今は平気?」
平気だからかけ直したんだ、と大人気ない事は言わない。
「藤原君に私だってバレなかった?」
「問題ない。助けようとしてた」
「良い人だもんね」
「ああ、良い奴だよ」
それから謎の間。用事がないならさっさと寝たい。今日の仕事ではゲロと血と壊れた家具の片付けがあったので、凄く疲れている。
「ねえ、鼓動の話、覚えてる?」
突然、牧田が言った。三木邸でした、牧田の告白か。なんとなく覚えている。
「今度はその逆ね。みんなが当たり前に持っていて、自分だけには無いと思っていた物が、実はあったっていう話」
口調は落ちつていたが、脈絡が掴めない。酒でも入っているのかと疑う。
「あなたが言った事。半分は合ってるけど半分は大間違い」
「何の事だよ。簡潔に言ってくれ」
「私が自己満足の為にあなたとセックスしようとしたというのは全然違う。と、今更ながら言わせてもらうわ」
「どう違うんだ?」
「……取引の材料にしたのは、あなたが指摘した通り、私がセックスしたかったから。でも、感覚を変える為っていう理由は違う。私は別に、処女のまま殺人者になっても構わない」
「……それで?」
「あなたの事が好きって事よ。これから私がする事とは関係なくね」
よく聞くと、牧田の声は酔っ払っている風ではなかった。ふざけているようでもからかっているようでもない。三木邸で話をしていた時のような、妙な落ち着きがある。
「私が誰かを好きになるなんて事、ありえないと思っていた。不思議ね。でも、鼓動が私だけの物ではないと気づいた時よりは、むしろ嬉しいって感情に近いかもしれない」
これは告白なのか? だとしたら、俺には答える義務があるのか? 迷っていると、牧田が勝手に次の扉を開いた。
「今、私の目の前に道が2つある。1つは昔から行くと決めていた道。もう1つは、ある日突然に目の前に現れた道。あなたならどちらを選ぶ?」
心理テストか何かだろうか。漠然としすぎている。
「よく分からないけど、3つ目の道はないのか?」
牧田が黙った。少し適当に答えすぎたかもしれない。
「……そうね。探してみるわ」
「後悔のないようにな」
「ええ」
そして電話が切れた。結局、牧田が突然投下した爆弾に対して、俺はほとんど為す術も無いまま、眠りについた。
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