第12話 日常

「命乞いってのは人それぞれでね。金を渡すから助けてくれだとか、死んだら必ず祟ってやるとか、いざという時、人ってあんまりそういう事言わないんだよ。私が今まで聞いた中で面白かったのは、『これからは真面目に生きる』というのと、『俺の親が泣く』というのかな。あと、『見たいアニメがあるからそれだけ見させてくれ』というのもあった」

 本当かどうか定かではない話だが、それより疑問なのは何故、三木が俺の部屋にいるかという事だった。

「大志君。私の目を見て、たった1つの質問に答えてくれないか」

 俺の後ろには親父が立っている。普段から怒っているのか楽しんでいるのか分からない親父だが、どうやら今日は前者のようだった。何故なら、依頼人が掃除屋の家を訪れるのはルールに違反している。そもそもどうやって調べたのかすら分からないし、三木がここにいる事自体が親父にとっては不快なようだ。

「何ですか?」

 だが、こうして三木が俺の部屋にいる以上、親父が家に入るのを許可せざるを得なかった理由があるという事だった。

 人のフリをした猛獣が、じっと俺を見ている。

「昨日、ボストンバッグが僕の家に届いた。だが、中身は空だった。大志君は何か知ってるかい?」

 牧田。言っていた、もう1つの選択肢。もう1つの道。

 あいつ。

「空のバッグを届けさせるのに100万円も松崎に払ってしまったよ。期待に胸を膨らませて届くのを待っていた私の気持ちが分かるか? クリスマスの朝にサンタがいない事を教えられたような気分さ」

 怒りを隠す静かな口調の中に、その状況すらも愉しんでいるようなニュアンスが含まれていた。俺は言われた通りに三木の目を見て答える。

「知りません」

「そうか! 良かったよ。君が無実で!」

 猟奇殺人犯に言い渡される無罪判決。皮肉が効きすぎている。

「では、これは牧田単独の裏切りなんだろうね。昨日から連絡もつかないし、家にも行ったが留守だったようだ」

 いつの間に牧田の家を調べたのか。いや、それを言うならここもそうか。

「では、私はこれで失礼する。また、よろしく頼むよ」

「どうするんですか?」

「ん? 何がだい?」

「牧田ですよ」

「だから今、『よろしく頼む』って言ったじゃないか」

 牧田は殺される。そしてその死体は、俺が掃除する事になる。これは確信ではなく確定だ。三木にとっても、牧田にとっても。

「さあ、まずは追いかけっこだ」

 そう楽しそうに言って、三木は俺の部屋を出て行った。

 窓から後ろ姿を確認し、俺は携帯に手をかける。

「やめろ」

 親父が俺を止めた。

「……何をだよ、親父」

「客を売るな」

 俺は自分がしようとしていた事を止められてから初めて認識する。牧田に電話をかける。それで? 殺人者が迫っているから逃げろとでも言うのか? それとも、裏切った事を責めるのか? どちらも今更変えようがないし、起きてしまった事実だ。進行する呪いだ。

 翌日から、何事もない日常が再開した。朝練に行き、授業を受け、放課後にも練習があり、帰り道に友達と喋る。仕事の依頼が無かったので、夜は新しく買ったゲームをひたすらやっていた。体育館のバスケットゴールは直った。薬袋には彼女が出来た。変化といったらそれくらいの、至って普通の毎日。

 たった1つだけ、牧田が登校してきてない事を除けば、それはまさしく平和だった。

「あー、もう知っている者もいるとは思うが、うちのクラスの牧田が何日か前から行方不明になっている。何か知っている者がいれば出てくるように。警察が話を聞きに来るかもしれないが、正直に話せよ。いいな」

 担任の口ぶりは、どうせ家出か何かだろうといった感じで、クラスメイトの中に匿っている人間がいるのではないか、という疑いを持っているのは明確だった。俺には当然心当たりがあったが、言う訳にはいかなかった。

 だがその日の夜、牧田の母親からうちに電話があった。憔悴した声で、何でもいいので知っている事を、と訊かれた。おそらく最近一緒に遊んだ人間全てに電話して聞き回っているのだろう。俺は当然、何も知らないと答えた。

 その翌日、藤原が例の援交男の事を牧田の家族に話したようで、警察がその確認に俺の家までやってきた。俺は見たままを話し、その中学生が牧田だという事は伏せた。自分の仕掛けた罠が自分を探すのを邪魔する事になるとは。これもおそらく呪いの一種だろう。牧田か、三木のかは分からないが。

 三木は確かに、底知れぬ化け物だ。俺が知っている中でも1番多く人を殺している。金持ちで、社会的地位も持ちながら、心から自分の趣味を楽しむ犯罪者。裏の繋がりは強く、三木の財産を利用しようと近づいた無法者は逆に利用されている。唯一、三木が対等に人として扱う相手が親父であり、それ以外は餌か餌を運んでくる者だ。そんな怪物が、女子高生の1人くらい探し出して拉致するくらいは訳がない。出来ないはずがないとさえ言っていい。

 しかし一方で、牧田も三木に匹敵するくらいの異常者だ。人を殺す事に憧れた少女。憧れるのみではなく、練習まで始めて、挙げ句の果てには殺人鬼とその小間使いに自ら接近していった。どんな心変わりがあったのかは知らないが、三木を裏切ったのは何か彼女なりの考えがあったのだろう。逃げ切れる算段があるのか、あるいは三木にもっと凄い人間を献上しようというのか、ただ単に無謀をしたとは思えない、というのが俺の考えだ。

 牧田が失踪してから1週間。ついにその日はやってきた。

 きつい練習。退屈な授業。混み合う購買部。友達との会話。間の時間には気になっていた本を読んだり、携帯でニュースをチェックする。実に平凡な日。

 そこに差し込まれる、親父からのメール。

「仕事」

 誰からの依頼とは書かれていない。

 家に帰り、すぐに支度を始める。いつもならこの時点でどこに行くのか尋ねるが、何故か今日は尋ねなかった。むしろ妙に眠くなって、行きの車の中でも寝てしまった。揺れる車中で、俺は螺旋階段を下るように夢の中に落ちていく。

 もやもやとした意識の中、到着したのは三木邸だった。親父に続いて荷物を持って中に入る。三木がいつもの笑顔で出迎える。ローブは血まみれ。今から風呂に入るという。俺は現場の状態を確かめに、居間に入る。そこに、首だけになった牧田が居た。

「みんなお前の事探してるぞ」

 すると、牧田の生首が答える。

「1番最初に見つけてくれたのが大志君で良かった」

「今から親父がお前の事を解体するけど、悪く思うなよ」

「ええ。でも1つだけお願いがあるの」

「何だ?」

「私にキスして」

 言われるがまま、俺は牧田の頭を持って、顔を近づけていく。牧田が目を瞑ったので、俺もそうする。唇が交差する。温度がないのに、牧田は舌を絡めてきた。

「やっぱり身体を失う前に1度しておけば良かったかな」

「かもな」

 そこで目が覚めた。

 一瞬だが、どうやら眠っていたようだ。何とも気色の悪い夢だ。

 生首が喋るなんてあり得ないし、俺が牧田とキスするのはもっとあり得ない。そんな事は分かっている。俺は掃除用具を置いて、準備を始める。俺の目の前にあるのは本物の生首。本物の牧田だ。牧田だった物だ。現実はそれ以上でもそれ以下でもない。

 まずは死体を運ぼう。それから散らばった内臓をかき集めて、床の血を拭きとる。

 いつもの作業、変わらない日常だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る