第13話 撤退
「私が最初に殺したのは妻だった」
三木は作業を進める俺に向けて、いつものように喋り始めた。
「美しい女でね。知人の紹介で知り合ったんだが、一目惚れだった。当時付き合っていたガールフレンド全員と別れて、出会ってから3日でプロポーズしたよ。彼女もすぐに受け入れた」
話を聞きつつ、俺は明日の日直がどうなるのか考えていた。一周して、明日は再び俺と牧田がやる予定だったはずだ。だが牧田は今、風呂場で親父に解体されている。1人で日直の仕事をしなくちゃならないのだろうか。
「妻は私の全てを愛してくれていた。私の顔も、身体も、性格も、財産も。その中でも特に愛していたのが最後の物だったようだ。死んだ後、5年間の結婚生活中に買ったブランド品を全て売り払ったら、孤児院が立ったよ。他にも、エステ、旅行、売れない芸術家への支援。今の私の趣味にかける金なんて端金だ」
牧田が死んだ事を藤原が知ったら、どう思うだろうか。悲しむのか、それとも怒るのか。そもそも失踪扱いになっているから、このまま死体が見つからなければいつものようにただの行方不明者か。牧田がもう帰ってこないと藤原が理解するのは随分先の話になりそうだ。
「だがそれが私にとっては幸せだった。妻の愛した財産は、私自身だ。稼いだ金は私が生きた証その物だ」
どうして殺したんだ?
「私が妻をこれ以上愛するには、妻が私に求めている物を私も同じく妻に求めなければならなかった。だってそうだろう? 愛とは分かち合う物だ。与えたり貰ったりするだけの物ではない。だから、生命保険をかけて計画を立てた。地元の警察に根回しもして、誰が見ても事故に見えるようにして殺した」
三木は恍惚とした表情を浮かべながら、天井を仰いだ。
「妻の保険金を手にいれた時、やっと対等になれた気がしたよ。金になった彼女の命を使って、私が趣味を精一杯楽しむ事で、ようやく私達夫婦は真の幸福を手にいれたんだ」
「今日はやけに上機嫌ですね」
俺がそう言っていた。というのは、自分でもほとんど無意識から出た台詞だったからだ。
「まあね、これを見てくれ」
三木がバスローブの袖を捲った。そこには縦に1本、まだ新しい切り傷があった。小さな傷だが、まだ血は止まっていないようだ。
「君のお友達にやられた傷だ。大した娘だよ。パンツの中にバタフライナイフを隠していて、それで私を殺そうとした。いや、とても興奮した。本気で私を殺そうとする奴を殺せるなんて、素晴らしい事じゃないか」
それは牧田にとって必死の抵抗だったのだろう。第三者に拉致されるのを予想し、自分が商品だからこそ絶対に調べられない場所に武器を隠せた。三木と2人になった時に、殺られる前に殺ろうとした訳だ。だが駄目だった。結果、三木は腕に小さな傷を負い、牧田の首は胴から離れた。
「せっかくだから、この傷は残そうと思っている。消毒だけはさっきしたが。しばらくはこの久しぶりの痛みを感じていたい。思えば、私は妻を殺してやったが、妻は私を殺そうとはしなかった。もう1度会いたいというのはわがままかな。彼女達に」
「いつかは会えるんじゃないですか。多分、全員行くのは地獄でしょうし」
三木がきょとんとして俺を見ていた。俺は自分で言った言葉の意味があまり理解出来ていなかったので、同じ顔で三木を見返した。
「大志君、怒ってるのか?」
「いえ、別に」
「そうか。なら良かった。しかし冗談にしてはブラック過ぎるよ、今のは」
その言葉自体が、冗談にしてはブラック過ぎる。と言いたかったがやめた。俺にそこまで言う権利はない。眠気からくる失言だ。
「大志君に1つ、面白い事を教えてあげようか」
三木が優しく微笑んでいる。きっと、人を殺す瞬間もこの顔をするのだろう。
「何ですか?」
「君のお父さんが最初に解体したのも、君のお母さんだよ」
「三木」
いつの間にか、親父が部屋に戻ってきていた。
作業用のエプロンは血まみれのままで、両手のゴム手袋が何かを持っている。
「これが腹の中から出てきた」
ビニール袋に入った黒い機械。指2本でつまめるほどの大きさだが、よく見ると緑色のランプが点いている。とりあえず爆弾ではなさそうだが、普通人間の体内に入っているような物でもない。三木も首を横に傾げる。その時、電話のベルが鳴った。親父が頷き、三木が電話に出る。
「もしもし。……ああ。……ああ。……何故だ? ……どうにもならないのか? ……何の為に金を払っていると思ってる? ……ああ。……お前も覚悟しておけよ」
いつになく強い口調の三木だ。電話を切ると同時に、親父に告げる。
「あと30分で警察がここに来る。そのGPSを追ってね」
親父の手にある物を指さした。気づけば、三木はまたいつもの冷たい表情に戻っていた。
解体は今始まったばかりだ。これから30分で終わらせる事は出来ない。
牧田。
3つ目の道を見つけたのか。
「大志、逃げるぞ」
親父がエプロンをその場で脱いで俺に渡し、GPSもテーブルの上に置いた。
三木はソファーに座り、手で顎を撫でていた。落ち着いているようにも見えるが、イラついているようにも見える。……いや、違う。これから来る警官をどう殺そうか考えているのか。
俺は親父に指示されるがまま、掃除道具を急いで片付けて車に乗り込んだ。少し山道を下って国道に出ると、遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。もちろん反対方向に逃げる。
風呂場には解体中の牧田の死体。それと牧田自身が飲み込んでいたGPS。三木の腕には牧田がナイフでつけた傷。まだ掃除の終わっていない殺人現場。証拠は揃いすぎていると言っていい。
その後、車の中で親父は俺に手紙を渡した。牧田の腹の中に、GPSと一緒に入っていたそうだ。
「これからこの車を焼きに行く。近くの駅で降ろすからお前は真っ直ぐ家に帰れ」
淡々とこれからの事を語る親父の声も、正直言って右から左だ。
「俺はしばらく隠れる。もしも警察が家に来たら、任意なら何も知らないと言え。連れて行かれたら、この番号に電話をかけろ。それまでは何も喋るな」
親父がメモに電話番号を書いて俺に渡してきた。
「誰の番号?」
「弁護士だ。こういう時の為の対策を指示してある。お前はその弁護士の言う通りにしていればいい」
「親父はどこに行くんだ?」
答えは返ってこない。まあ、そこまで信頼されているとも思っていなかったので大してショックではない。むしろこういう時の為に俺の身を考えてくれていた事に感動すら覚える。
「三木が俺達を売らずに、警察も証拠を掴めないようなら半年で戻る」
「分かった」
俺は牧田の手紙を眺めながら、これから始まる1人暮らしの事を考えていた。
これまでも、依頼人が何らかの証拠を残して警察に捕まるケースはあったが、その度に仕事用の携帯を変え、車の偽造ナンバーを新しくするだけで済ましてきた。だが、三木は普通の依頼人ではない。俺達の素性を知っていて、実際に家まで来た。だから、ここまで徹底的に対策をしなければならないのだろう。
「……聞かないのか?」
珍しく、親父が俺に指示ではなく質問をした。だが、言葉足らずなのはいつもと同じだ。
「何が?」
「恵美……お前の母さんの事だ」
ああ、と俺は三木が最後に言っていた事を思い出した。親父が最初に解体したのが俺の母親だって話だ。気になるといえば気になるが、どうでもいいといえばどうでもいい。なので、俺はこう答えた。
「帰ってきたら、話してくれよ」
「……そうだな」
俺は牧田からの手紙をビニール袋から取り出し、ポケットに入れた。駅が近づいてきたからだ。
「その手紙、読んだら焼き捨てろよ」
正直言って、ここまで優しい親父を俺は今まで見た事がない。こんな物、俺に渡さずに焼けばいいのにそうしなかった。常連客を1人潰され、こうして逃げなければならない立場に立たされている原因を作ったのは俺なのに。
「分かった。ありがとう」
俺は答え、車から降りる。その時、親父が小さく「すまんな」と謝った。親父の謝罪なんて生まれて初めて聞いたが、それが何に対しての謝罪なのかは分からない。
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