最終話 普通

「畳、ですか……」

 部屋に入るなり、俺は反射的にそう呟いてしまった。

「畳だと駄目?」

 新規客の開拓はもちろん親父がしているのだが、大体はヤクザ絡みか、殺人者の知り合いの殺人者であったりする。しかし今回は、親父が休暇中にネットを使って見つけ出したという珍しい相手だった。その客は死体の処理方法を調べていて、質問サイトや掲示板で尋ねて回っていた。そこに親父がコンタクトを取ったらしい。

 なんと俺と同い年の17で、我が家から車で30分くらいの所にある家も、屋敷と呼ぶに相応しい実に裕福な家庭だ。聞いたところによると親が芸能人か何からしく、今日も帰ってくるのは深夜を過ぎるという事で、暇つぶしに殺人をしたそうだ。

 性別は男で、俺より背が10cmくらい高い。

「いや、駄目じゃないんですけど、薬剤でイグサが変色しますね」

「あ、そうなんだ。じゃあ完璧には消せない?」

「畳を張り替えないと駄目ですね」

 殺人現場は8畳くらいの和室。死体の歯が全部折られてその辺に散らばっていて、太ももからの出血で畳がどっぷり赤に染まっている。一見するとどうやって死んだのかよく分からない死体だ。

「まあとりあえず綺麗にしてくれればいいや。変色は適当に言い訳考えるよ。親に言ったらすぐ変えてくれると思うし」

 つい1時間前に殺人を犯したばかりの人間とは思えないほど、彼の口調は落ち着いていた。

「分かりました。では、作業にかかります」

「あ、その前に」

 道具の準備をする親父に、彼は言った。

「解体の方法、教えてくださいよ。というか側で見てていいですか?」

 親父は仏頂面で、「駄目です」と答えた。

「えー、何でですか。お金なら通常の倍払いますよ」

「大志、足」

 親父が俺の名と身体の部位を呼ぶ。

 俺はその指示通り、死体の足側を持ち、親父が頭を持ってビニール製の担架に乗せ、2人で風呂場へと移動する。客を無視するのはサービス業としてはあまり良くない事なのかもしれないが、この世間知らずのボンボンにはちょうど良い扱いなのかもしれない。

 運び終えて殺人現場に戻ると、彼が肩肘をついて椅子に座っていた。いかにも不機嫌そうだ。

「なあ、あの人っていつもあんな感じ?」

 同い年と分かって急に砕けた感じになった彼に、俺は答える。

「まあ、そうですね」

「普通さ、断るにしてもあんな断り方ないよなあ? 金は払ってるんだし」

「お前の金じゃないだろ」と、喉元まで出かかったがどうにか堪えた俺は、親父よりも社交性がある。

「気にしないで下さい。解体の方法は企業秘密みたいなもんです」

「そっか。まあいいんだけどさ。グロいの結構苦手だし」

 なら殺人なんかするな。馬鹿にしてんのか、と心の中で突っ込む。

「ていうか君も手順は知ってんでしょ? 大体でいいから教えてよ」

 当然俺は断った。だが、俺が作業を初めても、いくら宥めても、無視を決め込んでも、ずっと隣から解体の方法についての説明を催促してくる。挙げ句の果てには親父の解体を覗こうとしだしたので、仕方なく答えた。

「実際やった事ないですけど、流れだけなら教わっています」

「聞かせて聞かせて」

 目をキラキラとさせて、まるで宇宙飛行士に宇宙の事を聞く子供みたいに純粋だ。

「まず、両手両足それから頭を分断します。それから、骨から肉を剥がし、皮膚と肉を薬品で満たした圧力鍋で溶かしていきます。この剥がす作業と溶かす作業は並行して行います。まあ料理と一緒で色々同時にやった方が効率良いんです」

「ははあ」

「で、次に骨を砕いていきます。ある程度砕いたら業務用のミキサーで粉々にします。溶けた肉はトイレに流します。内臓も同じようにして溶かして流しますけど、においが凄いんで解体する手順にコツがいるみたいです」

「やっぱり専門の道具とか薬品が必要なんだねえ」

「脳髄とか眼球もそれで全部溶けますね。あとは歯が厄介で、ミキサーでも砕けきらないんですよ」

「それはどうするの?」

「粉々になった骨と一緒に、こちらで持って帰ります。ある程度溜まったら親父が処分しにいってるみたいですけど、そこまでは良く知りません。あ、でも冷凍庫使ってました」

 分からない物は分からないのでこう言うしかない。だが、とりあえず彼は俺の答えに満足したようだった。

「なるほどね。確かにそりゃ大変そうだわ。素人がやろうと思ったら結構かかるな。第一に面倒くさい」

 多分、俺がやろうとしたら丸1日はかかるだろう。そこを親父は3~4時間でやる訳だから、やはりプロだ。

「簡単そうなら僕1人でやろうと思ったんだけどな。そんな事を話しながら君の掃除も物凄い手際良いし、やっぱりプロだね」

 そう言われれば、嬉しくなくはない。

「あ、もう1個だけ質問させて」

「はあ」

「君ってさ、良心の呵責はない訳?」

 なんだこいつ。

「だって酷くないか? そりゃ1番酷いのは人を殺す僕みたいな人間だけど、でも君みたいな掃除屋がいるから、安心して人を殺せるって部分はあるじゃないか。そういう意味で言えば、君の方がよっぽど社会にとって悪だよ。存在している事が、沢山の人を殺してるとも言える。それに対して何とも思わない?」

 俺は作業を続けながら答える。

「前は何とも思いませんでしたね」

「前は?」

「お客さんが同級生を殺してから気づきました。死んだらいなくなるって」

「うはは!」声をあげて笑う彼。「何だそれ。当たり前じゃないか。小学生か!」

「知ってはいたけど、いちいち考えなかったんですよ。いや、考えてたけど知らないフリをしてたというか……」

 何を言ってるのか自分でも分からないまま、作業だけはすこぶる捗る。それと完全にペースを掴まれている事だけは分かる。

「ああ、君は普通の人なのか」

 彼の言葉に、手が止まる。

『心が麻痺しているだけ』

 手紙に書いてあっただけの文字列が、音を得て頭蓋骨の中で反響する。

「君のお父さんと同じで、こっち側だと思ったんだけどな」

 彼の少し寂しそうな表情に、牧田が俺を誘ってきた時の表情が重なる。全然似てないのに。

「俺は……」

 言い淀み、糸を紡ぎ、何はなくとも手は動かす。

「俺は普通の人ですよ」

 おそらく、いつか誰かが俺を殺すだろう。あるいは捕まるか、想像もつかない程に惨めな死か、いずれにせよ俺が救われる事はない。だが、それでいい。それでこそ俺は、今までしてきた事とこれからする事に対しての責任を果たせる。

「まあ何でもいいや。これからよろしく頼むよ」

「はい」










「どうして俺の後をついてくるんだ?」

 立ち止まってそう尋ねると、牧田が俺に追いついた。時間は戻り、俺が初めて自分が掃除屋である事を牧田に打ち明けたあの日の放課後だ。

「誰かに私の秘密を言うかもしれない」

 もっともな疑いだったが、それをひとまず解消する為に俺も秘密を打ち明けた訳で。しかしながら、いまいち信用が足りていなかったようで、牧田にとっての俺は、敵に属している存在のようだった。

 火薬を空にばら撒いて一気に火を点けたように、夕日が雲を赤く染めている。アスファルトに滴るような光が、俺と牧田の間に流れていた。

「牧田」

 俺は周りに誰もいない事を確認し、それでも小声で告げる。

「お前は自分の事を特別に変な奴だと思っているのかもしれないが、俺にとっては快楽殺人者なんてその辺にごろごろいる普通の奴だ。だからいちいちお前を批難したり、誰かに告げ口したりなんかしない」

「……本当に?」

「ああ」

 すると牧田はゆっくりと歩いて俺に近づいてきた。お互いに首を絞められるような距離まで来たので、俺は後ずさりしようとしたが、手首を握られた。

「何だよ?」

「目を見るだけ」

 そのまま顔を寄せてくる。鼻息の当たる距離だ。視線がこそばゆい。

 牧田が俺の目を見ていたように、俺も牧田の目を見ていた。濡れたカラスの羽のような、少しだけ緑がかった暗さに思わず息を飲み込む。

「嘘は言っていないようね」

「目を見ただけで分かるのか?」

 俺の真面目な質問に対し、牧田は肩を透かすような答えをした。

「ううん、全然。ただ、あなたが嘘を言っていないと私が思いたいだけ」

 牧田がようやく離れた。背中を向けて、鞄を持った手を後ろに組んで歩き出す。

 何だよそれ、と呟く俺の言葉は牧田に届かず、牧田は来た道を戻っていった。

「じゃあ、また明日」

 俺は1人ぽつんと、牧田の背中を見送っていた。

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殺す。解体す。掃除する。 和田駄々 @dada

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