第15話 帰宅
日常に戻ると、心が壊死していくような感覚に襲われた。
いや、というよりも、今まで何も感じていなかった部分が急に、猛烈な痛みを訴え出したと表現した方が近い。それは道を歩いていたり、部活で筋トレをしていたり、授業を受けている最中、発作的に起きて、生きているのが辛くなったり、いっその事誰かを殺したりなったりする。
これが俺に与えられた呪いだとしたら、相当に厄介だ。
多分呪いを解ける奴はもう死んだし、俺に呪いを与えた奴はまだ戻ってこない。
それでも表面上は、普通の高校生としての顔を保ち続ける俺がいる。
案外、最初からみんなもそうなのかもしれない。
というか心というものを俺は今まで意識した事が無かったが、本来そういう性質のものなのかもしれない。それでも社会を円滑に回す為、みんなが協力してお互いに隠しあっていたのかもしれない。だとしたら、今更になって気づいた俺は大馬鹿もいい所だ。確かに俺は少し特殊なバイトをしているが、隣の席に座った名も知らない眼鏡の地味な女の子が、援交をしていないとは限らない訳だ。心に折り合いをつけて、闇を少しも見せない顔で。
藤原が、バスケ部をやめた。学校も休みがちになっている。来ている日でもどこかぼんやりしていて、前まであった爽やかな人懐っこさは気づくとどこかへ消えてしまっていた。藤原だけではなく、俺のクラスの生徒はみんな、以前とはちょっと違う諦観にも似た大人しさで声を潜めて喋るようになった。
この日本に殺人趣味を持つ人間がいて、そいつが見知った人間を殺して楽しんだという事実を、知識としてではなく実感として得てしまったせいだろう。
年間の行方不明者10万人という数字の前では、日本警察の優秀さはすがる藁のような物だ。事件にならない事件に対して、まるで頼りにならない有能な牧羊犬達。
「なあ、大志」
昼休み、最近は飯も食わずにどこかへ行ってしまう藤原が、珍しく俺に話しかけてきた。
「犯人の三木、お前もともと知ってたんじゃないか?」
「どうして?」
「いや、なんとなくだけどよ」
三木と繋がる証拠は1つとして残していない。ましてや、もしもあるのならば藤原よりも先に警察が嗅ぎつけているはずだ。
「何で牧田だったんだろうな……」
そんな藤原の呟きはただの言葉のくせに鉛のような重さで教室の床に落ちて割れた。俺は聞かないフリをした。何も言えないし、何も言うべきではないと思った。
「だけど俺らは生きてる」
にも関わらず、俺は藤原に向けて喋っていた。
「俺らが生きている限り、牧田の事、忘れずにいられるだろ。1年経っても2年経っても10年経っても。そしたら三木にだって誰にだって殺されない」
何だか支離滅裂で、自分でもよく分からない。それは理屈にもなっていない理屈だったが、俺は言いながら牧田の手紙に書いてあった事を思い出していた。そうだよ。それしか出来ないんだからそれをやろう。自己満足かもしれないが、そうするしかない。
「だな、大志」
ほんの少しだけ、藤原が前みたいに笑った気がした。
そして俺も少しだけ良い気になって家に帰ると、玄関で突如として襲われる。
『お前が牧田を三木と会わせたんだろ?』
それは聞いた事のない声だし、明らかに俺の頭の中だけでしている声なのだが、確実に俺が今まで出会ってきたどの殺人鬼よりも冷徹で、残酷で、異常で、狡猾な奴だった。しばらくその質問に答えられないままでいると、
『牧田をこちらの世界に誘ったのはお前だ』
『そのくせまずくなれば見て見ぬフリをした』
『父親にも三木にも自分にも逆らえない臆病者』
そして、
『俺はお前自身だ』
と地獄の底から俺を呼ぶ。
分かった。分かったよ。もう十分だ。認めよう。降参だ。
俺は頭のおかしな掃除人だ。人が死んでも何も思わない、ましてや動物の生き死になんてどうでもいい。ただ少しの金の為に自分の手を汚して、この世の最もドス黒い連中の都合の良い存在に徹する最低な人間だ。
それで? 次に俺はどうしたらいい? 全てを誰かにぶちまけて楽になるか? それともひっそり自殺でもするか? あるいは殺人者の仲間に入るのがお似合いか?
その声は答えず、ただ俺を嘲り笑うだけだった。
それから、何事もなく半年が過ぎた。俺はただの高校生に扮し、時折襲われる猛烈な罪悪感やら後悔やら憤怒やらになんとか耐えつつ、それでいて現状を変えようとしない生活を垂れ流していた。もうすっかり、世間は半年前に死んだ女子高生の事を忘れている。結局警察もうちには来ず、進行したのは俺の右奥歯の虫歯くらいのものだった。
親父は、約束通り帰ってきた。ある晩、見覚えのないバンが家のガレージに止まり、中から前より少し痩せた親父が出てきた。
「おかえり」
と、俺の方から声をかけると、親父は「ああ」と答えた。
「今日から仕事も再開するのか?」
「まあな」
「俺、部活やめたからいつでも行けるぞ」
「そうか」
仏頂面のまま、
親父はバンの中から新しい仕事道具を出し、机に並べていた。タンクにたっぷり入った薬品類と、新しい圧力鍋、モップに雑巾、スプレーボトルと小型ポリッシャー。ほとんど新品の物だ。
これなら仕事が捗りそうだな、とか考えながらそれらを見ていると、親父が独り言のように俺に尋ねた。
「この仕事、続けるのか?」
俺はあらかじめ決めていた答えを舌の裏から取り出す。
「親父が良いなら、そのつもりだけど」
「俺は関係ない」
言葉尻は強いが怒っている風ではない。逆に尋ねる。
「どうして俺がやめると思ったんだ?」
「お前の母さんを殺したのは、お前の本当の父さんだ」
「は?」
質問の答えになっていないどころか、何だかあっさりと血縁関係に関する凄く衝撃的な事実をばらされた気がする。耳を疑うとはまさにこの事で、確認にはいくつかのステップが必要になる。
「まず、親父は俺の本当の親父じゃないのか?」
「そうだ。血の繋がりはない。だが戸籍上は親子だ」
「という事は、俺を生んだ母さんと親父は一応結婚していたのか?」
「ああ」
「でも、俺の本当の親父は別にいる、と」
「そうだ。そしてそいつが母さんを殺した」
「それで親父が解体したのか?」
「解体して、お前を中から取り出した」
もう何が何だか分からないんだが、疑問だけはどんどん湧いてくる。親父は産婆も出来るのか? いやいや、そうじゃない。ふざけている場合ではないがふざけたくもなる。
「元々、この仕事は俺とお前の母さんでしていた。母さんが解体して、俺が掃除していたんだ」
矢継ぎ早に明らかになる事実に頭をぶん殴られつつ、俺は親父の話を黙って聞く。
「ある時常連客の殺人者に、母さんがレイプされた。それでお前を身ごもった。それを知って、俺は母さんと結婚してお前を一緒に育てる事にした」
手軽に言ってくれているが、当時の親父の葛藤は計り知れない。そしてそんな事実をこんなにすらすらと明らかにされる俺の気持ちもまだよく分からない。
「もうすぐ出産という時に、その殺人者に母さんが殺された。俺が駆けつけた時はもう遅く、母さんが死に際に書いた置き手紙だけが置いてあった。俺は急いで母さんの身体を解体してお前を取り出した。それが俺の初めての解体だ」
手紙。親父が俺に牧田の手紙を渡した理由がそれか。
「その手紙には、大志が高校生になったら仕事を手伝わせるようにと書いてあった。だから俺はそれに従って、お前に仕事を教えた。だが、お前がこの仕事が嫌になったならもう手伝わなくていい。母さんとの約束は破る事になるが、お前の人生だ。好きにしろ」
そう言って、親父は仕事の準備を終えると部屋に上がっていった。俺はそんな親父の背中に声をかける。
「親父、俺はこの仕事を続けるよ」
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