第4話 同類

 月曜日の朝。土日も部活はあったが、教室に来るのは金曜ぶりだった。まず机の中を確認したが、今日は何も入っていない。一安心といった所か。

 それから俺は、金曜に森園の言っていた事を思い出した。思えばいよいよ馬鹿馬鹿しい話に思えるが、そもそも森園も三木も、殺人が趣味のサイコパスだ。彼らの言う事や考えなんて、俺や俺のクラスメイトのような一般的な高校生に当てはまるはずが無い。

 杞憂、という奴だ。

「斉藤君」

 また牧田だ。朝、牧田にこうして後ろから話しかけられるのは、この1週間で3回目になる。

「何?」

 と答える俺の耳元に、牧田が近づいてきてこう尋ねてきた。

「ハムスターの死体の事、どうして誰にも言わなかったの?」

 俺が今まで守ってきた日常が、音を立てて瓦解しようとしている。

「そうか、牧田がやったんだな」

 俺の答えに牧田は黙った。その表情はまだ、クラスメイトの心情を気遣う良き女子生徒としてのそれを維持していたが、この場合の沈黙は肯定を意味している。

 困惑するでもなく、ただ事実を指摘した俺に、何と声をかけたら良いか迷っているが故の沈黙。俺の方からそれを破る。

「人に言う気はないよ。今の所」

 俺としては、これ以上小動物の死体を机に入れられて、いちいちそれを誤魔化したり処理したりするのは御免こうむる。バイトと違って給料も出ないし、親父を呼ばれるのは困る。とはいえ牧田の趣味に対してとやかく言うつもりはないので、牽制という意味で「今の所」という言葉を使った。 

 牧田は黙ったまま、少し俯き、自分の席に戻って行った。

 それから俺は森園の発言を思い出し、なんとなく嫌な気分になった。上手く言い表せないが、もしも好意を持たれているのが事実だとするならば、それはこれからの学校生活の居心地が悪くなる事を意味する。俺は人に好意を持たれるのが苦手だ。

 いつの頃からか、人との関わりに1枚薄くて白い幕を張っているように感じるようになった。相手からこう見えるように、光を自分の背中に置いて、当たり障りのない影を作ってそれを見せる。

 仕事のせいだろうか、それとも俺に限らず大抵の人間がそうして暮らしているのか、ただ口に出していないだけなのかもしれない。

 好意を向けられるという事は、その白い幕を一旦上げるように指示されているように感じる。強制と言ってもいいかもしれない。影の自分ではなく、その本体を直接見せろと脅迫されるのは俺にとって恐怖に他ならない。なぜ怖いと感じるかは分からない。分からないから怖いのかもしれない。



 昼休み、牧田から呼び出された俺は、社会科準備室という入った事もない部屋に来ていた。人目を避けて話をするには打ってつけだが、牧田が何故ここの鍵を持っているのかは不明だ。

「……どうして私が犯人だって思っているの?」

 牧田が「自分は犯人ではない」というニュアンスを含めて質問しているのが明らかだったが、こうして人目を避けて連れ出した時点で、「第三者に聞かれてはまずい答え」が俺の口から返ってくる事を懸念しての事であるのが丸わかりだ。

 俺はそんな牧田の、少し間の抜けた質問に答える事はせず、むしろストレートに、牧田の要望を叶える事にした。

「さっきも言ったけど、牧田の趣味を誰かに言うつもりはない。もちろん通報もしない」

 少しは安心してくれるかと思ったが、牧田の表情は変わらなかった。

「その代わり、俺に迷惑をかけるのはやめてくれないか」

 この要望さえ牧田が叶えてくれるなら、明日から俺の平和な生活が戻ってくる。1度瓦解した日常は再構成され、何の心配事もなく、勉強、部活、バイトに精を出す至って普通の暮らしが手に入る。

 そんな俺の期待に、牧田は黙ったまま俺の眼を見ていた。俺は手持ち無沙汰に首筋を掻いて、敵意は無いと視線を外した。

「……本当に、誰にも言わないのね?」

「ああ。誓うよ」

 うちは仏教でもキリスト教でもないので何に誓えばいいのかは分からないが、何にでも誓う。

「猫の事も?」

「うん」

「ハムスターの事も?」

「もちろん」

「じゃあ、この事もよね?」

 その言葉に俺が視線を戻すと、気づかぬ間に牧田がすぐ近くに来ていた。そしてその手に握ったスマホには、無残に内臓をばら撒いて死んでいる犬の写真が映っていた。

「これもよね?」

 スマホの画面をスワイプすると、今度はゴミ捨て場にいたのとは別の猫が口からピンク色の物を吐き出して死んでいた。

「ほらこれも、これも」

 牧田はそう言いながら、次々にアルバムをめくっていく。脚をバラバラに千切られた虫の死骸から、身体の半分が真っ平らに潰れたインコ、逆さに吊るされ更に胴の伸びたダックスフンド。

「ここまでが私のオリジナルで、ここからはネットで集めたコレクション」

 焼死体、水死体、生首に全身斑点。次々に目の前に展開するそれらに俺は呆気に取られていたが、俺が一番引いたのは、写真をめくる度にどんどん興奮していって、涎を垂らしそうになっている牧田の顔がすぐ近くにあった事だった。頬が紅潮し、息も荒い。何より楽しそうで、今まで同じクラスにいてこんな表情は見た事無かった。

「あの、ちょっと待って」

 止めないといつまでも続きそうだった。

「え?何?」

 牧田は興奮しきった表情のまま、俺に向き直った。

「誰にも言わないのよね? それならまだまだ見せたい物が……」

 また死体スライドショーが始まりそうになったので、俺は首を横に振る。

「言わないのは言わないけど、君の趣味に付き合うとまでは言ってないだろ」

「……言うの?」

「いや、言わないよ」

 スマホをしまう牧田。俺に向けられた強い視線は、何を訴えているのか。疑惑か、脅迫か、吟味か、それとも俺には想像もつかないもっと別の何かなのか。

「とにかく、もうこれ以上俺に迷惑をかけないでくれ。関わりあわなければ、お互い今まで通りの生活を……」

 言いかけた時、俺の喉に何か冷たい物が当たった。

 目の前にいたというのに、俺は牧田のその動きに気づきもしなかった。そして、牧田が言葉を発するまで、状況が飲み込めなかった。

「斉藤君がどうかはしらないけれど、私はその『今まで通りの生活』に満足していない」

 状況が飲み込めるまで、俺は牧田の思考に気づかなかった。

「私がこんな小さな動物を殺すだけで満足していると思う?」

 牧田の思考に気づくと同時、俺が今まで依頼を受けてきた殺人者の顔がばらばらと浮かぶ。

「あなたの喉下にあてているこのナイフを、横にスッと引く事をどれだけ私が望んでいるか」

 まだ日常の中に安心して身を置けると、俺は思い込んでいた。

 耳元で、牧田が妖しく囁く。

「私の初めての人になってみる?」

 死体を掃除するのは平気な俺でも、自分自身が死体になるのは流石に御免だ。

 少しだけ心のどこかに覚悟を持ちながら、喉がナイフに触れないように慎重に発声する。

「……なりたくなければどうすればいい?」

「黙っているのは当然の事。斉藤君の秘密も教えて」

「俺の秘密?」

「イチかバチか、とぼけてみる?」

 牧田が、俺のしているバイトの事を知っているとは到底思えなかった。というより、親父がたかだか高校生相手に尻尾を掴ませるとは思えない。結局否定も肯定も出来ず、俺は刃の前に押し黙る。

「ゴミ捨て場で、猫の死体を見た時、あなただけが他の人とは違う反応をした。嫌悪感も好奇心もなく、ただ純粋に日常を見る目だった」

 あの時、牧田はどこかから俺の事を見ていたんだろう。そうと知っていれば、少しくらいは演技したのに、と意味のない後悔に襲われる。

「だけどそれがなくても、普段からあなただけは違うと思っていた。斉藤君、あなたの平凡な表情はわざとらしすぎる。笑っている時も、困っている時も、何もしていない時でさえ、自然じゃないのよ。こうして命の危機に晒されている時でさえ、まだ素顔を見せてはいない」

 そんな事を指摘されたのは初めてだったし、それに対してどうすればいいのかも分からない。まさしくお手上げ状態だ。

「つまり……私があなたに何を言いたいか分かる?」

「分からないな」

「あなたと私は同類って事よ」

 それから牧田は、俺の首に当てたナイフを引いた。

 横にではなく、後ろに。

 解放されたという安堵は確かにあったが、牧田の発言には引っかかる部分があった。

「何か勘違いしている」

「何かって、何?」

 迷った。が、言う事にした。

「君は殺すが俺は殺さない。ただ……」

 ふと、親父の仏頂面が頭に浮かんだが、俺はそれを振り払った。

「俺はただ、掃除するだけだ」

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