第7話 噂

 まずい、遅刻だ。

 目覚ましが何者かによって止められている。状況証拠から言えば間違いなく俺なのだが、そう易々とは認めたくない。何せ記憶がない。

 遅刻と言っても、授業に遅れる訳ではないが、バスケ部の朝練にはもう100%間に合わない。

 開き直って、ゆっくりと行く事にした。どうせ朝練に来なかった分、放課後の練習で罰として筋トレが追加されるのだから、今更焦る必要はない。そんな事を考えながら家を出る時、思い出した。

 そうだ、確か今週の前半は3年生が修学旅行に行っていて部活にはいないんだ。

 1年生に罰を科す先輩がいないという事は、罰もない。と、考えるのは少し甘いか。3年生の代わりに2年生が主導権を取るだけかもしれない。何にせよ、朝練に来ていないのはバレている訳だから、覚悟はしておいた方が良さそうだ。

 それにしても今日は天気が良い。寝坊したのをすっかり忘れるくらい、実に爽やかな朝だ。

 息を深く吸い込んで吐き出す。さあ、出発だ。

 という俺の清々しさをぶち壊す人物が俺の家の前に立っていた。

 クラスメイトの牧田、かわいい動物を殺すのが趣味の異常系女子だ。

「なんとなく、斉藤君が何を考えてるのか分かってきた。なんとなくだけど」

 第一声にこんな事を言うので、俺は「じゃあ今は?」と一応尋ねてみる。

「私が斉藤君の家の前で待っていた事を凄く嫌がっている」

 正解だ。わざわざ本人に言うだけの事はある。

「どうせ行き先は同じなんだし、一緒に行きましょう」

 牧田の家は学校を挟んで俺の家とは反対方向。その上、俺が普段は朝練に行っている事を牧田は知っているはずなので、わざわざ学校を通り過ぎて家の前まで来て、その上1時間近くも待っていたという計算になる。考えただけで面倒だ。

「別に構わないけど、面白くはないよ」

「私が? それとも斉藤君が?」

 前者のつもりで言ったが、よく考えればどっちもだ。お互いにメリットが無いように思える。

 そうは言っても学校に行かない訳にもいかず、走って振り払うのも疲れるし大人げ無い。仕方なく俺が歩き出すと、牧田は最初俺の家に来た時に距離を取ったのとは違い、ほとんど真隣についてきた。

「ちょっと近くないか」

 やんわり拒否したが、無視された。

「確かにあいつは確かに凄かったわ」

 あいつ? 誰だ? ああ、三木か。

「話をしている時、まるで人間と話して無いみたいに感じた。言葉は通じているのに、意味は分かるのに、私も同じなのに。全然違う生き物だった」

 ちょっと誇張しすぎじゃないか、と俺は思ったが、個人の感想なので言ってやるのも野暮だろう。ただまあ確かに、人を殺してきた経験の差は、神格化するのに十分な程かもしれない。

「でも斉藤君の態度は変わらなかった。私があんなに萎縮しているのに、あなたは普段教室で数学の授業をつまらなそうに受けている時と何ら変わらなかった。あいつに自分の名前を呼ばれるのと、先生に黒板の問題を解くように指示さられるのは、あなたにとって一緒の事なのね」

 褒められているのか皮肉を言われているのか良く分からない。

「あなたのお父さんはもっと酷い」

 皮肉の方だったようだ。俺は少し歩調を速めるが、牧田もそれについてくる。

「多分あいつの言う通り、あなたは私の死体でも淡々と掃除するんでしょうね」

「外でその言葉は使わない方がいい」

 言うべき事は言っておいたほうがいい。牧田の今後の為にもだ。

 段々と学校が近づいてきた。同じ学年の生徒もちらほら見えてきている。俺はさっさと話を切り上げようと、率直に聞く事にした。

「それで、目ぼしい人間は見つかったのか?」

 牧田は三木に生贄を捧げるように強要されていた。

 黙る牧田。その隙を突いて距離を離そうと早歩きになるが、まだまだついてくる。

「……もう1つの選択肢は頭にないのね」

 選択肢なんてあったか、と三木と牧田の会話を思い出そうとするが、心当たりがない。

 とりあえず、これ以上学校の近くで牧田と会話しているのを見られるのはよろしくない。

「まあ、好きにしたらいい」

 俺は会話を一方的に終わらせて、逃げるように校門に飛び込んだ。流石に、校舎に入ってからは牧田もついてこなかった。

 だが、俺の怖れていた事は結局起きた。放課後、部活中の事だ。



「牧田と付き合ってるんだって?」

 朝練寝坊の罰である腹筋中、アップを終えた藤岡にそう話しかけられ、俺は仰向けのまま起き上がれなくなった。

「女子が噂してたぞ」

 スポーツマンの癖にゴシップ好きの藤岡は、どうやら耳も早いらしい。

「付き合ってない」

「朝、仲良さそうに一緒に登校してたのを見たって」

「仲良くない」

「一緒に登校してたのは本当なんだな」

 こうなるのが嫌だった。

「でもいいじゃん牧田。かわいいし、性格は良いし」

 前者は個人の好みがあるから何とも言えないが、後者に関してはちょっとどうだろうか。世間一般的に、小動物を切り刻むような奴は良い人間とは言わないはずだ。しかもそれを自慢げに見せてくるとなれば、良い悪い以前の問題な気がする。

「本当は付き合ってるんだろ? 朝練来なかったのも一緒に登校したかったからとか?」

 藤岡は良い奴だし、これからも仲良くしていきたい。だがこれは我慢出来ないほどうざったい。

 もう否定はしたんだし、あとは無視を決め込むのが1番だ。俺は腹筋を再開する。

「おい、無視すんなって」

 しつこい。

「大志、おい」

 集合がかかった。3年がいない分、やはり2年が偉そうにしている。まあ予想通りの事なので、今日の藤岡よりは頭に来ない。

 いつも通りの練習をこなし、3年生抜きでの練習試合もやった。

 途中、スポーツドリンクが無くなったので自販機に買いに行くと、校門で牧田が待っているのが見えた。

 多少遠回りになるが仕方ない。

 部活が終わると同時にさっさと着替え、雑談もそこそこに部室を飛び出す。見つからないよう一直線に正門の反対側にある裏門へと向かう。朝の二の舞は御免だし、これ以上噂の火に燃料を注ぐのも嫌だ。牧田にはちょっと悪いが、ここは自分の身の安全を守らせてもらう。

「おい、待てよ」

 俺を呼び止めたのは藤岡だった。

「正門で牧田が待ってるぞ」

 知ってるから逃げるというのが分からないらしい。

「俺を待ってるとは限らない」

 苦しい言い訳だったが、もたもたしていると捕まえられかねないので足は止めない。

「待てって!」

 藤岡が俺の肩を掴んだ。仕方なく振り向く。

「しょ、正直に言うぞ」

 周りを見回して、急に小声になる藤岡。先ほどとはちょっと雰囲気が違う。

「何だ?」

「……牧田が気になっている」

「は?」

「牧田が好き……らしい」

 謎の伝聞に少し混乱したが、つまりはこういう事らしい。

「藤岡が牧田を好きなのか?」

「そ、そうだ」

 さっきのしつこさに合点がいった。つまり藤岡は、俺が牧田と本当に付き合ってないかどうかをしっかりと確認したかった訳だ。それならそうと最初から言ってくれれば不快にもならなかったのに。

「はっきり言っておく。俺は牧田と付き合ってないし、ましてや好きでもない。だからお前にはチャンスがあるが……」

 やめておいたほうが良い。と続けようかと思った。が、やめた。

「あるが、何だ?」

「いや、応援するよ」

「本当か? 本当だな?」

「ああ」

 返事を聞いて、藤岡は心の底から安心したようだったが、俺は対照的に不安になった。

 もしかすると、藤岡の死体を掃除する事になるかもしれないと思ったからだ。

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