第9話 男

 唯一、苦手な依頼人からの依頼が来た。

 性格の良さや人としての常識的な振る舞いなど最初から求めていないし、今更仕事内容に文句を言うつもりはない。だが花井だけは、全く別の意味で凄く嫌な依頼だ。

 花井家に到着する。いかにも金持ちの別荘という感じの三木邸とは違い、ボロとまでは言わないが、その辺にあるアパートの201号室。1LDK。家賃6万8000円。

「先行け」

 階段の下で、親父が俺に命令する。いつもは俺も一緒に運ぶ仕事道具一式だが、花井からの依頼時には、親父が1人で2回に分けて運ぶ。扉を開いたら何が起こるか分かっているからだ。

 だが、分かっていても避けられない事が世の中にはある。

 意を決してノックすると、ドタドタという足音が聞こえ、扉が開いた。飛び出してきた花井が、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、俺の腰にタックルをかましてきた。

「怖かったぁ!」

 抱きつき、赤ん坊のように泣きじゃくる花井を宥めながら部屋に入る。中には、男性アイドルのポスターと、ピンク色の調理器具と、少女漫画しかない本棚の花井ワールドが広がっている。そしてベッドの上には裸の男の死体。口から泡を吹いていて、下半身は体液に塗れている。

「ねえねえ聞いて、大志クン。あの人がいけないのよ! あたしの事愛してるって言ったのに! 奥さんとも別れてくれるって言ったのに!」

 実際は嗚咽混じりの鼻声でまくし立てるように喋るので、はっきりとは聞き取れないのだが、大体こんな事を言ってるのは分かる。毎回の事だからだ。

「だから仕方なく殺しちゃったの。だってそれしか無かったのよ。首を締めた時のあの人は、今まで見た中で1番セクシーだった。だから許されるはずよね? そうよね? 大志クン」

 発言内容の異常さも去る事ながら、何が1番まずいかというと、花井は40代の男という事だ。

 スキンヘッド、背は高く、筋骨隆々のマッチョで、耳の下から顎にかけて綺麗に揃えた髭を生やしている。ついでに金だわしのような胸毛をたっぷり蓄えている。

 そんな大男が、泣きながら女言葉で甘えるようにしがみついてくるのだから、これは恐怖以外の何物でもない。

「あの、落ち着いて下さい。すぐに処理しますから」

 肩をぽんぽんと優しく叩いて、そう声をかける。「そうよね、そうよね」と女児のようにグズる巨漢。これまで色んな殺人現場を見てきたが、トップ3に入る程度には酷い光景だ。

 後から親父が部屋に入ってきた。そして無言のまま、死体の方に行く。

 俺も一旦花井を引き剥がし、死体を風呂場まで運ぶのを手伝う。運び終えたと思ったら、また花井に抱きつかれる。

「あの人ね、すごく優しかったの。この人ならあたしの事を幸せにしてくれるって。絶対そう思ったの……。明日一緒にブラジル旅行に行くつもりだったのに、どうしよう……」

 俺の仕事は、花井のこんなどうでもいい話を聞く事だ。いっそ被害者が排泄物でも漏らしてくれていれば、それの掃除で時間が潰せるのだが、毎回それもない。まあ、花井と被害者が直前まで何をしていたかを想像すれば当然の事なのだが、そもそもあまり想像したくはない。

 花井の話を聞くコツは、決して否定せず、疑問も持たず、ひたすらに同意する事だ。花井はただ、共感して欲しいだけなのだ。被害者がいかに魅力的で、自分が心底惚れていて、それでも理不尽な事をされて、どうして殺してしまったのか。悲劇のヒロイン症候群。そこに合理性は無くていいし、問題の解決もしなくていい。ただ、共感してもらえれば、花井はまた3ヶ月後か4ヶ月後あたりに全く同じ事を繰り返す。どこからかゲイ友達を見つけてきて、親密になった後に殺すだろう。

 殺人行為その物を楽しむ三木や、血液に異常な執着を見せる森園とはまた違い、行為の最後にたまたま殺人があるという感じで、一見必然性はないように見える。

 だが、俺は知っている。花井はこうして純真な乙女ぶっているようで、その実、ずる賢く計算して殺人を犯しているという事を。

「気が利かなくてごめんね。今お紅茶を淹れるから。それにしても久しぶりよね、ゆっくりしていっていいから。あたしの愚痴を少しだけ聞いてちょうだいね」

 まず、花井がターゲットにするのは、自分がゲイである事をカミングアウトしていない人間で、なおかつある程度の社会的地位がある人間。妻子持ちであったり、役職についていたり、ゲイである事をバレたくない人物に、花井は巧みに近づく。

 俺にはよく分からないが、花井の見た目と普段の明るいキャラクターはゲイ受けが良いらしく、相手に困る事はないようだ。

 そしてある程度付き合い相手と親密になると、必ず海外旅行を提案する。繰り返しになるが、花井のどこがどう魅力的なのかは知る由もないが、相手は必ずこの誘いに乗ってくる。

 しかしゲイである事を隠している以上、熊のような男と2人きりで海外旅行に行くとは家族同僚誰にも言えない。大抵は出張だとか家族旅行だとか嘘をついて、秘密の旅を計画する。

 そして出発前夜、花井は行為中にその相手の首を絞めて殺す。中身は乙女でも肉体はその辺の格闘家より強靭であり、この純粋な腕力に抵抗出来る者は滅多にいない。

 親父がその死体を処理すれば、完全に証拠はなくなり、行方不明扱いになるという訳だ。

 被害者の家族が後から興信所か何かに調査を依頼する場合もあるが、殺された事実よりも先にゲイであった事実の方が明らかになり、それ以上の調査は行われない。死体が無い以上、警察も動けない。そもそもからして海外旅行に行く口実が嘘であり、花井はチケットを取っていないのだから、事実自体が消滅してしまっているような物だ。

 花井はこの手口で、今まで最低8人の善良なゲイを殺してきた。俺は差別主義者ではないし、個人の性的趣向なんてそれぞれの自由だと思うが、花井のやっている事が明らかに一線を超えている事くらいは分かる。

「大志クン、わがまま言ってもいい? あたしの頭、撫で撫でしてくれる?」

 言われるがまま、俺は花井のツルツル頭を撫でる。

 俺の心が死んでいく。

 そんな時なんとなく、牧田の事を思い出した。面倒臭さで言うと、花井の方が若干上だが、給料が発生してる分を差し引くと、牧田の相手の方が面倒か。まだこの状況の方がマシだ、と考えてやり過ごすしかない時間。

 その後、花井の繰り返す話を聞く事2時間。親父が解体を終えた。いつも通り、後に残るのはポリバケツ1つのみで、数時間前まで人間だった物は全て下水に流れていった。花井宅は禁煙なので、親父は一服しに外に出て、俺は風呂場の掃除に向かった。ようやく解放されたかと思いきや、花井は風呂場の入口で俺の作業をじっと見ていた。花井と2人きり。落ち着かない。

「……ねえ大志クン、男に興味ない?」

 俺は花井の質問を聞こえなかった事にした。

 仕事終了。「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」という花井の言葉に苦笑いで答えつつ、親父の車に乗り込む。人1人分解した後とあって親父も疲れているようだが、今日ばかりは俺の方が疲れてると声を大にして言いたい。

 そんな俺に追い討ちをかけるように、電話が鳴った。相手は牧田だ。

「……もしもし?」

「ごめん、寝てた?」

「いや……」

「そう。随分疲れてるみたいだけど。機嫌悪い?」

 どっちもだ。ついでに気分も悪い。

「いや大丈夫だけど、何の用?」

 少し冷たいかとも思ったが、今の俺に人を慮っている心の余裕はない。

「あたし、決めたの」

 牧田は言った。

 何の事だ? と一瞬思ったが、そういえば三木から生贄を捧げるように要求されていたのを思い出した。殺す相手を決めた、という事だろう。だが、そんな事を俺に報告されても困る。

「ああそう。良かったね」

「……やっぱり機嫌悪いみたいね。何かあった?」

「何もないって」

 流石に突き放しすぎたのか、牧田が黙った。どうやって切ろうかと考え始める。

「斉藤君に手伝って欲しい」

「え? 何を?」

「その、殺す相手を誘拐するのを」

 論外だ。

 俺は耳から携帯を離す。

「待って!」

 切ろうとしているのが何故かバレたようで、呼び止められた。仕方なく、そのまま聞く。

「手伝うといっても直接手は出さなくていい。ただ、誰かに聞かれた時に証言して欲しい事があるだけ。実行は私が全部やる」

 俺ははっきりと告げる。

「例えそれが本当だとしても、君を手伝うメリットが俺にはない」

「何でもする」

「え?」

「斉藤君の言う事を何でも1つ聞く」

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