EPISODE.IX 死神を追う者たち

 長野県は埴科郡坂城町にある『村上流真長槍術道場前』。

 

 時刻は深夜零時。


 一台のバイクがその道場宅の前へと停車した。


 バイクに搭乗していたのは全身を黒いライダースーツで身にまとい、フルフェイスのヘルメットで顔を隠した人物――そう、チーム『毘沙門天びしゃもんてん』のリーダーを名乗る人物である。




 ■ ■ ■




「――約束の時間か……」



 有事の際にはいつでも逃走できるようにバイクのエンジンはかけたまま、地面に足を下すとそのまま村上家の門に足を踏み入れます。



 ――『今夜零時、村上流真長槍術道場にて』。



 お約束のお相手はどうやら先に到着して道場の中で待っているようでした。お相手も自分の到着に気がついたのでしょう。門に足を踏み入れた瞬間、ものすごい殺気に全身を射抜かれます。


 まるで猛禽類を思わせるかのような冷たく鋭く、……そして凄まじい怒気を孕んだ殺気。成程、これだけでもお相手がかなりの強者であることが予想できます。


 『銀色の死神』――成程、やる気は十全であるというわけですか。



「疑問を呈しましょう。怒らせるようなことをした記憶は無いのだが……」



 ふぅ、とフルフェイスのヘルメット越しに小さく息を吐くと自らの気配を霧散……夜の闇へと溶け込ませ、鋭利な殺気を縫うように歩を進めていきます。常人ならばこの殺気に中てられて前に進むことも難しいでしょう。お約束をしたお相手は向こうなのに何故にこのような進行を阻むような真似を?


 甚だ疑問ではありますがお相手はあの『銀色の死神』――もしかしたら試されているのかもしれません。


 そのまま殺気を縫うように道場まで辿り着くと閉まっていた左右両横開きの木製の大きな扉を両手でゆっくりと開きます。己の身を刺す殺気に鋭さが増し、得体の知れない不気味な空気が全身を包み込みました。


 土足のまま道場へと足を踏み入れると、綺麗に磨かれた床が窓から差し込む月明かりを反射して電気の付いていない道場内を薄暗く照らし出します。


 ――その薄暗い道場の中央に殺気の主は存在しました。


 強烈な殺気を孕んだ猛禽類の瞳がこちらの姿を捉えます……そして、その瞬間、チリ~ン……っと高い鈴の音が闇の中に響きます。



「ははは、ナルホドねェ、テメェが『銀色の死神』の正体かァ……黒メットちゃんよォ……」



 そこにいた人物は自分が想像していた人物ではありませんでした。


 そう、確か彼は……



「おー、単刀直入に聞くぜェ、タクちゃんやオレの周子しゅうこたんを一体ドコにやったァ?」


「………………」


「ははは、どーしたァ、黙ってっちゃわかんねぞォ、それとも体に聞いた方が早いかァ……」



 チリ~ン、っと彼が耳つけているピアスの鈴が攻撃的な音色を発します。



「一つ、伺いましょう。……なぜ、お前は消えた人間……『村上吒武むらかみ たくむ』のことを覚えている?」



 『銀色の死神』に消された者は周囲の人間の記憶からも抹消されるはずです。しかしこの高梨雷太たかなし らいたという人間は……否、この高梨雷太たかなし らいただけではない、自分もまた消滅したはずである村上吒武むらかみ たくむのことをしっかりと記憶しているのです。


 ――よってここに一つ疑問が生じます。


 もしかしたら村上吒武むらかみ たくむは『銀色の死神』にではなく『全く別の事件』に巻き込まれた可能性があるのではないか?



「ははは、テメエェ、ナメてんのかァ……」



 フッ、と音も無く高梨雷太たかなし らいたの姿が消える。距離にして十五メートル以上はあったであろう間合いを一瞬にして詰め、雷のような蹴撃が繰り出されました。



「……んなのッ! 『家族』だからに決まってんだろうがァッ!」


「………………っっ!!」



 人体の急所、脇腹の肝臓部分を狙った強烈な回し蹴り。肘を使って咄嗟にガードをしましたがその威力に押され、薙ぎ払われるようにそのまま横に数メートル吹き飛ばされます。


 ライダースーツから少し皮の焦げた匂いが鼻につく……チリン、と乾いた鈴の音が高梨雷太たかなし らいたの元々立っていた位置から遅れて耳に届きました。


 成程、速さも威力も申し分ない気合の入った良い攻撃です。しかし、強いていうのならば蹴る瞬間に少し躊躇したように感じられました。



「――チッ、ノーダメージかよ、『銀色の死神』……『化物』とはいえ、相手がオンナだと聞くとやっぱりチョッチやり辛れーなァ……」



 成程、理解しました……


  ――高梨雷太たかなし らいた


 彼はどうやら情報通りの男のようです。


 戦国時代からこの地で村上家と雌雄を争っていた名門高梨家の血筋……天武の才を有しながら女性には滅法甘く、そして家族なかまを思いやる気持ちが病的に強い……あの村上吒武むらかみ たくむ義弟おとうとであり、そして村上吒武むらかみ たくむの一番の親友。



「……『家族』だから、か……良い答えだ。真っ直ぐな気持ちでそう口にできることを羨ましく思います」


「テメェ……何をホザいてやがる……」


「一つ、誤解を解くために否定しましょう。――自分は『銀色の死神』ではありません」


「はッ、ははははッ、あーあ、そうだったんですかぁーって……オレがテメェの言葉を信じるとでもぉ?」


「肯定しましょう。とても信じ難いでしょうね……しかし、どちらにせよ自分にはお前と戦う気は毛頭無い。お前ほどの実力者ならばそれも理解できることでしょう」



 そう言って自分は両手を上げます。闘気も殺気も皆無。当然です。この場で高梨雷太たかなし らいたと争う理由などどこにも無いのですから。



「――チッ、……どうやらオレとヤリ合う気がねーのは本当みてーだな……じゃあどうして、何をしにアンタはここに来た?」


「それはこちらの質問だ、高梨雷太たかなし らいた。自分は今夜、呼び出しを受けてここに馳せ参じた次第です。先程、お前が言った『銀色の死神』という奴にな……」


「は? ……何だって? テメェも、か……?」



 成程、これで一つ疑問が解けました。


 どうやら噂の『銀色の死神』から呼び出しを受けたのは自分だけではなかったようです。そしてこの高梨雷太たかなし らいたも同様に消えた人間の……そう、村上吒武むらかみ たくむに関する記憶を有していると推察されました。


「確認しましょう、高梨雷太たかなし らいた。お前は消えた人間の記憶をどこまで覚えている」


「どこまで? さぁーてね、少なくともタクちゃんとオレの周子しゅうこたんの記憶に関しては全部覚えているつもりだぜ、他にも消されちまった人間は沢山いるみてーだが正直そいつらには興味はねーし、覚えてもいねーな……黒メットちゃんはどーなのよ?」



 ――黒メットちゃん??


 ……ああ、自分のことをそう称しているのですか……まあ、良いでしょう。



「同意しましょう。自分も村上吒武むらかみ たくむに関する記憶だけは全て有していると認識しています」



 チリン、チリーン、と高梨雷太たかなし らいたの耳のピアスが嬉しそうな音色を奏でます。



「は、ははは……マジかッ!? 学園の奴らもみーんな忘れちまっているのにアンタは覚えていてくれてるのかッ? おい、名前だけってオチじゃねーよなッ、顔も声もちゃんと覚えてくれてるんだよなッ! クッゥ、よかった……本当によかった……ほら、そうだ! オレの妄想なんかじゃねーッ! やっぱりタクちゃんはちゃんと実在していたんだッ!!」



 ――ああ、村上吒武むらかみ たくむは本当に良い友人を持ったのだと理解しました。



 涙……そう、涙です。高梨雷太たかなし らいたの目には薄らと涙が浮かんでいました。周囲の人間からは村上吒武むらかみ たくむの記憶は消えてなくなり、覚えているのは自分だけ。そんな孤独の中でこの高梨雷太たかなし らいたと云う男はずっとずっと戦い続けてきたのでしょう。


 ――自分にもその気持ちは理解できます。


 もしかしたら明日の朝には自分も周りの人間と同様に大切な人間のことを忘れてしまうかもしれない……そう考えると恐ろしく夜も眠れなかったことでしょう。


 涙に濡れる高梨雷太たかなし らいたの目元にできた大きなクマを確認してそれが確信へと変わりました。


 この高梨雷太たかなし らいたという男は村上吒武むらかみ たくむが消えてしまったその日から一睡たりともせずに、ずっと一人で気を張り、戦い続けていたのだと……



 



「黒メットちゃん! 周子しゅうこたんは、オレの周子しゅうこたんのことは覚えてねーか!?」



 記憶を共有する仲間が見つかってよほど嬉しかったのでしょう。それは自分も同じ思いなので理解できます。先程までの警戒心は嘘のように消え、やや興奮気味に高梨雷太たかなし らいたが問いかけてきました。


 ――『周子しゅうこ』……??


 心情的には覚えていると口にしてあげたかったですが、生憎その名前には心当たりがありませんでした。



「確認しましょう。その周子しゅうこという人間はお前や村上吒武むらかみ たくむと関わりの深い人間なのか?」


「モチのロンだっ! オレの周子しゅうこたんはオレの愛する姉で本名は高梨周子たかなし しゅうこ。オレの愛する姉であるオレの周子しゅうこたんとタク兄は実の兄妹と言っても良い間柄だ。そして、オレの愛するオレの周子しゅうこたんとタク兄とオレは小さい頃からいつも三人一緒だった……そう、大事な家族だっ!」



 成程、やや引きましたが……高梨雷太たかなし らいたが実の姉に対して異常なほどの愛情を注ぐ家族思いの人間であることは理解ができました。


 しかし、村上吒武むらかみ たくむとも兄妹同然の関係でいつも一緒だった?


 だとしたら自分がそれを知らないのは絶対におかいしい……村上吒武むらかみ たくむがこの高梨雷太たかなし らいたと幼少時よりずっと付き合いがあったのは知っています。


 ――そう、いわゆる幼馴染というやつです。


 そこにもう一人、周子しゅうこと呼ばれる人間が隠れて存在していたと言うのでしょうか?


 ……否、違う、隠れて存在していたのではない。どうやら自分の記憶からは『その存在が消されてしまっている』のでしょう。



「期待にお答えできなくて大変申し訳ない、高梨雷太たかなし らいた。どうやら自分はその周子しゅうこという人物に関する記憶を失くしてしまっているようです……」


「はっ、ははは、そ、そっか……、あー、でも黒メットちゃん、アンタ見かけによらず良い人だな……」



 ――良い人……自分が?


 力の無い笑みを浮かべながら高梨雷太たかなし らいたが続けます。



「学園のみんなは消えた人間の存在を否定した。まー、そりゃさ、仕方のねーことだとは思うよ、だって記憶にねーんだもん。オレだって立場が逆ならば否定するだろうさ……そんな奴は存在しねー……ってね、でもアンタは違った。今、アンタはオレの周子しゅうこたんの存在を肯定してくれた上でテメェの記憶にその疑いを向けた……」



 そう言うと高梨雷太たかなし らいたは自らを鼓舞するかのように己の頬を思いっきり両手でバチンと叩く。チリンと鋭い鈴の音と共にその瞳に力が戻ります。



「だからきっとアンタは信頼のできる良い人間だ。あー、さっきは誤解した挙句に蹴りまで喰らわせちまってマジで悪かったな、怪我は……って、全然心配いらねーか、ははははッ、こいつはやべーなぁ、噂通り……いんや、それ以上の実力者みてーだ。この件が片付いたら是非ともお手合わせ願いてーぜ」



 高梨雷太たかなし らいたはニヤリと不敵でいて、どこか人懐っこい笑顔を浮かべ右手を差し出してきました。どうやらいつもの調子を取り戻したらしい。自分の良く知る高梨雷太たかなし らいたがそこにいました。


 仲直り、そして暫し共闘を誓うための握手か……



「……是非も無し」



 自分も差し出されたその手をしっかりと握ります。


 自分と村上吒武むらかみ たくむとの距離感を考慮すると可能であればあまり関わりたくない人物ではあるがこれから相対するのは実力未知数の『銀色の死神』……そう、状況が状況です。


 今、現在において戦力は多いに越したことはない、しかもそれがこの高梨雷太たかなし らいたであるならば十全といえるでしょう。自分が知る中でもトップを争うほど武芸の才に長けた人間です。



「チッ、あー、なーんだ……、せっかく面白れーヤツと知り合えたと思ったのに黒メットちゃんってやっぱオンナか……こりゃ全力で手合わせするのは無理だなー」


「――――っ!?」



 その言葉を聞いて自分は慌てて手を離します。



「なんとなーく雰囲気でそーなのかなぁー、とは思ってたけど……今、握手したことではっきりしたぜ……掌の骨格、筋肉と脂肪の付き方が野郎とはまるで違う。皮の手袋越しにだけどオレには簡単に分かっちまうんだなー」



 残念そうに空になった手をにぎにぎと開閉する高梨雷太たかなし らいた……成程、どうやら自分はこの男の武の才を少々甘く見ていたようです。


 ――『触視術しょくしじゅつ』。


 現在は『触診しょくしん』など呼ばれ主に医療の場などで用いられているが、元々これは古武道から派生したもの。人体に触れることによって相手の身体能力を解析するかなり高度な技術です。



「……黙秘しましょう、高梨雷太たかなし らいた。そしてこれ以上、自分に対する余計な詮索は止めていただこう」



 言葉に多少の殺気を込めて高梨雷太たかなし らいたに忠告を促します。



「フーン、ナルホドね、アンタが素性を隠しているのは何かワケありってことかァ……そこまで露骨に隠されると逆にチョー興味津々になっちまうけどォ……」



 チリ~ン、と不気味な鈴の音を鳴らして高梨雷太たかなし らいたがそっと顔を近づけてきます。猛禽類のような鋭い瞳がこちらをジッと覗き込み、無言の重圧を与える……



「………………」


「はは、はははははッ、やっぱスゲーやアンタァ、全ッ然、怯まねーのな! オーケーオーケー、今は消えちまったタクちゃんとオレの周子しゅうこたん、そしてワザワザこんな時間にオレたちをデートに呼び出した『銀色の死神』のヤツについて調べることの方が重要だし、アンタに関するこれ以上の詮索は止めておくニャン」



 スッと軽くおどけたノリで高梨雷太たかなし らいたが身を離しました。



「あー、でもでもー、せめて名前くらいはさー、教えてくれても良いんじゃね? ほらほら~、これから協力するわけだしさー、チョッチはフレンドリィーに――ッ!」


「拒否いたしましょう。語る必要はありません、どうぞ好きなように呼んで――っ!」



 その瞬間に自分も高梨雷太たかなし らいたもその少女の存在にようやく気がつきました。


 そう、『』です。


 その少女は気配もなくそこに存在していたのです。


 道場に差し込む月明かりの下……


 美しいその銀色の長い髪を煌びかせて……



「ウフフフフ……、あらあら、やっと気付いていただけましたね」



 道場の奥……壁に背中を預けながら純白のドレスに身を包んだ少女が微笑んでいました。一目見ただけで理解しました。これは――不味い!



「……テメェ、いつからソコにいやがったッ!」


「何時から? そうですね、お約束した時間の零時五分前くらいからずっとここにおりましたよ。遅刻しないように常に五分前行動を心がけておりますので、ウフフフフ……」



 信じたくはありませんが、この少女は嘘を吐いてはいないでしょう。この道場に足を踏み入れたときからこの場に存在する気配は全く変わっていません。


 そう、のです。


 自分がこの道場の扉を開けた時、高梨雷太たかなし らいたの鋭い殺気に混じって得体の知れない不気味な空気も確かに感じました。


 つまり最初からこの少女はそこに存在していたのです。


 ――種も仕掛けも何もない。


 自分たちが全くその少女の存在に気がつくことができなかった……ただそれだけのことなのでしょう。


 成程、この少女が噂の『銀色の死神』と呼ばれる存在。


 フルフェイス越しの瞳に映るのは、僅かな月明かりを浴びてキラキラと白銀に輝く幻想的な少女の姿。どこか儚げで神秘的とも神々しいとも感じてしまうところがその少女の底に眠っている真の恐ろしさを一層と際立たせていました。



 ――さて、どうしたものでしょう?



 消された人間の奪還。もしくはその情報を得るために十中八九、罠だと理解しながらも敢えて自分はこの『銀色の死神』と呼ばれる少女の誘いに乗りました。


 勿論、最悪の状況も考慮して即時撤退のプランもあったのですが……ああ、おそらくこの化物からは逃げられない。


 そう自分の直感が告げています。


 ――ならばどうする?


 戦うか……否、その選択肢はありえないでしょう。


 この少女を目にした瞬間からその選択肢は消えていました。


 混沌とした闇が身体を蝕み、じわじわと精神を犯していく悍しい感覚。



 ――『ミイラ取りがミイラになる』。



 吐き気を催す程の邪気とその圧倒的な絶望の前でふとそんな言葉が頭を過ります。そんな絶望の中、凛とした鈴の音を響かせて高梨雷太たかなし らいたが大きく前へと歩み出ました。



「は、ははは……、チッ、ナルホドねぇ……、よ、よう……、オレを、デートに誘ってくれたのは、テメェかァ? テメェが噂の『銀色の死神』って奴、だ、なァ……」



 震えそうになる声を必死に押し殺し、高梨雷太たかなし らいたが無謀にも少女に対して啖呵を切ります。彼ほどの実力者ならば理解しているはずです。この勝負――自分たちが束で挑んでも勝ち目は皆無だと。



「『銀色の死神』、ウフフフフ……、確かにそんな風に呼ばれているみたいですね。困ったわ、あれからちゃーんと忘れずに影もちゃんと付けるようにしているのに……どうしてそんな風に呼ばれるのかしらね? ちゃんと人間に見えませんか、私?」



 少女の足元。月光とはまったく逆方向に歪んだ異形の影がぐにゃぐにゃと蠢めく……ああ、それはまさしく混沌。一度、捉えられたら逃れられない深淵の闇。



高梨雷太たかなし らいた様、そして『多聞天たもんてん』のリーダーの……いや、この場ではアナタの名は名乗らずにいたしましょう。先ほどのお話を聞く限りアナタは素性をお隠しになっているようですので、ウフフフフ……私は他人の前で人の秘密を暴露するような野暮な真似をする気はございません。どうぞご安心してください。ああ、そして今宵は御二人ともようこそお越し下さいました」



 そう口にすると少女は優雅に一礼をします。



「あら、いけない……私としたことが間違えてしまいましたわ! 多聞天たもんてん』ではなく『毘沙門天びしゃもんてん』と呼ばれているのでしたっけ? まあ、些細な間違いという事でお許しください。元は西方の『ヴァイシュラヴァナ』の呼称が変化したものと言われていますし、私の視覚するでは『托塔李天王たくとうりてんのう』や『天王晁公神主てんおうちょうこうしんしゅ』などといった呼び名でも呼ばれておりますので――まあ、世界や時代が変わればその呼び名も変化する……ウフフフ、あながち間違いでもないというわけなのでこの度の誤りは許して頂きたいですわ」


 

 この世界? 外側の世界?


 意味不明な口上を長々と述べていますがその部分の台詞が妙に引っかかります。そう、まるで世界が二つあるような言い回しです。


 この世界から消えてしまった人間は一体どこへ行ってしまったのか……


 その答えに触れたような気がしました。



「……さて、ではご挨拶を済ませたところでさっそく本題の……ご確認と参りましょう。御二人とも本日の目的はこちらのカードでお間違い御座いませんでしょうか?」



 ――カード? 何を言っているのでしょう?



 ……くっ、いけません!



 気がつけば自分も高梨雷太たかなし らいたもすっかりとこの少女のペースに嵌ってしまっています。こちらからは何の行動も起こせずに一方的に少女の言葉に耳を傾けているだけ……何とか隙を突いてこの状況を打破しなければなりません。


 しかし、そんなこちらの思惑をあざ笑うかのように異形の影の中から無数のカードが飛び出し、少女の周囲を踊るように舞い始める……そう、道場内は全くの無風であるにもかかわらず!


 まるで奇術師のようなその不可思議な技の前に自分も高梨雷太たかなし らいたもただ呆然とその光景を眺めるだけでした。その中から少女は無作為に二枚のカードを選び、こちらに向かって投げて寄こします。


 一枚は高梨雷太たかなし らいたに、そしてもう一枚は自分に……


 自分も高梨雷太たかなし らいたも己が受け取ったカードにゆっくりと視線を落とします。



 何でしょう、これは……トランプのカード?







      『 JOKER ――ジョーカー―― 』







 そう、受け取ったカードはトランプのジョーカーのようでした。しかも、このジョーカーのイラストに描かれている人物はっ……!?



「オイ、テメェ、随分と不愉快な演出をしてくれんじゃねーかァ……」



 恐怖という呪縛を打ち消して体を突き動かすのは激しい怒りの感情です。受け取ったトランプをぐしゃりと握り潰すと高梨雷太たかなし らいたは少女に向かって大きく足を踏み出します。


 ――いけません、これは罠です!


 自分の受け取ったカードと同様に高梨雷太たかなし らいたの受け取ったカードにも己が捜し求めている大切な人物のイラストが滑稽に描かれていたのでしょう。


 そう、おそらくは『村上吒武むらかみ たくむ』か『周子しゅうこ』と呼ばれる高梨雷太たかなし らいたにとって大切な存在。そのどちらかを模した悪趣味なイラストが……


 慌てて制止しようとした自分にチリーンと力強い鈴の音が答えます。



「ははッ、……止めてくれるなよォ、黒メットちゃん。オレはここで引くわけにゃーいかねーんだよォ」



 高梨雷太たかなし らいたは震える四肢に力を入れて構えます。



「ウフフフフ……そんなに怯えなくとも大丈夫ですよ、私はただ今宵、御二人をへとご案内しにきただけなのですから……下手な抵抗しなければ手荒な真似はいたしません。『村上吒武むらかみ たくむ』様と『高梨周子たかなし しゅうこ』様の時は大変手荒なご抵抗が御座いましたもので私もしまいましたが……大丈夫、私はあれで手加減というのを学びました。次は御二人相手でもと思います」



 少女はそう優雅に微笑むと不気味に蠢く己の影から身の丈以上にもなる巨大な銀色の大剣を引っ張り出してそれを片手で悠々と振るいます。


 ブオンという風を斬る音と共に道場の窓ガラスは一斉に砕け散り、その大気を震わす剣圧に自分も高梨雷太たかなし らいたも思わず数歩後ずさりました。


 ――こちらの戦意を殺すのには十分過ぎるほどの強烈な一太刀。


 『銀色の死神』とは誰が最初に名付けたのでしょうか……最悪ですね、これほどまでに体を現した名はないでしょう。


 この少女から感じる禍々しさと絶望感は正に死神。――生存率は限りなくゼロ。



「……黒メットちゃん、確認だ……アンタの受け取ったカードには誰が描かれていた?」



 震える声を押し殺して高梨雷太たかなし らいたが話しかけてきます。


 先刻の剣圧を受けてフルフェイスの視界部分には細いヒビが入っていました。そんな亀裂交じりの世界で不敵に微笑む眼前の死神から目を離さずに自分はその問いに答えます。



「……黙秘しましょう、高梨雷太たかなし らいた。今、それを答える義理はない」


「はッ、はははッ、まあ良いや、なぁ……黒メットちゃんはタクちゃんのことはちゃんと覚えていてくれているんだよな……あー、それと消えちまったオレの周子しゅうこたんの存在も肯定してくれている。――うん、うん、ならそれで十分かぁ!」



 そう口にしながら高梨雷太たかなし らいたは少女と自分のちょうど中間点。死神の視線からまるで自分を隠すかのような位置に立ちます。


 高梨雷太たかなし らいた、まさか……この男!?



「ここはオレが一人で時間を稼ぐ……アンタは全力でここから逃げてくれ」


「……拒否しましょう。少し頭を冷やしなさい、高梨雷太たかなし らいた。その化物を相手に一人で挑むのは無謀が過ぎる」


「はははッ、バーカ、頭冷やすのアンタの方だぜ、ここで一緒に挑んでどうなるつーのよ、この化物を倒せるつーのかァ? このままだとこの世界でタクちゃんを覚えている人間が……オレの周子しゅうこたんの存在を肯定してくれる人間が誰もいなくなっちまうじゃねーかァ……。そうなっちまったらマジ絶望だっつーの! 無謀と絶望の二択ならオレは迷わず無謀な道を選択するぜ」



 チリンと鈴の音を鳴らして高梨雷太たかなし らいたが笑います。あの圧倒的な絶望を前にしてなお、その口元に笑みを浮かべ続けている。


 高梨雷太たかなし らいた……村上吒武むらかみ たくむの掛け替えのない親友。



「アンタはきっとオレよりチョッチ強くて、スゲー冷静で、チョー用意周到な人間だ……だからこそアンタは今ここから全力で逃げるべきだ……その『』を持って……な」



 そう言って高梨雷太たかなし らいたは握り締めた己の拳で胸部をトントンと叩く。


 ――っ!?


 ……成程、気がついていたのですか。先ほど握手をした時か?


 あの時の触視術しょくしじゅつで自分は丸裸にされていたのだと理解しました。あの技術は極めれば相手の身体能力だけではなく隠し持っている暗器なども発見することができるのです。


 高梨雷太たかなし らいた……本当にたいした男です。



「――成程、そういうことならばここは素直に従いましょう。礼は言いませんよ、高梨雷太たかなし らいた……」


「モチのロン、後のことを全部頼むんだ、礼なんてイラネーよ……あー、でも一つだけ、チョッチ質問に答えてくれっと嬉しいかなァ……」



 ゆらりと幽鬼のように死神が再び大剣を構えます。



「……黒メットちゃん、アンタはなぜ消えちまったタクちゃんのことを覚えてるんだ?」


「それを答える必要はありません、高梨雷太たかなし らいた……」



 チリンと響く鈴の音を合図に自分は道場の出口へ、高梨雷太たかなし らいたは死神へと全身全霊の力を持って駆けます。







「それは先刻、貴方が申した通り……



      『……』



  ――だからに決まっているでしょう!」







 自分の発したその言葉は道場を吹き飛ばす程の爆裂音と共に漆黒の闇へとかき消されました。




 ―― EPISODE.IX END ――



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