EPISODE.VI 外界の外科医?


 深海から水面へと浮かび上がるようにゆっくりと、ゆっくりと、意識が覚醒していきます。開いた瞳の先に広がった光景は、キラキラと光る水面でもなければ、澄み渡る大空でもない……ゴツゴツした黒土色の岩壁で御座いました。



「いやー、少年、お目覚めかい? それでどうだい、気分の方は?」


「嗚呼、あんまり良い感じではありません。何だかとても嫌な夢を見た気がします」


「嫌な夢……ね、フム、嫌な夢か……少年、それはどんな夢だったか覚えているかい?」



 うーん、どんな夢だったでしょうか?



「何か大きな事故に巻き込まれて大怪我をしてしまう夢だったような気がします」



 頭の中に霞がかかっているみたいで上手く思い出せません。


 ――あれ? そういえばここはどこで御座いましょう?


 僕はゆっくりと体を起こして周囲を見渡します。横になっていたのは木造のベッド。下に布団などは引いていなく木の上に直接寝かせられていたみたいです。結構長い間眠っていたのでしょう。体が凝り固まっており、間接の節々に少し痛みを感じます。


 六畳程度の四角い空間は天井も周囲の壁もゴツゴツとした黒土色の岩壁で囲まれておりました。四隅に備えられた松明が薄暗い空間を明るく照らしています。


 ――うーん、ここは洞窟……岩屋の中でしょうか?


 部屋の中には他にも木造の机や本棚なども設置され生活臭を醸し出しています。机の上には本棚に入りきらなかったであろう書本が山のように積まれ、その横には何に使うか分からない実験器具のようなものが散乱していました。


 特撮ヒーロー番組で見る悪のマッドサイエンティストが好んで居住まう秘密の研究所のような不気味で陰湿な印象を感じます。その部屋の中央で木造のチェアーに腰をかけている。――嗚呼、おそらくこの部屋の主であろう人物が再び僕に声をかけてきました。



「おはよう、少年。目は覚めたかい?」



 手入れを全くしていない栗色のボサボサの髪の毛、血色の悪そうな顔に大きなクマを作ったどんよりとした瞳。上フレームの無いメガネと真っ白な白衣を身に着けた胸大きな女性が煙草たばこを咥えて足を組んで座っています。


 白衣の女性は煙草に火をつけると強く吸い込み、そして思いっきり煙を吐き出します。


 ――コホンッ、コホン!


 換気設備など見当たらない小さな岩屋に白い煙が立ち込め、その煙を吸ってしまった僕は少々咳き込んでしまいました。



「おっと、すまない。少年は煙草たばこの煙は苦手だったかい? でもここは私のラボなのだ。よって私の好きにさせてもらうよ。嫌ならば早々と立ち去ると良い」



 そういって白衣の女性は部屋の一点を指差します。僕の位置からでは確認ができませんが、どうやらその先に外へと繋がる道があるようです。



「あー、と……その前に服を着たほうが良いな。少年が露出癖を持っているというのならば私は止めはしないがね」



 はあ、服……? …………いっ!?


 その時になって始めて僕は自分の体を確認しました。一糸まとわぬ生まれたままの姿。――嗚呼、要するに全裸であります。



「うわっ、どうして僕は真っ裸なんですか!? というかお姉さんは誰ですか!? 痴女ですか!? 痴女ですねっ!? うわーー 痴女だ、痴女だ、痴女が出たーーーーっ!!」



 ヘンタイです、否、大変です! ――いいや、やっぱりヘンタイですっ!


 生まれて始めて痴女という生き物にエンカウントしてしまいましたっ!


 ぼぼぼ、僕の貞操は無事なのでしょうか?


 ああ、それとも、もう奪われてしまった後なのでしょうか?


 この痴女……どうやら白衣の下は下着姿で衣服は着用していないようです! 足を組み直した時にチラリと扇情的な黒いショーツが垣間見えましたっ!


 そんな……初めてがこんな不精ったらしい見知らぬ女性にだなんてっ!


 ……いや、胸は結構大きい


  ……あれ、よく見るとスタイルも中々良い


 ……あああああ、ですけどもっ!!



「落ち着け、少年。やれやれ、命の恩人を痴女扱いとは随分と失礼な物言いじゃないかい」



 気怠そうに煙草の煙をふかしながら僕の大切な貞操を奪った痴女が戯言をぬかしやがります。



「とにかく、ふふふ、服を! なな、何か僕に着る物をいただけないでしょうかっ!?」



 僕は慌てて男の子として大事な部位を両手で隠します。現在、その一部が激しく隆起しておりますが、これはこの痴女に対する怒りの感情が溢れ出たもの……そう、例えるなら『若さ』というものです!



「着る物……ね、フム、着る物か……。私は普段より衣服などはあまり着用しないので目ぼしいものはないのだが……フム、これで良いかい」



 痴女は部屋の片隅に山のように積まれた有象無象中から、胸部に『魔神Z』と謎の文字がプリントされた糞ダサい半袖のTシャツと、腰に巻くのにちょうど良い長さの布を投げて寄こします。


 僕は痴女から受け取った衣類を素早く着用すると少し冷静に頭を働かせます。

目の前にいるこの女が僕の貞操を奪った痴女だとしてここは一体どこなのでしょう?



「あのー、すいません。痴女のお姉さん……?」


「ストップ、少年。どうやら大きな誤解が生じているようなので冷静に一つずつお話をしていこう。先ず一つ、私は痴女ではないし少年の貞操にも全くといって興味がない。よって少年は童貞である。ここまではいいかい、少年。……いや、童貞」



 わざわざ少年を童貞と言い直さなくてもよいとは思いますが、――嗚呼、ここは黙って話を聞くことに致します。



「ちょうど三日前の晩、童貞は森の中で瀕死の重傷を負って倒れていたのだよ。それをここまで運んで治療してやったわけだが……何か覚えてはいないかい、童貞?」



 はて、僕が森の中で瀕死の重傷……?


 うーん、全く覚えておりません。



「全く覚えていない……ね、フム、全く覚えていないか……。どうやら記憶に混乱が生じているようだね。もし動けるのならば童貞が倒れていた場所まで行ってみるかい? 何か思い出せるかもしれないよ、どうする童貞?」


「そうですね、ここでこうしていても仕方がありませんし……その場所までご案内していただけませんでしょうか? あとそれから痴女扱いしたのは全力全裸で謝罪しますので僕を童貞と呼ぶのを即刻止めていただきたいです」



 岩屋から薄暗い洞窟を通って出た先。そこには新緑の溢れる雄大な大自然が広がっておりました。


 ――ここはどこかの山の中。


 時刻はちょうど正午あたりで御座いましょうか?


 真上から降り注ぐ陽光を幾重にも重なった木々の葉が優しく受け止め、その隙間から大地へと差し込む木漏れ日が僕の瞳に幻想的な風景を映し出します。


 耳に届くのは仲睦まじい小鳥の囀りと風が奏でる木々のさざ波。濃い土の香りと新鮮な空気、嗚呼、そして硝煙の香り……?



「プハーー、やっぱり外で吸う煙草は格段に美味い……んんー? 何だい? そんな目をして? 少年も一本吸うかい?」



 嗚呼、この女性には風情や美的感覚というものを感じる脳に何か欠陥があるので御座いましょうか?


 僕は薦められた煙草をやんわりと断ると先導して歩く白衣の女性を改めて観察致します。


 乱れた髪をボリボリと掻きながら背中をだらしなく丸めてノッタリと森の中を進む女性。目元には大きなクマ、嗚呼、よく見ると目脂までついているではありませんか……なんという残念な女性でしょう。


 日の下で見ると、色白で顔立ちもとても整っており、背も高くスタイルもプロポーションも抜群のものを有していらっしゃるのにこれは頗る残念に感じます。


 嗚呼、こういう女性のことを俗に『残念美人』と呼ぶのでしょう。



「ストップ、少年。少しここで待っていてもらえないかい。急に便意を催してしまってね。そこの草むらで用を足してから行こうと思うのだ」


「残念なお姉さん、『オブラートに包む』という言葉をご存知でございましょうか?」


「オブラート……ね、フム、オブラートか……大きい方なのだが包めるものなのかね?」


「そういう意味じゃございません。もう少し言葉を濁してくださいと言っているのです、例えばこう……『お花を摘みに行ってきます』とか他にも言い表し方があるでしょう」



 嗚呼、もう、なんというか……信じられないほどの残念っぷりです。それも下手に美人なものだから余計に始末が悪いといえるでしょう。『大きい方』とかの追加の情報サービスもノーサンキューで御座います。これでもし僕が変な性癖に目覚めたりしたら責任を取ってもらわなければなりません。


 それから暫く待って「待たせたね、びっくりするほど大きなお花が詰めてスッキリしたよ」との余計な事後報告を余裕で聞き流しつつ僕たちは山中深くへと足を踏み入れていきました。




 ■ ■ ■




 十五分ほど歩いたところにそれはありました。


 切り立った崖の下、木々が開けてぽかりと開いた空間。地面には小さな隕石が落下したかのような窪みが出来ており、その周辺の草木は焼き焦げておりました。



「その中央、窪みの部分に少年はうつ伏せに倒れて死にかけていたのだよ。おそらく崖の上から転落したものだと考えられるが……不思議なことにそれだけではなく周囲が火の海でね、その晩は星々が見通せるほど雲ひとつない好天で落雷なども観測されていない」



 白衣を靡かせながらゆっくりとその空間の中央へと進み、振り返りながら僕に問います。



「少年……あの晩、ここで何があったのか……覚えていないかい?」



 その瞬間、僕の脳裏にあの夜の地獄のような光景がフラッシュバックしました。


 流れ続ける熱い血液と冷たく動かなくなる体……皮膚を焼く業炎と自身の肉が焦げ落ちる臭い……沈み行く意識、朦朧とした視界が捉えたのは……


 ――そう、あれは、たしか……トランプのカードっ!





      『 JOKER ――ジョーカー―― 』





 はっ、と僕は慌てて自分の体を確かめます。


 肘から先が失われていた右腕も、白骨が飛び出していた左腕も傷一つなくそこにありました。肩から胸、腹部、腰、太腿と順に確かめて行きますが足の指先に至るまで全て無事です。


 嗚呼、あれは夢だったのでしょうか……いや、夢にしてはリアル過ぎます。あの時に感じた『死』の感覚を僕の体はしっかりと覚えているのです。


 ――しかし、これは一体どういうことでしょう?


 僕は……いったい……



「ストップ、少年。少し落ち着くとしよう。少年は今とても混乱をしているようだ……そうだな、まずは私の質問に対して一つずつ答えて言ってもらえないかい。今はまだ無理に思い出す必要はない。記憶に無いことは『覚えていない』と言ってくれればそれで良い……いいね? ゆっくりとだ、まずはゆっくりと深呼吸をしてみよう、はい、ヒーヒーフー」



 ヒーヒーフー……って、これは深呼吸ではなくラマーズ法ではないでしょうか?


 とりあえず、ツッコミを入れられる程度には僕の心は落ち着きを取り戻しているようです。しかしながら完全に落ち着くまでは彼女主導でお話を進めて行った方がよいでしょう。



「それでは一つ目、少年はここで死に掛けていた……これは覚えているかい?」


「はい、それはしっかりと覚えています」



 嗚呼、あの圧倒的な絶望感、身が竦むほどの『死』の感覚はとても忘れられるものでは御座いません。例えるのならば――そう、地獄のような光景で御座いました。



「それでは二つ目、少年はなぜここで死に掛けていたのか……これは覚えているかい?」



 うーん、それは……



「……覚えていません」



 嗚呼、頭に濃い靄の様なものがかかっているみたいです。気がついたら体は動かずに周囲は火の海……だったような気がします。



「なるほど……ね、フム、そういうことか……大丈夫だ、少年。何も不安がることはない。命の危機に瀕するほどの大きな事故に会った場合、事故前の記憶を失うことはよくあることだ。そしてそういった記憶の喪失は大抵は一時的なもので直ぐに元へと戻るだろう。よって今成すべきことは慌てて過去を詮索するよりも、落ち着いて現状を理解した上で今できることに注力することだ……できるかい、少年?」



 嗚呼、できるも何も……


 きっと、そうしなければならないのでしょう?


 僕の身に何があったのか……記憶の欠落は気持ちが悪く、正直とても気になります。しかし、彼女の言うことはもっともです。例えばこの事故が誰かによって故意に引き起こされたものならば、その人物は今も僕の命を狙っている可能性も考えられます。それならば過去の事などに気を取られずにもっと周囲に気を張るべきだと考えます。


 嗚呼、それに僕の他にも事故に巻き込まれた人物がいるかもしれません。ならばもう少し周辺を捜索する必要もあるでしょう。そう、今必要なのは立ち止まり考えることではないのです。


 現状の理解とそして行動、――レッツ、アクション!


 ……あれ?



「あのー、優雅にお煙草たばこをふかしているところ本当にすいません。現状を理解する上で質問があるのですがよろしいでしょうか?」


「プハーー、んんー? 何だね、少年」



 僕が落ち着きを取り戻したことで自分の出番は終わりとばかりに気を抜いていたメガネ白衣の残念美人に僕は気になっていた質問を問いかけます。



「これまでの情報を整理しますと……お姉さんは痴女ではなく『残念美人』で、瀕死の重傷を負った僕を助けてくれた命の恩人となるわけですが……その認識は合っていますか?」


「フム、『残念美人』という言葉の定義が良く分からないが……まあ概ね合ってはいるな」


「僕の曖昧な記憶の中だと体めちゃくちゃになっていた覚えがあるんですけど……」



 そうです。僕の記憶が確かならば少なくとも肘先から切断された右腕に関していえば治癒は不能、左腕も後遺症が残るレベルの開放骨折であったはずです。



「おっと、すまない。そういえば少年の身体についての説明をまだしていなかったね……まあ、一言で簡潔に表すのであれば『改造手術』を施したと言えば分かり易いかな?」



 ……は? 改造、……手術??



「少年は私に発見された時点で瀕死の重傷――というか、もう心臓も脳も止まっていたし肉体は完全に死んでいたのだよ。両腕は少年の記憶にある通り修復不可能なまでに破損。肺に心臓……その他、内蔵にも大きな損傷が見受けられた……正直真っ当な手段じゃ少年は救えなかったわけだ」


「ちょっと、待ってください! 僕が死んでいた……? それを、かかか、改造手術とやらで蘇らせたって言うんですか?」



 なんと申せばよいのでしょう。記憶喪失なんて瑣末に思えるほどの衝撃です。とてもまともに受け入れられる内容のお話では御座いません。



「フム、蘇らせたとはちょっと違うな……この場合は『復元』したと言い表すのが適切だろう。体は完全に壊死していたのだが魂魄こんぱくがしぶとく残り続けていたのが幸いしてな……『霊珠れいじゅ』を体に埋め込むことで壊死した身体に生命力を与えて内臓やその他の器官を修復したのだ。破損が酷く使い物にならなくなった両腕には『宝貝パオペイ』を取り付けておいた。……まあ、そうだな、『霊珠れいじゅ』は強力なペースメーカー、『宝具パオペイ』は便利な義手だと考えてくれれば良い」



 うおっとーっ! 超弩級の大型ゆんゆん電波キターーっ!


 いや、いやいや、いいやっ!


 記憶喪失とか経験しちゃって、少しばかり非日常から遠ざかっているのは自覚しておりますけど、そのビッグウェーブにはとても乗れそうにありません。


 なんですって?


 ――義手?


 はあ……? この両手がですか?


 両手をグー、パー、グー、パーと動かしますが反応はいたって上々です。触覚などもきちんとありますし、どれだけ目を凝らして腕を見てもどこにも繋ぎ目などは見当たりません。



「どうした、少年。私の言うことが信用できないかい? まあ、百聞は一見にしかず……、そうだなあそこに大きな双子の山が見えるだろう。あの双子の山を目掛けて思いっきり拳を突き出して見てくれ……山を吹き飛ばすつもりでパンチを放つ感じだ」



 はあ、僕は意味が分からずメガネ白衣の残念美人(+電波)が指差す方角を見ます。そこには遥か遠く、確かに重なるように二つの山が並び立っておりました。百聞は一見にしかず。と言っていましたが、あの山に向かって拳を振るうことで一体僕に何を見せたいのでしょうか? 


 嗚呼、まあ、考えていても仕方がありません。僕は幼いころからずっと様々な武道を学んできました……ような気がします。


 ……あれれ?


 何だかこの辺りの記憶も少し曖昧で不安になります。しかし、体はその時の記憶をしっかりと覚えているようでした。


 目標となる双子の山に体の正面を向けると、腰を少し落として脇の下で拳を握り、そのまま、フッ、と軽く息を吐くと同時に素早く右の拳を真っ直ぐに正面へと突き出します。



 ――空手の正拳突き。



 勿論、その拳はただただ空を切るだけなのですが……嗚呼、そう思っていたのは僕だけのようでした。





 ドゴーン! ズゴゴゴゴゴ……





 遥か遠くに見える双子の山の片方が大きな音を立てて爆発。大地を揺らしながら盛大に崩れていきます。


 嗚呼、僕は悪い夢でも見ているのでしょうか?


 正拳突きを繰り出した瞬間、僕の右腕の肘から拳までがまるでロケットのように空中を飛翔して遥か遠くに見える巨大な山の一つを吹き飛ばしたのです。



「なんということだ……素晴らしい! これは想定以上の破壊力だ……見たかい少年っ! あれが、あれこそが私が作り上げた至宝の『宝貝パオペイ』!」



 メガネ白衣の残念美人(+電波+マッドサイエンティスト)が目をキラキラさせながら両手を広げて子供のようにはしゃいでいらっしゃいます。嗚呼、何がそんなに嬉しいのでしょう。



「その名も、『乾坤圏ロケットパンチ』だ!」



 ――嗚呼、その瞬間……ぷつん、と糸が切れたように僕は意識を失い……そのまま倒れてしまうのでした。




 ■ ■ ■




 深海から水面へと浮かび上がるようにゆっくりと、ゆっくりと、意識が覚醒していきます。開いた瞳の先に広がった光景は、キラキラと光る水面でもなければ、澄み渡る大空でもない……ゴツゴツした黒土色の岩壁で御座いました。



「いやー、少年、お目覚めかい? それでどうだい、気分の方は?」


「嗚呼、あんまり良い感じではありません。何だかとても嫌な夢を見た気がします」


「嫌な夢……ね、フム、嫌な夢か……少年、それはどんな夢だったか覚えているかい?」



 ――うーん、どんな夢だったでしょうか?



「そうですねぇ、確か……メガネ白衣の電波系残念美人マッドサイエンティストに僕の大切な右腕をロケットパンチに改造されてしまうような――嗚呼、そんな悪夢です」



 それ以上は思い出したくありません。嗚呼、そうです、あれは夢! 全て夢の中のできごとなのです。ほら、その証拠に僕の体から飛んでいった右腕も元に戻っているじゃありませんか!



「フム、……少年、残念ながらそれは夢ではないのだよ。さらに補足するならば右腕だけではなく左腕にも同様の宝具を取り付けてある。フフフ、何、礼には及ばないよ」



 嗚呼、これはいけません。


 事態はもう僕の理解の範疇を軽く超越しており、これ以上は頭がおかしくなってしまいます。そう、のお時間です。白衣の悪魔の声で夢から覚めた僕は瞳を大きく見開くと前髪をかき上げてゆっくりと体を起こします。




 ■ ■ ■




「ざけんな、てめぇー、俺の体を勝手に改造しやがって! 元に戻せや、こら!」



 暢気にプカプカと煙草たばこふかしやがって……ぶっ飛ばすぞ、この野郎!



「フム、元に戻せって……両腕の無い、壊死した肉体にかい?」


「ちげーよ、普通の元の体にだっ!」


「普通の体……ね、フム、普通の体か……。残念ながらそれは無理なのだよ、少年。先日、森で説明した通り……少年の体は完全に壊死してしまっていてね。もはや『霊珠れいじゅ』の力無しじゃ肉体の生命活動を維持することは出来ないのさ。両腕の『宝貝パオペイ』を取り外すことはできるけど……それだと色々と不便にならないかい」



 ぐっ、到底信じられねー話だけど……この異常な出来事を信じるほかねーのか?


 あの時の記憶――『死』に直面していたのは確かにだった。


 どんな名医でもあの怪我をここまで完璧に治せるとは思えねー。両腕を失い、体も動かせず、紅蓮の業火に身を焦がしていくだけの無力な俺……


 ――くそっ、まじで最悪の記憶だ。


 そう考えりゃー、多少怪しい改造をされたとはいえ五体満足に動けるようにしてくれたこいつには感謝しねーといけねーのか?


 ……あー、なんつーか、超むかつくけど。



「ちっ、おい! てめぇー。いちおー命の恩人みてーだから礼は言っておいてやる。あー、でも、変な改造したことは許してねーからな、そこは勘違いするんじゃねーぞ。それと今、『先日、森で説明した通り……』っていったけど俺は一日中倒れていたのか?」



 暗い洞窟の岩屋の中なので今が何時なのか分からねー。ただ、起きた時の体の凝り具合から考えると結構長い時間ぶっ倒れていたみてーだ。


 なんつーか、体が少し気怠い?


 ふわふわと地に足が着かない不思議な感じだ。山をぶっ飛ばした後、意識がいきなりぷつりと切れた……あー、何だったんだあれ?


 今起きているこの体の変調は何か関係あんのか??



「少年が倒れていたのは丸一日といったところだ。フム、その様子を見るとまだ『仙力せんりょく』も十分に回復していないみたいだな。無理をせずにもう少し横になっているといい」



 いや、横になるのはいいんだけどよ……布団とかねーのかよ、木のベッドに直接横になっても疲れるだけだ。それにそんなことよりも気になることがこっちにはあるだよ。


 俺はベッドに腰をかけたままマッド女と会話を続けることにする。



「ああん、それよりもいくつか質問がある。まず今、てめぇーが言った『仙力せんりょく』って何だ? それから山に向かって飛ばした右腕が元に戻っているんだがこの腕――義手はいくつか代えがあんのか?」


「フム、は言葉使いこそ荒々しく感じるが……中々どうして賢いね。どちらもとても良い質問だ。重要なことだからね……フム、では一つずつ答えて行こう」



 そう言うとマッド女は咥えていた煙草を消してズレかけていたメガネを正した。



「まず『仙力せんりょく』から説明しよう。『仙力せんりょく』とは簡潔にいうと……まあ『生命エネルギー』の一種だ。『宝貝パオペイ』などを使用することで消費され、睡眠や食事、あとは……まあ、時間などが経てば自然に回復する。少年の場合、そうだな……三日間ほどあれば恐らく全快になるだろう」


「ふーん、『宝貝パオペイ』で消費ねー。つーと、この両腕の義手のことか?」



 俺はそう言ってどっからどうみても自分の腕にしか見えない義手をぷらぷらと動かす。



「フム、その通り、普段普通に両腕と使う分には『仙力せんりょく』は消費しないだろう。しかし問題はあの『乾坤圏ロケットパンチ』だ。あの山をも砕く凄まじい破壊力――設計した私にも想定外だった……まさかあれ程までの威力を発揮するとは……もしかしたらあの『雷公鞭らいこうべん』以上、いや……」


「あー、コホン、えーっと、つまりあれか? てめぇの想定以上の威力で、想定以上の『仙力せんりょく』を消費しちまった結果、俺はぶっ倒れちまったつーことか?」


「あー、すまない。ウム、そういうことになるな。一度に過剰な『仙力せんりょく』を消費してしまった結果、体が強制的な睡眠状態へと入ったのだ。おそらくあの『仙力せんりょく』消費量だと……少年の体調が万全で『仙力せんりょく』がフルの状態でも……撃ててだろう」



 おいおい、一、二発撃っただけで丸一日ぶっ倒れちまうつーのかい。そりゃー、超絶に燃費が悪ぃー大技だな。しかし、あの山をも砕く超弩級の破壊力。まさに一撃必殺の奥の手つーことか……まあ、おいそれと使って良い代物じゃねーことは確かだな……


 …………


 …………


 …………


 いや、いや! ちげーよ、ちょっと待て!


 つーか、冷静に考えりゃ使うことなんて今後の人生においてまずねーだろう! 


 人の命どころか町ひとつ消滅させちまう大量殺戮兵器じゃねーかっ!


 ――そんな物騒なもんがこの俺の両腕に……!?


 ははは、冗談じゃねーぞ……


 ぼ、暴発とかしねーよな??



「……フム、そんなに怯えなくても大丈夫だ、少年。普通に使用する限り暴発などはせんよ」


「は? ななな、何言ってんだてめぇ、全っ然、ビビッてねーし! つーか、人の心を憶測で読んで勝手に会話進めてんじゃねーぞ、こらっ!」



 まあ、『仙力せんりょく』つーのはなんとなーく分かった……要は気絶ペナルティが付いた格闘ゲームの超必ゲージみてーなもんだろう。三日間ほどで全快、食事や睡眠をきちんと取れば回復も早まるって感じか?



「それで? もういっこの質問ー、この義手の代えはあるのか?」



 さーて、『仙力せんりょく』について分かったところで次の質問だ。


 山に向かって吹っ飛ばした右腕が不思議なことに起きたら元に戻っていた。わざわざあの崩落した山に拾いに行ったなんてことは考えにくい……つーことはいくつか代えがあって壊れたときに付け替えが可能だということだろう。



「いいや、その『宝貝パオペイ』に代えなどは存在しない。それは既に少年の肉体の一部になっているのだよ」


「はあ……? 肉体の一部?」


「そうだ、きちんと神経が繋がっていて触覚もあるだろう? 義手と言われるまで気がつかない……いや、義手と言われても違和感があるのではないかい」



 あー、まあ、そーだな。


 自由に動くし、何ら違和感も無ねー……本当に自分の腕みてーだ。実際にロケットパンチみてーに飛んで行くのを見るまでは信じなかったくれーだしな。



「フム、これも百聞は一見にしかず……だな。少年、目を瞑って手を少しこちらに出してくれ」



 ――は? 何をする気だ?


 またこいつは俺に妙なことをやらせるつもりじゃねーだろうか?



「フム、怯えなくても大丈夫だ、少年。無理なことなどはしない」


「はあ? だから、全っ然っっ、ビビッてねーし!」



 本当に超むかつく女だな。俺は言われた通りに目を瞑ると自分の右手をマッド女の前に差し出す。



「よし、ちょっと痛いけど我慢してくれ……」



 はぁ? 一体、何を……って、痛ー……っ!


 突然走った鋭い痛みに思わず目を開いて何をされたのか自分の右手を確認する。


 ぐがぁ、このマッド女ーっ、なんてことしやがるっ!


 こいつ……あろうことか俺の右手の小指をナイフで切り落としていやがった!


 義手といっても触覚がある……もちろん痛覚もだ!


 小指を失った手からは鮮血がボタボタと垂れ落ちている。



「おい、こらてめぇー、……いきなり何ふざけたことしやがるっ、血が出てるじゃねーか!」



 実は義手というのは全部嘘か!


 ロケットパンチも幻覚でこれは本当に俺の手だったんじゃねーのか!



「ストップ、少年。……落ち着いてこれを見ろ」



 憤る俺にマッド女が静かに声を出す。見ろと言ったのは今し方切り落とした俺の右手の小指だ。それを机に上にまるでゴミのように無造作に投げ転がす。


 ――すると、おいおい、こりゃあ、どういうことだ。


 切断された小指が徐々に淡い光の粒子になって大気に溶けるように消えていく……



「おい、どーなってやがる! 完全に消えちまったぞ、俺の指はどこに行った?」



 慌てふためく俺にマッド女は黙って人差し指を向ける。


 その指が示す先は……俺の右手っ!?


 そこにはなんと切り落とされたはずの俺の小指が存在していた!



「……何だこれ、おい、てめぇー、こりゃなんの手品だ!?」



 確かに俺は小指を切断された……痛みも血が流れた後もあるしそれは絶対に間違いねー!


 ――しかし、今はどうだ?


 少し痛みが残っているが出血は止まり、指も普通に動く……しかも切断面に縫合されたような後も見あたらねー、いったい何が起こったんだ?



「先ほど私は少年の肉体は『霊珠れいじゅ』によってその生命活動を維持していると説明したな……それはその『霊珠れいじゅ』の力によるものだ」


「はあ? 『霊珠れいじゅ』の……力だあ……?」


「そう、私が少年に埋め込んだ『霊珠れいじゅ』は『復元』する力を持った秘宝だ。少年は量子力学を知っているかい? 万象となる素粒子は普段は誰にも観測することのできない波としてこの宇宙を漂っているのだ。その量子運動の中にある過程……俗に波動関数というのだが、元々これには『あるべき姿へと収束する』という力が備わっていてね、私はこれに少し手を加えることで――」


「あー、無理無理、パスだパス、そんな難しい話をされても俺には何のことだかさっぱりだわ」



 あー、そーいう小難しい話は俺じゃなくて『別の奴』に聞かせてやった方が良い……そう考えた俺はマッド女の話を途中で遮った。



「おい、てめぇー……メガネをかけているよな、それの代えって持ってねーか?」


「眼鏡……ね、フム、眼鏡か……。古くなって使わなくなったやつがあるが……それでもいいかい?」


「ああ、別にメガネであれば何でも構わねーよ」



 俺はマッド女から古いメガネを受け取るとそれをおもむろに装着した。




 ■ ■ ■




「ふむ、話を途中で遮ってしまってすまなかった、端的にこちらから質問しよう」



 私は居住まいを正すと改めて目の前の女に向かって口を開く。



「つまりが私の体はその『霊珠れいじゅ』の力とやらで大怪我をしても復元するようになったという認識で良いのだな?」


「……フム? 今度の少年は少し知的になったね、しかし態度が冷たく少々横暴に感じる……あまり私の好みではないかな」



 ふん。馬鹿馬鹿しい、この女の好みなど知ったことか……無駄な話はいいから早く質問に答えろ、この小汚い雌犬が。



「フム、概ねその認識で合っているよ。治癒でも蘇生でもない――ただ本来あるべき姿へと復元しようとする万象の粒子核――その『霊珠れいじゅ』の力により少年の肉体はその五臓六腑、細胞一つ一つに至るまで、斬られようが、潰されようが、砕かれようが、焼かれようが、灰や塵にされようが……すべて万象の粒子となり時間や距離、次元を飛び越えて復元するようになったのだ」



 ――ふむ、なるほどな……。


 そして私の両腕に付けられた『宝貝パオペイ』とやらは肉体の一部となっているが為、どんなに遠くへ飛ばそうが、山と共に土に埋まろうが自然と元の位置へと自動的に復元されるというわけか……



「確認しよう。脳や心臓などの人体の急所を破壊された場合も同様に復元されるのだな」


「フム、破壊された部位や程度によって多少時間は異なるが確実に復元される」



 ふむ、つまりが不死身というわけか?


 ……否、違うな。



「その復元の力を持つ『霊珠れいじゅ』自体が破壊された場合……私はどうなる?」


「フム、素晴らしい質問だ……と言いたいところだが、少年はもうその問いに対しては理解しているのではないかね? フフフ、答えは少年が考えている通りだよ。ちなみに『霊珠れいじゅ』は心臓の逆位置――に埋め込んである……代えがきかない貴重な代物だからね、そこには十分に注意することだ」



 ふむ、右胸部か……これは慣れるまでは少し厄介だな。命の危機に直面した時、人間は急所を守ろうと本能的に体が動くようにできている。


 例えばいきなり目の前に剛速球が飛んできたとしよう。


 その場合、多くの人間は頭部を腕で守りながら心臓を少しでもその脅威から遠ざけようと体を左側に捻って回避しようとするのだ。私の場合はこれが全く逆となるわけである。


 更に武道を嗜んでいたのならば普段より急所を避けるように立ち回るのは尚更のこと……染み付いたこの癖は簡単に修正できるものではないだろう。



「随分と難しい顔をしているね、少年。そこまで深く考える必要はないだろう。ようはさえ無事ならば首を跳ね飛ばされようとも問題ない……全て復元するということだよ。フフフ、どうだい私の作り上げた『霊珠れいじゅ』は中々のものだろう」



 白衣の女が誇らしげに笑う。


 癪に障る女だな……先ほどこの女は私のことを「あまり好みではない」と評していたが、どうやらそれは私も同じようだ。



「ふん、この『霊珠れいじゅ』とやらはとんだ欠陥品だな、全てを復元することはできていない」



 よって私はこのいけ好かない女に冷や水を浴びせるような台詞を吐き捨てる。これは鬱憤を晴らす為に言った言葉ではない。純然たる事実としてこの『霊珠れいじゅ』は全てを復元できていないのである。



「欠陥品……ね、フム、欠陥品か……少年はとても興味深いことを言うね。具体的にどこに欠陥があるのかな。私の目には傷一つない完璧な復元に成功しているように見えるが……フム、今後の研究の為にもご教示いただけると大変ありがたいね」



 誇らしげに笑っていた女の表情がガラリと変わる。その表情や言葉には怒りの念や悔しさの念も感じられない。


 ――そこにあるのは飽くなき好奇心や探究心だ。


 敢えて少々挑発的に指摘したのだが、なるほどな……この女が根っからの研究者であることが『観測』できた。一先ず、はこれで終わりだ。後は適当に会話を合わせて交代するとしよう。



「目に見える『肉体』の傷は完璧に復元できるが心の傷――すなわち『精神』までは復元できないということだ」



 そう言って私は先ほど切られた右手の小指を立ててみせる。



「この小指は確かに復元した……しかし、その時に味わった痛みはしっかりと心に残っている。もしこれが首であったとしても復元はするのであろう。しかし同じくその時に味わった痛みも心に残り続けるのだ。斬られた痛み、潰された痛み、砕かれた痛み、焼かれた痛み、灰や塵にされた痛み、その全てが心の傷……記憶として残り続ける。その結果、もし『精神』が破壊されてしまった場合、この『霊珠れいじゅ』の力で果たして復元は可能なのだろうか?」


「フフフ、成程……答えは否だ。確かに私の作り上げた『霊珠れいじゅ』の力では壊れた『精神』までは復元できないだろう。フム、そういった意味ではということか……。フフフ、『精神』……ね、フフフ、『精神』か……。礼を言うよ、少年。これはとても良い研究テーマだ……そうか、そうか……そうなると……」



 新しい発想から成る命題を与えられることは、一、研究者にとって至上の喜びなのだろう。女はブツブツと独り言を吐き続け、狭い部屋の中を落ち着きなく歩き回っている。


 私はそれを横目にやれやれ、と小さく息を吐く……


 精神まで復元できないことは考えるまでもなく分かっていたことだ。この女も私が目を覚ました時に記憶に障害があった時点で察するべきことであろう。


 全てを完璧に復元できるのであればそんなことあり得るはずはない……そもそも、『精神』が壊れる前に復元できるのであれば……いや、待てよ?



「考え中のところすまないがもう一点、質問をさせてもらおうか?」



 私は自分の世界に没頭しようとしていた研究者を寸前のところで現実に引き戻す。



「復元する力というのは一体何を基準として復元しているのだ? 元が無ければ復元できないはずだろう。例えば幼少時、少年時……時間の流れの中でさまざまな私が存在する。復元する今の私はどのようにして決められている?」


「フム、それは簡単だ。『霊珠れいじゅ』に復元の元となる次元や時空の情報を設定しているのだ。今の少年は私が発見した事故の時間からちょうど一日前にあたる体が元となるように設定してある」


「なるほど……では質問を続けよう、?」



 私の質問に対して女は「なぜそのような事を質問するのか?」とその真意を測りかねるように首を傾げる。



「例を挙げて具体的に言おう。この『霊珠れいじゅ』の力を使えば、現在の私のと質問している」



 メガネの奥――女の瞳が大きく見開かれる……



「フ、フフフ、フフフフ……少年、君はなんてとんでもないことを思いつくのだ……。可能だ……ああ、可能だとも! なんて素晴らしい発想だ、少年! それも時間だけではない!」


「時間だけでは……ない?」



 そういえばこの女、さらりと『次元や時空の情報を設定』と言っていたな……まさか……っ!



「そうだ、『霊珠れいじゅ』に設定しているのは次元と時空の情報……それを変更することで少年は!」



 白衣を大きくたなびかせ両腕を広げた女の声が岩部屋と超えて洞窟内にこだまする。



「そう、すなわち……超次元時空肉体転移スーパーワールドフィジカルシフトだ!」




 ―― EPISODE.VI END ――



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