EPISODE.III 私の名前は『村上吒武』

「やあ、おはよう、かつら君、朝から精が出るね。そうか……今日は持ち物検査の日だったね、では、よろしく頼むよ」



 私はそう言って近づいてきた女子生徒に自分の鞄を掲げた。



「ああ、これは、村上むらかみ会長! どうもおはようございます! 今日はいつもより少し遅い登校なんですね……あっ! こらっ、逃げるな、高梨雷太たかなし らいたっ! はやしさん、高梨雷太たかなし らいたを捕まえておいてくださいっ!」


「おっす、おっす、了解なのですー。だぁー!!」



 隙を見て逃走を図ろうとしていた雷太らいた君に風紀委員の林風音はやし かざね君が勢いよく飛び込んで、そのままガシっと体にしがみ付く。


 学園一の不良と名高い雷太らいた君も身長百四十センチにも満たない小柄な女子生徒を無理やり力で引き剥がすような鬼畜な真似はできずに大人しく捕まることになる。


 そう、あれでいて雷太らいた君はフェミニストなのだ、女の子を傷つけるようなことは絶対にしない。今も勢いよく飛び込んできたはやし君に怪我がないようにわざと捕まったのだろう……はあ、全くもって下らない思考だ。


 ふむ、私ならば例え万人から鬼畜だ何だのと蔑まれようとも避けるか払いのけていただろう。些細な害にせよ自身に降りかかる火の粉に性別などは一切関係がないのだ。



「ふむ、今日は朝から色々とあってね、どうかな、鞄の中身は問題ないかな?」


「えーっと、はい、問題ありません」



 ふん。当たり前だ、この完璧な私に問題などあるはずがない。鞄の中身は必要な教科書と筆記用具のみであり、余分な物などは一切入っていないのだ。確認を終えたかつら君から鞄を受け取ると私はそのまま学園に向かって歩き始める。


 あの様子だと雷太らいた君は持ち物検査で引っかかるだろう。


 彼の鞄の中には『オレの周子しゅうこたんアルバム(生誕から近年までのコメント付き写真集)』なる世にもおぞましい代物が常に携帯されているからだ。一応は家族写真となる為、没収される品か否かは微妙なところではあるが見つかれば間違いなく一悶着はあるだろう。それに付き合うのは全くもって時間の無駄である。


 朝から続く友人の受難を多少不憫に感じた私がわざわざ作ってやった隙を自らの手で潰したのだ。ああ、馬鹿馬鹿しい……自業自得といえるだろう。


 あの狂気染みた家族写真が没収されるべき品と判断された際、相手が男子生徒だった場合は傷害沙汰に発展する可能性もあったが、女子生徒であるかつら君とはやし君ならば大きな問題はまず起きないだろう。


 私は挨拶をしてくる生徒たち一人ひとりにしっかりと挨拶を返しながら校舎の中へと入っていく。早朝からキャーキャーと頭に響く不快な騒音を発する雌豚共にはうんざりとするが決して笑顔は崩さない。


 そう、私はこの『私立清福正神きよさきせいしん学園』で完璧な生徒会長を演じ務めている。二年A組『村上吒武むらかみたくむ』。


 ――さあ、少々寝不足ではあるが本日も完璧な学園生活を始めよう。




■ ■ ■




 世界は真っ赤な血を流し、やがて死の暗闇に包まれる。そうして日々繰り返される日常の生と死の狭間を私はひとり歩いていた。


 ふむ、生徒会への案件が存外に多く随分と遅い時間の帰宅となってしまった。


 帰りに剣道部と薙刀なぎなた部を覗いたところ練習はもう既に終了しており、何人かの生徒が残って駄弁だべっているだけだった。帰宅途中、商店街へと続く十字路に差し掛かるが迷うことなく真っ直ぐに自宅を目指す。


 ――今日の夕食はサプリメントで問題はないだろう。


 必要な栄養素さえきちんと摂取できていれば体は十分に動くのだ。しかし脳はそうもいかない。きちんと睡眠をとって休めておかなければ判断力に支障をきたす恐れがある。


 私が私であるを……そう、常に完璧な私である為に自身のコンディションは万全な状態にしておかなければならない。睡眠不足を自覚している私は商店街に寄って夕食の買い物などをするよりも、今は一刻も早く帰宅して布団で脳を休める必要があるのだ。


 後できちんと夕食を摂取しなかったことに関して周子しゅうこ君から口煩く注意を受けるかもしれないが……まあ、それは私のではないので気にしなくても良いだろう。


 ああ、しかし、周子しゅうこ君にも困ったものだ。


 昔からお節介で過保護な性格ではあったが、私の父、村上昌文むらかみ まさふみの死後、あの広い家と道場に私が一人で暮らすようになってからは、その性格が更に過激さを増したようである。


 毎朝、頼んでもいないのに家を訪れては朝食や昼のお弁当の準備をしていく……そればかりか少し前までは夕食の準備にも毎晩足を運んでいたのだ。


 さすがに心苦しく思い、やんわりと断っても何かと理由をつけてやってくる。


 少し強めに断って、家のドアに鍵をかけてもドアを壊してやってくる。


 強めに断って、玄関先に罠を仕掛けても罠を排除してやってくる。


 かなり強めに断って、雷太らいた君に任せても雷太らいた君を殺してでもやってくる。


 ああ、幾度かのそんなやりとりと、度重なる協議の結果『夕食は自分できちんとした食事を摂る』と言った条件を約束になんとか夜の来訪だけは止めさせることに成功したのだ。


 新学期を迎えれば私はもう高校三年になるのだ。少なくとも自分のことは自分で全て管理することが可能であり、自らの行動に対して責任の取れる力を有していると自負しているのだが……どうやら周子しゅうこ君の目にはそうは映っていないらしい。



『良識のある大人の妹にとって、タクにいはいつまでも手のかかる子供です!』



 私に対していつも周子しゅうこ君はそういった台詞を口にする。もし私に真っ当な親がいればその人もそう思ってくれていたのだろうか?


 ふむ、親、家族、友人……か。


 メガネ越しに私は闇に飲まれていく空を見上げた。


 私の家庭は他の人間と比べると少々と……否、大きく変わっていると云っていい。


 まず私は実の母の顔も知らない。物心がつくまでは家が近く、頻繁に面倒を見に来てくれていた高梨たかなし小母おばさんが母であり、家族同然の付き合いをしていた周子しゅうこ君や雷太らいた君のことを本当の兄妹きょうだいであると思っていた時もあった。


 ある日、周子しゅうこ君や雷太らいた君と苗字が異なることや一緒の家に住んでいないことを疑問に思って父に聞いたところ、本当の母は私が生まれて直ぐに他界したことを聞かされたのである。


 家を探してみたが母の写真などは一切残っていなかった。


 理由は問うまでも無く単純で父が母に対しての興味を持っていなかっただけだろう。私の父、村上昌文むらかみ まさふみは武道を極めることしか脳のない人間であった。私を育てていた理由も『村上流真長槍術の跡取りとする為だけに生かしている。それ以外に興味はない』と堂々と言いきった男である。


 特段、私自身はその事については何とも思ったことはない。それが普通であると思って育てられてきたからだ。事実、父のことは今でも尊敬をしているし、ここまで強く育ててくれたことに感謝もしている。


 ああ、しかし、周囲の人間から見ると何か他に強く感じるものがあるのだろう。現に私に向かって言い放ったその父の言葉を聞いたことがきっかけで、周子しゅうこ君や雷太らいた君も本格的な武道を始めることになったからである。


 ――そう、あの時のことは衝撃的でしっかりと記憶に焼きついて離れない。私の前ではいつも笑顔だったあの二人が始めて激しい怒りの感情を表に見せたのだから……


 周子しゅうこ君は無言でジッと父を睨み続け、雷太らいた君は道場の看板にツバを吐きかけて父に向かってこう啖呵を切ったのだ……



『ふざけんなァ! こんなくだらねぇ看板モノをタクちゃんに背負わせるんじゃねーよ、オレがうばって燃やしてやるからなァ! かくごしろォ!』



 ――チリン、チリーン


 聴き慣れた鈴の音によって私は過去から帰還した。後方からこちらに向かって凄い勢いで走ってくる雷太らいた君の気配を感じる。



「オーイ、タクちゃーん! チョッチー、チョッチ待っちくりー!」



 ふむ、疲弊した脳を休ませる為に今日はこのまま静かに帰宅したかったのだが騒がしい奴に見つかってしまったようだ。やれやれと、私は口元に軽い笑みを浮かべながら小さな溜息をつく。


 私はメガネを外して胸ポケットにしまうと下ろしていた前髪をスッと右手でかき上げる。そして、こちらに駆けてくる馬鹿な友人を待つように足を止めるのであった。




 ―― EPISODE.III END ――



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