EPISODE.I   僕の名前は『村上吒武』


 ――時刻は午前七時。


 嗚呼、槍術道場を営む村上家の朝はとても早いのです。


 日が昇る前から起床してまずは道場の清掃を行います。顔が映るほどピカピカに磨いた床の上で暫し座禅を組んだ後は町内をぐるりとランニング、その後シャワーで汗を流し終えたちょうどこの時間にようやく朝食となるのです。



「ちょーっと! タクにいぃ! ご飯食べながら寝ない!」



 ――おっと、危ない。



 義妹いもうと様の声で僕は慌てて意識を覚醒させます。どうやら食事中にも係わらずうつら、うつらと船を漕いでいたようです。嗚呼、たしかにご飯を食べながら寝るのは少々お行儀が宜しくありません。


 僕は手に持ったお茶碗とお箸をテーブルに置くとそのまま突っ伏して本格的な睡眠に入ります。



 ――これでバッチリOKです。はーい、おやすみなさい。



「タ~ク~にい~ぃ~!!」



 ガタガタ、ガタガタと義妹様がテーブルを激しく揺らします。おっとっと、これはいけません。お椀に並々と注がれてホカホカと白い湯気を立てている熱々のお味噌汁が溢れ零れ出てしまいます。


 義妹いもうと様が発生させている局地的な大震災をおさめるべく、僕は仕方なくゆっくりと身を起こしました。



「もう、しっかりして下さい! 父、村上昌文むらかみ まさふみが亡くなった今、『村上流真長槍術』の看板は師範代であるタクにいが背負っているのですよ。何時如何いついかなる時であっても品行方正ひんこうほうせい英姿颯爽えいしさっそう、皆の模範となるように勤めなければなりません……というか、ちゃんと起きていますか? タクにいはいつも薄目でおられるので寝ているのか起きているのか外からでは判断がつきません!」



 まあ、なんと失礼なっ! きちんと開いていますよぉー。周囲からはのように見られるようですがこれでも僕の視界はすこぶる良好なのです。


 嗚呼、しかしながら、これは大変ご面倒なことに朝から義妹いもうと様のお説教が始まってしまいました。これ一度始まると長いんですよねぇ……僕はなんとか話題を変えられないかと試みます。



「あー、そうだ! 今日の天気はどうでしょうねー、ニュース、ニュースっと……」



 僕は卓上に置かれていたリモコンに手を伸ばすと素早くTVの電源を入れました。するとチャンネルを変えるまでもなくちょうど朝のニュース番組が液晶画面に映し出されます。


 嗚呼、そこにはとても見慣れた風景が広がっておりました。現場のアナウンサーがとても緊迫した表情で事件を語っています。



『昨晩未明、ここ長野県千曲川ちくまがわの河川敷で若者たちによる大規模な抗争事件が発生した模様です。病院に搬送された負傷者は九十九名、いずれも大きな怪我はなく――』



 ――ピッ!


 僕は音速の早さでもってTVのチャンネルを変えます……


 ――がっ、


 嗚呼、無残にも音速を超える光速の早さでもって義妹いもうと様にリモコンを奪い取られチャンネルを戻されてしまうのでした。



「ふ、ふふふふ、うふふふふふふふ……。へぇー、タクにい様ぁ、ねぇ、タクにい様てばぁ、ちょっと見て下さいよぉ、これってうちの近所の川原ですよぉ、驚きですよねぇー、物騒ですよねぇー、どーして目を逸らしていらっしゃるのですかぁ……――



 ヒイィィ……、こここ、殺される……っ!



 一瞬にして僕の眠気は消し飛びました。嗚呼、このような悪鬼羅刹あっきらせつを目の前にしてうつら、うつらと船を漕ぐなどそのまま三途の川を渡り永久の眠りにつく事と同意義であると云えるでしょう。



「うふふ、そういえばタクにい様ぁ、本日は幾分か寝不足のご様子でぇ、昨晩はどこかへお出かけだったようですけどぉ、一体どちらへ行かれていたのでしょうかぁ……うふふふふ……」


「さささ、昨晩は、テテテ、テスト勉強をしてましてですね、ハイっ、小腹が空いたので、ききき、気分転換も兼ねてコンビニにまで夜食を買いに出ていた次第でありましゅ!」



 嗚呼、なんということで御座いましょう……恐怖で口が凍り付いてうまく舌が回りません。よく人間は危機に瀕すると焦りで汗や震えが止まらなくなると言いますが死に瀕した人間には何の焦りなどありません。汗などもかかないし震えもしません。そう、全身の血の気がサーッと引いて、ただただ身も心も凍る極寒の中で冷たく固まってしまうだけなのです。



「うふふ、へぇー、明け方お帰りのようでしたけどぉ、コンビニに行ったにしては随分と遅いお帰りでしたねぇ……うふふふふ……」


「ざざざ、雑誌をねっ! ついつい夢中になって立ち読みしてしまったのでありましゅ!」


「ふーん、そうですかぁ……。――コホン、まぁ……いいでしょう。しかし、夜更かしの上にコンビニで立ち読みとはあまり褒められたことではありません。繰り返し呈しますがタクにいは『村上流真長槍術』の看板を背負って立つ男です。以後、そのような行いは慎むよう精進して下さい」



 義妹いもうと様のお怒りが静まるのに合わせて雪が解けるかのようにゆっくりと時間が動き出しました。


 小鳥のさえずりと共にうららかな日差しが食卓を照らします。


 ニュースはいつの間にか天気予報のコーナーとなっており、朝の超人気アイドルお天気キャスターで有名な白童寺鶴子はくどうじ つるこさんが『本日は雲一つない晴れ模様でーす。心地よい春日和となるでしょう』と笑顔で口にしておりました。


 ビバ・スプリング! やっぱり春はサイコーです!


 命の炎すら凍りついてしまうような厳しい冬などはもう懲り懲りなので御座います。



「今日は少し暖かくなるようですね。ところでタクにい、春のご陽気にお浮かれのところ少々申し訳ないのですが一つ質問よろしいでしょうか?」



 ――ふぁああ? 改めてなんでせう?



 我が家の食卓にも春が戻ったところで睡魔さんが喜び勇んで顔を出してはお羊さんに跨り大草原を颯爽と駆け抜けております。お羊さんが一匹、お羊さんが二匹……嗚呼、これが世に言う『春眠暁しゅんみんあかつきを覚えず』と云うやつなのでしょう。故に僕が眠くなってしまうのは自然の摂理なのでどうしようもないのです。


 そう、眠くなってしまうのは僕のせいでは御座いません。そうです。すべては春のせい、春のせい――ZZZzz……



「ねぇ、タクにい様ぁ、練習用の十字槍が一本、道場から無くなっていたのですけどぉ、ご存知ありませんかぁ?」



 『ゴゴゴゴゴ……』と某カリスマ的人気少年漫画誌に見られるような怪音を発しながら死を孕んだ強烈な冷気が再び僕に襲い掛かかり、睡魔さんとお羊さんたちがあっという間に凍り砕け散ります。……嗚呼、お天気キャスターの鶴子つるこさん、我が家の冬はまだ終ってはいなかったご様子です。



「うふふ、ちなみに今朝方、裏庭の縁の下から血で汚れた練習用の槍が見つかりましたぁ、これはどういうことなのでしょうかぁ、タクにい様ぁ、ねぇ、タクにい様ぁ、ご存知ありませんかぁ? ……うふふふふ……」


「ささささ、さぁ、僕は知らないなぁー! 血で汚れた槍なんてまるでホラーじゃあないか! うわぁ、怖い! だだダメだよぉ、ぼぼぼ、僕はそういう類のお話は本当に苦手なんでしゅ!」



 うわー、怖い怖い怖い! 僕がホラー系のお話を苦手とするのは嘘偽りなく本当のことで御座いますが、それ以上に畏怖いふするのは義妹いもうと様のこの殺気なのです。


 こんな殺気を正面から当てられたら生きた心地がまるで致しません。SAN値がガリガリと削られていき今にも僕は発狂しそうです。



「うふふ、タクにい様ぁ、ねぇ、タクにい様ぁ、この綺麗な妹の目を見てぇ、正直に答えてくださぁい。―― ……うふふふふ……」



 気が付けばお天気予報のコーナーは終わり、ニュースは先ほどの抗争事件の続報を流していました。


 画面には見慣れた河川敷が映し出され、そこには廃車寸前になったバイクやその部品の山、抗争した者が使用したであろう角材や金属バットなどが散乱し、飛び散った血が到るところに黒くその凄惨な争いの傷跡を残しております。



「……………………」



 村上家の食卓を沈黙が支配します。


 僕を見つめる義妹様の冷たい視線。


 嗚呼、もはや沈黙を貫き通すのは不可能で御座いましょう。僕は意を固めて真っ直ぐに義妹様の目を見ながら口を開きます。





「誓って、――はやっていません」





 嗚呼、少々と姑息で卑怯なご回答では御座いますがこれは嘘偽りのない事実なのです。



「じぃ~…………」



 義妹いもうと様の射抜くような視線が僕に強烈なプレッシャーを与えます。嗚呼、『じぃ~…………』とは『G (重力)』のことで御座いましょうか?


 ごめんなさい、やめてください。これ以上の重力にはとても耐えられそうにありません。小心者である僕の心臓は今にも潰れてしまいます。



「……はぁ、分かりました。嘘は付いていないようですので心優しい妹はタクにいを信じることにします。ふむ、ということは暴れたのは雷太らいたあたりでしょうか? 百人近い人間をまとめて病院送りにするなんて芸当……タクにいとこの可愛い妹を除いたらあの馬鹿くらいしか心当たりがありません」


「いやいや、別に一人がやったとは限らないと思いますよ。それこそ大抗争があったわけですし、集団で争いあった結果共倒れって線が濃厚だと思いますけど……」


「いいえ、現場は一見荒れて見えますけど大抗争を繰り広げたにしては出血の跡が少なすぎると聡明な妹は考えます。先ほどのニュースを聞く限り病院に運ばれたのはのみです。百人近くの人間が金属バットなんか持ち寄って本気で争ったら重傷者、下手したら死傷者が出てもおかしくないはずです。……つまり、と推察できます」



 そうすまし顔で言いながら義妹いもうと様は味噌汁をズズっと啜るとそのまま推理を続けます。



「うふふ、さらに言い加えるのならばぁ……そうですねぇ、例えばこのような抗争の場に正義感のとても強い妹が偶然居合わせた場合、まずは二度と喧嘩などの馬鹿な真似ができないようにその場にいる全員――社会不適合者である蛆虫共の利き腕の骨々を粉々に砕きます」



 オー、イエス……いきなりスーパーバイオレンスです。一応取ってつけたかのように「うふふ、勿論、日常生活には支障が出ない程度にですよ」とフォローはしていますがもうこの時点でもう常軌を逸しておられます。



「それから朝まで重石を乗せて正座……社会不適合者である蛆虫共にたっぷりとお灸を据えて反省を促した上で帰りは川原を汚さないように壊れたバイクなどのゴミはすべて本人たちに持ち帰らせるでしょう」



 嗚呼、反省を促すどころかそれはもう拷問の域にまで達しているかと感じます。それでは蛆虫さんたちがとても可哀想です。生きとし生きる者は皆、兄弟きょうだい。蛆虫さんだって生きているだ、友達なんだ。



「はあ、しかしながら見てください……この川原の荒れ具合! ゴミがそのまま放置されているではありませんか! ふむ、病院に運ばれた負傷者もおそらくは軽い打撲か気絶程度で済んだのでしょう。これではいけません。相当な実力者であるにも係わらずこのように生温く、雑でいい加減な処遇を科す人物……として考えられるのはタクにい雷太らいたくらいだと考えます」



 ヒイィィ……、これを冗談ではなく本気で言い切ってしまうところが義妹いもうと様の恐ろしいところです。そして僕はまだ完全に容疑者から外れていないようでした。義妹いもうと様のこちらを見つめる瞳がそう語っておられます。


 おお、ジーザス……。


 お父上、不出来な息子をどうかお許し下さい。『村上流真長槍術』の歴史を僕は後世に残せそうにありません。――今、逢いに逝きます。


 嗚呼、そんなこんなで亡き父にゆるしを請う間に登校の時間が迫っておりました。ニュース番組が本日の運勢を発表するのを合図に僕たちは食器を片付けて登校の準備を進めます。



『ごめんなさ~い、今日一番残念な人は双子座のアナタ! 寝不足には要注意、身内に隠し事がバレるかもっ!? でも、そんなアナタもご安心! 本日のラッキーアイテムはこの――なんと先着たった一名のお客様のみ限定で、お値段は驚きの一万九千八百円でご提供中! 分割金利手数料はもちろん当番組が負担! 朝なのでお電話のお掛け間違いのないように――』



 ――ピッ、と義妹いもうと様がTVを消して「タクにい、早く行きますよ」と急かします。


 僕は慌てて電話で注文を済ますと義妹いもうと様を追うように家を出るのでした。


 尚、商品の発送には一週間~十日ほどのお時間がかかるそうです。注文を終えた後に「本日のラッキーアイテムなのに今日中に届かないのは何か変だなぁ」……とは思いましたが僕は深くは考えないように致しました。


 嗚呼、ご注文確定の後にその辺りのことを深く考えてしまったら、これは負けだと僕の聡明な頭脳が瞬時に判断したからです。そうして今日も僕は振り返らずに前を向いて歩きます。


 ――そう、僕はそんな自分が大好きです。


 外はお天気キャスターの鶴子つるこさんの予報通りポカポカ春のご陽気でした。暖かいので今日はコートを持たずに家を出ます。下は少しお洒落な灰色チェック柄のズボン。上は白色のワイシャツと薄手のセーターに紺色のブレザーを羽織って首には黄色のネクタイを身につけます。


 嗚呼、これは僕と義妹様が通う『私立 清福正神きよさきせいしん学園』指定の学生服です。


 ちなみに女子はズボンがスカート、ネクタイがリボンといったデザインとなっています。ネクタイとリボンの色が各学年を表しており、一年生が青色で二年生が黄色、そして三年生は赤色といった具合に大学受験が近づくに応じて警戒色の強い配色へと変化していくといった大変に生徒想いのファッキングな仕様です。



「タクにい? 竹刀を持っていないようですが今日は部活動に出席なさらないのですか?」



 駆け足で追いついた僕を振り返り義妹いもうと様が「サボりはいけません。そんな事をしたらこの可憐な妹がお仕置きしますよ(めっ!)」とでも言うような剣呑とした視線を投げかけます。


 嗚呼、本日の僕は朝から疑われまくりです。お義兄にいさんとしてはとても悲しい限りですは御座いますが、もありますのでここは甘んじて受け入れましょう。



「サボりはいけません。そんな事をしたらこの可憐な妹が血祭りにしますよ(滅っ!)」」



 ヒイィィ……、ごめんなさい。


 とても甘んじて受け入れられる余裕などは御座いませんでした。義妹いもうと様は想像していたよりもずっと残酷な物言いで手に持った薙刀なぎなたを僕の眼前に突き付けます。


 本日のお洒落義妹いもうと様の日替わりヘアスタイルは長く美しい髪を後ろで束ねたいわゆるポニーテールと云ったもので、その凛々しいお姿はさながら戦国武将を彷彿とさせるものでありました。


 嗚呼、つまりが朝から殺る気はマックスと云う事です。


 さあ、命懸けの弁明会見を始めますよー!



「ごごご、誤解でしゅ! 今日は生徒会の活動があるので部の方はお休みを頂く予定なのですよ! 今年度の部の予算決議があるので少し帰りが遅くなるかもしれないです」



 僕たちの通う学園は特に武術に関する部活動に力を入れていることで有名で全国から優秀な人材を特待生として募っています。


 剣道部や柔道部はもちろんのこと、珍しいところでは弓道や薙刀なぎなた相撲すもうや空手や合気道、果てはフェイシングやレスリング、ボクシングなど様々な部活動が存在し、生徒はいずれかの部に所属しなければならない規則があるのです。


 残念ながら全国有数の武術部が存在する学園であっても、槍術そうじゅつなどといった零細的な部活動は存在しなかった為、義妹いもうと様は薙刀なぎなた部に、僕は剣道部に籍を置いている形となります。


 扱う得物こそ違うが同じ武の道、其の心得には相通ずる物有り――と云ったところで御座いましょうか……幼い頃からお父上に槍術そうじゅつを学び、それこその地獄のような修練で体躯と僕たちにとってみれば学園の部活動などはお遊戯以下、修練前の軽いウォーミングアップにもなりません。


 それなのにも関わらず義妹いもうと様が真摯に学園の部活動に参加するのは、やはりその病的に生真面目すぎる人格ゆえで御座いましょうか……。


 ちなみに義妹いもうと様は一年生にして薙刀なぎなた部創立以来の傑物として絶対的な部のエースであり、僕にいたっては生徒会との兼任活動でこうして部に出席できない日や、雷太らいたちゃんと一緒におサボリをする日が度々あるのにも関わらず部の主将となっております。


 嗚呼、そうなのです。こう見えても僕って結構強いんですよ、えっへん!



「なるほど、本日は生徒会の活動日でしたか……ならば『村上流真長槍術』の師範代として学園の生徒の良き模範となるようにしっかりとお勤め下さい。頑張り屋さんの妹も今日からは春の大会に向けての練習が始まるので少し帰りが遅くなる予定です」


「あー、そういえば薙刀なぎなた部は春前に大会があるんでしたっけ?」


「はい、薙刀なぎなた部はこの大会の成績によって新入生の部員数が左右されるので皆さん遅い時間までとても頑張っています。……とは言っても実力上位の妹は練習に参加しても邪魔になってしまうので一人で弓道部におもむき特別メニューをこなすわけですが……」



 練習に参加しても邪魔になってしまうか……まあ、義妹いもうと様の実力を考えるとこればかりは仕方のないことだと思います。


 『強くなる為』に必要な日々の基礎的な練習ならば義妹いもうと様のような存在は大きなプラスの要素となりますが……そう、大会前のこの時期は実践的な練習を通して『試合で勝つ為』に必要な自信や勝ち癖を短時間でつけることが非常に重要となるのです。そうした場合、義妹いもうと様のような圧倒的な強者は目に入るだけでマイナスの要素となってしまうことでしょう。


 そしてその事をきちんと理解している義妹いもうと様はおそらく自ら部活の練習を辞退しているのでしょう。――嗚呼、しかしながら、部の皆が頑張っているのに自分一人だけ部活動を休み帰宅するわけにはいかない! せめて皆と同じ時間は学内に残り、部員の目の届かないところで共に体を動かそう……この生真面目な義妹いもうと様はそう考えてしまうわけです。


 生真面目な義妹いもうと様らしいとても立派なお考えです。嗚呼、そしてそんな病的にまで生真面目な義妹いもうと様を僕はだと思い心を痛めている次第で御座います。


 ふむむん? しかしながら弓道部に赴くとは一体どういうことでしょう?


 嗚呼、これはなんだが――とても嫌な予感が致します。



「あのー、お一つお伺いしたいのですが……弓道部におもむいてどのような練習をなさるのでしょうか? あははー、まさか弓道部の全員に矢を射させてそれを片っ端から薙刀なぎなたで叩き落とすとかー……そーんな無茶苦茶むちゃくちゃな練習なんかしてないですよねー?」


「はぁ? タクにい、正気で言っていますか? この華奢な妹がそんな物騒な行いをするわけがないでしょう」



 義妹いもうと様がとても痛い子を見るような瞳でこちらを見ております。嗚呼、ですが僕はその言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろすのでした。ストイックに武芸を極めようとするこの義妹いもうと様は稀にとてもクレイジーな特訓方法を思いついては自らの体を苛め抜くことがあるからです。


 そうですねぇ、例えば……



「はあ、全く……タクにいは弓道部員が全員で何名いると思っているのですか? 思慮深い妹は一度に矢を射るのは最大で九名までときちんと制限を設けています」



 はーい、今日一のクレイジーいただきましたーっ! わざわざ過去の例え話しをする手間が省けたのは大変に有り難いことでは御座いますが、そればかりは本当に勘弁して頂きたい!


 ノー・モア・クレイジー!


 嗚呼、ノー・モア・クレイジーの程をお願い申し上げます!



「いやー、さすがにそれは無茶が過ぎるかとー、そんな人間離れした芸当など身につけなくても十分に武の道は究められると思いますよー、ほら、大事な大会前に万が一にでも怪我などしたら部員の皆さまにも迷惑をかけてしまうわけですし……ね?」



 日和見主義者の僕もさすがにこの度の義妹いもうと様の行動を黙って見過ごすわけには参りません。なんとかご自愛くださるように義妹いもうと様への必死の説得を試みます。



「いいえ、これは誇り高き妹の歩む武の道――『村上流真長槍術』を極めんとするならば絶対に会得しなければならないことです。それに傷や怪我のない『』などはありません。『修練』の理とは徹底的に破壊し『理』した後に『成』さるモノのこと……タクにいならばです」



 ――嗚呼、いけません、これ以上は本当にいけません。



「一斉に放たれる九本の矢の軌道を全て正確に見極めた上で一本も残さず払い穿ち落とす……タクにいならばそれが可能なはずです。そしてそれが『村上流真長槍術』の秘奥の義――」


「……周子しゅうこちゃんっ!!」



 僕は少々強めに義妹いもうと様の名前を呼んでその口からそれ以上の言葉が紡ぎ出されるのを遮ります。


 ――嗚呼、残念ながら本気にならざるを得ません。


 ここで僕の本気を見せるのは大変に不本意ではありますがこれは義妹いもうと様の為です。


 ――ドクン、ドクンと強く脈打つ心臓。


 僕は大きく息を吐くと義妹いもうと様の瞳から一瞬たりとも目を離さずにゆっくりとした動作で左膝――そして右膝の順にアスファルトの地面に両脚を付けます。


 ――さあ、刮目して御覧ください!


 これぞ『村上流真長槍術』が師範代、君のお義兄にいさんの本気!


 全身全霊を籠めた本気の土下座ゲイザーだぁ!!!!



「タクにい……、どうかお立ち上がり下さい。素直な妹は今回の件に対して自分に大きな非があったことを認めます。だからお願いです。どうか直ちにお立ち上がり下さい、あまりにも惨め過ぎて涙が出てきます。これ以上はとても見るに耐えられません」



 ――嗚呼、よかった……


 どうやら僕の本気を目の当たりにした義妹いもうと様は冷静に自分の非をお認めになってくれたようです。


 僕はさながら中世の騎士のように颯爽と立ち上がると、そのまま流れるような動作で膝に付いた汚れをササッと払い、澄み渡る春の大空を見上げます。


 ふふふ、少しばかり大人気なかったですかねー。


 まあ、僕が本気になればこんなものです。



「人の目もはばからないタク兄の惨めな土下座ゲイザーに免じてこの健気な妹は大人しく素振りと型の練習に終止することにいたします。……しかしながらタクにい、なぜタクにいはこの愛らしい妹が『村上流真長槍術』を極めることを良しとしないのでしょうか? 父、村上昌文むらかみ まさふみの元で共に肩を並べ、武を学んだ間柄――そこに一子相伝のような決まりごとはなかったはずです」



 確かに『村上流真長槍術』に一子相伝のような決まりごとは御座いません。唯でさえ槍術そうじゅつなんて代物は現代において零細的な武道なのですからその後継者は多いほうが良いのです。


 嗚呼、しかしながら僕は『村上流真長槍術』の秘奥の義――このだけは後世には絶対に伝えること無く、僕の代で完全に絶つことができれば考えているのです。



 ――そう、


  これ以上、


   ……


 僕だけで良いのです。



 嗚呼、よって、義妹いもうと様のこの問いに対して僕はいつものように曖昧な笑みをその顔に張り付けて誤魔化すように口を開きます。



「さーて、そろそろ雷太らいたちゃんが現れる頃でしょうか? あっと、噂をすれば……」



 チリン、チリーン、っと高い鈴の音を鳴らしながら高速でこちらに向かって駆けてくる強い気配を感じます。



「まいらぁ~ぶりぃ~~! しゅ~こた~~ん! おっはよ……ぐぶっあ!」



 僕との会話を邪魔された怒りの念が十全に込められた義妹いもうと様の薙刀なぎなたの一閃が勢い飛び込んできた雷太らいたちゃんの土手っ腹に深く突き刺さります。



「ふふふふ、朝から大声で耳障りですよぉ、雷太らいたぁ。死になさい」


「ぐっ……ふぅ、しゅ、しゅうこたん……、今日は一段と過激で可憐だね、そのポニーテールも良く似合っているよ(ゴキッ!) あれぇ、トリートメントも変えたのかな? 良い匂いだ……ぶふっぅ、ごぉほっ、かはぁっ!」


「ふふふふ、ありがとう、でも気持ち悪いですよぉ、雷太らいたぁ。死になさい」



 うわーお、こいつは大変にエグイです……。


 義妹いもうと様は、髪に手を伸ばした雷太らいたちゃんの手首の骨を素早く外すと、匂いを嗅ごうと顔を近づけた鼻柱を叩き潰し、それと同時に喉と肺にも一撃を加えました。


 鼻、喉、肺……薙刀なぎなたによる目にも止まらぬ、流れるような三段突き――嗚呼、あれでは呼吸が出来ません。


 腹部への初撃を耐えた雷太らいたちゃんもさすがにこの連撃には耐え切れず崩れるようにアスファルトの上へと倒れこみます。一方、義妹いもうと様は涼しげな顔でハンカチを取り出すと薙刀なぎなたをゴシゴシと丁寧に磨き始めます。



「はあ……最悪ですねぇ、綺麗好きな妹の大切な薙刀なぎなたけがれてしまいましたぁ、……ところで死にましたかぁ、それぇ?」



 倒れている雷太らいたちゃんを観察するとピクピクと動いておりました。死後硬直の場合はビクンビクンと動いた後にピタッと動かなくなるのでまだ生きてはいるご様子です。嗚呼、しかしながら白目を剥いて口から泡を吹いていますのでその命は風前の灯といったところで御座いましょう。



「なるほどぉ、それならば得物を汚さずとも放っておけば死にますねぇ、ならばタクにい様ぁ、ねぇ、タクにい様ぁ、先を急ぐとしましょうよぉ、今日は朝から色々とあったのでこれ以上のんびりしていると遅刻をしてしまう可能性がありますよぉ」


「いいい、いやー、でもね? さすがに雷太らいたちゃんをこのまま放置しておくわけにはいかないと思うのですよ。僕は雷太らいたちゃんを起こしてから向かいますので先に行ってくだ……ひぃっ……!」



 残って雷太らいたちゃんを介抱しようとする僕に「はあ? 何を考えているんですかぁ?」と極寒の視線が突き刺さり、春の通学路はまるで雪と氷が支配する凍てつく世界に覆われます。



「はあ……まあ、確かに公道の真ん中にそんな大きなゴミを置いては通行人のご迷惑になりますねぇ、ふふふふふ、本日は火曜日なので燃えるゴミの日ですねぇ、それでは収集車が来る前にそこのゴミ捨て場に運んでしまいましょうかぁ、ゴミを捨てる時はきちんとゴミ袋に入れるのが規則ですねぇ、うふふふふ、どうしましょうかぁ、ゴミ袋に入るように細かく切り刻みましょうかぁ、それとも小さく折り畳みましょうかぁ……うふふふふ……」



 ヒイィィ……、ヤバいです!


 義妹いもうと様のあの眼は冗談ではなく本気で雷太らいたちゃんをゴミとして処分しようとしている眼です!


 僕は必死に「手が汚れると困るでしょう! 嗚呼、このゴミは僕がきちんと片付けておくよ!」などと無茶区茶むちゃくちゃな理由をつけて義妹いもうと様を兎に角、先に学園に向かわせるように仕向けます。



「……はぁ、分かりました。それでは品行方正の妹は遅刻しないように先に登校します。タクにいも遅刻しないように気をつけてくださいね。……あと、そのゴミはぁ、きちんと処分をお願いしますねぇ……うふふふふ……」



 義妹いもうと様が学園へと向かうと同時にふわっと春の暖かさが戻ります。


 嗚呼、とりあえず最悪の危機は免れたご様子です。


 僕は義妹いもうと様の背中が見えなくなることを確認すると下ろしていた前髪を右手でかき上げます。


 そして普段、周囲の人間からと云われている薄目の瞳をしっかりと見開いて、倒れている雷太らいたちゃんに声をかけるのでした。




―― EPISODE.I END ――




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