EPISODE.I 僕の名前は『村上吒武』
――時刻は午前七時。
嗚呼、槍術道場を営む村上家の朝はとても早いのです。
日が昇る前から起床してまずは道場の清掃を行います。顔が映るほどピカピカに磨いた床の上で暫し座禅を組んだ後は町内をぐるりとランニング、その後シャワーで汗を流し終えたちょうどこの時間にようやく朝食となるのです。
「ちょーっと! タク
――おっと、危ない。
僕は手に持ったお茶碗とお箸をテーブルに置くとそのまま突っ伏して本格的な睡眠に入ります。
――これでバッチリOKです。はーい、おやすみなさい。
「タ~ク~
ガタガタ、ガタガタと義妹様がテーブルを激しく揺らします。おっとっと、これはいけません。お椀に並々と注がれてホカホカと白い湯気を立てている熱々のお味噌汁が溢れ零れ出てしまいます。
「もう、しっかりして下さい! 父、
まあ、なんと失礼なっ! きちんと開いていますよぉー。周囲からはまるで瞳を閉じているかのように見られるようですがこれでも僕の視界は
嗚呼、しかしながら、これは大変ご面倒なことに朝から
「あー、そうだ! 今日の天気はどうでしょうねー、ニュース、ニュースっと……」
僕は卓上に置かれていたリモコンに手を伸ばすと素早くTVの電源を入れました。するとチャンネルを変えるまでもなくちょうど朝のニュース番組が液晶画面に映し出されます。
嗚呼、そこにはとても見慣れた風景が広がっておりました。現場のアナウンサーがとても緊迫した表情で事件を語っています。
『昨晩未明、ここ長野県
――ピッ!
僕は音速の早さでもってTVのチャンネルを変えます……
――がっ、
嗚呼、無残にも音速を超える光速の早さでもって
「ふ、ふふふふ、うふふふふふふふ……。へぇー、タク
ヒイィィ……、こここ、殺される……っ!
一瞬にして僕の眠気は消し飛びました。嗚呼、このような
「うふふ、そういえばタク
「さささ、昨晩は、テテテ、テスト勉強をしてましてですね、ハイっ、小腹が空いたので、ききき、気分転換も兼ねてコンビニにまで夜食を買いに出ていた次第でありましゅ!」
嗚呼、なんということで御座いましょう……恐怖で口が凍り付いてうまく舌が回りません。よく人間は危機に瀕すると焦りで汗や震えが止まらなくなると言いますが死に瀕した人間には何の焦りなどありません。汗などもかかないし震えもしません。そう、全身の血の気がサーッと引いて、ただただ身も心も凍る極寒の中で冷たく固まってしまうだけなのです。
「うふふ、へぇー、明け方お帰りのようでしたけどぉ、コンビニに行ったにしては随分と遅いお帰りでしたねぇ……うふふふふ……」
「ざざざ、雑誌をねっ! ついつい夢中になって立ち読みしてしまったのでありましゅ!」
「ふーん、そうですかぁ……。――コホン、まぁ……いいでしょう。しかし、夜更かしの上にコンビニで立ち読みとはあまり褒められたことではありません。繰り返し呈しますがタク
小鳥の
ニュースはいつの間にか天気予報のコーナーとなっており、朝の超人気アイドルお天気キャスターで有名な
ビバ・スプリング! やっぱり春はサイコーです!
命の炎すら凍りついてしまうような厳しい冬などはもう懲り懲りなので御座います。
「今日は少し暖かくなるようですね。ところでタク
――ふぁああ? 改めてなんでせう?
我が家の食卓にも春が戻ったところで睡魔さんが喜び勇んで顔を出してはお羊さんに跨り大草原を颯爽と駆け抜けております。お羊さんが一匹、お羊さんが二匹……嗚呼、これが世に言う『
そう、眠くなってしまうのは僕のせいでは御座いません。そうです。すべては春のせい、春のせい――ZZZzz……
「ねぇ、タク
『ゴゴゴゴゴ……』と某カリスマ的人気少年漫画誌に見られるような怪音を発しながら死を孕んだ強烈な冷気が再び僕に襲い掛かかり、睡魔さんとお羊さんたちがあっという間に凍り砕け散ります。……嗚呼、お天気キャスターの
「うふふ、ちなみに今朝方、裏庭の縁の下から血で汚れた練習用の槍が見つかりましたぁ、これはどういうことなのでしょうかぁ、タク
「ささささ、さぁ、僕は知らないなぁー! 血で汚れた槍なんてまるでホラーじゃあないか! うわぁ、怖い! だだダメだよぉ、ぼぼぼ、僕はそういう類のお話は本当に苦手なんでしゅ!」
うわー、怖い怖い怖い! 僕がホラー系のお話を苦手とするのは嘘偽りなく本当のことで御座いますが、それ以上に
こんな殺気を正面から当てられたら生きた心地がまるで致しません。SAN値がガリガリと削られていき今にも僕は発狂しそうです。
「うふふ、タク
気が付けばお天気予報のコーナーは終わり、ニュースは先ほどの抗争事件の続報を流していました。
画面には見慣れた河川敷が映し出され、そこには廃車寸前になったバイクやその部品の山、抗争した者が使用したであろう角材や金属バットなどが散乱し、飛び散った血が到るところに黒くその凄惨な争いの傷跡を残しております。
「……………………」
村上家の食卓を沈黙が支配します。
僕を見つめる義妹様の冷たい視線。
嗚呼、もはや沈黙を貫き通すのは不可能で御座いましょう。僕は意を固めて真っ直ぐに義妹様の目を見ながら口を開きます。
「誓って、――僕はやっていません」
嗚呼、少々と姑息で卑怯なご回答では御座いますがこれは嘘偽りのない事実なのです。
「じぃ~…………」
ごめんなさい、やめてください。これ以上の重力にはとても耐えられそうにありません。小心者である僕の心臓は今にも潰れてしまいます。
「……はぁ、分かりました。嘘は付いていないようですので心優しい妹はタク
「いやいや、別に一人がやったとは限らないと思いますよ。それこそ大抗争があったわけですし、集団で争いあった結果共倒れって線が濃厚だと思いますけど……」
「いいえ、現場は一見荒れて見えますけど大抗争を繰り広げたにしては出血の跡が少なすぎると聡明な妹は考えます。先ほどのニュースを聞く限り病院に運ばれたのは負傷者のみです。百人近くの人間が金属バットなんか持ち寄って本気で争ったら重傷者、下手したら死傷者が出てもおかしくないはずです。……つまり、圧倒的な実力者がこの場を見事に制圧したと推察できます」
そうすまし顔で言いながら
「うふふ、さらに言い加えるのならばぁ……そうですねぇ、例えばこのような抗争の場に正義感のとても強い妹が偶然居合わせた場合、まずは二度と喧嘩などの馬鹿な真似ができないようにその場にいる全員――社会不適合者である蛆虫共の利き腕の骨々を粉々に砕きます」
オー、イエス……いきなりスーパーバイオレンスです。一応取ってつけたかのように「うふふ、勿論、日常生活には支障が出ない程度にですよ」とフォローはしていますがもうこの時点でもう常軌を逸しておられます。
「それから朝まで重石を乗せて正座……社会不適合者である蛆虫共にたっぷりとお灸を据えて反省を促した上で帰りは川原を汚さないように壊れたバイクなどのゴミはすべて本人たちに持ち帰らせるでしょう」
嗚呼、反省を促すどころかそれはもう拷問の域にまで達しているかと感じます。それでは蛆虫さんたちがとても可哀想です。生きとし生きる者は皆、
「はあ、しかしながら見てください……この川原の荒れ具合! ゴミがそのまま放置されているではありませんか! ふむ、病院に運ばれた負傷者もおそらくは軽い打撲か気絶程度で済んだのでしょう。これではいけません。相当な実力者であるにも係わらずこのように生温く、雑でいい加減な処遇を科す人物……容疑者として考えられるのはタク
ヒイィィ……、これを冗談ではなく本気で言い切ってしまうところが
おお、ジーザス……。
お父上、不出来な息子をどうかお許し下さい。『村上流真長槍術』の歴史を僕は後世に残せそうにありません。――今、逢いに逝きます。
嗚呼、そんなこんなで亡き父に
『ごめんなさ~い、今日一番残念な人は双子座のアナタ! 寝不足には要注意、身内に隠し事がバレるかもっ!? でも、そんなアナタもご安心! 本日のラッキーアイテムはこの運命を変える掛け軸――なんと先着たった一名のお客様のみ限定で、お値段は驚きの一万九千八百円でご提供中! 分割金利手数料はもちろん当番組が負担! 朝なのでお電話のお掛け間違いのないように――』
――ピッ、と
僕は慌てて電話で注文を済ますと
尚、商品の発送には一週間~十日ほどのお時間がかかるそうです。注文を終えた後に「本日のラッキーアイテムなのに今日中に届かないのは何か変だなぁ」……とは思いましたが僕は深くは考えないように致しました。
嗚呼、ご注文確定の後にその辺りのことを深く考えてしまったら、これは負けだと僕の聡明な頭脳が瞬時に判断したからです。そうして今日も僕は振り返らずに前を向いて歩きます。
――そう、僕はそんな自分が大好きです。
外はお天気キャスターの
嗚呼、これは僕と義妹様が通う『私立
ちなみに女子はズボンがスカート、ネクタイがリボンといったデザインとなっています。ネクタイとリボンの色が各学年を表しており、一年生が青色で二年生が黄色、そして三年生は赤色といった具合に大学受験が近づくに応じて警戒色の強い配色へと変化していくといった大変に生徒想いのファッキングな仕様です。
「タク
駆け足で追いついた僕を振り返り
嗚呼、本日の僕は朝から疑われまくりです。お
「サボりはいけません。そんな事をしたらこの可憐な妹が血祭りにしますよ(滅っ!)」」
ヒイィィ……、ごめんなさい。
とても甘んじて受け入れられる余裕などは御座いませんでした。
本日のお洒落
嗚呼、つまりが朝から殺る気はマックスと云う事です。
さあ、命懸けの弁明会見を始めますよー!
「ごごご、誤解でしゅ! 今日は生徒会の活動があるので部の方はお休みを頂く予定なのですよ! 今年度の部の予算決議があるので少し帰りが遅くなるかもしれないです」
僕たちの通う学園は特に武術に関する部活動に力を入れていることで有名で全国から優秀な人材を特待生として募っています。
剣道部や柔道部はもちろんのこと、珍しいところでは弓道や
残念ながら全国有数の武術部が存在する学園であっても、
扱う得物こそ違うが同じ武の道、其の心得には相通ずる物有り――と云ったところで御座いましょうか……幼い頃からお父上に
それなのにも関わらず
ちなみに
嗚呼、そうなのです。こう見えても僕って結構強いんですよ、えっへん!
「なるほど、本日は生徒会の活動日でしたか……ならば『村上流真長槍術』の師範代として学園の生徒の良き模範となるようにしっかりとお勤め下さい。頑張り屋さんの妹も今日からは春の大会に向けての練習が始まるので少し帰りが遅くなる予定です」
「あー、そういえば
「はい、
練習に参加しても邪魔になってしまうか……まあ、
『強くなる為』に必要な日々の基礎的な練習ならば
そしてその事をきちんと理解している
生真面目な
ふむむん? しかしながら弓道部に赴くとは一体どういうことでしょう?
嗚呼、これはなんだが――とても嫌な予感が致します。
「あのー、お一つお伺いしたいのですが……弓道部に
「はぁ? タク
そうですねぇ、例えば……
「はあ、全く……タク
はーい、今日一のクレイジーいただきましたーっ! わざわざ過去の例え話しをする手間が省けたのは大変に有り難いことでは御座いますが、そればかりは本当に勘弁して頂きたい!
ノー・モア・クレイジー!
嗚呼、ノー・モア・クレイジーの程をお願い申し上げます!
「いやー、さすがにそれは無茶が過ぎるかとー、そんな人間離れした芸当など身につけなくても十分に武の道は究められると思いますよー、ほら、大事な大会前に万が一にでも怪我などしたら部員の皆さまにも迷惑をかけてしまうわけですし……ね?」
日和見主義者の僕もさすがにこの度の
「いいえ、これは誇り高き妹の歩む武の道――『村上流真長槍術』を極めんとするならば絶対に会得しなければならないことです。それに傷や怪我のない『修練』などはありません。『修練』の理とは徹底的に破壊し『修理』した後に『練成』さるモノのこと……タク
――嗚呼、いけません、これ以上は本当にいけません。
「一斉に放たれる九本の矢の軌道を全て正確に見極めた上で一本も残さず払い穿ち落とす……タク
「……
僕は少々強めに
――嗚呼、残念ながら本気にならざるを得ません。
ここで僕の本気を見せるのは大変に不本意ではありますがこれは
――ドクン、ドクンと強く脈打つ心臓。
僕は大きく息を吐くと
――さあ、刮目して御覧ください!
これぞ『村上流真長槍術』が師範代、君のお
全身全霊を籠めた本気の
「タク
――嗚呼、よかった……
どうやら僕の本気を目の当たりにした
僕はさながら中世の騎士のように颯爽と立ち上がると、そのまま流れるような動作で膝に付いた汚れをササッと払い、澄み渡る春の大空を見上げます。
ふふふ、少しばかり大人気なかったですかねー。
まあ、僕が本気になればこんなものです。
「人の目も
確かに『村上流真長槍術』に一子相伝のような決まりごとは御座いません。唯でさえ
嗚呼、しかしながら僕は『村上流真長槍術』の秘奥の義――この呪いだけは後世には絶対に伝えること無く、僕の代で完全に絶つことができれば考えているのです。
――そう、
これ以上、
壊れるのは……
僕だけで良いのです。
嗚呼、よって、
「さーて、そろそろ
チリン、チリーン、っと高い鈴の音を鳴らしながら高速でこちらに向かって駆けてくる強い気配を感じます。
「まいらぁ~ぶりぃ~~! しゅ~こた~~ん! おっはよ……ぐぶっあ!」
僕との会話を邪魔された怒りの念が十全に込められた
「ふふふふ、朝から大声で耳障りですよぉ、
「ぐっ……ふぅ、しゅ、しゅうこたん……、今日は一段と過激で可憐だね、そのポニーテールも良く似合っているよ(ゴキッ!) あれぇ、トリートメントも変えたのかな? 良い匂いだ……ぶふっぅ、ごぉほっ、かはぁっ!」
「ふふふふ、ありがとう、でも気持ち悪いですよぉ、
うわーお、こいつは大変にエグイです……。
鼻、喉、肺……
腹部への初撃を耐えた
「はあ……最悪ですねぇ、綺麗好きな妹の大切な
倒れている
「なるほどぉ、それならば得物を汚さずとも放っておけば死にますねぇ、ならばタク
「いいい、いやー、でもね? さすがに
残って
「はあ……まあ、確かに公道の真ん中にそんな大きなゴミを置いては通行人のご迷惑になりますねぇ、ふふふふふ、本日は火曜日なので燃えるゴミの日ですねぇ、それでは収集車が来る前にそこのゴミ捨て場に運んでしまいましょうかぁ、ゴミを捨てる時はきちんとゴミ袋に入れるのが規則ですねぇ、うふふふふ、どうしましょうかぁ、ゴミ袋に入るように細かく切り刻みましょうかぁ、それとも小さく折り畳みましょうかぁ……うふふふふ……」
ヒイィィ……、ヤバいです!
僕は必死に「手が汚れると困るでしょう! 嗚呼、このゴミは僕がきちんと片付けておくよ!」などと
「……はぁ、分かりました。それでは品行方正の妹は遅刻しないように先に登校します。タク
嗚呼、とりあえず最悪の危機は免れたご様子です。
僕は
そして普段、周囲の人間からいつも閉じていると云われている薄目の瞳をしっかりと見開いて、倒れている
―― EPISODE.I END ――
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