まず、本作は起承転結のはっきりしたエンターテイメント小説と呼ばれる部類に属する作品ではありません。じゃあ純文学かと言われるとそれも違う気がします(そもそも僕は純文学とは何ぞやというものを理解していませんが)。雰囲気小説、というジャンルが一番しっくり来るでしょうか。昼と夜の境目を迎えた仄暗い海岸を物思いに耽りながら一人歩く。そういうえも言えぬ雰囲気を楽しむ小説です。
透明で繊細な散文詩のような文章にはどこか浮き世離れした美しさがあり、なのに物語はどこまでもリアルです。単に離婚や鬱病などの重たい問題を扱っているからリアルというわけではありません。その重たい問題に物語的な「事件」、そして「解決」を用意しないところがリアルなのです。
例えば、本作の主人公は二度離婚していますがそれを「過去」にはしません。正確に言うと「過去」にはするのですが「終わったこと」にはしません。二回の離婚と二人の男はいつまでも経っても主人公の中で消えない火種としてく燻り続けます。そしてそれがたまらなくリアル。「過去」は「終わったこと」。そんな風に割り切れる人間なんて、きっと現実にはそうそういないでしょう。
物語的解決を避けながら、それでも物語は物語として進みます。僕は冒頭で本作が放つ雰囲気を「昼と夜の境目を迎えた仄暗い海岸」と称しました。それが朝なのか夕なのか。これから日は昇るのか沈むのか。それは作品を読み、それぞれの目と心でご確認ください。
二度の離婚を経験し、鬱病に苦しみながらも新たな出会いにより前を向いて歩いていく。そんなひとりの女性視点で描かれた物語です。
熱帯魚。これがキーポイントになります。
まるで大人向けの映画のようなとても洗練されたお話です。
日常を細かく描写されているのですが、いわゆる生活臭さが感じられず、かといっていかにも取って付けたような情景描写でもありません。
さらりと自然に描かれており、ゆえにこの物語が読み手の共感を抱かせるものになっております。それだけ高度な文章力が駆使されているわけです。
ややもすると下世話なお話になりかねないのに、むしろ頭に浮かぶ映像はとても美しく、このまま一冊の本として発行されてもよいくらいな出来栄えです。
男性にも、女性にももたろんお読みいただきたい珠玉の作品です。
まるで、誰もいない早朝の蒼い海のように。
或いは、誰もが去った夕暮れの赤い海のようで。
淡々と読み進めていけば、文章の隙間にさざなみがあり、行間の隙間には打ち寄せる波がいつまでも繰り返していく情景が浮かぶ。
水面に身体を浮かべたような作品だった。
ただゆらゆらと、人は、命は、漂いながら、世界に、海に、水に、還っていく。
繰り返す波打ち際を歩むような作品だった。
振り返れば、砂の足跡が残っていたり、消えていたり。
人生とは不確かで、それでも生きて、続いていくことを意識させられる。
ほろほろと、ふと油断すれば小さな雫が目の端からこぼれ落ちそうになる。
holoholoと、人が歩む速度は、それくらいがちょうど良いのかもしれない。
一息に読みました。作品の世界に引き込まれ、あっという間でした。
淡々と語られる文章の中に、痛みを伴う現実が溢れています。
息をすることさえ辛いような時間。それでも、息をしなければならない。眠らなければならない。——明日のために。自分が支えるべき者のために。
自分が支えなければならないものに、実は支えられながら——。
そして、闇が少しずつ明るくなり——また陽射しが輝き出す。
生きることは、一筋縄ではいかないのだ。
そして…自分の目の前を闇が覆ったように思えても、それはいつか必ず去って行く。
どんなことも変わり続ける。一時も同じ場所へ留まることなく。
生きることそのものを、包み隠さず描き出し…生きることへの確かな希望を信じさせてくれる。
そんな、不思議な力強さが漂う作品です。
目に映る一つ一つのものに投影される悲しみの切実さ、終わっても整理できない気持ちが延々と続いていくこと、沈んだ気分の中でも娘はそこにいること、思い出してしまう過去のどうしようもないけど大切なこと……。
傍にいる人をどうしようもなく好きになって、そして離れる時も嫌いになりきれない気持ちが、一貫して切々と伝わってきます。
それらが静かに、夜のさざ波を思わせるように、綴られていきます。
好きなものは増えるばかりで、離れてもそれらに縛られる。優しさの表裏とでも言うべきでしょうか。でも、そんな情で身動きがつらくなっている人多いと思うんです。
読者によって合う合わないはあるかと思いますが、この独特な雰囲気は真似できるものでありません。
エンターテイメント性の高い、メリハリの利いた分かりやすい作品が求められる商業作品界隈ではなかなかお目にかかれない雰囲気小説です。こういう作品は投稿サイトならではですね。
私はこの雰囲気に圧倒されました。私には表現できない、しかして分かるところがある切なさに魅了されました。
日常の些細なことに感情移入できる素晴らしい感性の持ち主なのだなぁと感服しています。他の作品もこれから読んでいきたいですなー。
ここに強い者はいませんでした。
ここに正しい者はいませんでした。
『愛情』は確かに存在しているのに、形を持っていないのです。
でも、形がないと、愛を認識するのが難しくて、相手にわかってもらえないと不安になるもの。
人々が愛を言葉に起こして、絵に描き出し、音と響かせ、体温という温もりにして、感じとってもらえる姿にしようとするのは、その不安を解消したいが為なのでしょう。
二人が想いを同じくして愛をささやきあっているときは幸せですが、人の世はそう簡単にはいかないもの。約束を違え、離れてしまうことだってあります。好きという感情が変質してしまうことだって、あるのです。
お互いが納得して離れるのなら良いのですが、相手の心だけが変わってしまったのなら、未練はいつまでも残ってしまうでしょう。
体に触れ合い、愛情を渡しあって、自分の心の半分を相手の愛情で満たした時間。
去りゆくときに、この心に残る愛情を回収されれば、そこはぽっかりと隙間になってしまいます。
僅かな望みを捨てきれず、相手の心に自分の愛情を置いて別れてしまえば、心の隙間を埋めるものなどありはしないのです。
心の形が壊れたままで歩けるほど、人は器用な生き物ではありません。
ゆっくりと時間をかけて、隙間を埋めるものを探すことになります。
再び心が満ちてゆくのを、静かに待つ。
それが人。
切ない思い出から少しだけ。
心に夢を見させる液体から少しだけ。
いつまでも変わらない景色から少しだけ。
言葉を交わせない生き物から少しだけ。
同じような寂しさを抱えた人から少しだけ。
子供から、少しだけ。
色んなものから少しずつもらった愛を、心に溜めていく。
そうやって人は、再び歩ける時を待つのです。
空っぽのままで頑張れる人なんていない。
それが人。
ここに強い者はいませんでした。
ここに正しい者はいませんでした。
ここに弱い者はいませんでした。
ここに間違っている者はいませんでした。
ここにいたのは、人でした。
僕はB-BOYですが、パンクスでもあるので、ピストルズもクラッシュもサブライムもRESPECTしてます。大阪なんでレゲエの聖地ですからマイティージャムロックにも店に行けば会えます。というか本はほとんど読みませんがCDは2万枚以上は持ってます。サブライム、海が似合いますね。前のボーカルのも持ってますし、再結成のサブライムのアルバムも持ってますよ。僕自身、ラップもするし、シャウトもするし、ビートメイカーでもあるし、アコギも弾きます。女性作家で唯一好きな本が「蛇にピアス」なんですが、アングラの世界を追求して頂きたいですね。あとは現代ドラマの未来は託しました。過酷な現代ドラマ・ランキングを上がって欲しいです。個人的には他の短編の方が好きなんですけどね。音楽を理解してる人は少ないですが、僕のような読者もいてるので。ハワイには行ってみたいです。
コルクボードに無造作に張られたセピア色の写真、何枚も張られている写真の1枚、1枚を眺めているような感覚に陥る。
その1枚、1枚に本人しかわからない思い出があり、その思い出を少し共有している自分がいるのである。
グレーな視界、靄のなかにぼんやり光る、わずかな光に手を伸ばそうとした瞬間の終幕。
それは結論などない人生の途中、その束の間の数ページを垣間見ただけ。
散りばめられたアーティスト、曲、魚、酒……。
1話ごとに1枚の斜めにピン留めされたフォトを想像させられた。
写真家の他人を意識した商業的なフォトではない。
個人が何気なくシャッターを切った、そんな写真を見ている。
それは、今日飲んだカクテル、あるいは好きなアーティストのCDジャケット、本人しかシャッターを切るタイミングは解らない。
そんな写真に秘められた、あるいは込められた記憶を眺めた。
そんな小説でした。
心地いい風景ではない、だが足を運んで良かった。
来れて良かった。
そんな気持ちになる作品。