第10話 残骸ー3

 楽しい夕餉も終わりを告げ、緋水と鈴は部屋へと引き返す。

 これからの事やこれまでの事、色々と思うところはあったが、今はもう体力的にも限界が近い。二人は別れの挨拶もそこそこに、各々の部屋へと姿を消していった。

 

 そして夜も更け、誰もが眠りについた頃を見計らい、緋水は自室の窓をそっと開ける。彼には眠りよりも先に、片付けなくてはいけない事があったのだ。


「いるんだろ?」


 虚空へと掛けた言葉は闇に溶け、仰々しくも耳障りな声が、それに応えようと具現化する。


『何ジャ、気付イテオッタノカ』


 人の形を為さないそれは、中空へと浮かび上がる影そのもの。

 元よりその存在に気付いていた訳ではない。だが、緋水は確証めいたものを抱いていたのだ。この影は必ず、自分の呼びかけに応えると。


『良イ夜ダナ。終ワリノ始マリニハ丁度ヨイ』


 まるで両手を広げるかのように、影はその体をくゆらせる。 

 しかし、緋水の目には、それが不快なものにしか映らない。

 何故ならそれは、彼の視界モノクロを侵食する漆黒の闇でしかなかったのだから。


『ソウ不快ソウナ顔ヲスルデナイ。折角ノ美上ガ台無シジャ』


 影は踊るように舞いながら緋水の部屋へと侵入し、一つの塊を形成する。

 その塊は黒く、暗く、昏い残滓を振りまきながら、一つの形を成していく。


「な……!?」 

「どうじゃ? これで少しは話もしやすくなったであろう?」


 緋水が驚くのも無理はない。

 今しがた影を成していたものが、目の前で瞬く間に人間の、それも見目麗しい女性の姿に変わっていたのだ。

  

「そう、まじまじと見つめるでない。所詮これは仮初の身。一時のお遊びのようなものじゃ。そんな事よりも我が伴侶よ。お主、我に何か聞きたい事があったのではないのか?」


 影の言っている事は正しい。

 緋水にはある目的があった。

 だからこそ、わざわざこの様に危険を顧みない行動に出たのだ。

 

「……教えて欲しいことがある」


 手に汗を握りながらも、緋水は懸命に言葉を搾り出す。

 いかに人の形を成そうとも、相対するのは強大な影の塊。

 いつ襲いかかって来ようとも、何ら不思議はない。


「して、何を問う?」


 妖艶な声はそれだけで緋水の身体を縛り付ける。

 しかし臆する訳にはいかない。

 震える足を叱咤しながら、緋水はその女性の前まで歩み寄っていく。


「この世界で……失くしたものを」


 絞り出した言葉はあまりにも実直で、これ以上ないほど単純明快なものだった。

 色の無い世界、内から溢れる力の原理、そして、目の前に現れた影という存在。

 その全てにおいて、緋水は回答を欲した。


 それはある確信に基づいてのことだ。

 この世に繋がりと呼ばれるようなものがあるのだとすれば、緋水とその影の繋がりかたは、その他のそれを遥かに凌駕する。

 記憶を失くしながらもなお、頭に刻みつけられた存在。

 緋水が全てを知ろうというのなら、この相手をおいて、他には存在しないはずだ。


「風情に欠けた質問じゃ。ここでそれを答えてしまっては面白うないじゃろ」


 しかし当然の如く、影がそれに応じることはない。

 それどころか、むしろ今の状況を楽しんでいるかのように愉悦を漏らしはじめる。  

 

「おまえは、やっぱり魔物なのか?」


 緋水の知る魔物の定義は『人では無いナニカであり、人を襲うナニカ』だ。

 鈴はこの影が魔物ではない・・・・・・と言っていたが、緋水にはそれがどうしても信じられなかったのだ。


「下らぬ事を申すのお。まさか、主にそのように思われておったとは……」


 影は大げさに天を仰ぐと、それまでとは打って変わって沈んだ声で話し始める。


「しかし、寂しいものじゃな。忘れられるというのは、ほんに不快じゃ。まあ、所詮は逃れられぬ因果、其方の道筋も、それをよう物語っておる」

「……? それはどういう事だ?」

「くっくっくっ、やはり気付いておらなんだか。どれ、では我より其方に一つだけ真実を教えてしんぜよう」


 妖艶な姿のそれは緋水の首元に手を回し、限りなくその身を密着させる。


「其方が聞く魔物とは『悪意の塊』じゃ、失望が昇華すれば絶望へと変わらん」

「おまえは、いったい何を……」

「人とは何と、罪深き生き物よな」


 妖艶な声が耳朶を打ち、首に巻き付いた腕は徐々に解かれていく。


「待てっ! まだおまえには……!」


 緋水は離れゆく影に追い縋ろうとするが、人を為した影は影へと戻り、風に乗るように窓の外へとその身を踊らす。


努努ユメユメ忘レルデナイ。欠ケ落チタ人間ハ光ナド持タヌ。在ルノハ唯、絶望ト羨望ダケヨ」

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