第13話 残骸ー6

 女性はそこまで話しきると、大きく息を吐く。

   

「どうでしたか? これが、私の自己紹介です」


 その様相には何も見当たらない。自分を卑下している訳でもなく、ありのままに事実を述べたのだと、女性は緋水に向かって微笑みかけている。


「…………」


 一方、緋水はいまだ、その状況を受け入れられずにいる。何せ、先程の女性の話は、おおよそ自己紹介とはかけ離れた物語だ。半生を語る事が、彼女にとって何を意味するのか、緋水はその答えを見つけられずに立ち竦む。

 

「ねえ、お客様? 実は私、今でも世界を恨んでいるんです。どうしてこの世界に生まれ落ち、苦しみばかりを与えられないければならないのか。どうして、この世界は、私の事をここまで追い詰めてしまうのかって」

「あなたは……いったい僕に何を……」

「大層な話ではありません。ただ、お客様もどうやら、何かしらの欠落をお抱えの様子、しかし、だからといって、無理をしてまでこの世界に馴染む必要は無いんだと、私はそう思うのです」


 その言葉には、何故だか、強い力が込められているような気がした。

 夜風が、二人の間を通り抜ける。


「僕は、そこまで悲観している訳じゃありません。確かに、貴女の言うように、僕にも大きな欠落がある。でも、この世界を恨んでいるわけじゃない」


 ――本当に……?


 言葉にしておきながらも、緋水はどこかで、その言葉を受け入れられずにいた。

 記憶喪失も、色の無い世界も、それは緋水にとって、大きな欠落だ。

 それなのに何故、この世界を肯定する必要がある。


「そうですか、それなら、私の思い過ごしのようですね」


 柔らかく微笑むその姿が、緋水の胸を締めつける。

 『素直になれ』と、心の何処かが悲鳴を上げる。

 『正直に吐露しなよ』と、頭の中の誰かが叫び声を上げている。

 

「欠落を抱えた人間は、とても脆く生きなければいけません。そして、おおよそ考えられる『普通』というものから、自分を切り離さないといけない」


 言葉が抉りかけてくる。

 どうして、どうしてここまで、この人は純粋に憎めるのか。

 どうして、どうしてここまで、彼女は壊れてしまっているのか。

 

 ――お前はそれでも、ツラの皮を剥がさないのか?


 違うと叫び声を上げても、ふざけるなと頭ごなしに否定される。

 僕じゃないと抗い拒んでも、その声は頭の中で歪に嗤い続ける。


 ――起源を思い出せ。お前は所詮……


『駄目だよ、それじゃあ、君が救われない』


 もう、これ以上は止めてくれ。そう緋水が懇願した時、かつての言葉が緋水を優しく包み込んだ。

 それと同時に、頭の中の霧が晴れ渡っていく。それはまるで、これ以上はもう無意味だと言わんばかりに、今はもう、跡形もなく消え去ってしまった。


 ――今のはいったい?

 

 目の前の女性から話を聞かされ、そこから先は何かに取り憑かれたかのように、延々と自問自答を繰り返していた。

 あらためて目の前の女性に視線を送るも、彼女に変わった様子はない。


「どうか……されましたか? 少し、心音が上がっているようですが?」

 

 ――夢を……見ていたのか?


 額には大粒の汗が浮かんでいる。あれが夢だとしたら、これ以上の悪夢はない。緋水は水を口に含み、冷静さを取り戻そうと試みる。


「お客様、やはりどこか具合が悪いのでは? どうぞ、今日はゆっくりお休み下さい」


 心配げにかけられた声が、緋水の胸に染みていく。


 ――そうだな、今日は色々とあった。僕も疲れているのかもしれない。

   

 だが、緋水には眠りにつくよりも先に、これだけは聞いておかなければいけない事があった。

 

「……すいません。お言葉に甘えて、そろそろ休ませてもらいます。……でも、最後にひとつだけ教えて下さい。かつて、貴女を襲ったという『黒い塊』、それっていったい……」

「…………おかあさーーん。まだ起きてるのーー?」


 しかし、緋水の言葉は呆気なく遮られる。

 階段へと目を向けると、そこには目をこすりながら眠たげな眼差しを向ける少女の姿が。


「あらあら、ごめんね。少し、お客様とお話してたの。大丈夫よ、すぐにお母さんも休みますからね」

「うんー、じゃあ、お部屋行こう?」


 少女は母親の手を引きながら、部屋に戻るように催促している。

 流石にそんな姿を見せられては、これ以上の会話は難しい。

 緋水は女性に軽く会釈をし、部屋に戻るように促す。

 

 ――聞きたい事は、明日にでも聞かせてもらえばいい。


 そう考えながら、緋水はその母娘を見つめ続けていた。

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