第1章

第8話 残骸ー1

  辺境の街を出て二人が向かったのは、寂れた様相の山村だった。

 その村の農場には家畜の姿がなく、畑も荒れ放題のまま放置されてしまっている。


「まったく、どうして君はあんな無茶ばっかりするのかなあ」

「ごめん」


 しかし肝心の二人はその事を気にも止めていない。

 もっぱら会話の内容は緋水の行動原理についてだった。


「あのね、世界は不平等なの。だから絶対に助けられない人は存在する」


 鈴は緋水に向かってそう力説している。


「助ける助けないは別として、自分の身の程を弁えないと、いつかそれは自分の命を奪い取ってしまう。緋水にはそれが全然わかってないんだよ」


 辺境の街を出てここまでおよそ二時間の間、緋水はずっとこの様な説教じみた言葉を聞かされていたのだ。

 正直な話、緋水は焦燥しきっていた。


 ――その話はもう何回も聞いたのに……


 しかし緋水はそれを言葉にする事が出来ない。

 それは彼が持つ人間性という理由だけではなく、鈴が自分の事を本気で安じていると感じていたからだ。

   

「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」

「痛いよ、耳を引っ張らなくたってちゃんと聞いているから」 


 鈴の講義は手厳しい。

 少しでも隙を見せればすぐさま肉体言語に訴えかけてくる。

  

 ――本当に変わった子だな。


 まるで達観したかのような事を口にしたかと思えば、このように子供じみた喜怒まで持ち合わせている。

 緋水にはそれが羨ましくもあり、眩しく見えていた。

   

「もう、返事だけはいいのよね」


 鈴はそんな緋水の胸中を知ることもなく頬を膨らませる。

 鈴にはまだまだ言い足りない事があったが、辺りにはもう夕焼けが差し込み、夜の帳が訪れようとしている。


「っと、そろそろ宿を確保をしないとまずいかな」


 その言葉に対する緋水の反応は酷く薄いものだった。

 何故なら、彼の目に見えているのはモノクロの世界。

 夕焼けなどで昼夜の区別など、判別しようも無いのだから。 


「そうだね。それじゃあ適当な宿を探そうか」


 しかし緋水はその事をおくびにも出さず、鈴に向けてそう告げる。

 

 ――無駄に気を遣わせる必要もないしね。


 とんだお人好しと感じられるかもしれないが、これが緋水にとっては当たり前の考えなのだ。





 宿屋には決まってそれなりの看板がある。

 行商人や旅人、利用者を欠く事の無い施設なのだから、それは当然の事だ。

 そしてだからこそ、鈴はその看板の前で首を傾げている。


「ここ……宿屋?」


 薄汚れた外装に錆び付いた門戸。

 しかもご丁寧にその門戸にはきっちりと施錠までされている。


 ――宿屋の門戸なんて、普通もっとオープンにしておくべきじゃない?


 しかし他に宿屋らしい宿屋が見当たらないのでは仕方がない。

 鈴は「よしっ!」と気合を入れ、その門戸を叩く。


「はあーいっ!」


 すると門戸の扉から一人の少女が顔を覗かせた。


「あのー、ひょっとしてお客様ですかあ?」


 舌っ足らずに上目遣い、その様相が少女をさらに幼く感じさせる。

 年の頃は鈴よりも少し下ぐらいだろうか。

 昨今では子供が就労するのも珍しくはない。

 この子もきっとそうなのかもしれないなと考え、鈴はあらためて要件を口にする。


「ええっと、宿を探してるんだけど……」


 その言葉を聞いた瞬間、少女は顔を輝かせ、門戸を全開にして手招きをし始める。


「ようこそー、さあさあ中に入って下さいなー」


 どうやらここは宿屋で間違いがないらしい。

 少女はパタパタと可愛らしい足音を立て「久しぶりのお客様だー」と建物の中に走り去っていく。


「ねえ、緋水。何だか大歓迎されているみたいなんだけど……」 

「うん。まあ歓迎されないよりはいいんじゃないかな」 

 

 そんな会話をしながらも、二人は中へと足を踏み入れる。

 するとそこに待ち受けていたのは、


「何これ……」

「酷いな」


 薙ぎ倒されたテーブルに壊れ果てた椅子の残骸。

 壁には無数の傷がはしり、吊り照明はその役割を果たさず地面に転がり落ちている。

 これじゃあまるで……


「廃墟じゃない」


 鈴の口から自然とそんな言葉がこぼれ落ちる。

 するとその時……


「おかあさん。ほらほらお客様だよー」

「あらまあ、本当に?」


 先ほど姿を見せた少女が母親と思しき女性を引き連れてくる。

 女性は足が不自由なのか、片方の手に杖を持ち、もう片方の手を少女の肩に置いている。見たところかなり若そうな印象を受けるが、その足取りは危うい。


「あの、えーっと……」

「突然の来訪失礼します。僕達は宿を探してここに来たんですが」


 先程のひとり言を聞かれていたのではないかと肝を冷やす鈴に比べ、緋水の行動は実に落ち着き払っているものだった。


 ――もう、何だってこんな時だけ頼りになるのよ。


 鈴は胸中でぼやき声を上げるが、当然その事については誰も知る由がない。


「鈴? どうしたの、そんな顔して」


 かと思いきや、目ざとく鈴の異変に気付いた緋水はその顔を覗き込むように身を屈める。


「うるさい!」


 鈴は顔を真っ赤にして緋水を蹴り上げる。

 その姿はどこからどう見ても、恋人同士のじゃれあいにしか見えなかった。


「仲良いなー」

「あら、そうなの? ふふっ、それは楽しそうね」


 少女は笑い、連れ添われた女性も柔らかな笑みを浮かべる。

 だが緋水はその姿に違和感を感じていた。


 ――この人、ひょっとして……


 そして緋水の考えを裏付けるかのように、その女性は虚空に向かって話をしはじめる・・・・・・・・・・・・・・。  


「お客様、ようこそいらっしゃいました。大したおもてなしも出来ませんが、どうかごゆるりとお寛ぎください」


 ――やっぱりそうか。この人、目が見えていないんだ・・・・・・・・

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