第9話 残骸ー2


 鈴と緋水は比較的小奇麗な部屋へと案内され、そこでようやく息をついた。

 二人にはそれぞれ別々の部屋が割り当てられたのだが、鈴は即座に緋水の部屋へと訪れると、その身を寝台へと投げ出す。


「……疲れたあー」


 整備された山道とはいえ、道が険しい事に違いはない。

 たかが数時間とはいえ、堪えるものがあったのだろう。

 緋水は別段それを咎めようともせず、自身は備え付けの椅子に腰を下ろした。  


「大丈夫? よかったらマッサージでもしようか?」

「うーん。別にいいやー。ちょっとゆっくりすれば大丈夫だからー」


 そうは言いつつも、鈴の瞼は次第に眠りの底へと落ちようとしている。

 緋水にはその姿が年相応の少女の姿に見え、何とも微笑ましく思っていた。  

 

 緋水はいまだに鈴と自分との関係性を聞き出せていない。

 だからこそ、どうしてこの子が自分に対してここまで世話を焼いてくれるのかを理解できないままでいた。

 

 ――でも、それは甘えだな。記憶を失くしたからといって過去が消え去る訳じゃない。この子がいまかことして見ているのなら、それはそれで理解すべき事だ。

 

 緋水は自分に言い聞かせる様に戒めの言葉を刻み込む。

 そこには一片たりとて自身を気遣う余長はなかった。

 あるのはただ、目の前の少女を労わる淡い気持ちと、それに応えられない自分の愚かさだけだった。


「ねえ、緋水。緋水はどう思った?」

「うん? 何のことだい?」


 だから唐突に掛けられた言葉にも、緋水はいつも通りの口調で返事をする。

 緋水は胸の内に本音を隠す。もしも鈴がそれに気付いてしまったら、彼女はきっと悲しむだろうから。


「何って、あの母娘おやこの事だよ。あれってどう見ても普通じゃないよね。外の世界にはまだ魔物だって彷徨うろついてるっていうのに、いくら何でも危険過ぎると思うんだ」


 鈴は寝そべりながら、勢いよく半身を緋水の方へと転がす。


「うーん、鈴、少し聞いてもいいかな?」

「はい、どうぞ。緋水くん」

「そもそも、僕にはその魔物っていうがよく分からないんだけど……」

「はい、それはとても良い質問ですね。魔物っていうのは、人では無いナニカであり、人を襲うナニカの事を指しています」

「ずいぶん抽象的な説明だね。……それじゃあ、前に僕達の事を襲ったのも?」

「ううん。あれは違う。あれは、そんな生易しいものじゃなかった。あれはきっと……、ねえ、緋水、君はあの影の事、本当に何も覚えてないの?」


 ガバっと身を起こした鈴は問い詰めるように緋水へとにじり寄る。

 いささか距離が近すぎるような気もするが、緋水にそれを気にした様子はない。


「鈴、それはいったい……」

「ごはんですよー」


 まるでそのタイミングを見計らったのかの様に、扉をノックする音が聞こえてくる。

 どうやら夕食の準備が整ったらしい。


「ねえ、緋水。急ぐ必要はないし、覚えてないならそれでいいんだよ。ごめんね、疑うようなこと言って。緋水が覚えてないなら、無理して思い出す必要も、無理して掘り起こす様な真似もしなくていい」

「でも、それじゃあ……」

「そんな顔しないで。とりあえずは、ご飯でも食べて英気を養おう? まだこの先も旅は続くんだから」 

  

 鈴がそう言うなら、緋水にはこれ以上食い下がる事が出来ない。

 何故ならその時の鈴の表情が、緋水には懇願している様にしか見えなかったのだ。




 

 階下に降りた二人がまず目にしたのは、綺麗に整えられたテーブルと、その上に並べられた温かみ溢れる料理の数々だった。


「嘘……」


 鈴が現状の受け入れを拒絶している一方で、緋水は「美味しそうだね」と少女の頭を撫でつける。どうやら先ほどまでの重たい気分は振り払ったらしい。鈴の様子に些か思うところはあるが、概ねそこには、いつも通りの二人の姿があった。


「おにいさん、たくさん食べてくださいねー」

「うん、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ。ところでこの料理って……」

「ふふっ、全部この子が作ったんですよ。お口に合えば良いのですけど」

「おにいさん、苦手な食べ物ってありますかー?」

「いや、好き嫌いはしないほうだよ。多分……」

「それならよかったー。さあさあ、あったかいうちに食べてくださいー。おねえさんも、ほら、はやくはやくー」

「えっ……う、うん」


 鈴は釈然としない顔のまま、割り当てられた椅子へと腰を下ろす。


「それじゃあ、……」

「「「「いただきます」」」」


 めいめいが並べられた食事へと手を伸ばし、その料理に舌鼓を打ち始める。


「うん。美味しいよ、これ」 

「よかったですー。どんどん食べてくださいー」

「あらあら、良かったわね。お兄さんに褒められて」

「うん。おにいさんには特別に美味しいところをあげますー」

「ははっ、ありがとう」


 しかし、その中で鈴だけがその輪の中に入れずにいた。何故なら、


 ――ちょーっと! 緋水! 君、おかしいじゃないの!? どうしてこんな状況でのんびりとご飯食べていられるのよ! そもそも、この一角以外はやっぱり荒れ放題じゃない! やっぱりこの宿屋おかしいって!

  

 鈴は懸念していたのだ。


 この料理が・・・・・本当に口に入れていいもの・・・・・・・・・・なのかどうかを・・・・・・・


 それは普通の感性を持つ者にとって極自然的な考えであり、別に鈴が穿うがった考え方をしている訳ではない。

 誰だってこの宿屋の惨状を踏まえれば、そう思っても仕方はない。

 

 そして、鈴がそんな葛藤に苛まれている事にいち早く気付いたのは緋水だ。

 だからこそ彼は、「はいっ、どうぞ」と鈴の目の前までスプーンを持ち上げる。


「ちょっ、ちょっと緋水……」

「いいから食べてみようよ。お腹、空いてるよね?」

「そ、それはそうだけど……」

「おねえさん。食べないんですかー?」

「ぐっ、そんな幼気おさなげな目で私を……。あーもー、わかった。わかりました。食べます! 食べさせていただきますぅ!」


 荒療治に違いはないが、これほど効果のあるやり方も他にはないだろう。

 意を決して、鈴は差し出されたスプーンを口に含む。


「うわっ、美味しい」

 

 鈴は瞬く間に目の前の料理を平らげ始める。

 やはり、よほどお腹が空いていたのだろう。その勢いには目を見張るものがあった。


「何よこれ! ちょっと美味しすぎない!?」

「おねーさん。これもよかったらどうぞー」

「すごっ! これホントに美味しいんだけど! ほらっ、緋水もボサッとしてないで食べようよ」

「大丈夫だよ。僕はゆっくり食べさせて貰っているから」 

「良かったわ。お客様のお口に合ったようで」

   

 一見すると和気あいあいとした夕食の風景に見える。

 しかし、だからこそ鈴は自分自身を恥じていた。

 

 ――はあ~、ホント美味しいよこれ。私ったら駄目だな。


 外観にとらわれる事なく内面を理解する。

 それは鈴が、かつて緋水から学んだ事に他ならない大切な教示だ。

 

「どうしたの、鈴?」

「ううん。何でもない。ほらっ、はやく食べないと冷めちゃうよ」


 だからこそ、彼女は自分の想い人の変わらなさを、そっと心の中で賞賛していたのだ。

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