21 笑い話の距離で
「なぁんか、怒られてばっかだな、あたしらは」
帰り道、坂から見る斜めの夜空を仰いだマスク・ド・ユリカに恭平は笑って。
「まあ、今日のは仕方ないと思うけど」
「……そうなのか?」
不満気に振り返った相方を見た恭平は少し驚いて。
「えっと、あ、知らない? マイクって吹いちゃいけないんだ」
提灯色の街燈の下、動画で大人気な誰かさんよろしく巨大な布で顔を隠したユリカは、暫く無言でぱちくりと。そしてじろりと半眼になって。
「……じゃあなんで吹いたんだよ、お前」
と、お前のせいで怒られたじゃないかと言わんばかりに自転車を転がす恭平の左肩に拳をぶつけて来た。
「痛って。まあほら、何て言うの? 青春の反抗みたいな? 尾崎がバイク盗むみたいにさ、俺はマイクを吹いたんだよね」
「尾崎が普通に怒られてどうするんだ」
呆れたユリカは、少しぽーっとした顔のままぎゅっと目をつむったりなどをして。その仕草を見た恭平に閃きが走る。
「あれ? もしかして尾張さん、風邪?」
きょとん顔の少年に、相方は目を丸くした。
「おお、そこに気付くとはさすが相方だ。ちょっとお前は私が好き過ぎるんじゃないか? ………あ~気持ち悪い。ていうかさ、何で吹いちゃいけないんだよ、マイク?」
マスクを持ち上げ直した彼女の疑問に、恭平は首を傾げて。
「さあ? 怒られるからじゃない?」
「……お前はほんと適当だな」
溜息交じりに言った彼女が二つ咳き込んだ。ゼヒゼヒと言う、なんだかちょっと深刻な音。夏風邪をひくのは馬鹿だとかいう通説を適用するなら、彼女は深刻な馬鹿だということになる。そして多分、それであっている。
「電車、乗れる?」
いつもの交差点でこくりと頷いた尾張ユリカは、熱でもあるのか、すごく眠そうに見えた。
「降りられる?」
また彼女は俯き気味にこくりと頷く。しばらく無言。恭平は、本番中じゃなくて良かったと阿呆な事を考えてあくびをした。
いつもならここで『んじゃ』と言って颯爽と走り去る交差点の信号が青に変わり、恭平は自転車を押して歩き出した。
横断歩道を渡り終えた辺りでちらりと視線を感じたけれど、特に嫌みや軽口などは飛んでこなかった。いつもこんなんなら良いのにと思って、それじゃあ詰まらないかと思い直した。
「あ~、なんか今日は帰りたくない」
ずずっと音を立てて鼻をすすった彼女が言った。なので、
「今ほど君が御園さんだったら良かったのにと思った事は無いよ」
恭平が心からの感想を口にすると、左腰にずしりと衝撃。スタジオの距離感ならあり得ない直接の打撃行為だ。しかも遠心力を乗せた鞄による。
「やめろ。そして忘れろ。今のはたまたま――」
「分かってるって」
苦笑いの恭平に鼻を鳴らしたチビッ子は、完璧な表情でこう言った。
「ふん。一度二人で出かけてやっただけで彼氏面とかしないでくれる?」
「…………あ、そう」
べろりと舌先で歯の裏を舐めて怒りを散らす。抑えるんだ、長江恭平。言っても相手は風邪っぴきの女子なのだ。
「ふぅ。これだからモテない男子って」
こういう時、尾張ユリカは完璧な顔をする。今もまるで恋愛遍歴以外に売りの無いタレントの様な目で、見事そのような事を言い腐る。
多分、そういう互いのイメージが重なるが故に、掌で転がされる様に頭に来てしまうのだ。
「うるさいな。悪かったよ。何もかも俺が悪いんですぅ」
肩を竦めて自転車の前方へと放り投げる様に吐いた言葉に、ユリカは『ふふん、ズズッ』と鼻をすすって。
「言ってもアレだろ? お前、御園志桜梨ともろくに話した事無いんだろう?」
「中学の時はね。ところが、高校に入ってもう五十回位は話してる」
「そうだな。毎朝『おはよう、長江君』『う、あ、ごにょごにょ』で五十回だ」
相方のおちょくりを、恭平はふんと鼻で笑う。
「最近はちゃんと『お早う』って言えてるね。ちゃんと滑舌の本もダウンロードしたし」
「ならばその本は駄本だな。今朝もお前の発声は『……うぉひっ』だった」
「良いじゃないか。『オアジャシャース!』みたいな應援團よりマシだって」
ユリカは『は』と少しだけ笑った。
「コホ。まあ、あれはな。……しかし、お前、よくそんな事で御園志桜梨が好きだなどと言えるな? お前はあの子のどこが好きなんだ?」
柔らかいオレンジ色の灯りの下で、二人の視線が一瞬ぶつかる。まるで、見合いの時についてくるおせっかいおばさんの様な小鼻の膨らみを見て『こいつ、さては女子だな』と苦笑した恭平に、ユリカは『何だよ?』と不満気にマスクの下で唇を突き出した。
恭平はぶっきらぼうに。
「顔」
「あん?」
マスクで見えないのを良い事に顎までしゃくれさせた女子様に、少し笑って。
「好きなのは、顔。可愛いじゃん、御園さん」
「……まあ、それはそうだが。正直だな。他にはないのか?」
呆れた様な表情の女子に、こくりと頷く。
「それだけ。あとは、別に。正直良く知らないし。付属品みたいなもん」
「……変な奴だな、お前は。この尾張ユリカちゃんを利用して、御園志桜梨と仲良くなりたいとか思わないのか?」
波型になった相方の眉を見ながら、長江恭平は首をかしげて。
「微妙なとこ。そういう妄想をするのは楽しいし、好きだけど。でもさ、実際話したら好きじゃ無くなるかもしれないじゃんか。ていうか、多分俺が考えてる『御園さん』より、本物の御園さんは詰まんないし、可愛く無いと思うんだよな」
自分の言葉に頷きながら隣の女子を見ると、彼女は自らの腕を抱いてガタガタと震えていた。
「……あれ? 熱?」
「いや。キモイ。これ以上なく、長江君が気持ち悪い」
「……え? いやいや、今更『長江君』て。ユリカちゃんったら」
分かりやすくコント口調で言ったはずが、尾張ユリカさんは真剣に汚物を見る様な目になって。
「だってお前それ、好きなアイドルと付き合う妄想レベルでクラスメイトを見てるって事だろう?」
「いやいやいや、全然違うって。だってアイドルとクラスメイトとか、ありえないし」
「言っておくが、このままの状態でしーちゃんがキョーヘーを好きになる確率も同じ程度だぞ」
夜闇に目を凝らす様に、恭平はぱちくりと目を閉じて。
「ああ、うん。そりゃそうだ」
そして、やっと理解する。目の前の乙女と自分がどこかでずれているのだという事を。
「あのさ、俺別に『本物の御園さん』と付き合いたいとか、本気で思ってないから」
「……はぁ?」
笑う。
「なんだかんだ女子だよな、尾張さんて。男は――っていうか漢・長江恭平は好きな女子には嫌われさえしなければいいのだと心得てるんだ」
ちらりと、斜めになった坂の上の夜を見て。
「向こうに好かれなくていいし、こっちがもっと好きにならなくたっていい。その子に彼氏が出来たっていいし、別に一緒にどこかに出かけたりもしたくないしね。下手に仲良くなって好きじゃ無くなったり、嫌いになったりするよりいいし、まあ間違いなくその前に俺が嫌われるだろうけど。でも、それでじゃあ代わりに他の好きな人探そうってのはやっぱ違うし、その人にも失礼だし。だったら、ほら、好きな人をちゃんと一人作っといて、その人をこっそりずっと好きだなあと思ってる方が楽しいじゃんか? そう思って、俺は御園さんを好きになったんだ」
ドヤとばかりに恋愛の極意を披露した恭平の隣で、尾張ユリカはまたわざとらしく震えだす。
「もうあれだな。キョーヘーはキモイを通り越して、怖いな。お前の心には鱗がびっしり生えてるんじゃないか? 長江恭平は今後世界中の『好き』に向かって土下座して生きていくべきだと思う」
その酷い言い草に、恭平は身体中で鼻白んだ。
そして。
「……土下座、か」
自分の言葉に呟き返した尾張ユリカはまた鼻をずずっとすすりあげて、マスクをずらし、身体を斜めに差し込む様にして恭平の目を覗き込み。
「そんなお前が、ラジオはあんなにやりたかったんだな?」
「……………まあ、そう言われれば、そうだけど、それも多分、面白いいたずらを思いついた位の感覚だよ」
まあ、ラジオはいくら好きになったって嫌われてしまう事は無いし。キモイとか言われないし。『無理』と言って泣かれることもないし。からかったりして来ないし。友人間に微妙な空気が流れる事も無く、万が一やってみて駄目だったり好きじゃ無くなったりしても、後腐れがある訳じゃないし。
頭に浮かぶのは、ヒーローごっこをする子供の一枚絵。きっと世の中にある大抵の『好き』なんて、あれと同じ事なのだ。端から見れば、そこには何も存在などせず。
時間と共に醒める夢の様なもの。
だから、それを高校生にもなって口にするのはとても恥ずかしい事なのだ。
「だから、あの時尾張さんが断ってたら、多分それで終わってた。布団の中で恥ずか死んで……で、そのまま二度と、尾張さんとは話さなかったんじゃないかな」
そう。長江恭平が口にする『好き』なんて、全部それくらい。本気で好きになってしまえば、傷つくから。本気で大切にしてしまえば、例え赤の他人が気まぐれにひっかいたのだとしても、傷が気になってしまうのだから。自分は、きっとそういう人間だから。
「……ふうん……成程、そうだったのか。私はてっきり――まあいい。だったら断ればよかったな」
笑う恭平の横で呆れた顔をした尾張ユリカは、溜息を吐こうとして盛大に咳き込んで。
「ふん、この心臓爬虫類め。もういい、身体が冷えた。一秒でも早くお前から離れてお布団にくるまりたいわ」
などと、両腕を擦りながら震えたりなどをし始める。
「帰りたくないんじゃなかったのかよ」
恭平が見せた愛想笑いに、彼女はふん、と鼻息を噴きつけた。
「まあな。気ぃ使われるんだよ、風邪なんか引いてたら。ああやだ、長江菌のせいで悪化したぁ……」
布の下で唇を捻じ曲げているだろう彼女の台詞で、ああ、と納得。彼女の家族構成を分かりやすく言うならば『お母さん』と『その旦那さん』と『弟』の四人。難しく言うならば、義父と母とその二人の子ってあたりだろうか。どうぞお好きな方でご理解ください。
「気ぃ使うんだ、お父さんに?」
広島焼きの店を道の向こうに見ながら、おそらく正確に相方の言わんとする事を理解した恭平の問いに、ユリカはこくり。
「正確には、遣い合いだな。ほら、あるだろ? お父さんのパンツと一緒に服洗わないで見たいな、ベタなの。例えばあれは私には言えないな。経済的に」
「経済的に」
思わず笑った。なんだか凄くリアルなセリフだ。
「ああ、お金持ちだからな、新型お父さんは。前のポンコツと違って」
申し訳ないけれど、笑ってしまう。まあ、彼女の目も笑っているからいいんだろうけど。
「でも、嫌なんだ。一応?」
一介の女子高生は、小さく肩をすくめて。
「そりゃな。年頃だぞ、私は。それに向こうは元知らないおじさんだし。私のパンツは虹色だし。分かるか、そんな下着を身に着けるFカップの乙女の気持ちが?」
「肩が凝る?」
できるだけ軽く笑いながら。
「言えばいいじゃん。それを。そうやって」
まあ、答えは分かっていたけれど。会話のリズムとして、聞かないと。
だってそれが気軽に出来て、それでなんとかなる関係なんて、『王様と家来』か、あるいは――。
「ふん。無理だな。絶対傷つけるって。向こうは完全にベタな仲良し家族の体(てい)なんだからさ。気の遣いあいだ、お互いに、嫌われない様に、な」
笑う。『怖い怖い』と言って震えながら。
「歪んでるな。なんか」
本当に『ベタな家族』なら、きっと娘さんは嫌われる事など恐れず不満を口にするだろうに、と。
「シュールと言え、シュールと」
「ダリ?」
「そう、ダリだ。ダリ張りに歪んでるんだ、お前も私も」
たった二音で同じ様に『例のくたびれた時計の絵』を頭に描いただろう彼女はふっと笑い、夏の気配が色濃い夜空に向けてまた一つ咳をして。
「んじゃ、また」
と片手を上げて坂下の地下鉄階段に爪先を向けた。
「早く治してくれよ~」
小さな背に声を掛けた恭平をちらりと振り向き頷いた相方は、アホみたいに明るい階段をふらふらと降りていく。
あれできちんと電車に乗れるのかと心配になったけれど、階段を曲がって制服が見えなくなるのを見送った恭平は、よいしょと自転車をこぎ出した。
尾張さんと喋る時は、冗談めかした会話しかしていないなあとか。言ったことを本気にされて、気持ちの悪い奴だって思われてるかもな、とか。
まあ、相方としてはケラケラ笑い合ってる位の距離が丁度いいよなと思いながら。ベタな家族が待つ自宅のある方向へ、上り坂を迂回する道を選びつつ、ぐいぐいとペダルを漕いで行った。
道中、彼女の新型お父さんはラジオを聞いているのかなと考えて、家族参観企画をしたら楽しそうだとほくそ笑んだ。
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