2 ラジオが好きだった
『♯0 ラジオやろうぜ』
五月上旬 火曜 十八時五十七分
学校帰り、ゴールデンウィークも過ぎ去った夕暮れの下、オレンジに染まっていく商店街の坂道をぶらぶらと自転車を押しながら。
長江恭平のスマホに繋げたイヤホンからは、呪いの様なぼそぼそ声が流れていた。
週末、自分の部屋からこっそり配信してみたラジオの真似事第三回のアーカイブ。
聞きなれない自分の声が、うにゃうにゃごにゃごにゃと『今日あった出来事』を話している。
近所の喫茶店に行ったら案内されたテーブルがびっちょびちょだった話。そこから、一体ここにどんな人が座っていて何が起きたらこうなるのかを想像して広げた話。
そこそこ面白い事を喋ってはいるけれど、いかんせん元気が無いし、声がこもっているし、後半に向かうにつれてどんどん勢いがなくなって照れ隠しの様な呟きや独り言まで混じり始めた。ちなみにこの時点で視聴者数は延べ三人。
――全然だめ。
ここ何週間か金曜深夜にやって見てはいるものの、全くと言っていいほど人が来ないし、喋りもまるで成長していない。そりゃそうだ。放送タイトルに工夫すら無い無名の男子高校生の一人喋りなんて、誰がわざわざ聞きに来る物か。そして誰も聞いていないとわかってしまえば、せっかく用意したネタも空回りなわけで。
それでもどこかで何かに期待して、たまぁーにコメントがあったらあったでテンパって、これはやっぱりラジオじゃないよなあと自分で自分に言い訳をしたり。そもそもびびって《ラジオ》タグを付けるのすらためらってるし。
神経が細い癖に、妙にプライドが高い駄目な奴。
「……はあ」
溜息と共に肩を落として、恭平はアプリを切り替えた。
打って変わって陽気な音楽と共に、夕べの深夜ラジオが流れ始める。すっかり耳に染みついたお馴染みのジングルで、否が応でもテンションが上がる。
中学の時から聞き始めた、日本で一番聴かれているらしい深夜ラジオ『いたずら馬鹿騒ぎ』。
その指標となっていた『
それでもどこかで聞いているたくさんのリスナーに向かって、全裸に面白ブリーフ一丁で吼え続けるパーソナリティーの『こないだ喫茶店でさあ……』から始まったオープンカフェで見かけたとっても素敵な女性に関するトークに被害妄想のエンジンがかかり、やがてテンションを振り切った面白おじさんの口先で汚され始めた《エロいに違いない女》の人生が、当然の様に男と酒の泥沼へと溺れ始めていく。
すると職人達も調子に乗って、メールで『街で見かけた素敵な女性の、自分だけが知っている気がする素顔』を送り付け始め、最近ぐいぐい来ているラジオネーム《かんざし一筋三十年》さんによる『お金ならお支払いしますから!』と言う一夜限りのギャグも飛び出した。
ツイッターに残るリスナーの反応を探しながらリアルタイムで参加できなかった事を悔やみつつ、風邪気味でトークが絶好調のパーソナリティーが撒き散らす怪奇ガスと歯切れのいいトークで何度も吹き出しかけた口元を誤魔化しながら家路をのらる。
耳から聞こえるバカバカしくて騒がしい愉快な世界と反対に、目に映るのは見慣れた街の静かな夕暮れ。
軒先でスペアリブをこさえる定食屋。その隣で肉まんを売る専門店。ひょうひょうと店を渡り歩く陽気な金物屋の主人。古くから人々の商売を見守る神社。数年前にテレビドラマの舞台になって以来『少し大人のお洒落な街』として続いていた賑わいがすっかり落ち着いた坂を、ノーヘルアナトミアなおじいちゃんを乗せた油まみれのカブがとてとてと上って行く。
心は深夜のテンションに、身体はのどかな夕暮れに。赤く染まって行く坂を見上げながら、そのギャップにぼんやりと頭で考える。
高校に入って、何となく見え始めた『将来』と言うモノを。憧れ一辺倒だった中学時代から、『入試』によって振り分けられて、さらにその中で定期試験も受けた。違う地域から集まって来た顔も知らない連中の中には、とんでもない奴もたくさんいて――。
段々、多分、なんとなく、自分の腕の長さが見えてきてしまったような。
自分の手が届く範囲とか、そいつで掴めそうなものだとか――。
それでも、消えずにくすぶっている気持ちがある。
例えばそれはこんな風に楽しくバカな話をして生きていたいとか。
分かってる。多分それは難しい。
でも、義務教育を終えて高校生になったんだから。ここから先は少し位、自分で選んで生きてみたい。
明るい昼と静かな夜の隙間に差し込まれた赤紫の時間の様な、憧れと現実の間の三年間。それはきっととても短いはずだから。
……構成作家って、どういう仕事なんだろう?
などと、とりとめも無く今の自分と成りたい自分を見比べながら一人歩く黄昏気分の坂の上。有名コーヒーチェーンの看板を出しながら、全然別の店名を持つと言う変てこなコーヒー屋の窓枠にそれはあった。
『ラジオパーソナリティ募集! 雑楽坂上商店会&雑楽坂商工会を世界にPRするWEBラジオ番組です。高校生以上。経験問わず。詳細と応募は各会のHPで!』
セロテープが剥がれかけたコピー用紙に、黒と赤のマジックで書かれた手書きの文字。
僅かにそれに心惹かれ、同時にそう言う自分を自分で笑って。
寂れた商店街の公式ラジオなんて、自分がやりたい物とは違うから。
ちゃりんちゃりんと鳴らされた子供自転車に追われる様に、その場を黙って後にした。
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