12 十秒前!



「テステステス……よっしゃ、こっちはオッケー。どうするシンさん? ネット繋いでみる?」

「そうだな。それじゃあ二人とも、十九時ジャストからゲネでいこう。で、アスカはいい加減にこっちへ来た方が良いね」


 小窓から顔を出したディレクターが、マイクの前でわいわいと談笑していた三人に声を掛けた。


「? ゲネ? ゲネって何だ?」


 きょろきょろと音響ブースと机を囲む男共を見回す女子高生と首を捻った恭平に、教えてくれたのは手持無沙汰におしゃべりに興じていた飛鳥だった。


「おう。ゲネってのは本番と同じようにやるリハーサルってことよ」

「ああ成程。ランスルーって奴ですね」


 納得顔で聞きかじった専門用語を口にした恭平に、小窓の奥からディレクターの声が飛んでくる。


「まあそんな感じだね。さすが、恭平君はラジオマニアだね」


 ちょっと得意な気分になった少年を、正面に座ったお嬢さんがニヤニヤ笑いで指さした。


「……何だよ?」

「いや、別に。指の運動だ」


 仏頂面になった恭平の背で、トントンと壇を降りたアスカが音響ブースへと続く階段へ身軽に飛び移る音がする。そして。


「ところで二人はそのままでいいかい? トイレとか」


 始まる。


 そんな予感に一瞬目を合わせた二人は。


「はい、七時からですよね。ちょっとなんで、このまま待っときます」

「オッケー。じゃあ、取りあえずやってみようか」


 代表して答えた恭平に、ディレクターは優しく笑って。


「一応言っておくけど、テスト放送とはいえ聞いてくれる人もいるかもしれないし、興味を持って本放送に来てくれるかもしれない。それに何より、ラジオで一時間喋るって感じを掴むためにも本気でやってみてくれ」


「わかりました。やってみます」


 頷く。ふっと息を吐き出しながら、顔を上げる。


 ――と。


「お、あ、あ、う、うん」


 正面に座っていた尾張ユリカがきょどきょどと頭を振りながら、小刻みに震えていた。


「えっと……あれ? え? まさか、かんざしさん?」


 彼女がぎゅっと握りしめる台本が皺くちゃになっていくのを見て、恭平の顔は引き攣った。


「……ラ、ラジオネームで、人を呼ぶな」


 ぎろりと睨みつけるその首はブリキの様にぎこちなく、顔色は完全なるモノトーン。


「なんか、顔が劇画みたいになってるけど」


 緊張のあまり昔のジャンプみたいになった相方の顔を揶揄してみると、ユリカは相変わらず台本を握る手を固めながら。


「も、問題無い。モーマンタイだ。モーマンマンデーだ」

「ぇ?」


 小さな声で聞きかえし、それから恭平は苦笑い。有体に言って、これはまずい。かんざしさんともあろう者が面白くなさすぎる。


「…………」


 多分、本人にも自覚はあるのだろう。俯いた油絵少女の顔には屈辱の影が深く差している。


「ホ、本当に……やる……んだよ、な?」


 ちらりとディレクターを見た。どうしましょうか、という思いを込めて。恭平のプランとしては大エース《かんざしさん》のトークをさながら伝説の名捕手古田のごとくリードして、彼女がスイスイと気持ち良く喋れるようにするつもりだったのだけれども……。


「ん? どうした? 何かあったのかい?」


 しかしディレクターはきょとんとした顔で、ミキサーのヨイトと打ち合わせの真っ最中だった。


「いえ、なんでも。」


 言っても今日はランスルー。ディレクターの言う通りにとにかく全力でやってみてあれやこれやの及ばない部分は本番までに何とかすればいいやと思い直し、鼻歌などを歌いながらペライチの台本読みと洒落込んでいると。


「ナ、ナナエ。お前は。緊張とか、しないのか?」

「え?」


 こもり気味の相方の声に、顔を上げた。


「まあ、ワクワクはしてるけど」


 楽しみだから、緊張と言うよりは興奮している。なにせ《ラジオ》が出来るのだ。ディレクターもミキサーもいて、スタジオとマイクと相方が在る。家族の影におびえながらこそこそパソコンに向かって喋っていたアレとはわけが違う。


「でもまあ、どうせ誰も聞いてないし、テストだし。今日は好きなようにやったらいいんじゃない?」

「いや、ほら、で、でもだぞ? 好きな風と言ったってだな。その、つまりどうするんだ?」

「……ん?」

「ん? じゃなくて! お、お前っ! さては何も考えてないなっ!?」


 キンッと辺りに響く声で叫んだユリカの声に、恭平は笑って。


「大丈夫、大丈夫。ほら、台本もあるし。『オープニング。自己紹介を兼ねてフリートーク』だってさ」


 A4サイズのペラペラの紙を一枚振って見せる恭平の正面で、偉大なる投稿職人『かんざし一筋三十年』は唖然とした顔で。


「いやいやいや、待て! 馬鹿かお前は! フリーって! 水泳だって本当はクロールだと相場が決まっとるだろうが! だからもっと、ほら! 打ち合わせ、そう打ち合わせとか! 私は打ち合わせ通りの自由が欲しいんだ!」


 わーっと喚いた女子高生に、にこりと微笑んだディレクターは。


「打ち合わせね。本当はさっきの時間でやろうと思ってたんだけど、君達があんまり楽しそうに僕を無視するからさ。まあ、今日の所はあくまで練習だから大丈夫だよ」


「練習は本番の様にやらなきゃ意味が無いんだよこのフリーターがっ! こちとら言っていい事と悪い事の区別もつかない女子高生なんだぞ!」


 きゃんきゃん吠える女の子に、一応雑ヶ谷なんちゃら委員会のメンバーである村田青年は苦笑を浮かべて。


「じゃ、一応商品名とか、あと下ネタもNGで。あとは……そうだね、商店街のお店の話をする時は『肉屋』じゃなくて肉屋『さん』とかかな?」


 ディレクターの注意にうぐぐっと唇を結んだかんざしさんは。


「……マ、マックスナルドも、肉屋さん、か?」


「もちろん。紛れも無い牛肉だからね。というかまあ、言わなくても分かるだろうけど、商品名を出してディスるのは絶対に駄目だ」


「わ、わかった。私、マック、大好き。お肉、とても、おいしい」

「ていうか、あのお店には悪く言う要素が無いからね。尾張さん」


 目を白黒させている相方はともかくとして、まるで本当に本物のラジオの様な注意事項に恭平はわくわくしながら天上を見上げた。


 机の上の小型時計を見れば、十八時五十八分。


 始まる。もうすぐ。


 鼻の穴を膨らませてスタッフ席を見た恭平に、ヨイトが大きく手を振って。


「キョーヘー、時計見てくれ! 今五十八分二十秒! 二十三秒、二十五……っ!」

「ほぼあってます。一秒もずれてません!」

「オッケー! んじゃ、このままいくよー!」


 そう言えば、デジタルラジオで見る様なディレクターの指示を聞くイヤホンも無い。ので、小窓の向こうとは生声で叫び合う。おのずと、テンションが上がってくる。


「ちょっ、ちょっと待て! やっぱ聞いて無い! 聞いてないからな私は! 知らないんだ! 知らないんだぞっ! か、帰るっ!」


 いよいよ壊れた女子高生がくしゃっとボブの頭を掴んで上げた悲鳴を、ディレクターの鋭い声が切り裂いた。


「一分前!」

「よっしゃー! いくぞ、かんざしさん!」

「だっ、だからラジオネームでっ私……わあああっ!」

「十! 九! 八ッ!」

「やっ、やめろ! 何をカウントッ!? い、いやだ! やっぱやめ――っ」


 カウントダウンが五を切ったタイミングでヨイトの声は無くなって、代わりに小窓から覗くディレクターの指が三本、二本、と減っていき。


 ――『行け!』


 と言う具合に、最後の一本指で作ったピストルが二人の間を撃ち抜いた。

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