29 お前のガンジー、皆のと違くね?
十九時丁度。村田ディレクターのしなやかな指が空間を撃ち抜いた。
「今晩は! 雑ヶ谷放送局月曜日。雑ヶ谷の魅力を万遍なく伝える万遍マンデーの時間です! お相手は僕、長江恭平と!」
「尾張ユリカだっ! で、キョーヘー! 聞いたぞ、私は、聞いちゃったぞ♪」
「ん? 何を?」
「何をって、いやいや、とぼけるなよー。ほら、水曜日の。びしょ濡れ何とかみたいな」
「ああ、感動うえ~んずデーね。水曜日のこの時間、この『雑ヶ谷放送局』でお届けしている、現役女子高生ダンス部の皆さんが女子高生ならではの視点で雑ヶ谷のあれやこれやを紹介する、あの一番人気の素敵な番組のことで?」
「~~っ! なっっがい! そのなんかタノシソーな奴のアーカイブを、私はたまったま聞いたのよ! そしたらもう! びっくりしたぞ――」
「面白すぎて?」
「いや、勿論ぜんぜん詰まんなかったんだけどあはは」
「ちょっと尾張さん?」
笑い出した相方に恭平もつられて笑う。本番のテンションで喋るのは、いつも楽しい。
「先輩ね、あの人達。一応先輩だから」
「先輩って! 一緒にラジオ始めたんだから同期だろ! 芸事の世界では年齢なんて関係ないんですー!」
唇を尖らせた相方の顔に、恭平は『もしや』と思った。
これ、尾張さんは『彼女達が同じ高校の先輩』だってまだ知らないんじゃないか、と。そう言えばオーディションの時も遅れて来たし、先輩達も私服だったし。どうせアーカイブだってろくに聞いていないんだろうし。
なので。
「はは、まあウェブラジオが芸事かどうかはいいとして、で、なんでしたっけ? 尾張さんの中学時代の同級生がモデルになったって?」
とりあえず相方の『水曜日に長江恭平が滑った話』の腰を折り続けていこうと、打ち合わせ中に盛り上がった話題を振った途端、ユリカがドン!とテーブルの上の雑誌を拳で叩いた。
「そうそう、私をいじめてた奴な! 中二の時だ! そいつがさっき見た雑誌に何を入れんのか分かんない様な小っこいバッグでぴこーんと載りくさっててさあ!」
彼女の暴発の犠牲になったのは、『見ろよこれ!』と言ってわざわざ購入してきた女子雑誌。
「言い方よ、言い方。ああ、この雑誌ね。ねえ、これを見る限りめっちゃかわいらしいひまわりの様な女性ですけど」
「そう・なん・ですっ! あたし可愛い物とかだぁーい好き♪ みたいな顔でさあ! お前はっ! この可愛い私をっ! いじめてただろうがあああぁぁ!」
件の雑誌を握りしめた相方の遠吠えに、恭平はケラケラ笑いながら。
「私のなけなしの可愛い服をっ! 『あ、雑巾じゃなかったんだ』って言っただろうがああああぁぁっ!」
「尾張さん尾張さん!? 本番中、本番中! 正気になって! あと絶対名前出さないでっ!!」
すると彼女はぱちくり瞬きをして、にっこり笑って小首を傾げつつ。
「……って、思いましたぁ」
「あはは。その強引な戻り方よ」
右手で『進めろ』と合図しながらはーはーと荒い息をつく相方を笑いつつ。
「いやいや、こっちのオモシロと全然違う道ぶっとばしといて、そんなちょいっと、ごめんよみたいにされてもさあ」
「いいの! 今日の私は人の悪口とか言わないのっ! 決めたんだ!」
「さっき! ついさっき水曜日は詰まんないって言ったのに!?」
「言ってないっ! そう言う意味じゃ無いんだって! 文脈を見ろ、文脈を! このネットの申し子が! 一生ワンツイートだけ拡散しとけボケぇ!」
「あはは、なんか今日怖い。テンション空回りしてるって尾張さん。ええと、で、何? 水曜日に何を聞いたんだって?」
俺が振るのかよ、と内心では暴走気味のおかっぱに呆れつつ話を戻してやる。
「そう! そうなんです! で、たまたま私、その水曜の番組を聞いたの!」
「つまんねーなと思いながら」
「そう! ほんと特に落ちの無いスマホゲームの話とかあれおいしいよねとか! お前は声優かっ! 声で金がとれるのかっ! ……って、思っちゃったきゅるん」
プロデューサーの冷たい視線をこめかみに感じて再び可愛子ぶった相方を、恭平は笑って。
「ロックだねー、尾張さんは。思った事を言っちゃうんだから。ねえ、僕はホント、素敵な人達だったなあって思いますけど」
「あはは。嘘吐け。嘘を。本番前はボロクソ言ってたじゃんかー」
じたばたを始めたユリカに、流れを察したディレクターが窓の中から『これ、読んで』と言いながらユリカに一枚の紙を出してきた。
「ん? あ、これ? メールの奴か? ええと……」
彼女が目を落としたのは、いわゆる『作りメール』。スタッフがリスナーを装って書いた代物だ。先程ディレクターが持ってきた『良い報せ』――来週からメールが募集できますよという告知の前振り用に、村田Dが書いてくれた手書きのメール。
「えっと、『キョーヘー君、尾張さん、今晩は。先週の水曜日の感動うえ~んずデーに、キョーヘー君がゲストで出ていましたね。可愛いダンス部の皆さんに寄ってたかって弄られて小生は羨ましい限りです。是非、その時のお話をして下さい』……だって」
「テンション! テンション下がり過ぎでしょ! 正に君が話したかった話題ですよ! 需要と供給が一致したじゃない! ほら、尾張さん! あ、今週からメール募集してます! 話そうぜって!」
るんるんと肩をバウンドさせた少年に、目の前の少女はぽいっと嘘メールを投げ捨てて。
「……うん。話せば」
とやる気なく唇を捻じ曲げた。
「ええ!? 何? 何が気に入らないの!? 言って! 気に入らないとこがあったら俺、ちゃんと直すからさ!」
縋る男子に、すっかり飽きた顔の女子はぷーっと片頬を膨らませつつ。
「だってさ~、これ、キョーヘーの話じゃんか。私関係無いもん」
「いやいや、ほら、尾張さんだって聞いたんでしょ!? どう聞こえたかって言うのも大事じゃないのかな? ね、リスナーとパーソナリティが同じ目線でラジオを語る! 画期的だ! さあやって見ようぜ相棒! じゃあハイ、ねえ、そうなんですよ。実は僕、水曜日に単身あの可愛い先輩達のとこに行ってきたんですよ尾張さん!」
「ああ、あの化粧と髪形の」
「ん?」
「ん?」
疑問顔を疑問顔で返され、恭平は訝しげに。
「……えっと、先日あの可愛い先輩達――」
「化粧と髪形がな」
ニヤつくのをこらえようと歯の裏に舌を押し当て、首を捻る。
「ちょっと何言ってるかわかんないですけど。あのね、僕、水曜日の可愛くて面白い――」
「顔がな」
頷く、何度も。
「うんうんうん、可愛くて」
「化粧と髪形が」
「面白い」
「顔の」
「番組に」
「行ってきたんだろ?」
さも当然の様に小首を傾げる相方に、恭平は頷いた。この辺か。
「そう! 行ってきました。あの雑ヶ谷高校ダンス部の可愛らしい先輩方がやっていらっしゃる番組に! ……あれ? どうしました、尾張さん?」
問いかけたのは、目の前で目を丸くしてディレクターと恭平を交互に見ている酸素に飢えた金魚の様な間抜けなあの子。
「え? えっ? 先輩って? え? 雑高の?」
二回目の『え』が裏返る辺り、本当にラジオ向きの驚き方だ。
「はいそうですよ。僕らが通う高校のダンス部を二年前に立ち上げた、とっても可愛いくて?」
「…………」
「面白い?」
「…………」
「先輩達の番組に行って参りました!」
「良いなああぁ!! 何で言ってくれなかったんだよキョーヘーは!! 言ってくれたら私もさあぁっ!」
「あはは! 分かりやすい! 尾張さんベタなのも出来るんじゃん!」
「うるさいわい! ……つうか、お前なぁ~! 女社会を舐めるんじゃないぞ! ああもういじめられるっ! 明日からまたトイレに行く度にドアの外で悪口を言われる日々があああっ!」
「尾張さんっ! 尾張さんっ!」
恭平の呼びかけに被せる様に、頭を抱えたユリカは大げさな泣きまねを入れながら。
「トイレに行くのが怖くてっぐすっ保健室の先生にひぐっ職員トイレにえぐっ連れて行ってもらうようになってぐすんっでもそれをまたあああっ!」
目の前で闇に呑まれていく少女を救う為、恭平は変身のポーズを取りながら。
「っ……とうっ! そこまでだユリカちゃんっ! それ以上のトラウマは例えリスナーが許しても、プロデューサーがどうかなっ!?」
「誰っ!? と思ったら恭平だ! スポンサーに気を使える高校生だ!」
現れた謎のヒーローを笑った相方に、恭平は諭すように言う。
「大丈夫だよ、ユリカちゃん。あの先輩達は本当にいい人達だから、ちょっとラジオで冗談を言った位で君をいじめたりなんかしないって」
「……ホントにぃ?」
「ああ、本当さ」
「化粧と髪形でごまかしてるって言っても?」
「大丈夫! 彼女達は冗談のわかるいい人達だから!」
「机に雑巾の搾り汁を入れたりしない?」
「しないしない」
「絶対に?」
「絶っっ対に非暴力。アンド不服従のガンジースタイル! だからもう好きなだけ――」
さあ悪口を言わせるだけ言わせて――と考え、盛り上げる様に言葉を放った恭平の前、おちょぼ口を作った相方が上目気味に。
「じゃあ、言ってみて?」
「……ん?」
「先輩達の悪口、言ってみて」
「いやいやいや! 言わない言わない! 言わない言わない♪ 言わないよっ♪」
「うおおいっ! 雑ヶ谷音頭してないで言えよなキョーヘー! 向こうはガンジーなんだから言いたい放題だろーが!」
「ガンジーでは無い! ガンジーでは無いし、相手がガンジーだからって悪口が言いたい放題なんて事は絶対に無い!」
「馬鹿馬鹿! ほら見ろ、この流れでキョーヘーが先週の愚痴を言うって台本に書いてあるだろーが! 台本通りにやらないと私が急に先輩達の悪口言ったみたいになっちゃうじゃん!」
「仮に台本だったとしても、尾張さんが急に悪口言い出したのは変わんないからね!?」
「うるさああああい! 良いから言えっ! ほら! お前も早くガンジーの悪口言えよなっ!」
まるで真剣そのものの様な顔で指差し怒鳴る相方にちょっと笑った。
「いやいや、滅相も無い。俺はもうガンジーが大好きだから、悪いとこなんてひとっつも無いね。もう完璧だよガンジーは、政治家としても、先輩としても」
自分の言葉に大きく頷いた恭平に、ユリカは大げさに掌を振って。
「いやいやいや! 言ってもほら、ガンジーだぞ? 釈迦じゃないんだから! 一個くらいあるだろ? ほら、言ってみろよ、ん?」
「いやだから、本当にガンジーさんは完璧な人達なんだけど……まあ、強いて言えばだよ?」
ねちっこく言いながら、下唇をめくって首を太く伸ばす。キョーヘーが作った巨匠顔をユリカは指さして笑ってくれた。
「『人達』! ガンジーってグループだっけ? はは、で、強いて言えばなんなんだ?」
「――ん~、まあ、言っても俺もちょっとガンジーさんのラジオで喋った位だから、あんまりしらないんだけどね」
「あはは。ガンジーのラジオ!? 『ひぼひぼナイト』な」
「はは。『ナマステ~、ガンジーでーす』っつって」
「あはは出たっ、アニメの奴だ! 『ナマステ~』っていう番組のオリジナル挨拶な!」
「オリジナル!? 『ダイジョブダイジョブ。ドーセ日本人シラナイネー』って言い張って」
笑った恭平の前、後ろ手に縛られた感じになったユリカは。
「『いえ、違います。オリジナルっす。痛っ、僕が考えた挨拶です』って」
「不服従! え? ガンジーの不服従ってそういう事?」
「あはは。ただの往生際が悪い犯人だな」
ユリカの言葉の終りに溜息分の間が出来た。目の前の面白に喰いつくようにして脱線しお茶を飲んで一息入れる相方を横目に、恭平は『ええとなんの話だっけ?』と考えながらブースを見る。
腕組み冷たい顔の藤井女史は置いて置き、そこはさすがのディレクター。番組が始まる前から一か月以上の付き合いは伊達じゃ無い。
『ゲスト、ゲスト話』
と言いながらテーブルに投げ捨てられたメールを指差し、進むべき道を教えてくれた。
ああそうでした、と視線で頷き。
「で! こないだ俺出て来たのね、その番組に。その時の話をしてくれってメールですよ、尾張さん!」
「あ、そうだ。そうそう。で、キョーヘーの感想は?」
「うん、まあ、もうちょっと面白い事言えばいいのになって」
照れくさそうに感想を述べた恭平に、ユリカはぱっと喜色満面。完全にスイッチが入ってる顔。
「え~? でもキョーヘーも全然面白く無かったって聞いてるぞ、スタッフから」
「いや~、それはもうしょうがないんだって。あの場でさ、スタッフは後で殴るけど、だってどこのお店のお菓子が美味しいとか言ってる場でだよ? リスナーもそれを聞きに来てるわけで、俺のボケなんか邪魔になるだけだって」
「はは。そりゃそうだ。あとあと、キョーヘー君はチアリーダーの格好をしていったんだって?」
「あ、はい」
それが何か?と言う言い方で。自信満々の顔つきで。
「あはははは! 面白いと思ったか? 奇抜な格好したら面白いとでも思ったのか?」
「……はいぃっ!!」
「だははは! 何だそれ!? 真実を口にしたら狙撃でもされるのか、お前は?」
「いいんだよ! 変な格好して来いって言われたから覚悟を決めて行ってきたんだよ俺は! んで結果、覚悟してたより滑ってきました!」
「あはは! え? で、どんな感じでお姉さま方はおいじりになられたんだ?」
「……まあ、基本無視ですよね!」
「無視!? 自分達がやれって言ったのにか? あはは! 酷いな! 最悪じゃないか!」
「そうなんですよ、尾張さん! あーもう、尾張さんだけだよ、分かってくれるのは! 『え? 何でそんなの着て来たの?』とか、『ダンスしてよ』って言うから色々とやってみたら『ふ~ん』とか『へ~』みたいなさ!」
「あー! 分かる! そういうとこあるんだよな、ガンジーは! 『非暴力』と『シュール』の区別がついてないんだあいつらは!」
拳を握った相方に、恭平はすがるような声で。
「やめて! ガンジー先輩は悪くないの! そういうのが面白いと思っちゃうお年頃なの!」
しかし、小悪魔な娘さんは怪気炎を消すことは無く。
「あとあと、下品な単語を言うだけで下ネタぶる女子の奴な!」
「女子!? ガンジー女子説!?」
「『おなら』って言ったら『下ネタやめてよ~ケラケラケラ~』って言って終りの奴! それは下ネタじゃないの! 品の無い単語を千切って盛り付けただけのサラダなの! 火を使え、火をっ! おならなんざ爆発させて初めて下ネタなんだよ、このっ……女子共があっ!!!!」
「ガンジーの! これはあくまで女子の方のガンジーの話ですよ、皆さん! 実在のガンジー先生とは一切関係御座いません!」
ご機嫌斜めなプロデューサーを見ながらアピールしても、腕組みしたままの彼女は小さく首を横に振り。
「なんであんなのがウチより人気あるんだーーーぃっ!!」
ユリカの叫びを飲み込む様に音量が入れ替わり、『ピーヒョロピーヒョロ』とうねる様な和笛の音と『はぁ~♪』と情念込めて歌い上げる女声が放送を乗っ取った。
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