43 夏に脳と魔法が溶けるみたく
八月初週 日曜日
台風が一つ過ぎ去った青空で、ムキムキマッチョな太陽様が白い歯を輝かせる様な午前中。
「人前に出るような顔じゃないのにねえ」
という遺伝元の一言を浴びながら家を出た恭平は、爽やかモスグリーンのTシャツに汗をかきつつ、いつもの坂を歩いていた。
週末は決まって歩行者天国となる雑楽坂では、本日この日、坂上商店会主催の青空フェスティバルとやらが行われている。
車が通らない道の両側にテーブルを出したお店たちがこの日の為の特別メニューを販売していたり、道の真ん中におっぴろげられたドでかい紙の上にまるでケーキにたかる蟻の如く群がった子供達が、好き放題に巨大なキャンバスを汚していたり。
地元の家族連れから遊びに来たカップルまでもが、強い日差しに手をかざしながら楽しそうに歩いている坂の上。
十一時に始まるリハーサルに向けて、坂上神社の路地を横切った恭平の目に、その子が見えた。
セミロックフェスが鳴り響く神社の木陰の下、スマホを抱えて辺りをきょろきょろとしている金髪の妖精。
「御園さん」
軽い気持ちで声を掛けると、彼女はびくっと振り向いた。
「……はあぁぁ、びっくりしたあぁぁぁ。長江君か~、天狗かと思ったああぁ」
「? ……天狗?」
そんな不思議感覚は一端脇に置くとして、目の前の少女はむしろ不審者はそちらの方だと言いたくなるような出で立ちで。
「えへへ。私ね、今日ラジオのイベントに行くんだ」
そんな八月だというのにトレンチコートを膝まで伸ばした金髪ボブの美少女は、まるで天使が歩くような軽やかな声で微笑んだ。
「おお、それは奇遇だね。天狗で良ければスタジオまで案内するけど」
多分道に迷ったんだろうと推測した恭平に、彼女は小さな拳で口元を隠してくすくすと笑いながら何かを言いかけて。
「へひひ。……ん? でも、あれ? 良く分かったね? 私が私だと」
大粒の瞳を丸くして、思い出したように頭の上の金色の髪をなでなでと。
「まあ、うん……なんていうか、顔とか、その、雰囲気で」
と言うか、何だろうあの変な人と思って遠目からまじまじと見つめていたら、ああ御園さんだと気が付いたのだ。
「それは、カツラ?」
まさか頭の中で変な女子=御園志桜梨などという式が成り立っているとは言えずに話題をそらすと、彼女はえへへ~と頷いて。
「うん、そう。ウィッグだよ。どうどう? 似合う? 似合うかね?」
覗き込んでくるキラキラな瞳に、大きな圧力。
『似合う? ちなみに私は似合ってると思うんだあ』と言いたげな。まるでイエス以外の返答をすれば処刑台まで十字架を背負って歩かされそうな天真爛漫な王女のそれ。
そう思ってみれば、確かに金髪姿は我儘王女のイメージにぴったりだ。
「ははあ。よく似合っております」
恭しく頭を下げてみせると、夏休みを満喫中の女子高生はぱちくりと瞬きをして。
「ふふふ。ほうほう、そうかねそうかね。余は満足じゃよ」
などと嬉しそうに髪の端を伸ばしながら笑ってくれた。
そんな彼女の甘い微笑みに見惚れた間、神社の木陰に吹く夏の風が、額の汗に心地よくて。
「あ! そう言えばキョーヘー君、また私の事変な名前で呼んだよね!?」
なんてぴこんと飛び跳ね指差して来るむっとした頬だとか。
「……はは、ごめん。尾張さんにばれちゃうかと思って……」
「ふ~ん……じゃあ許そっかな~……あ! ねえねえこれでどう? ばれちゃうかな? ユリ太郎に」
頭を掻いた恭平の前で、ご機嫌な御園さんはのんびりとした仕草でおでこに乗せていたサングラスを定位置へと戻して見せた。
「……ええっと」
目の前には、ピンクの縁取りがなされた星型のサングラス。
何て言うか、明るく愉快でポップなパーティーギャグみたいで。
何て言うか、御園さんにはそういうのがとても似合うなって。
何て言ったら、目の前のこの人は喜んでくれるのかなって。
今日で全部が終わった後に、何を話せばいいんだろうって。
そう思った瞬間、何故だか急に、魔法が解けたみたいに緊張した。
多分それで、トレンチコートに金髪ウィッグ、おまけに両手でピースまで決める星型サングラスの変な女子から目を逸らし、長江恭平は不器用に笑った。
「……じゃ、案内するよ」
初めて来るには分かりづらい住宅街を並んで歩きながら、いくつかの言葉を交わす。
自然と話題は尾張ユリカ絡みとなって、あんなことがあったとかこんな事があったとか互いにあの変てこ魔人のエピソードを紹介している内に、二人はスタジオの目の前のコンビニに辿り着いた。
「じゃ、俺はリハーサル行くけど――」
「うん。次は一人で来れるから、大丈夫。行ってらっしゃ――っ!? 伏せて、長江君!」
天使の笑顔で手を振りかけた星型サングラスの少女が、素早くコートの襟を立てて恭平の足元にしゃがみ込んだ。
見れば、ウィンドウの向こうで手にしていた雑誌をおもむろに棚へと戻し、すたすたとコンビニの奥へと消えて行くおかっぱ頭。
「……ふぅ……危なかったぁ……」
こけし娘の姿が見えなくなるや否や、腿の裏側でほっと胸をなでおろす共犯者に恭平は苦笑する。
いや。あの顔は多分アウトだよ、御園さん。
本人は完璧な変装のつもりかもしれないけれど、尾張さんはああ見えて意外と賢い。
なにせあの子は、おかっぱ頭にゾンビフェイス言うハンデを抱えながら努力に努力を重ね、今や天才チンパンジー並みの頭脳を手に入れた奇跡の少女なのだ。
そして何より被害妄想の気が強く、ネガティブな方に限ってはアインかもしくはフランケンの方のシュタインばりに頭が回ることでお馴染みなのだ。
おまけにどこかのナチュラル天然サディスティックガールのこれまでの言動からしても、何も気づいていないなんて奴じゃ無い。
ましてや親友である君が変装なんかをして、ここに――それも駄クラスメイトである長江恭平の隣にいたら、一ミリたりとも偶然だなんて思いはしないだろう。
「あ、じゃ、ばれないうちに私帰るね! キョーヘー殿の健闘を祈る。ではまた、さらばだ!」
対してポップでキュートなサイダーガールは敬礼ポーズでじりじりと後退を始め、素早く辺りを見回し立ち上がると、いつ見ても驚かされる意外な運動能力でピューッと走り去っていった。
――で。
お馴染みの入店音を漏れさせた扉から現れたおかっぱゾンビフェイスのあいつは、恭平の苦笑いをじっと見つめた後。
「……で、私はどうしたらいいんだ?」
深い溜息を吐いた相棒に、少年は肩をすくめておどけて見せた。
「ま、いいんじゃない? 何故かラジオの尾張さんも大好きらしいし、それで。楽しそうにしてる御園さんて可愛いし。それに俺達のラジオって、その瞬間のグルーブ感じゃん?」
爽やかな笑みを浮かべた恭平に、もう一人の共犯者はふんっと唇を突き出して。
「知るか、バーカ」
と吐き捨てた。
少し照れくさそうな相棒の笑みと、暑苦しい青空と祭りの賑わい。
「ま、それももう終わったんだけど」
コンビニの入り口にまで掛けられた提灯や風車を眺めながら、多分この最後のお祭りを一番楽しんでるのは自分なんだろうなと恭平は笑った。
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