7 面接を受けよう①

 というわけで、うだるように暑いとある土曜の十四時前。長江恭平は指定された面接会場を訪れていた。


 雑楽坂坂上商店会に属する《イムラヤ》というスーパーの五階。店員さんに言われた通りに、ビニール幕の向こうで肉や魚なんかを加工する人達を困惑の目で見ながら物置の様な階段を上がって行った、蒸し暑く薄暗い通路の行き止まり。


 何の捻りも無く『坂上商店会事務所』と書かれた小さな札の掛かった扉を軽くノック。


「御免ください。今日面接を受けさせていただく長江です」


 声を掛けると、『はいはーい』という爽やかな返事と共にがちゃりと中からドアが開いた。


「はい、長江君ね、長江恭平くん。どうぞ、入って」


 汗粒一つない柔らかな笑みを浮かべた眼鏡の青年に言われるまま、恭平はぺこりと頭を下げて蒸し暑さだけが存在する事務所の中へ。


 これから面接が始まるにしては緊張感の無い部屋の中に、高校生らしき三人の女子とにこにこと笑った優しそうなおじいさんがいて、ここは控室なのかなと思うと同時に意外と応募者が多いんだなと少し焦った。


 もしかして、面接の結果『今回はご縁がありませんでした』なんてこともあるのだろうか。

 もしかしてもしかして、かんざしさんだけ合格して……なんて。


「おー、若い人だ。どうぞどうぞ、こっちに座んなさいな」


 そんな心配をよそに資料の様なモノを持ったお爺さんにのんびりと勧められた恭平は、車座に組まれた椅子に座って正面の女子高生風姉さん達を盗み見た。すると。


「ね、君。高校生?」


 と三人組の向かって左にいたもしゃもしゃ茶髪の小柄な女子が声を掛けて来た。


「あ……はい。そうです」

「どこ? どこ高?」

「えっと……雑高……雑ヶ谷高校です」

「あ、やっぱり!? ウチらもウチらも! 三年ね。君は? 一年生?」

「あ、はい。一年、です」


 学年を当てられて、恭平は何故か恥ずかしくなった。新米臭が滲み出ていただろうかと思ったのだ。


「あはは、かわいいー!」

「照れるな、少年」

「ふふ。後輩君だ。若い若い」


 などと、彼女達はキャパキャパと笑いながら恭平の顔を覗き込んでくる。それなりに美人な三人のお姉さんに見つめられた高校一年十五歳の少年は、おもわず首を竦めてしまう。


(早く来いよ、あいつ)


 ここまで律儀に約束を守り学校ではもちろん肉声での会話も交わしていない二人だったが、一応DMを使って必要な連絡だけは取り合っていた。

 ちゃんと応募はしたと言っていたけれど、まさか来ないつもりじゃないだろうなと少し不安になる。

 そうやって黙り込んだ恭平に話しかけて来たのは、先程扉を開けてくれた眼鏡に長髪の優男。


「ええっと。長江くんは、結構ラジオを聞くんだね」


 多分、彼の手元にあるのは恭平が送信した応募メールなのだろう。


「あ、はい。ええと、割と、なんでも聞いてる方だと思います」

「うんうん。好きな番組は『馬鹿騒ぎ』と……この『アニサタ』ってのはどんな奴?」


 小首を傾げた眼鏡兄さんが堂々と読み上げた『好きなラジオ番組』に恭平は一瞬言いよどんで。


「えっと、何というか……前にやってたアニメとか声優系のワイド番組で……」

「ふぅん、成程。アニラジね。うんうん、成程」


 枠組みだけで何かを納得した様に手元の資料にメモを取るお兄さん。それと。


「私も聞いてた! 面白かったよね、アニサタ!」


 と隣で顔を輝かせテンションを上げているもしゃもしゃ頭の小柄な先輩女子。

 その両方に曖昧な笑顔を見せた恭平に、再び優男が顔を上げた。


「じゃあ、長江君。彼女達には先に説明したんだけど――世織せおりさん、彼にも資料を回していただけますか?」


「ああ、はいはい。どうぞ」


 言って、隣のおじいさんが見せてくれた資料には一週間のスケジュール表がドドンと印刷されていた。

 新聞やラジコで見慣れた番組表と同じで、横軸に月から金の曜日が二センチくらいずつ、縦軸に十五時から二十三時の時間が一時間に一センチ位の幅で打ちこまれている例のアレだ。


「見方は何となく分かるよね? で、長江君は高校生だから、終りの時間は二十一時までってことにさせてもらうよ。その枠の中で、この時間帯は無理ってのはあるかな? 部活とか、予備校とか」


 言われて、恭平はふるふると首を横に振った。


「あ、いえ。俺の方は特に所属していないので、大丈夫です。ただ、学校があるんで、十五時はちょっと……」


 尾張ユリカの方は知らないけども。


「ふむふむ、成程。ありがとう。そうだよね」

「……えっと」


 にっこり笑って手持ちのボードにバツ印を書き込む青年の姿を見て、恭平は首を傾げた。


 ひょっとして、すでになにがしかの審査が始まっているのだろうか?


 いやでも、オーディションなんて言うのは、適当な打ち合わせだけでいきなり模擬番組をやらされて、それをどうみても堅気には見えないおじさんに『何で俺が素人の相手なんかしなきゃなんねえんだよ』とか鼻をほじられながら審査されるんじゃあ――。


 というか、よく見てみればこの古くて狭い『事務所』には小さな長机と壁に立てかけられた折り畳みテーブルしか置いていない。それらしい機材はおろか、マイクすら無い。強いて言うなら電話があるが、電話でラジオごっこなんて小学校低学年で卒業済みだ。


 いや、そうだ。こんな地方ラジオなんかでしっかりしたオーディションなど無いのだ。きっとこのまま適当な面接をしてハイオッケーだろう。だからここはひたすら真面目に真面目に。


「じゃあ、ええと……どうしようかな」


 言って、青年はちらりと腕時計を見た。つられて恭平も壁の時計を確認すると、時刻は十三時五十五分を過ぎていた。指定の時間は十四時だ。


 ――まさか、あいつ。


 嫌な予感がこめかみに滲む。


「……えっと、もう一人来る――はずなんですが……」


 きょろきょろしながら口を開いた恭平を青年は振り向いて。


「そうなんだよね。あと一人来る予定なんだけど………連絡も無いしね。やる気はある感じだったんだけど、まあ、残念ながらしょうがないか」


 言って、トントンと腿上のボードを叩いて笑った彼の顔に恭平はぱちくりと瞬きをした。


「それじゃあ改めまして。僕は村田。村田慎之助。この『雑ヶ谷PR委員会』のラジオ企画の担当を務めている者です」


 にこりと微笑んだ彼は続ける。


「雑ヶ谷PR委員会っていうのは、名前の通りこの雑ヶ谷の宣伝をして『この商店街にもう一度人を呼ぼう』って言う目的で行政と商店街有志が組んだプロジェクトで、まずはその宣伝媒体としてインターネットで生放送のラジオをやろうっていう――まあ、要するに町おこしの一環です」


「ちょっ」


 頷く女子高生ズとお爺ちゃんの間で、恭平の背筋がピンと伸びた。


「ん? 何だい?」


 眼鏡の奥の瞳だけで振り向いた二十代後半と思しき村田青年に、恭平は。


「あ、いや。ええと……その。……失格って、ことですか? その、遅れてる人は?」


 ただたどしい質問に、村田慎之助はこくりと頷く。


「そうだね。そうなる」


 そして彼は、まだ何かを言おうとした高校一年男子の言葉を静かに制して。


「言いたいことは分かる。可哀想だって事だろう? でもね。考えてくれ。君達が応募したのは、『雑ヶ谷』と言う街の看板を背負って行う公式生放送のラジオなんだ。当然、対価もきちんと支払われる。遅刻が許される類のものじゃないよ。まして無断でそれをやるような人間と、今後一緒に頑張ろうとは思えないだろう?」


 言いながらくるりと一同を見回した彼が、恭平の目で視線を止めた。

 冷静で厳しい、大人の目。今まで恭平が接してきた諭すような教師おとなとは違う、対等な相手をシビアに値踏みする視線。


「楽しくやるのは構わない。むしろ君達高校生には、そんな風に伸び伸びとやって欲しい。だけど、それで金を貰う限りは《遊び》じゃ無く、《仕事》として、ね」


 紛う事無き正論とそれを口にした彼の冷たくて熱い情熱に、控室の様だった事務所の空気がピリッとしまる。


 でも。


「あ……で、でも――あの子は……」


 例えば、自分。一人きりで家族の耳を気にしながらぼそぼそと喋っていた金曜の夜。こんなもんじゃないと思いながら聞き直す土曜の朝。高校に行ったらこんな事がしてみたいと憧れ続けたいくつかの番組。パーソナリティー募集のビラを見てからしばらくその事が頭から離れずに、何度か応募のフォームを覗いては戻りを繰り返した自分。


「何か、連絡できない事情があるのかもしれませんし……」


 あの日有名職人に会えて踊った心。ファーストフードでの、僅かなお喋り。ラジオをやろうって言う約束。


「メールでやる気があったなら、こっちから連絡してもいいはずじゃ――」


「そうかもね。でも今の時代、一人にそれをやれば今後他の企画の遅刻者にも一々電話しなくてはならなくなる。これは《行政》を巻き込んだプロジェクトのオーディションで、それに相応しくない人間は切られる。君がどんな不満を持とうと、選ぶのは責任者である僕だ」


 PR委員会から届いたメールを読んで震えたお尻。眠れないくらいにドキドキした昨夜の事。そのくせ早起きしてしまった今朝のワクワク感。家を出る時の、やってやろうと言う気持ち。


「で、でも。……チャンス、なんです。こんな風に、俺みたいなただの高校生が……自分で――自分達で、誰かとちゃんと、本気でラジオを作って放送出来るなんて二度と無いと思うんです。だから、もう少し待ってください」


 無断遅刻を弁護するつもりはない。生放送をやろうって言うのに、許される事じゃ無いのも分かっている。でも。間違いなく。彼女が居なければ無理だから。一人だったら、そもそも応募すらできなかっただろう自分には。


 何だかんだスマホケースにこっそりステッカーを貼っていた様なあいつが、同じ番組のリスナーに会ってどう思ったのか。自分と喋って、どう感じたのか。万が一にでも、嬉しかったというのなら。髪の毛先程にも、楽しかったと思ってくれていたならば。二人でラジオをやろうなんて妄言を、馬鹿だなあと笑ってくれていたならば。


 ガランとした灰色の部屋に、溜息が一つ。


「しかしね――」

「それに。」


 子供の我儘に呆れた様な彼の声を強い口調で切り落として、彼の目を見つめ返した恭平は。


「生放送に、ハプニングは付き物です。それをどう乗り切るのか、そういうのも大事だと思います」


 言い終りに、無言。窓の外で太陽に焼かれるアスファルトの音が聞こえる程の静寂。

 高倉健ばりの長い長い間をあけて『ふぅん』と冷たく笑った村田慎之助は。


「じゃ、そうしよう。長江恭平クン。君がこの場を繋いでくれ」


「…………え?」


「君が言ったとおり、生放送にハプニングはあるかもしれない。予定していたゲストが来ない。かかるはずの音楽がかからない。さあ、君が繋ぐんだ。リスナーの気持ちが冷めない様に。僕がオッケーを出すまで、喋って繋いで乗り切って、僕に君の素質を見せてくれ。長江恭平」


 視線で瞳を射抜かれて、恭平はぱちくりと瞬きをした。


 確かに言った。そう言った。


 ――だけど。


 キラリと冷たく光った眼鏡のレンズに、ごくりと唾を呑み込んだ恭平は。


 ――やるしかない。


「……えっと皆さん、こんにちは」


 ゆっくりと、決意を言葉に代えて吐き出した。

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