40 行きますか


 十八時五十分


「あ・え・い・う・え・お・あ・お・あ・え・い・う・え・お・あ・お」

 大きく口を開けながら、顔の筋肉を意識して発声練習。そして、首をゆっくり左右に伸ばして。

「よし」

 と頷き、目の前のピラミッドに足を掛けた。

 最初にこれを見た時とかそういう気持ちを思い出すかと思ったけれど、意外と普通にいつも通り、すたすたと上る。

 すると向かい側から、世界を呪う様な顔をした相方の頭がひょこひょこと上がってくる。特に目を合わせることもなく、スタッフブースの中を覗いて、席に座る。

 台本を、机に置く。

 マイクの高さを調整し、適当に喋って、ディレクターの『OK』を聞く。

 ちらりと前を見ると、相方がぶつぶつと最初の数行を練習している所だった。

 ピラミッドの上から、劇場を見回す。ガランとした客席の向こう、若干高くなった舞台の上に私服になった世織さんがのほほんとしていた。

 いつもはいないその人を見て、最終回なんだ、とちょっと実感。プロデューサーは来てないなあとか思っているとディレクターから三十秒前の合図。

 なんだか不思議だ。いつもはもっと皆で喋ってる内に本番になるのに。

 笑った。最終回とか意識しないのかなと思ったら、皆相当意識してる。勿論、恭平自身も。

 最終回もいつも通りなんて格好いいけど。多分、自分達には。この番組では無理なんだろうなって。六回しかやっていないのに、いつも通りもクソも無いし。きっと無様に、みっともなく、終わるの嫌だなあとか言いながら終わるんだろうなって。

 ああ、でも、もしかしてそれがいつも通りなのかと。

 全部で六回。先週も来週もなく、今この瞬間、思った事を思うままに全力で喋るのが、この万遍マンデーだったのかも。

 なんて、にやにやしながら考えて。

 オープニングの陽気なフリー音源に、軽く肩を揺らしながら。

「……んじゃ、まあ」

 ディレクターの指が格好つけて窓から伸びるのを、横目に見て。

「いきますか」

「ん」


『「時刻は七時になりました! 雑ヶ谷情報局月曜日、万遍マンデー。長江恭平です!」

「尾張ユリカです! この番組は雑ヶ谷の魅力を万遍なくお伝えする番組です、っと! なあキョーヘーよ!」

「なんだい尾張さんよ!?」

「終わるなっ、この番組! 今日で!」

「まあまあ、そうね、リスナーはびっくりしてるかもしれないけど――」

「うんうん。で、どうするよ、来週?」

「来週?? ああ、この時間てこと?」

「そう。だってさあ、二か月位? もう毎週このためにやってきたじゃんか?」

「一分一秒も無駄にせず」

「そう! 来週絶対なんか変な感じになると思うんだよな、私は」

「あー、ベタに言うと、間違って来ちゃったりとか?」

「それな。で、『……あ、誰もいないんだ……』ってなるパターン」

「はいはい、あれね。尾張さんの誕生日パーティーみたいな」

「おぉぅぁああっ! バカバカやめろ! それは過呼吸になるから!」

 笑った。手を叩いて。

「うわごめん。俺、尾張さんを舐めてたわ~。まさかホントに――」

「無いわ! 冗談に決まってるだろ。これがパーティーする顔に見えるか、えぇ?」

「いやいやそんな喧嘩腰に言わなくても……そういうところが嫌われる原因なんだと思うよ、俺に」

「いいの! ……え? お前も!?」

 ひっくり返った相方の声に、恭平が笑うと、ユリカは両手を振り上げて。

「もういい! そう言うのはいいから! 来週の話をするの! 私は!」

「わかったわかった。じゃあ俺はお勧めのシュークリームの話をするよ。……ハイ! ねえ、外はカリッとしてるのに、中はふわっとしてて――」

「いや、だから、この際全員来ちゃってさ、もう一回やっちゃえば――」

「そう、二層の! カスタードと生クリームの二層の奴がたっぷりつまってて、持つと『えっ?』くらい重いの。ね~、ディレクター。ね~」

「おおおおい! お前らぁ! 私の話を聞けって! シュークリームより可愛い女子が喋ってるだろうがっ!」

 椅子の上でぴょこぴょこ揺れるおかっぱに、スタッフからも笑い声。

「ごめんごめん。で、みんな来ちゃうって?」

「いやいい。もう私一人でやる。お前らは打ち上げとか行けばいいじゃん。みんなでさ、ユリカちゃん家のパーティーは行っちゃ駄目ってメール回せばいいんだ、もう」

 しょんぼり顔で呟くラジオガールを笑いながら。

「ごめん、ごめんて、尾張さん。わかったわかったから。じゃあほら、来週スペシャルウィークやろう! ね!?」

「えぇぇ……すぺしゃるうぃ~くぅ~?」

「そう! 地上波ラジオが聴取率を取るためにゲストとかプレゼントとか特別企画をやるという、あの! スペシャルウィークを! 来週!」

「いいよもう、とかいってどうせ誰も来ない奴だろ?」

「題して『尾張ユリカ生誕祭』!!」

「生まれてない!」

 クリアな高音で突っ込む少女に、恭平は目を丸くして。

「……え? まだ!?」

 相方は軽く吹きだしながら。

「まだじゃない! まだじゃなくて、もう生まれてるけど、まだなの!」

「? え、ごめんごめん、どういう事?」

「わ~か~るだ・ろ~! だから、私はもう生まれてるけど、まだなの!」

「? まだ乾いてないって事?」

 疑問顔で尋ねると、ユリカは揺れながら。

「そうそう。これもマイクかと思ったらへその緒……じゃなくて! わかるじゃんかぁ~も~、話が進まないだろ~」

 恭平の中で『楽しいからもう少し続けようよ』と囁く天使と『尾張さんの困った顔は最高だな』と言う悪魔の間から、ラジオの絶対神こと『御時間様』が三波春夫でございます。

「ごめんごめん。じゃあ時間なんで、尾張さん今夜の予定をお願いします」

「ええ? 何も喋ってないじゃん! もー! はい、この後またフリートークで、二十分位から雑ヶ谷情報のコーナーです。ええと……で、ここが大事なんですが! 今日からこの番組でもメールが使えるので、リスナーの皆さんからのメールを募集します!」

 適当に合いの手を入れつつ、相方が読み上げて行く台本を見て。

「おっ! やったぜ尾張さん! じゃあメールアドレスがあるわけだ!」

「その通り! 今から読むアドレスに、私達に聞きたいこととかをじゃんじゃん送ってください!」

「後生です!」

「あはは。ほんとに助けると思って、何でもいいから送ってください! で、今日から始まる新コーナー『雑ヶ谷駄洒落探訪』も、まだまだ絶賛募集中ですよっと」

「ね、皆さんに愛された新コーナーも、今日で最終回という事で――」

「ほんとにな」

「ホント、残念ですけど……ここで一曲。そんな僕らの悲しみを歌った歌です。『雑ヶ谷音頭』」


 はああああ~、とご機嫌なナンバーが大和魂を揺さぶる中、チューチューとストローを咥える相方と笑い合っていた恭平に、小窓の中からディレクターが声を掛けてきた。

「キョーヘー、これこれ。曲開け、読んで」

 差し出された紙を見れば、

「っ!」

 それは。待望の。

「メールだ!! 尾張さん! メール!」

「んんっ!?? ホントか!? メール!? メール!? 来たのか!?」

「ンメーーーーーッル!!!!」

「メエエエエエエッル!」

 原稿を掲げて叫ぶ少年と、雄叫びを上げる少女。物ごころも着き始めたお年頃だが、喜びに奇声が止まらない。そして、そのまま放送は始まって。


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