エピローグ/Café Café 2

Epilogue

 水曜日のまっ昼間だというのに、あたしはカントリーローグの窓際の席で、お冷の入ったグラスを睨み付けていた。


「お待たせしましたー。カントリーローグ特製ゆるふわエッグバンズとコーヒーのセットです」


 店員がトレイを置いて去って行くと、あたしはフォークとナイフを取るのももどかしく、人の大脳に良く似た食べ物に勢いよくかぶりついた。


 芳醇なデミソースの香りと、食欲をそそる香辛料の刺激が、またたくまにあたしの口中で占領作戦を展開していく。カリカリのベーコンと半熟卵、そしてすべてを包み込むのは秋の草原のようにふかふかなバンズ……旨い。やっぱりここの看板メニューは旨すぎる。


 ひとしきりゆるふわエッグバンズを味わった後で、あたしは少し落ち着きを取り戻して、かぞくのふれあい大橋での夜のことを思い返すことにする。


 あれから兄は、駆けつけた警察官たちの手で身柄を拘束され、五十海市警へと搬送されることとなった。もちろんあたしと敷島も警察署に連れて行かれ、兄とは別の部屋で事情聴取を受けることになった。


 たばこ臭い取調室であたしたちを待っていたのは、またもと言うかやっぱりと言うべきか外村さんだった。


 外村さんははじめ、事件のことなどそっちのけであたしたちを厳しく叱責した。これまでの温厚さが嘘だったかのような怒り心頭ぶりに、あたしも――敷島ですらも、塩らしく俯いているよりほかなかった。


 ともあれ長いお説教タイムが終わると、婦警はあたしたちに短く、こう言った。


 ――何があったのか、話しなさい。


 敷島はあたしが口を開こうとするのを遮って、淀みのない口調で一連の事件の真相について語り始めた。ジャンピング・ジャックのゲームが実は殺人事件の偽装工作だったということ。個々の事件に別々の犯人がいるということ。そして、事件の首謀者が兄だったということ。


 敷島は全てを外村さんに説明した。ただ一つ、あたしが兄の計画に便乗して兄を殺そうとしていたということを除いて。


 外村さんは敷島が語ったことを疑おうとはしなかった。少なくとも、兄のパソコンから兄が事件に関与していた証拠が発見されてからは、そうだった。


 あたしはぶよぶよした兄の感触を思い出しながら、喫茶店の天井をぼんやりと見上げた。


 本来ならこうはなっていなかったはずだ。


 あたしはあの時、本気で兄を殺すつもりだったのだから。


 高校二年の夏、殺人犯の川原鮎は、好物だった喫茶・カントリーローグ謹製ゆるふわエッグバンズを二度と食べることができなくなってしまう。。なのに――。


「待たせた」


「遅い!」


 背後からの声に、あたしは振り向きざまの怒声を浴びせた。ったく、いつもいつもあたしを待つ女にしやがって。どういう了見だ。


「待たせてすまないと思いはするが、別に遅刻してはいないだろ」


 敷島は、あたしの怒声にさして動じた様子もなく、いつも通りの愛想のない口調で反駁する。


「この店の時計を信じるなら、四十五秒の遅刻だけど?」


「お前なあ」


 あたしは敷島をじろりと睨んだ。


「わかった。悪かった。って言うかもう食べ始めてるのか」


 敷島はいい加減に謝ると、ちょっと離れたところであたしたちの様子をうかがっていた店員に声をかけてアイスコーヒーを注文した。


「家の方はどうなんだ?」


「だいぶ落ち着いてきたんじゃないかな」


 あたしはホットコーヒーを口元に近づけながら応じた。待ち合わせの三十分も前からここにいたことは内緒だった。


「弁護士の手配やらなにやらで忙しくはあるみたいだけど、かえってそれが良いみたい」


「そういうものか」


「ま、今後はどうなるかわからないけどね」


 あの夜、警察から連絡を受けて五十海市警に駆けつけた両親は、こっちが恥ずかしくなるほどうろたえていた。母などは『うちの息子が何をしたの』と警察に食ってかかったあげく、詳しい事情を聞いて卒倒し、そのまま医務室へ運び込まれる始末だった。


 もっともあたしだって、母のことを笑えるような立場ではなかった。何しろ実の兄が、高校生連続殺人事件の首謀者だったのだから。担架に乗せられる母親を見下ろしながら「これで川原家もおしまいなんかなあ」などと考えたりしたものだ。兄を殺そうとしていたときはそんなこと全然思わなかったのに、何とも身勝手な話だけど。


 ただ、あたしとあたしの家族にとっては幸いなことに──そして、泉田秀彦と初芝先輩の家族にとっては不幸なことに──マスコミは東高サッカー部のエースとマネージャーの相次ぐ転落死ばかりに注目し、他の四つの事件についてはほとんど取り上げなかった。兄のことに言及した報道に至っては、皆無と言って良いだろう。


 マスコミが事件の真相についての報道よりも東高サッカー部の醜聞を晒し上げることに熱中する姿は決して愉快ではなかったが、そのおかげで川原家の平穏が保たれているというのも紛れもない事実だった。


「……そう言えば、昨日外村さんがうちに来たよ」


「外村さん? ああ、あの婦警か」


 敷島が渋い顔で応じた。そっか。敷島は普段の温厚な彼女を知らないんだっけ。


「何か聞かれたのか?」


「うーん、特に。なんだか世間話ばっかりしていたような」


「なんだそりゃ」


 警察署で倒れた母親への気遣いもあったのだろう。川原家を訪れた外村さんは、決して自分から事件についての話を振ることはしなかった。


 ただ、帰りしな両親に『できるだけ早く息子さんに会いに来てほしい』と言って深々と頭を下げたのは印象的だった。婦警はまた、『息子さんには、家族とのコミュニケーションが必要なんです』とも言っていた。


 その兄は、身柄を拘束されてから今日に至るまでずっと黙秘を続けていると言う。


 兄がどういうつもりで口を閉ざしているのかはわからない。わからないけれど、両親が会いに行ったところで、その意思を曲げることはないだろう。やっぱり外村さんはちょっと甘いところがあると、あたしは密かに思ったものだ。


「アイスコーヒー、お待たせしました」


 店員冷えたグラスをテーブルに置くと、敷島はやけに神妙な顔でガムシロップをたっぷりと注ぎ込んだ。ブラックしか飲まなそうな仏頂面して、案外甘党らしい。


「飲み物が来たところで、本題に入っても良い? あの夜のことで、どうしても確認しておきたいことがあってね」


「どうしても確認しておきたいこと、か」


 敷島はストローでゆっくりとグラスの中身をかき混ぜながら繰り返した。


「良いだろう。聞こう」


「サンクス。早速だけど、敷島はどうしてあたしがかぞくのふれあい大橋にいるってわかったわけ?」


 当たり前の話だけど、兄とのについて、あたしは事前に誰にも口外していない。にも関わらず何故敷島はあの場に駆けつけることができたのか、ずっと不思議だった。


「なんだ、そんなことか」


 敷島はつまらなそうに言って、コーヒーグラスに口をつける。態度の悪いやつめ。


「山辺から電話があったんだよ」


「清乃から?」


 意外な名前が出てきて、あたしは思わず聞き返す。もちろん清乃にだって、あたしの殺人計画のことは話していない。


「昼間に山辺と会ったんだろ? その時の川原の態度に違和感を覚えたんだそうだ。初芝先輩が死んだのに全く動揺していないし、ひょっとして今回の事件に関する重大な秘密を抱え込んでいるんじゃないかってな」


「そうなんだ」


 確かにあの時あたしは親友の心情をないがしろにしたまま事件のことばかり考えていたけど、そんなのはすっかり見透かされていたわけだ。ああくそ、また一つ貸しが増えてしまった。


「山辺はこうも言っていた。もし川原が本当に事件のことで何か掴んでいるなら、少なくとも俺にはそのことを伝えるはずだ。にも関わらず川原が何も語っていないのだとするなら、それは事件に対して何か含むところがあるからなのかも知れない、と。俺はその通りだと思った」


「あたしが気まずくって連絡しなかったとは考えなかったわけ?」


「考えないではなかった。だが、たとえ気まずかろうと、普段の川原ならやはり俺に義理を果たそうとするだろう」


 敷島は少しも表情を変えずに言った。それがあたしにはかえって辛かった。


「一連の事件について、俺は長いことある先入観を拭いきれずにいた。転落死した高校生の中で、秀彦だけは便乗犯によって殺されたはずだという先入観をな。きっと俺は秀彦の死だけを特別なものにしたかったんだろう。他の馬鹿な連中がジャンピング・ジャックのゲームに参加していたのだとしても、あいつだけは違うと信じて疑わなかった」


 以前ここで飯塚さんと話していた時に敷島が悔しそうな表情をのぞかせたのは、やっぱりそういう理由だったのか。


「山辺の電話は、視野狭窄に陥っていた俺を変える契機になった。川原が俺と隣で何を見て、何を考えていたのかを想像することでもう一度事件を見直したんだ。その上で、川原が何も語らない理由について想像を巡らした」


 敷島はその時のことを思い出してか、目を閉じてゆっくりと息を吸い込んだ。


「頭痛がするほど考えぬいた後で、俺は山辺に一通のメールを送った。川原の兄貴は今どこで何をしているのか、とな。すぐに明瞭な答えが返ってきたよ」


「誰にも言ってなかったのに」


「隠そうとして隠し通せることじゃないさ。ただでさえ、流さんはサッカー部では生きた伝説とまで言われていた人なんだから」


 ――帰郷した兄の変わりようを知っていたのは、初芝先輩だけじゃなかったんだ。


 あたしは何故かほっとしたような気分で、マグカップの縁を撫でた。


「ともあれ俺は、山辺の返信でようやく事件の全体像と、川原の沈黙の意味するところを理解したわけだ。もっともこの時は、ジャンピング・ジャックの正体が流さんだということまでは気づいていなかったがな」


「気づいていたらむしろおかしいって」


「時刻は十一時を回っていた。川原の携帯電話はもちろんつながらない。散々迷ったあげく、俺は山辺に頼んで家の電話に連絡してもらうことにしたんだ」


 着信拒否してましたからねぇ。


「結果は最悪だった。川原だけでなく流さんの姿までもが見えなくなっている。半泣きの山辺からそう聞かされて、俺はすぐさま家を飛び出したんだ」


「待って。敷島があたしたちを探すことにした経緯はわかったけど、なんでかぞくのふれあい大橋だと思ったの? 当てずっぽうってわけじゃないんでしょ?」


「流さんの足のことがあるから、家からそう遠くにはいかないだろうと踏んだんだよ。あの近辺で他に高低差のある場所はほとんどないからな。俺にしてみれば、分の悪い賭けではなかった」


「まっすぐ駆けつけてくれたんだ」


「白状すると一回間違えた。もう一カ所でかなり時間を食ってしまった」


「もう一カ所?」


「秀彦のマンションだよ。屋上はもちろん、あいつの部屋だとか非常階段だとか、考えられそうなところは全部探し回った」


「それであんなに汗だくだったんだ」


「納得したか?」


 敷島は不機嫌そうに言って、コーヒーグラスを手に取った。


「納得しました」


 敷島がコーヒーを飲む間、あたしはずっと窓の外の風景を見ていた。平日のメインストリートに往来は少なく、目につくのは歩道に植えられた何かの若木くらいのものだった。


「なんであたしなんかのためにそこまでしてくれるわけ?」


 やがて、あたしは植えられたばかりの街路樹から目を離さずに言った。


「別にお前のためにやったわけじゃない」


「あたしのことを恨んでたりしてないわけ?」


「携帯電話のことなら、前にも言ったがあれは俺の落ち度だ」


「それもあるけど、そうじゃなくて」


「――初芝先輩のことか?」


 あたしは敷島の方に向き直ると、無言でうなずいた。


「逆に聞くが、流さんの殺害を阻止されたことについて、川原は俺のことを恨んでいるのか?」


「そんなこと――」


 あるわけないじゃない。あたしは叫びそうになるのをどうにか堪えると、敷島を睨み付けた。


「川原が俺を恨んでいないのなら、同じことだ」


「同じことって」


「もし俺が自分一人で秀彦の死の真相にたどり着いていたなら、きっと俺はあの人にしていただろう。同じことなんだ。俺たちは一人きりなら人殺しだった。一人きりじゃなかったから、こうしてのんびりコーヒーを飲んでいられる。俺はそれで良いと思っているが、川原は違うのか?」


 試すような問いかけは、しかしいつもよりちょっとだけ優しい声でなされた。


「……違わない」


 赤らみ始めた顔をマグカップで隠しながら、あたしは呟くように答える。やっぱり敷島は大馬鹿野郎だ。


「警察に保護された実行犯たちは、素直に自分の罪を認めているんだって」


 話題を変えたいということもあって、あたしはふと思い出したことを口にした。


「ふーん」


「ただ、みんな口をそろえて兄の関与を否定しているみたい。『リュウは話を聞いてくれただけだ』『殺人は自分一人で計画して、自分一人でやったことだ』ってね」


「彼らにとっては、今でも流さんが救済者リーダーってことか」


「そう、だね」


 彼らにとっては。あたしにとってはどうなのだろう。あたしはマグカップをテーブルに戻して、中を満たす黒々した液体をじっと見つめた。


「もしかしたら……兄はあたしを次のジャンピング・ジャックにしようと考えていたのかも知れない」


「後継者、ということか?」


「操り人形といった方が良いのかもね。でも、そのためには、あたしがジャンピング・ジャックのゲームというで兄を殺害するという通過儀礼が必要不可欠だった。少なくともあの時の兄はそういうことを考えていたんじゃないかって」


 敷島はあたしの推測を肯定も否定もせず「流さんに確かめてみると良い」とだけ言った。


「いつかね」


 どうやら甘いのは外村さんだけではないらしい。あたしは素直にうなずいてから、うーんと伸びをした。


「あーあ。明日から学校かぁ。もう少しのんびりしたかったんだけど」


「ついでに言うと来週から期末テストだ」


「人が忘れたがっていることを思い出させないでよ」


「安心しろ。俺もまるで準備していない」


「何に安心しろと。あーもう、謹慎中あたしは一体何をしてたんだ……」


 あたしは顔をしかめて呟くと、椅子にもたれかかった。


 外村さんからきつくお叱りを受けたあたしたちだが、事件に関連して処分を受けるということはなかった。でもそれはあくまでほーりつ的なお話。我らが五十海東高校は、当校の名誉を著しく損ねたということで、あたしたちに三日間の停学処分を下したのだ。


 ま、あたしに関しては家の中のことに集中できたから良かったのだけど。あたしがやらかそうとしていたことを考慮するなら、軽すぎる処分だし。


「もう、他に聞きたいことはないのか?」


「大体聞いたかな。あ、いや。まだ一個あった」


「何だ」


「敷島、かぞくのふれあい大橋でサッカーボールを蹴った後で、『思い通りに蹴れない』みたいなこと言ってなかった?」


「そうだったか?」


 首を傾げる敷島だったが、その目がかすかに泳いだのをあたしは見逃さなかった。


「本当はどこを狙って蹴ったの?」


「いや、それはだな」


「誰を狙って蹴ったの?」


 あたしはにっこりと微笑みながら伝票を敷島の方へと突き出した。


「くそ、なんて女だ」


 そう言って、渋々と伝票を受け取る敷島。やっぱりあのサッカーボールはあたしにぶつけるつもりで蹴ったらしい。乙女に対してなんてことをしやがるんだ。


「……そもそも本当に女なのか?」


「聞こえてるっつーの」


 エッグバンズの残りにかぶりつきながら、あたしは奇妙なおかしさを感じていた。


 敷島のことが腹立たしくてしょうがない自分。


 敷島のことをパートナーとして信頼している自分。


 敷島の優しさを時々うざいと思う自分。


 ……敷島のことを嫌いなわけではない自分。


 どれ一つとっても本当の気持ちだけど、どれか一つでは本当ではなかった。


 かつて兄のことを殺そうとしたことや、いつか兄のことを理解したいと思っていることも、そうだった。


 あたしは微苦笑を浮かべて、もう一度窓の外を見る。


 街路に植えられた名前のない若木は、これからどんな風に育ち、どんな風に剪定されながら、この街に根を伸ばしていくのだろうか。今はまだ想像することさえできない。できないけれど、それでもひとつだけ言えることがある。


 ――さよなら、ジャンピング・ジャック。


 心の中でそう呟くと、あたしはエッグバンズの最後のひとかけをコーヒーで流し込んだ。


 ⇒be continued to "School Murder Festival"

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ジャンピング・ジャック・ガール mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio

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