第16話
「三日後…乗り込む? えっと、どこに?」
口角を上げるミコとは裏腹に、不穏な気配を感じ取った僕は、恐る恐る尋ねる。
「相手の懐に、さ」
「はぁ? いや、ちょっと待てよ。相手の不確定要素があるうちは慎重になるんじゃなかったのか」
「もちろんその指針は変わらない。出来うる限り相手の手の内を暴いた上で確実に仕留める…そのためにあえて相手の交渉に乗ってやるのさ」
交渉という言葉に、僕は何となくミコがやろうとしていることに察しがつく。
向こうのネクロマンサーはミコと事を構える気がない。相手の目的は不老不死になること。
それは何千年も活動しているミコでさえ越えられなかった。だからおそらく現時点では絶対的に不可能なことなのだ。
相手にとって重要なのは不老不死そのものではなく、あくまで自分という人格を保ったまま至ること。
そういう意味では、遠藤ミコという存在は唯一無二であり、理想そのままといっていい手がかりだ。争うのではなく、対話交渉によって情報を手にいれることが理想だろう。
「…つまり交渉するふりをして、相手に直接探りを入れるってことか」
「その通り。実はもう向こうには脅迫…ごほん、もとい連絡はしてある。お前が放課後橋本に会えなかったのは、そのためだろうな」
「まさか橋本先生に直接? それじゃあ、もしかして先生は自分が屍人だと認めたのか?」
「…直接的な発言はなかったがな。まぁ、お前にはそう言ったところで信じないだろうから、わざわざこんな資料まで準備してやったんだ」
言いながらミコは肩をすくめた。確かに僕が今手にしているこの資料たちがあるのとないのとでは、説得力は段違いだ。
「でも…どうしてわざわざ? 別に僕が信じるかどうかなんて、問題にならないだろ」
「それはお前にも働いてもらうからさ」
ミコはおくびにも出さずそう答えた。ただそれでも僕の中に納得は生まれない。
「命令、すればいいだけじゃないか」
彼女には有無を言わさずにそうできる力があるのだから。僕は逃げるように視線をミコから外す。まだ一口も飲んでいないアイスコーヒーのグラスはすっかり結露していた。
「…はぁ。お前が私に対して思うところがありそうなのは理解した。しかし言っただろう。私はいたずらにお前の意思を強制することはないと」
ミコはため息を吐きながら言った。そうだ、確かに彼女は出会った頃、僕の意思を捻じ曲げるようなことはしないと言った。それは自分の理念に反するからと。
しかしそれでは納得できないこともある。
「じゃあ、昨夜のことは…上沢を、わざわざ見捨てたのはどういうことなんだ。いや…多分相手の力量を測るためだと、その理由は分かってる。あくまでも目的を果たすために、手段を選ばないのだと。でも、だったらどうして今もそれを徹底しないんだよ」
ずっと心の奥で燻っていた、ミコに対する不信感が口から溢れ出た。
目的を果たさんと冷徹になる一方で、従えた屍人の僕の意思は尊重しようとする、非情とは対岸にあるこの矛盾。
彼女には圧倒的な力がある。あの黒い男——橋本先生にただ刻まれるしかなかった僕とは違う。
力があるということは、選ぶ権利があるということだ。
分かっている。これが自分の不甲斐なさを棚に上げて、一方的にミコを糾弾しようとする僕の理不尽で自分勝手な感情であるということは。そして、ミコにはミコの思惑があり、そこに口を挟む権利など僕にはないということも。
「…なるほどな。つまりお前は、私に命令されたいのか? 自分よりも小柄な女に顎で使われて支配されたいと。実に歪んだ趣向だな」
「違っ…そんなわけないだろ! 僕は真剣にだな…」
しかしミコは僕の感情と向き合うことなく、わざとらしい嗜虐的な笑みで揶揄うだけ。わずかにすらその胸の内を開かそうとしない態度に、僕は思わずカッとして身を乗り出してしまう。
僕の瞳をじっと見つめてくるミコ。まるで飲み込まれそうなその大きな瞳には、釈然としない僕自身が写り込んでいた。
やがてミコは再度大きなため息を吐き、その瞳を僅かに伏せながら、
「分かっている…ただ言葉にしたところで、お前に理解はできないさ。私にだって、お前のその目の前の誰かを誰彼構わず拾い上げようとするとことは理解できないのだから」
「…そ、それは」
「私には私の目的がある。お前の目的は、まぁかつての
僕は返す言葉が見つからずに中途半端に開けた口は硬直したまま動かない。
上沢を助けようと思ったあの時の気持ち——危険があると分かっていて、それを放置することの罪悪感や、助けられる可能性が自分にはあったと錯覚して、今思えば薄っぺらい使命感や正義感に突き動かされていた。
僕の目的は…確かに自分の記憶を取り戻すことだ。それだけを果たすのなら、勝手に動かずミコに従うのが一番の近道だろう。彼女の下僕で道具の屍人として在り続ければいい。
それでも僕は自分のことを人間だと思っていたかった。いつしか記憶を取り戻した時、元の自分として生きていけるように、その道だけは踏み外したくない。
きっと根底にあるのはそんな思いだろう。でも僕には記憶がない。だから自分の中に確固たる正義がなく、降りかかる事態から目を背けることに罪悪を感じる。
そんな空っぽな僕が人の道を踏み外さないようにするには、常識という型にはまったハリボテのような正義感に縋りつくしかない。
だからミコのように、自分意思で一線を引き、取捨選択することが怖い。それが正しいか間違っているか、今の僕にはわからないから。
「僕は…」
この思いを言葉にしたところで、きっと理解は得られまい。空っぽであるこの感覚がなければ、絶対にわからない。
それでも言葉にする意味なんてあるのだろうか。
”愛しているからこそ、自分の意思とは切り離す”
先ほどのミコの言葉を思い出す。まさか僕に対して彼女がそんな感情を抱いているとは到底思わない。
しかし”ネクロマンサーにとって”と前置きしたということは、あの言葉にはミコ自身も含まれているということだ。
彼女はそうやって、自分の手のうちに残すものだけを厳密に定めて、線引きしているのだ。それが彼女にとっての正義——とまではいかないかもしれないが、少なくとも彼女の中にある絶対のルール。
死者を使ってまるで生きている人間のような屍人を生み出すだけではなく、圧倒的な力すら持っているというのに。その気になれば、誰だって救うことができるし、誰だって従えることもできるはずだ。
つまり結局のところ僕にだってミコのことが理解できないように、僕のことを彼女が真に理解することはできない。
「…ごめん。話の腰を折った。それで僕は一体、何をすればいいんだ」
どうせ僕には拒否権はない。いや、もしかすると本気で拒めばミコは強制しないかもしれない。
それでも僕にはやっぱり、現状をミコ1人に押し付けて、自分だけ何もしないという選択肢を選ぶことはできそうになかった。
犠牲を厭わないミコのことだ。もし彼女1人で対処することになれば、不必要な犠牲が出るかもしれない。
その可能性を知りながら見て見ぬふりをしてしまったら、いつの日か僕は人の道を踏み外すことにも何の躊躇いも持たなくなってしまうような気がするのだ。
「もっと駄々をこねられると思ったが、聞き分けが良くて助かるよ。今回お前がやることは、私の理念的な問題だけではなく、強制はできないからな」
「…どういうことだよ?」
「さっきも言った通り、相手との交渉は三日後だ。その間に、お前は
僕は一瞬頭がフリーズした。こちらを見るミコの挑戦的だが、決して冗談ではない気配から意識を逸らしつつ、僕はようやくアイスコーヒーに満たされたグラスに手をつける。
氷によって十分に冷やされているためか、舌を通過し、喉を通り過ぎるまでは冷たさしか感じない。しかし直後コーヒーの苦味が口全体に広がり、後味のすっきりとした感覚が、ようやく思考を働かせてくれる。
僕は静かにグラスを置いて、
「いや…えっ、はぁ? 僕が、戦う?」
「そうだ。当日橋本を抑えるのは、お前の役目になる」
「無理無理無理! そんなの、無理に決まってるだろ」
そのまま勢いで立ち上がってしまいそうになるのをギリギリのところで堪えて、僕は首が外れて飛んでいく勢いで左右に振った。
橋本先生——つまりあの黒い男と戦う?
どんな想定をしても、スプラッタな結末しか思い浮かばない。
「無理じゃないさ。お前も血解者になれば、条件は同じ…いや、この私が手を掛けた分、屍人としてはむしろ圧倒的格上だ」
顔を真っ青にしているであろう僕に向けて、ミコは整った小鼻を少し膨らませながらサムズアップしてきた。
「いや、冗談だろ…」
「本気も本気だ。血解の強さは、その屍人を手掛けたネクロマンサーの力量にも大きく左右されるからな」
「…百歩譲ってそうだとしても、戦うのが僕だぞ? ただの高校生」
それに屍人という特徴を除けば僕という存在は非凡なところが見つからないただの凡人だ。いわば死なない木偶の坊。
現に昨夜は逃げることすらままならず、痛みに喘いでバラバラになっていただけだ。
「随分と自分ことを過小評価しているようだな。まぁ、もちろんこの私があってのことだが、もう少し期待してもいいと思うがね」
「何を根拠に言ってるんだよ…」
「根拠、ね…それはもちろん、あるともさ」
断言するミコに、僕は思わず眉根を顰めてしまった。傍から見れば見た目だけは可憐な少女を、睨みつけている男子の構図。
同じ高校の制服を着ているとはいえ、女子と男子では、雰囲気が同じという共通点しかなく、全く知らない人には同じ高校の制服だとは分からないかもしれない。
…というか、今日休んだくせにどうして制服なんだろう。
ミコの不敵な笑みから、絶対に碌でもないことを言うに違いないと確信があったから、逃げるようにそんなことを考えてしまっていた。
「——お前には、血解を扱う橋本と相対した経験があるだろう?」
何を言ってくるかと思えば、あの体験をミコは経験というのか。僕にしてみれば、単に理不尽な力に晒されただけで、痛み以外の教訓なんて得ていない。
「…あんなので経験値なんて何も得られてないよ」
「本当にそうか? 実際、確かにお前は一度無残にも殺されてしまったが、その後は相手のあの斬撃波を避けていたじゃないか」
「避けていたって…いえるものでもないと思うけど」
直前に四肢を切断されたことが強烈にフラッシュバックしてしまうせいで、その後のことなんて上手く思い出せないが、あの時の僕の動きは避けるなんて高尚なものではなかった。
「確かに腰は抜けていたし、足も酷くもつれさせていたが、タイミングは見ていただろう。あれはどうしてなんだ?」
僕は徐々にあの時の記憶が鮮明になり出して、当時の思考も後からついてくるように蘇ってくる。
「あの時は…えっと、確か…あの斬撃が2回飛んでくると、その後次の斬撃までに少し時間が空いていたからそこで…」
次の斬撃が飛んでくるタイミングを見計らっていた。と言おうとしたところで、僕はようやくその自分の思考の気持ち悪さに気がついたのだ。
「ほう、そこまで具体的に考えていたのか。予想以上だな。ともあれ、あの状況でただの高校生が咄嗟に至れる思考ではないだろう」
反論はできなかった。自分でも、どうしてあの時そんな思考をしていたのか。危機的状況や直前の痛みで、火事場の馬鹿力的なことが脳内で起こっていたのか。
今の自分がまた同じ状況になったとして、あんな思考を働かせて行動する自分を想像することができない。
もしかして僕は何か精神的に特別な——
「ともあれ、別にそこまで特別なことでもないが」
期待という熱を帯び始めていた僕の少年心は、ミコのあっけないその一言で冷水を浴びせかけられたように消沈した。
「特別なことじゃないなら、どういうことなんだ?」
「屍人にはまれに起こる精神変化ということさ。お前は既に二度ほど死を超越している。その経験が無意識に、思考のロジックを変えてしまったんだ」
僕はふと、まだ半分以上残っているアイスコーヒーが入ったグラスを見る。丸く黒い穴のような表面に、僕の顔が映っている。
二度の死——忘れもしないミコと出会ったあの日と、そして黒い男の斬撃によってバラバラにされたあの瞬間。
でも僕にその思考のロジックとやらが変わった自覚はまるでなかった。そんな戸惑いに表情を濁らせていると、ミコは一呼吸置いた後に再び口を開く。
「今のお前にとって死とは終わりではなくなった。人というのは死という終わりにたまらなく恐怖するものだ。それがなくなったことの確信を得たお前にとって、次に避けるべきは…痛みだろう。痛みであれば避けることもできる。無意識にそう判断したお前の思考が、身体を恐怖ですくませるより、痛みを避けるための行動のために働くようになったのさ」
もう随分と長い時間座っていたような気がする。この喫茶店は座る場所にクッションがないため、長時間座っているとお尻が痛くなってしまう。
僕は思わず身を僅かに捩らせて、体重のかかる場所を変えた。痛みを少しでも和らげるために。
そんな自分の行動にハッとしながらも、ミコの方を見た。
「——要は、今のお前であれば、力さえ手に入れば、戦うこともできるはずなのさ」
ただそう締めくくられた言葉には、どうしても納得も受け入れることもできそうにはなかった。
Necromancer's Mother Print(ネクロマンサーズ・マザープリント) 日陰 @Hinata-hikage
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