第15話
“放課後、今後の動きについて話すため、いつも通りの喫茶店に集合”
午後の授業中にスマホへと送られてきたミコからのメッセージを確認しながら、僕は二度彼女と訪れていた例の駅前の喫茶店へと入った。
「いらっしゃいませ」
「すみません、友人がもう先に来てると思うのですが…多分、奥の方の席に」
僕は店員にそう言いながら、視線で店の奥の方を指す。ここからではミコの姿は見えないが、多分もういるはずだ。
店の奥に進むと、予想通りミコは店の奥の曲がった先にある席に座っていた。もう既にコーヒーとチーズケーキが並んでいる。どちらも半分くらい減っている状態だ。
「やっと来たか。先に頼んでしまったぞ」
「ちょっと担任の先生に話を聞きたくて探してたんだよ…いなかったけど」
放課後になって、僕は月守の話の最後に登場した橋本に話を聞こうとしていた。しかし結果は橋本の不在。どうやら彼は午後には早退していたらしい。
昼休みの時、時間があまりなかったから後回しにしてしまっていたが、あの時ならまだ顔を合わせることができたかもしれない。
結局僕は放課後にある程度橋本を探し、その後職員室で事情を聞くまでの時間を無駄に消費してしまったことになる。そして今、ミコに小言をもらう羽目になった。
「——ご注文がお決まりでしたら、お呼びください」
「あっ、すみません。僕はアイスコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
席に着いたところで水の入ったグラスを持ってきた店員にさっと注文だけ済ませ、僕は一息を吐いた。
「お前の担任というと、橋本一樹のことだな?」
「…そうだけど」
「何故、橋本に話を聞こうと思ったのかな?」
そう尋ねながら、ミコはコーヒーカップに口をつける。珍しくその視線は僕の話に興味があるといった感じでこちらにまっすぐ向いていた。
何か気になることがあるのだろうか?
「実は…同じクラスの子から、工藤さんと岸谷さんのことについて聞いたんだ。岸谷さんは姿を暗ます前に工藤さんに相談事をしていたみたいで、その内容が岸谷さんが橋本先生に好意を寄せていたって話だったんだ」
「ほう…その相談事が、何か手がかりつながると?」
「何となく、だけどな。相手はこの高校で怪しまれることなく、生徒を誘拐し続けているから、もしかすると生徒を攫う前に接触してるんじゃないかって思ったんだ」
僕は簡単に自分の思考の中にあった推察を口にした。するとミコは薄く、しかし艶やかな唇の端を釣り上げる。
そのタイミングで注文したアイスコーヒーが届いた。しかし僕はグラスに口をつけることなく、ミコの言葉を待った。
「良い着眼点じゃないか」
「…は?」
一方僕は裏を感じさせないミコの賞賛の言葉に、薄気味悪さを感じた。きっとそれが言葉と共に感情に出てしまっていたらしい。ミコは僕の顔を見て呆れたように嘆息すると、
「素直に喜びたまえよ、全く…まぁ、しかし今の言葉は紛れもない本心さ」
「どういうことだよ」
「つまり期せずして真相に近づいていたということだ…昨夜お前を襲ったあの黒い男の正体、それこそが桜織高校2年C組担任教諭、橋本一樹でほぼ確定した」
僕はただ大きく見開いて、空いた口からは言葉は出ず、思考が完全にフリーズする。
我に返ったのは、ミコが再度コーヒーカップに口をつけ、それをソーサーの上に戻した後だった。
「…何か、確証があるのか」
驚きと、咄嗟に出そうになる否定の言葉をグッと堪えて僕は問う。ミコが断言したということは何かしらの証拠を押さえてきたということだ。
まだ彼女と関わって日は浅いが、目的を果たすことに関して妥協のない人物であるということは理解している。
「裏付ける証拠は二つだ。そのうちの一つは昨夜に現場に残された足跡、もう一つは橋本一樹の履歴書だな」
ミコは自分の鞄の中からクリアファイルを取り出し、挟まれていた3枚の資料を僕に渡す。
1枚目の資料には、現場に残されていた足跡の写真がクリップで留めらている。明らかに素人作りの資料ではない。
「この資料って…」
「知り合いの警察から借りたものだ」
「知り合いの、警察…一体どれだけ広い人脈を持っているんだよ」
それもこんな明らかに調査中の資料を借りて持ってこれるなんて、単なる知り合いというわけでもなさそうだ。
「私も、この日本に来てそれなりに時間が経つからな。警察に探偵にハッカー…それ以外にも有力な伝手は揃えてある。社会に潜んだネクロマンサーを見つけるには必要な力だ」
それなりの時間があればどうにかなる問題なのだろうか…いや、それこそミコのいう時間というのは僕が思っているものより桁が違いそうだ。
その間にどれほどの経験をしてきたのだろう。
「流石年のこ——」
「お前にデリカシーというのを、今すぐ突き刺してその脳みそに送りつけてやろうか?」
僕の言葉は、目にも止まらぬ速度で、チーズケーキ用のフォークの先を、僕の鼻先に差し向けたことで遮られる。
「…ふ、不老だから別に気にする必要なんてないんじゃないか」
恐る恐る頭を後ろに下げながら言った。昨夜工藤と会話していた時も、めちゃくちゃ得意げだったことを思い出しながら。
「ふん、自分で誇るのと、相手に言われるとでは違うだろう。お前は…あれだな、女にモテないだろ」
「モテるかどうかわかるほど他人と関われてないよ、僕はまだ」
夏休み中は基本1人だったし、学校への登校まだたった数日。僕の可能性はまだまだ未知数と言える。
「儚い希望だな。これからその現実に直面するかと思うと、いっそ哀れに思うぞ」
ミコはフォークを下げて、鼻で笑う。少し小突いただけで、どれだけこき下ろされるんだ。
「——無駄話はさておき、その資料の続きだ」
「…この足跡が橋本先生のだって話?」
「そうだ。足跡の特徴から男性用の革靴であることは明白。さらにこの靴底は形状が特殊で、個人に合わせて作られた流行りのブランドのフルオーダーメイドだ。そんな靴を普段から履いている桜織高校の関係者は橋本一樹くらいしかいなかった」
僕はクリップで留められていた写真をめくり、その下に書かれてある調査内容に視線を滑らす。1日も経ってないのに、その資料には靴の形からどのブランドで、どの店で作られたかまで特定されている。
僕が顔を上げると、ミコは顎を小さく動かして、僕に2枚目の資料を見るように促してきた。
2枚目の資料を取り出して、足跡の資料を下にする。2枚目の資料は橋本和樹の履歴書であることは一目瞭然だった。
「これは…もしかしなくとも、またハッキングしたのかよ」
「知り合いのハッカーに依頼してな。ちなみに前学校でハッキングした際に使ったUSBの中にあるツールもそいつが作った。この資料は学校のサーバーに残っていた履歴書のスキャンデータだ」
「…で、これがどんな根拠になるんだよ」
「直接的な根拠になるわけではないが、見るべきは橋本一樹がこの学校にやってきた時期。去年の2月後半、ちょうどお前の学年が入る前のタイミングで、それまで担当していた先生の急な休職と入れ替わる形で入っている」
僕はミコの説明を聞きながら、資料の該当部分に視線を向ける。
「確かにそうみたいだけど、それがどうしたんだよ」
「桜織高校で最初に奇妙な神隠しが起きたとされるのは、おそらく去年の5月。三上という当時1年の女子だ」
橋本がこの学校にやってきたのは、僕たちの学年が入学してくる直前というのは、考えようによっては確かに作為的に感じないこともない。
「5月だろう? 時間的には離れているじゃないか」
「しかし生徒を攫うための準備期間、とも考えられないか?」
「そんなこと言ったら、去年赴任してきた先生は全員容疑者になるだろ」
僕は資料から目をあげて、無理に橋本に結論を繋げようとするミコの仮説に待ったをかける。
「まぁ、そうだな…とはいえ他の教師が4月からの赴任に対して、橋本だけ2月という不自然な時期だ」
「それだって、前の先生の休職っていう偶然のもじゃないか」
「確かにその点は確定的な情報がないな…何せ、その入れ替わる前の教師、今は音信不通の行方不明だそうだ。警察に捜索願が出されている」
こちらを見つめ返していたミコの目が不敵に細められる。
投下された爆弾的な事実。その威力はそれまでの懐疑的な思考を吹き飛ばすには十分だった。
事実なのだとしたら、確かに橋本一樹は相当にきな臭い。
「もう1枚の資料は?」
「そちらは三上という女子生徒が最初の犠牲者であることの補足資料だな。今のところ、彼女より先に神隠しにあった生徒は確認されていない」
「これは…SNSのタイムライン?」
最後の一枚の資料にまとめられていたのは、1つのアカウントが投稿したと思われるタイムラインが画像でまとめられたものだった。
書き込みの内容にも目を通してみたが、その内容のほとんどが見るに堪えない誹謗中傷ばかりだった。
「三上が利用していたアカウントの投稿内容だ。ほぼ毎日欠かさず投稿されていたものが、彼女が消えた日から今日まで投稿がピタリと止まっている」
「屍人にはSNS活動をさせてなかったわけか」
「というよりは、できなかったのだろうな。相手が作っている屍人は橋本を除き、複製した個性のない魂を入れただけの人形。そこまで複雑な行動は直接操作しない限りはできない」
三上が実際に殺され、屍人として再現されたかどうかは、今も学校に通っているところを確認すれば一目瞭然だろう。
しかし3枚目の資料と、ミコの話を聞いた現状でも十分に確証は持てる。最初の犠牲者である三上、そしてその1ヶ月弱前に桜織高校にやってきた橋本一樹こそ、昨夜僕と上沢を襲った黒い男。
「…橋本先生が黒い男なのだとしたら、じゃあ先生を従えてるネクロマンサーは一体誰なんだ?」
「昨夜の現場からは主人の痕跡は当然見つかってない。相手は工藤を操り、本人は別の場所にいただろうからな。むしろ、私より橋本の近くにいたお前の方こそ、心当たりはあるんじゃないか?」
ミコが残りのチーズケーキを食べ始める。なるほど、情報の共有とそのことを尋ねるためにわざわざ呼び出したわけか。
心当たり——正直今この時まで橋本をまるで疑っていなかったから、咄嗟には出てこなかった。
でも記憶を辿っていくにつれて、僕は1つの回答を得た。
「…保健室の、
「
僕が答えを出した時のミコの反応は、思ったよりも淡白なものだった。チーズケーキは完食し、今は口元をテーブルナプキンで拭っている。
一方で僕は一度天城の名前を出したことで、どんどんと疑いの念が濃くなっていく。
「相手が攫うのは、家出をしてもある程度不審に思われない生徒だった。でもこれって、その生徒の事情を詳しく調べられる立場じゃないと難しいと思わないか?」
「そうだな。現にそのうちの1人は橋本一樹。教師という立場なら、生徒の抱えている問題を知りやすい立場だ」
「天城先生もそうだよ。今日も見たんだ。女子生徒が保健室に入っていくところを」
さっきの昼休みで、月守との話を終えて教室に戻る時に微かに感じたひらめきのような感覚。その正体を今はっきりと言語化して理解することができた。
「あぁ…保健室登校というやつか」
「問題や悩みを抱える生徒が学校に登校する手段として保健室を頼る。そういう生徒に対して、天城先生は相談相手として接することができる。攫いやすい生徒の選別も簡単にできるじゃないか」
「そうかもしれんな」
僕としてはかなり確信に迫る推察をしているつもりだが、ミコの方はあまり興味がないといった感じだ。
「…もしかして僕、見当違いなことを言ってる?」
「いや、そいうわけではない。ただ重きはそこにはないというだけだ。どのみち、本丸の正体なんて、引き摺り出せば分かることだからな」
「それじゃあ、問題はなんなんだよ」
「前にも言っただろう。問題は相手の戦力。明らかに桜織高校を、素材の収集場として入り込んだ橋本一樹と、昨夜の黒い男が同一人物であることは確定した。問題なのは他に橋本のようなレベルの屍人が相手の手札に存在するか否か」
そういえばそんなことも言っていたか。あの黒い男——橋本は、血解者という異能力者でもあり、血を使ってあらゆるものを切断することができる。
確かにそんな存在が他にもまだいるとするなら、危険極まりない。
「でもそんなの事前に確認しようがなくないか?」
「そうでもないさ。あの黒い男と橋本がイコールで結ばれた時点で、問題は解消されつつある」
「…どういうこと?」
あの黒い男が橋本だとして、他にも血解者が相手側にいる可能性は否定しきれないはずだ。学校内だけではなく、学外にも潜んでいる可能性もあるのだから。
「今朝相手が上沢を通じてお前に接触してきたという話を聞いて、半ば確信したね」
言われてもピンとは来なくて、僕は首を傾げた。するとミコはため息を吐いて、少しだけ身を乗り出した。
「お前の話を聞く限り、相手は橋本にかなり執着している様子だった。まぁ十中八九、女だろうな」
「言われてみれば、確かに…」
彼を愛しているとか、同じになるとか言っていた。それに声こそ上沢だったが、口調や雰囲気は女性的だった。
「執愛とも呼べる感情を抱いている様子から、橋本のことをただの持ち駒とは考えてはいないはずだ。それなのに屍人にする素材を集めさせたり、便利に使っているのはおかしいだろう?」
「おかしい、のか…? 信用できるからこそ、任せているとか…」
「…ない。自分が愛して、大切にしている存在だからこそ、そんなことは絶対にできないはずさ。私たちネクロマンサーにとってはなおさらな。愛しているからこそ、自分の意思とは切り離すんだ。そうしなければ、自分の愛が無機質な一方通行だと、悟ってしまうから」
そう語るミコの声には、妙な実感がこもっていた。僕は何千年と生きるミコの、たった数日しか知らない。だからその瞳を揺らす感情が何かすら、理解することができない。
僕が困惑していると、ミコはさらに続けて、
「まぁ感情論抜きにしても、おかしい点はあるさ。例えば橋本のあの切り裂く能力…どう考えても人間を集めるには不向きだ。いちいちバラバラにしては、屍人にする時無駄に手間がかかる」
「…それは確かに、そうかもしれないけど、能力を毎回使うとも限らないだろ」
「もちろんそうかもしれないが、どちらにせよ相手が表立って使っている駒が今の所1つである可能性は高い。そしてそれを手っ取り早く、かつリスクも最小限に確かめる方法について考えがある」
その頃には、ミコの少し儚げな気配はすっかりなくなって、いつも通りのシニカルな笑みが戻っていた。
「考え…その顔からして、ロクなことじゃなさそうだな…」
思わずポロリと心情がもれ、それを聞いたミコの笑みがさらに深くなった。
「——三日後、乗り込むぞ」
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