第14話

 時は過ぎて昼休み。月守はまだ教室には戻って来ていない。もう帰ったのか、まだ保健室で休んでいるのか。


 確かめるためにこの昼休みを使って、保健室まで向かった方が良いか——いや、そこまでして話を聞き出そうとすると、変に勘繰られたり、悪い印象を与えてしまうのではないだろうか。


 先程の水無川との問答で痛感した。今の僕は傍から見れば、さながら終わって無事収まった出来事を掘り起こす墓荒らしのようなものだ。


 そもそも岸谷が工藤にしていた相談の内容が、この学校に潜むネクロマンサーに繋がるかどうかなんてただの憶測だし、それもかなり低めの可能性だ。


 でも僕にはそれ以上のアイデアは何も浮かばない。そもそも僕一人で探ろうとすることに無理があるのだ。やっぱりこれ以上何かをするのは、ミコを待った方がいいかもしれない。


 1人で動いたって碌なことにならないのは、上沢の時に痛いほど実感させられたじゃないか。自分の行動が裏目に出るのはもう懲り懲りだ。


 ミコの方はどうだろうか。昨日の工事現場で、相手の痕跡を探しているようだが、何か相手を特定する手がかりは見つけたのだろうか。スマホに連絡のメッセージは入っていない。


 何もしないなら、待つしかない。


 黒いスマホの画面に、自分の顔が映る。空っぽで、気概すらも削ぎ落ちてしまった自分の顔が。


 僕は弾かれるようにして顔を背ける。その先にあったのは、至る所で歓談の花が咲く教室。日常の光景。しかし同時にフラッシュバックする。昨夜の凄惨な殺戮の光景。この日常の影には、あの殺戮が潜んでいるのだ。


 どこに目を逸らしても、瞼を閉じても、逃れることはできない。何もしないということは、この幻影と罪悪の後悔に苛まれ続けるということ。


 それもまた、僕には耐えられそうにない。


 だから席から立ち上がり、重たい足取りのまま教室を出て保健室に向かったのは、決意したからじゃない。ただ現状からの逃走手段が、これしかなかったからだ。


 やれるだけやる。それで無理なら、きっと納得できる。そうすれば、瞼の裏に映るこの幻影も消えてくれると信じて。


 保健室の前にはいつの間にかたどり着いていた。


「——あれ、式島しきじまくん?」


 僕が保健室の引き戸にノックしようとしたちょうどその時、引き戸の方が開いた。その向こうにいたのは、きょとんとした表情の月守麗奈。


月守つきもりさん、良かった…まだいてくれて」


「ん、もしかして私に何か用ですか?」


「そう、なんだけど…月守さん、体調の方は?」


「さっきまで少し寝ていたので、体調は良くなりましたよ。午後からまた授業に出るつもりです」


 僕は月守の顔色を伺う。確かに体調が悪そうに見えないし、我慢しているようにも見えない。午前の授業から昼休みまで、十分に休めたらしい。


「それは良かった。えっと、それでその…」


「ちょっとここからは捌けませんか? 保健室の前で立ち話というのも他の人の邪魔になるかも」


 僕が話を切り出そうとしたところを、月守の最もな意見が遮る。僕は言葉を切って頷くと、近くの階段隣にある小スペースに移動する。


「それで、話って何ですか?」


「実は月守さんに聞きたいことがあって…岸谷さんのことなんだけど」


海音みおのこと? そういえば式島くんって、ネットのオカルト掲示板で書かれている神隠しについて調べてるんでしたっけ。でも、海音は帰って来ましたよね?」


 月守は人差し指を顎に手を当てながら疑問符を浮かべた。月守はどうやら神隠しの噂について、水無川みなしがわほど把握はしていないらしい。


「正しくは、神隠しにあった人が、数日後に人が変わったような状態で戻ってくるって内容で、オカルト掲示板で噂になってる」


「へぇ…戻ってくるのに神隠し、何ですか?」


 月守は興味深そうに目を少し輝かせる。もしかして、この手の話が好きなのだろうか。


「普通の神隠しとは違って、身体は戻り、魂だけが消えるんだ。だから戻って来た時に人が変わっているように見えるんだって」


「じゃあ、もしかして今の海音や、梨花りかは偽物ってこと? でも…確かに今日の2人はあまり元気がなさそうな気もしましたけど」


 月守は神妙な表情で問いかける。オカルト話を全く鵜呑みにしない水無川とはまた違う反応で、微かな可能性の芽生えを感じた。


「そういうことだから、一応本人が戻ってきても調査を続けてるんだけど…」


「そういうことだったんですね。それで、海音や梨花のことをよく知っている私に話を?」


「ああ。特に岸谷さんのことで。実は昨日上沢から聞いた話なんだけど、岸谷さんが家出をする前に工藤さんに何か相談をしていたらしいんだ。どんな相談事をしていたか、分からないかな?」


 水無川と同じように、僕は昨夜の出来事の記憶に蓋をしつつも、掬い出した情報だけを口にした。すると月守は軽く目を見張った後、少し戸惑いの表情を浮かべる。


 明らかに知らない人の反応じゃない。当たりを引いた感覚と僅かな高揚があった。


「えっと、その…この話って、もしかして何か記事になったりするんですか?」


 月守の視線が泳ぐ。


「しない、しない! あくまで自分を納得させるため、というか…一度調べ始めたから、もやもやしたまま終わりたくないだけなんだ」


 水無川の時は上手くいかなかったが、今度はするりと嘘が出て来てくれた。記憶喪失になってから今日まで、すっかり嘘も吐き慣れていただけに、いつもの調子が戻って安堵する。


 嘘に安堵するなんて、碌でもない性分になってしまったものだ。


「う〜ん…誰にも話さないって約束してくれるます?」


「それは、もちろん。絶対に話さない」


 僕が迷わず断言すると、月守はしばし宙空を見つめて何かを思い悩むような表情をしたかと思うと、次の瞬間にはけろっとしたものに変わった。


「分かった。ここだけの話にしてくださいね? これで噂になったりしたら、犯人は式島くんということになりますから。とはいっても、前に話したように、私たちの間で相談事とか、個人的なことって別に共有されているわけではないので、梨花に相談した内容かどうかは分かりません。ただ、その時期に私も海音から相談を受けていました」


「どんな相談を?」


「一言でいえば、恋愛相談です。まぁ、私たち女子高生の悩みといったら、恋ですよね」


 友達の秘め事を打ち明けているはずが、月守はまるで自分に当てはめるようにして、頬を紅潮させている。その様子に、僕は毒気を抜けれてしまった。


「ただの恋愛相談…そっか」


 元々望み薄な可能性だったから落胆するのもおかしな話だが、もっと深刻な悩み事を期待してしまっていた。


「ただの恋愛相談? それは違いますよー」


 しかしそこで月守が頭を振る。


「どういうこと?」


「相手がね、少し…えっと、ぶっちゃけると、橋本先生だったんです。海音が好きになったのが」


 生徒が教師を好きになる——物語の世界ではよくある設定だが、現実的に考えれば、確かに普通の恋愛とは言えない。


 これが岸谷が工藤にも相談していた秘め事。


「岸谷さんは、その…何か具体的な行動に移したのか? こ、告白とか…」


「その、多分…ですけど」


 月守は小さく頷いた。多分ということは、実際に行動したかどうかを知らされてはいないということだろう。


「私に相談してきた時は、告白するべきかどうかって内容でしたから」


「月守さんは、なんて答えたの?」


「本来なら応援すべきだったのでしょうけど…その時は反対しました。橋本先生には恋人か、好きな人がいますから…傷つくと分かって、その背中を押すことは私にはできませんでした」


「え、そうなの?」


 僕は一瞬、保健室の方を見る。そしてその向こうにいるであろう、天城先生の顔を思い浮かべた。昨日の様子から2人がそういう関係ではないと分かるが、あるいはと想像してしまう。


「元々、海音から打ち明けられる前に、彼女が橋本先生に思いを寄せていることはなんとなく分かっていたんです。だから海音がいないタイミングで、梨花と一緒に橋本先生に聞きました」


 なんというか、意外だ。橋本は確かに爽やかイケメンで、教師生徒問わず異性にモテることは間違いはないが、どうも恋人がいるというイメージは持てなかった。


「じゃあ、工藤さんも…」


「多分望み薄だとは梨花も分かっていたはずです。でも、梨花は私よりずっと海音と仲が良かったから、もしかすると後押しをしていたのかも」


 もし橋本に思いを告げていたのなら、言葉通り上手くはいかなかったはずだ。その傷心を家出の理由として、校内に潜んでいるネクロマンサーは2人——まずは岸谷の方に接触したのだろうか。


「岸谷さんが橋本先生に好意を寄せていることを知っているのは、月守さんと工藤さんだけ?」


「どうでしょう…海音って結構分かりやすいところがあったので、察している人は多かったんじゃないでしょうか」


 つまりこの情報からこの学校に潜むネクロマンサーを特定することは難しいということか。


 ただ次に繋がる情報でもある。橋本なら、何か知っているかもしれない。


「そっか…ありがとう月守さん、とても参考になった」


「絶対誰にも話しちゃダメですからね?」


「分かってるよ。誰にも話さないし、記事とかにもしないから」


 そこはきちんと守ろう。もっとも、僕が話す話さない関係なく、岸谷が橋本に好意を寄せていることは知られているようだが、もし他の人からその話を聞いても、初めて聞いたようなリアクションもしてやるつもりだ。


 そして僕の真摯な態度が月守にも届いてくれたのか、それまで上目遣いで心配気な表情をしていた彼女がぱっと笑顔の花を咲かせた。


 不覚にも心臓が高鳴る。月守はクラスの中でもとりわけ美人で、少し明るめの茶髪のロングの華やかさに、穏やかな性格と上品な佇まいによる清廉さまで加わり、まるで非の打ち所がない。


 成績上位者でもあるらしく、授業中にかける銀縁の眼鏡は、彼女の清楚度をぐっと押し上げ、たまに僕も目線を奪われることがあった。


 そんな彼女とこんな近い距離で会話し、尚且つ華の咲くような笑顔を向けられて、今更ながら僕は自分の顔が熱くなっていくのを感じる。


「良かった…って、式島くん? 何だか顔がすごく赤いけど…もしかして熱とか」


「あぁ…っ、いや、これはその…ていうか、その質問は天然?」


 明らかに美人の顔を近づけられて戸惑っている姿だろう。


「さぁ、どうでしょう? でも、体調が悪いなら保健室で休んだほうがいいですよ。私、一応保健委員だし、連れて行ってあげましょうか」


 月守は小悪魔的な笑みを浮かべる。 人を煽ることだけに長けたミコとは天と地ほどの差がある蠱惑感。


「だ、大丈夫だって。というか、保健室目の前だし…それをいうなら、月守さんの方こそ、本当に午後の授業出て大丈夫なのか?」


「私はもう全然平気。それに午後の授業、数学だからちゃんと出ておきたいんです」


「…さすが優等生だな」


「普通ですよ。式島君の方こそ、来年には受験なんですから、本腰入れなきゃですよ。うちの高校、かなり評判が良くて推薦枠も多いって聞きますし」


 大学受験。記憶喪失になってからの僕にとっては、何というか実感のない話だ。


「月守さんはもう進学先は決めてるのか?」


「いえ、今はまだ選択肢を増やしているところでしょうか。ただ、できるだけ上の大学を目指そうとは思ってますけど」


 高校生として理想的な回答に、称賛の気持ちが口から出そうになったところ、スマホのバイブ音に遮られる。僕のではなく、月守のものだ。


「碧波からだ」


「あ、ごめん。関係ない話までしちゃって。岸谷さんのことについて、教えてくれてありがとう」


「どういたしまして。それじゃあ、私は先に教室に戻りますね」


 そう言って、月守は素早くスマホをタップして、おそらく水無川に連絡を返した後、その場を後にした。


 1人になった僕はしばし考える。岸谷が心に抱えていた問題については判明した。しかし直接的な手掛かりになるかといえば微妙だ。


 ミコにはこの学校に潜んでいるネクロマンサーについて探りを入れろとのことだが、岸谷の件については報告するべきなのだろうか。


 せめてもう少し辿ってみてもいいかもしれない。たとえば、それこそ告白されたであろう橋本にあたってみる、とか。


「…何でこんな入れ込んでるんだ、僕」


 ふと自問する。ミコは別に僕に強制しているわけではないし、真面目に取り組む必要なんてない。それにミコの目的を考えれば、協力もしたくないというのが本音。


 見て見ぬふりをするのが嫌だとか、結局強制されたら何も抗えないからとか、ずっとそんな理由で動いてきたが、受験はともかくこれからのことを僕はもっと考えるべきなのではないだろうか。


 記憶がなくて、寄る辺ない僕なんかは特に——


 どうしてこんな普通じゃない事態に巻き込まれてしまったのか。それはきっと記憶を失う前の僕に原因があるのだろう。


 かつての自分を恨みながらため息を吐いて、僕も教室に戻ろうと歩き出したところ、ふいに保健室の方に意識が向いた。


 その時ちょうど、名前も知らない女子生徒が1人、俯きがちで保健室に入るとことだったのだ。胸元のリボンの色から、1年生であろうことは分かる。


 体調が悪いのだろうか。すごく不謹慎な気持ちであることは自覚しているが、僕もあの保健室の中にあるであろうベッドで休みたい気持ちが湧き出る。特に体調も悪くないのに。


 教室に戻り、正常の中に潜む影の存在を意識し続けるストレスや自分の行動への葛藤に晒され続けるのは苦しい。


 女子生徒が保健室に入り、その扉を閉めた。僕はその様子を見届けて、直後頭の片隅で小さく思考がスパークしたのを感じた気がした。


 でもすぐにそれは消えて、僕は教室の方へと億劫な気持ちを抱えながら歩き出した。もうすぐ昼休みも終わる。


 逃げたところで、その先にあるのは、記憶も感情も、思考も意識さえ喪失した生ける屍以下の、動く死体なのだから。

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