第13話
教室に戻った後も、僕は緊張という糸に縛られたままの気分で着席することになった。
着席するとほぼ同時に橋本先生が教室に入り、1日が始まる。順々に生徒の名前が呼ばれていく中、僕はずっと俯いて何もない机を見つめていた。
「−−よし、工藤」
「はい」
橋本が名前を呼び、呼ばれたクラスメートが返事をする。その繰り返しは右から左へと聞き流されていたのに、
僕は顔を上げて、声の方を見る。教室には工藤梨花がいて、その近くの席には岸谷海音であろう女子の姿もあった。
それからも橋本の点呼は続いた。当然僕も点呼を受け、全員の点呼が終わった後、
「ようやく全員揃ったな」
橋本が優しく微笑みながら言った。なぜか女子たちの視線が熱っぽくなっているような気がする。流石、メンズアイドル顔負けの爽やかイケメンである。
同時に男子勢の嫉妬も吹き荒れた。「おのれ…朝点呼するだけでこれかよ…っ!」「今日も右手首の腕時計をこれ見よがしに輝かせやがって」なんて声まで聞こえてくる始末。
その様子を見て、僕は少しずつ緊張から解放されていく。目の前には日常的な雰囲気が広がっている、ように見える。
たとえ偽物が混ざっていると分かっていても、落ち着きたい僕は今のこの雰囲気に身を委ねるしか無かった。
そのおかげもあってか、1限目が始まる頃には冷静になれていた。
工藤や岸谷がこちらに意識を向けている気配はない。とりあえず今すぐ何かされるということはないようだ。
僕は授業が始まると、板書をとるフリをしながら先ほどの
相手の目的…これはきっと不老不死になること、だろう。昨夜ミコと会話していた時も、それらしい含みはあった。
それに向こうが停戦を申し込んできたのも、ミコが身体の時を止めるとかなんとかで、不老不死であることが知られたからだった。
今朝もミコと敵対を避けるためにわざわざ僕の方に接触し、停戦するための交渉まで図ってきた。よっぽど不老不死というものに執着していると思われる。
もしかしてこの学校で起こっていることも、不老不死になるためなのだろうか。実際ネクロマンサーのミコは不老の特性を得ている。それに屍人となった僕も、不老かは分からないが不死みたいなものだ。
死霊術は決して死者を蘇らせるためだけのものではないのかもしれない。
今もなお桜織高校の生徒の家出が続いていることや、ミコとの停戦に躍起になっていることを考えると、相手の不老不死計画はあまり上手くいっていないようだ。
そしてもう一つの気になる点——僕や上沢を直接襲ったあの黒い男の
他とは違って
ただ相手の反応を見る限り、特別という意味は何もこちら側だけが抱く印象では無かったらしい。きっと相手にとってもあの黒い男は別の意味で特別なのだろう。
たった一人の愛してくれている人、だから同じになりたい——これが目的であろう不老不死に繋がるとしたら、あの黒い男は
それが他の生徒の屍人と異なる理由なのだとしたら、少し飛躍した希望的観測になるが、血解を持つ屍人はあの男一人かもしれない。
いつの間にかノートには、僕自身の思考が簡単な図と文字でまとめられていた。板書は取っていない…しまった、もう黒板は消されてしまっている。
焦る気持ちが込み上げてきて、でも既にどうしようもなくなった状況で、僕は消された黒板とノートを交互に見ることしかできない。
そして次の板書を先生が黒板に書こうと、チョークを押し当てたところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
次の授業が始まるまでの10分間の休み時間、僕は前の授業でまとめた自分の考えや、今朝の出来事をミコに共有するために、早足でミコのいるであろうS科の教室がある別棟へと向かった。
スマホのメッセージアプリで送る方が手早いのだが、教室内ではどうも監視されているような気がして、スマホに文字を打つのを躊躇ってしまったのだ。
「——あぁ、遠藤さんなら今日は休みだよ」
ミコのクラスの教室に着き、彼女を呼び出そうと入口のすぐ近くのS科の生徒に尋ねてみたが、得られたのはミコが不在という予想外の返答だけだった。
昨夜は積極的に敵情を調べると言っていたのに、どういうことだろう。僕は何も聞かされていない。
S科の生徒にお礼を言って、僕は人気の少ない場所まで移動すると、スマホに入れていたミコの連絡先情報を開いて通話をかける。
コールが5回ほどしてから、通話口の向こうで反応があった。
『もしもし、何かあったか?』
「…いや、今さっき色々報告しようとそっちの教室向かったんだけど、今日休みって聞いてさ。どこにいるんだよ」
『あぁ…そういえば言うの忘れていたな。昨夜襲撃のあった工事現場に来ている。敵の特定につながる痕跡を探しにな』
あっけらかんとしたミコの現在地報告に、僕は虚を突かれた。
「工事現場って…今日、平日だろ? 入れるのか?」
『昨夜は散々向こうが暴れてくれたからな。工事現場の物は散々壊されていて、今朝それが原因で警察に通報が入り、工事は中断。調査が入ることになった』
「それこそなんで入れるんだよ…」
確かに昨夜はあの黒い男によって、工事現場にあった色々なものがバラバラに切断されてしまっていた。その状態で工事が変わらず続行されることがないのは当然だし、警察沙汰になるのも無理はない。
ただそんな現場にどうしてミコが入れるのだろうか。
『私にも色々な伝手があるからな』
「あぁ、そうですか。もう今更驚きはしないけどさ…」
僕は諦めて状況を受け入れる。高校の学生リストを手に入れるためにハッキングしたり、一人のネクロマンサーを追うために高校へと簡単に転入してきたりと、彼女の規格外っぷりは今に始まったことじゃない。
警察関係者に伝手があるというのも、きっと日本のネクロマンサーを探し出すために必要だったのだろう。
『それより私に報告したことがあると言っていたな?』
僕が呆れているところに、ミコが本題を戻す。一瞬の失念から立ち直り、僕は彼女に今朝の相手による接触と、その際の会話の一部始終を伝える。
『——なるほど、そういうことがあったのか。確かに、
相手の未熟さと、その発言を重ねれば、血解持ちはあの男一人という可能性も十分に考えられるな…』
「もしそうだとしたら、どうするんだ?」
『今のところは保留、だな。できればもう少し確証を得たい。こちらから軽く小突いてもいいかもしれないが…ひとまずお前はお前で敵の正体に探りを入れてみてくれ』
「探り…って、僕が? いや、そんなこと言われても…」
『別に難しいことをする必要はない。昨日の余計なおせっかいみたいなことをしていればいいさ』
それは上沢のことを言っているのだろうか。確かにこのまま相手を放置していれば、上沢のような犠牲者は必ず出てくる。
僕にそれを止める力があるなら、もちろん見て見ぬふりはしたくない。でも僕には何も止めることはできなかったじゃないか。
「僕には、とても…」
『昨日のことがそんなに堪えているのか? だったら今度は失敗しないように考えて行動したまえ。生憎、お前を慰めてやるような無駄な時間はないし、私に操られるだけの人形は必要ない』
ミコは突き放すようにそう言った後、僕の返答を待たずに通話を切った。引き止める時間すら与えられず、僕に残されたのは、突然突きつけられた重みへの不安だけだった。
「探れって言われても…」
スマホに表示された時刻を確認する。もう1分もしないうちにチャイムが鳴って次の授業になる。僕はこれからのことが何も思いつかないまま、教室へと駆け足で戻ることになった。
次の授業中も担当教師の話はまるで耳に入ってこなかった。自分にできることなんてあるのか、そればかりを思考する。
今分かっているのは、相手のネクロマンサーの目的は自分を不老不死になることであり、おそらくその手がかりを得るためにミコに停戦を持ちかけているということ。
そして昨夜襲撃してきたあの黒い男は、血解という異能を持つ特別な存在で、相手のネクロマンサーにとっても別の意味で特別だと思われる。
相手はこれまで特定の生徒を攫い、屍人に変えてその全員解放している。その数はこの桜織高校だけで二十人以上。
その行動と不老不死になることにどのような繋がりがあるのかわからないが、昨夜殺された上沢が今朝には屍人として蘇ったところを考えると、家出した生徒がしばらく戻ってこないのは、それこそ不老不死になるための実験にでも使っているということではないだろうか。
上沢はそれに使われなかったから、翌日には解放された…いや、今相手の行動の動機について考えても仕方がないか。
僕は思考を切り替える。この学校に潜むネクロマンサーを特定する方法——生徒だけでも400人以上いるというのに、そんなことは果たして可能なのだろうか。
どこかに綻びがあるとすれば、やはり家出する生徒周り。よくよく考えれば、これまで二十人以上を、何らかの方法で誰にも気づかれず攫っている。これは容易なことじゃないと思う。特に今は街にだって監視カメラはあるし、連絡手段もスマホで簡単に行える。その中で不審な動きを周囲に悟られることなく、生徒を攫うというのは困難なはずだ。
少なくとも生徒側から抵抗されてしまえば、破綻するリスクは跳ね上がる。これまでそういったことがなく、生徒を回収できているとすると、おそらく入念に生徒を選び、その生徒の事情を調べている可能性がある。
つまり追うべきは攫われた生徒について。しかしその生徒は既に屍人になっていて、情報を得ることはできない。
それならばその周囲の人間に聞き込みをするしかないか。もし僕の仮定が事実なのだとしたら、相手のネクロマンサーは直接的にしろ間接的にしろ、攫う生徒に接触しているかもしれない。
問題は誰に当たるか、だろう。今の僕には以前の式島奏多としての記憶はなく、生徒同士の交友関係なんて自分も含め全くわからない。
そんな中で聞き回っていれば、流石に不審に映るだろう。
——“そういえば、大分前になるが…岸谷から相談事を受けていた感じのことは聞いたな”
不意に昨日の上沢との会話が蘇った。そうだ、確か工藤と一緒に家出をしたことになっている岸谷が、いなくなる前に工藤に何かしらの相談を持ちかけていた。
正直線は限りなく細い。とはいえ、今僕にあるとっかかりはそれくらいしかない。
工藤と岸谷、その二人について詳しい人物といえば、クラス委員長の
2限目の授業終了を知らせるチャイムが、ちょうど思考を切り上げたところで響いた。
善は急げ、僕は席を立ち上がり、教室内にいるであろう月守を視線で探す。
「…あれ?」
僕の行動は最初の一歩で躓いた。教室内に月守がいない。欠席しているのだろうか?
いや、今朝の出欠点呼で橋本が全員揃ったと発していたことは記憶にある。月守も当然学校に来ているはずだ。
僕は視線を彷徨わせて、今度は水無川を探す。クラス委員長で、クラスメートのことよく見ている。彼女なら月守のことも知っているだろう。
僕は他の女子と歓談しながら次の授業の準備をしている水無川の側まで近づき、一呼吸置いた後、その中に割って入った。
「水無川、ちょっといいか?」
「あら式島くん、どうしたの?」
僕が声をかけると、水無川の周りにいた女子たちの会話がぴたりと止まり、視線が僕に集まる。僕の中にあった緊張の糸がピンと張られ、思わず身を縮こまらせてしまう。
「あ…えっと、月守って今日来てるよな?」
「月守さん? そうえいば、1限終わった後に、体調が少し悪いからって保健室に行ったけれど…」
「保健室に…」
1限目の終わりは、僕が教室から出ていたから気づかなかったのか。
出鼻を挫かれた僕は、その場で固まる。水無川はそんな僕を小首を傾げて見つめており、周りの女子たちも会話をこのまま続行して良いか戸惑っている風だった。
保健室に向かった月守に今から会いに行くか。いや、流石に岸谷の話は休み時間の数分ちょっとでは済まないだろう。戻ってくるのを待つしかない。
僕はいつの間にか俯いていた視線を正面に戻して水無川の方を見る。あるいは、工藤と旧知の仲だった彼女なら岸谷についても何か知っているかもしれない。
「月守さんがどうかしたの? 何か用があるなら、私の方から連絡してもいいけれど…」
「ありがとう。それもぜひお願いしたいんだけど、水無川にも聞いてほしい話があるんだ」
「私に? …分かったわ。ごめん、みんな。ちょっと彼と話してくるわね」
水無川は嫌な顔一つせず、さらには僕の話が他の女子にはできるだけ聞いてほしくはないということまで察して、他の女子との会話を切ってくれた。
周りにいた女子たちも、まるで慣れたように僕と水無川から離れてくれる。こういうことはよくあることなのだろうか?
「——それで、何の話かかしら?」
一抹の疑問は、一息挟んだ後の水無川の問いかけによって消える。
「工藤さんと一緒に家出をした、岸谷さんのことについて聞きたいことがあるんだ」
「岸谷さんのこと? でも、もう二人とも学校に来てるじゃない。聞きたいことなら、本人に聞いた方がいいと思うけれど」
「いや、そうもいかないんだ。本人には尋ね辛いことだし…」
「なるほどねぇ…まぁ、いいわよ。私に答えられるものなら、だけれど」
水無川が目を細めて、わずかに視線を湿らせる。何か誤解をされている気もしなくはないが、今はそれよりも岸谷が工藤にしていた相談事についての情報を得るのが先だ。
「実は…工藤さんと岸谷さんが家出をする前に、岸谷さんが工藤さんに何か相談していたらしいんだ。その詳しい内容について、月守さんや水無川さんなら知っているんじゃないかと思ってさ」
僕が言うと、水無川の目が鋭くなる。さっきの呆れたような視線ではなく、若干の不快感を含んだ視線。
「どうしてそんなことを知りたいのかしら? 岸谷さん的にもあまり踏み込んでほしくない領域だと思うけれど…そもそもその話は誰から聞いたの?」
「昨日、上沢にだよ。色々あって、少し打ち解けてさ」
唇が乾いていくのを感じる。喉奥に何かつっかえているような気がして、言葉もうまく出ていない気がする。
「あぁ、上沢くんね。なるほど…それで気になったと」
僕はその言葉に頷いた。
「上沢は詳しい話は聞かされてなくて、そのことについて結構気にしている様子でさ…」
上手い嘘が思いつかず、濁したような言い方になってしまった。水無川のこちらを見定めるような視線は消えてくれない。
「そう…でも、それを聞き出すのはもう無粋ってものじゃない? 二人は帰ってきんだから」
その言葉を聞いて、僕は全身から力が抜けそうになった。そうだ、彼女には今の現実がそう映っている。事は全て解決し、日常へと回帰したのだと。
いや、彼女だけじゃない。おそらくは工藤や岸谷に関わっている人間にとっても同じで、そうと思っていないのは僕だけ。
「それに私にも分からないわ。岸谷さんが何かに悩んでいそうってのはなんとなく思っていたけれど、その詳しい内容についてはね」
「そう…ごめん、ありがとう」
水無川にはきっと僕が好奇心に駆られて、人のプライバシーにも飛び込んでしまうほど暴走しているように見えるのだろうか。
フォローするかのような回答の仕方に、真偽を確かめる術はないが、少なくとも水無川から話を聞き出すことは不可能だろう。
しかし同様の質問を、月守が答えてくれるだろうか…
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