第6話 永訣、そして……

 それから二・三年経ち、到頭大東亜戦争が勃発しました。最初は好調に見えたものの、あっという間に翳りが見え、このお屋敷を含めたこの地域からも、男手が次々と兵にとられ、住民が少なくなって参りました。清三郎様の下にはご次男がいらっしゃいましたが、嗣子だと言うのに志願兵として出陣され、彼が戻って来なければ、このお家は断絶の未来しか見えません。わたくしが見守る中、状況は下降する一方でした。


 やがて戦況は更に悪化し、始終空襲警報のサイレンが鳴り響く日も珍しくなくなった頃、この国の各地が米軍の爆撃機によって、次々と真っ黒な焼け野原にされていきました。


 降り注ぐ火の雨。

 人々の泣き叫ぶ声。

 何かが壊れ、倒れる音。

 わたくしの見てきた物たちが、大切なもの達が一つ一つ姿を消してゆく。

 生きてきた生命達が燃え尽きてゆく……。


 それでもわたくしは黙って眺め続けました。飛んできた火の粉が、私の枝を次々と焼いても、その熱くて痛い空気や煙にむせながらも、ただひたすら耐え抜きました。


 何十年も常に傍に寄り添うかのように建っていたお屋敷も、すっかり炎の中へと姿を消し──それでも、わたくしはただ見ていることしか出来ませんでした。


 ──小百合。生き続けていて欲しいのです。僕の生命を抱いて、生きて欲しい。


 あの方との約束だけは、果たしたい。

 わたくしの出来ることは少ないから、だからこそ

 生きなくては!


 あの時はただただ、その一心でございました。


 ***


 それから数年を経て、わたくしはこの地で変わらず生き続けております。何一つない、雑草が広がるだけとなったこの地で。枝で一休みをする雀達や、からかいに来る風と語らいながら、静かに生き続けております。


 ただ、ある日を境にして、心にぽっかりと空いた空間が、寒くて寒くて仕方がありませんでした。冬の寒さとは異なる、どうしても得られない温もりを探し求めるような、そんな痛みが、わたくしの中からどうしても消えてくれないのです。


 ──清三郎様……──

 

 それからまた年月が経ち、わたくしの傍に新しい家が一戸建ちました。あの時とは違って規模は小さくなりましたけど、少し、賑やかな日々が戻ってきた気がします。心に空いた穴がほんの少しだけ、小さくなった気がしました。


 おや? 開いた窓から見えるあの音の出る箱は一体何でしょう? え? ブラウン管テレビというものですか? 随分と便利なものが出来たのですね。これがあれば、きっと一人でも寂しい思いをせずに済むでしょう。そう思うと、どうしても拭い去れない気持ちに囚われてしまう自分がいて、ため息がつい出てしまうのですけれど。


 ──清三郎様。貴方様に会いたい、お会いしたいです──


 清三郎様は、きっと生まれ変わって、この世のどこかで生きていらっしゃるに違いない。この世はつらいこと、悲しいことが多いですけれども、それに負けない位、楽しいこともたくさんございます。それは、生きていればこそ分かる、醍醐味と申せましょう。生きてさえいれば……わたくしは、胸につかえたままの痛みを吐き出すかのように、頭上に広がる青空に向けて思い切り叫びました。


 ──清三郎様。あの頃とは全て変わってしまいましたが、わたくしは変わらず生きております。この新しく建った、家の隅の方に根を張っています。あなた様が生きていたことを、世間が忘れ去ってしまっても、わたくしだけは覚えております。貴方様との約束は、誓いです。そして、わたくしがお慕いするのは、この世で貴方様ただ一人だけです。


 わたくしのことなど、お忘れになっても構いません。わたくしは、貴方様の幸せだけを強く願っております。やっと訪れた平和の世ですから、今度こそ、幸せな生を送って下さいましね──


 誰にも見られることのない真っ白な花びら達が、真っ黒な地面を埋め尽くさんばかりに、一気に散り惑いました。

 

 ***


 それから数年経ったある日のこと、わたくしの傍に建つこの家に、新しい入居者が訪れたようです。薄紅色の花びらが舞う中、燕達が知らせてくれたことによれば、まだ二十代の男性で、若くして世界的に著名な画家だそうです。彼は絵の勉強で何年も海外に行かれていて、先日、日本に戻ってみえたそうです。芸術家が引っ越されて来るのは初めてで、とても新鮮に感じました。春は、引っ越しの季節でもありますから、引っ越し自体は珍しくもないのですけど。


 画材道具やら家具といった、引っ越しの荷物諸々が落ち着いたのでしょうか? 新たな家主となったその方が、庭へと出てこられました。すると、濃紺のジーンズが良く似合う彼は、突然わたくしの幹に手を置いたり、枝を撫でたり、枝先に開いた花に鼻を近付けて匂いを嗅いだり、色々なさりました。しかし、初めて見る人の筈なのに、わたくしは警戒するよりも、その雰囲気をひどく懐かしく感じたのです。確かあの時も、花びらが雪のように舞っていた気がします。


 ──それでは〝小百合〟と呼んでも良いですか?


 わたくしが古い記憶を辿っておりますと、その青年はわたくしに向かってこう云いました。


「君は何て力強く美しい桜の樹なんだろう! 先の大戦で燃えずに生き残った、この傷だらけの幹といい、随分長生きしてそうだね。見ているだけで、寿命が延びそうな位、生命力に満ち溢れているところが凄く良いな。実は僕がこの家を土地ごと購入したのは、君が庭付きと一緒だったからなんだよ」


 ──え!? 此処の庭付きの家を購入された理由が……わたくし!?──


 その溌剌とした声に、わたくしは更に驚きました。健康そうですし、目鼻立ちの整ったお顔も身体つきも、あの方とは別人で違う筈なのに、それなのに、雰囲気があの方とあまりにも似ているものですから。ああ、どうしてかしら。この胸の中で込み上げてくるざわめきが、落ち着いてくれそうにありません。


「素晴らしい桜の樹が一緒の物件だなんて、中々聞かないからね。早く僕のものにしようと思って、かなり焦ったんだよ。早速君の姿を描いてみたいのだが、良いかい?」


 一体何なのでしょう? この、春が訪れても溶けずに残っていた氷が、一気に溶けてゆくような感触。まるで根本から、思いっきり水を吸い上げたような清々しさに混じった、人肌のような温もり。気が遠くなる程の時の中で、ずっと、ずっと待っていたこの気持ち……。


 そんなわたくしの心を見透かしたかのように、その方は、一重の切れ長の目元を眩しそうに細めました。


「不思議だが、君とはどこかで会ったことがあるような気がするんだ。ひどく懐かしく感じるよ……」


 その方の眸の色は、深い藍色にほんのりと翠を滲ませたような、電気石のような色でした。



 ──完──

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仙櫻御伽噺(せんざくらおとぎばなし)〜Solemn promise〜 蒼河颯人 @hayato_sm

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