第9話 食堂

 身支度を整えた四人は寮を出て、朝食のために食堂へと向かった。道中、ノアたちに出会った生徒たちは、レオの鼻を見て思わずギョッとし、次の瞬間には耐えきれずに吹き出してしまう。そのたびにレオが「見せもんじゃねぇぞコラ!」とチンピラみたいに怒鳴りつけるが、余計に笑いが広がるばかり。

 

「なあ、ノア。これほんとに治るんだよな?」

「その質問はこれで四回目。もうそろそろ赤みが引く」

「でもさ、もし治らなかったらどうすんだよ?俺の美貌が失われたら、アタリカ一の色男がいなくなるんだぞ。それって国の大損失だろ……」

「……随分と自信があるな? やっぱこっち見るな、笑ってしまう」

「ぶっ飛ばすぞお前!」

「やれるもんならやって……くっ」


 いつもみたいに言い返そうとするカイは、レオの鼻を見て再び笑ってしまう。エミールは笑いすぎて息切れし、顔が青白くなっていた。

 青筋を立ててカイを睨んでいたレオは、突如「おぉ?」と困惑の声を上げる。手鏡で鼻を確認すると、見事に赤みが引いていた。


「治ったぞ! オレの鼻が治った!!」


 歓喜の声を上げるレオに、カイとエミールは驚きつつも感心した様子でノアを見る。


「こんなに早く効果が出る塗り薬なんて初めて見た。これ、どこで手に入れたんだ?」

「作った」

「すげえな、ノア! こいつはいい値段で売れるぞ! 売りに出すつもりはないか?」

「めんどくさいし、ここでは材料が手に入らない」

「そっかー、いい考えだと思ったんだけどなー」

 

 レオは肩をすくめながら残念そうに呟いた。家族の店を手伝ってきた経験から、ノアの塗り薬がどれほどの価値を持つかはすぐに分かった。それだけに、ノアが商売に興味を示さない様子にもどかしさを感じた。

 

 ノアたちが食堂に着いた時、食堂はすでに生徒たちで賑わいを見せていた。

 アカデミアの食事はビュッフェ形式で、その種類の多さに、表情がほとんど変わらないノアでさえ目を輝かせながら料理を選んだ。料理を選び終わったノアたちは、予め確保したテーブルに座る。


「……レオ、お前食べきれるのか?」

 

 カイはレオの皿を見て呆れた。料理が溢れんばかりに盛られ、一枚では足りず複数のプレートに分けられている。少なくとも三人分の量はありそうで、全種類制覇しようというレオの食べ意地が伝わってきた。

 

「うるせぇ、お前こそもう少し食えよ。だから背が伸びねぇんだぞ、ノアを見習えよ」

「あ? 言ったな、お前! ……てかノアはデザートばっかりじゃないか、みてるだけで胃もたれするぞ」

「……美味しくない、失敗した」

「だからってオレに押し付けるな! あとで取るつもりだからいいけどさ」


 ヘレナのデザートで舌が肥えたノアはアカデミアのデザートに満足せず、レオに押し付けた。レオが文句を言いながら食べるも、思ったより美味しいことに気づく。

 

「普通にうめぇじゃねーか、なにが不満なんだ?」

「ヘレナさんのとこの方が美味しい」

「ヘレナさん? お前の家族か?」

「……わからない」

「ふーん……エミール、お前全然食べてねぇじゃねぇか、鳥の餌じゃないんだから。もっと肉食えよ、ほら、コイツをやるよ」

「あはは、僕は小食なんだ。でもありがとう、レオくん」

「だったら、その余った分、僕がもらってやるよ」

「……おい、それオレが最後にとっていたやつだぞ! それを取ったら戦争だろうが!」


 再び始まるレオとカイの小競り合い。エミールは最初こそ心配そうに見守っていたが、今ではすっかり慣れてしまったらしく、苦笑を浮かべて見ている。

 ノアはそんな二人に目もくれず、レオの言葉について考え込んでいた。

 『ヘレナは家族なのか?』

 血の繋がりがないから家族ではないのかもしれない。けれど、それを言うならエズラとも血は繋がっていない。それでもエズラはノアにとって家族だ。では、ヘレナを赤の他人と言い切れるのだろうか。それも違う気がした。

 そもそも、家族とは何だろうか?

 試験に向けて読んだ本のどれにも、そんなことは書かれていなかった。


「あ、ノアじゃん、おはよう」


 ノアが『家族とは何か』について考え込んでいると、茜色の髪を持つ少女、エレニアがたまたまノアをみつけて声をかけた。彼女の周りには同じ寮のルームメイトらしき少女たちが立っている。ノアは食べていたフォークを一旦皿に置き、彼女をじっと見つめた。数秒後、まるで何かを思い出したように呟く。


「森で泣い――」

「わーわー!」


 ノアが最後まで言い終わる前に、エレニアが慌てて遮った。鬼の形相で彼の手を掴むと、小声で問い詰める。


「あんた、何を言いふらそうとしてるの!? ちょっと来て!」

「ニアちゃん?」

「ごめん、先行ってて! すぐ行くからー」


 ルームメイトたちが不思議そうに顔を見合わせているのを横目に、エレニアはノアの手を引いて人の少ない場所へ急いだ。その間、ノアは食べかけの皿を一瞥し、少し不満そうに眉を寄せるが何も言わずに従う。


 人通りの少ない廊下にたどり着くと、エレニアは息を整え、ノアの方に向き直る。


「言いふらさないって言ったよね! 何言おうとしてるの?」

「ごめん」

「……そう簡単に謝られたら、わたしも責めづらいだけと!」


 エレニアはジト目でノアを睨むが、彼にはその視線の意図が全く伝わっていないようで、ただ静かにエレニアを見返していた。


「ほんと、どういうつもりなのよ……!」


 彼女は呆れたようにため息をつくと、そのまま数秒間、奇妙な沈黙が流れる。ノアはエレニアの手に引かれたことを思い出し、自分の手元を見る。


「手、離していい?」

「……あ、ごめん!」


 エレニアは慌ててノアの手を離し、咳払いをした。そして、頬を少し赤らめながら視線をそらした。


「まあ、いいわ。森のこと、絶対に誰にも言わないでよね。あれは、ただの気の迷いってやつだから!」

「……それは約束?」

「そうよ! 約束!」

「わかった。まだご飯が残ってる、戻ってもいい?」

「え、あんた、まだ食べてたの……?」


 エレニアは一瞬驚いた表情を浮かべるが、少し気まずそうに苦笑を浮かべた。


「そ、そう。じゃあ戻りなさいよ。わたしもルームメイトたちに変に思われたくないし」

「分かった」


 ノアはあっさりと答え、踵を返した。しかし、数歩進んだところでまた足を止める。


「……名前、なんだっけ?」

「……エレニアよ、覚えてないわけ?」

「エレニア、家族ってなんだと思う?」

「急になによ?」


 ノアの唐突な質問に、エレニアは一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに真剣な顔つきになり、考え込み始めた。


「家族……私にとって家族は、感情を分かち合って、支え合える相手ね」

「……血が繋がってなくても?」

「もちろん。血なんて関係ないわ」

「分かった、ありがとう」


 ノアはエレニアの答えに小さく頷くと、そのまま再び歩き出した。エレニアは彼の背中を見つめながら、ぽつりと呟く。


「……あんたって、変わってるってよく言われない?」

「言われたことがない」

「そう。じゃあ、私が言ってあげるわ。あんた、ほんとに変わってる!」


 ノアはエレニアの言葉を気に留めることなく、自分の席に戻って再び食事を取り始めた。静かにスプーンを動かしていたノアだったが、近くから「ニアちゃん、おかえりー!」と、賑やかな声が耳に入った。

 エレニアのルームメイトたちがノアたちの近くの席を取っており、和やかな雰囲気で談笑している。その声にも特に興味を示すことなく、ノアは淡々と食事を続けていたが、やがて自分に向けられる視線に気づく。特にレオの視線がやけに熱い。


「……なぁ、ノア、今の子って?」

「エレニア。この前会った」

「もしかして、この前ノアくんが道を聞いた子?」

「うん」


 ノアがエミールの質問に答えると、レオは興味津々な顔を浮かべ、カイとエミールの肩を引き寄せて小声で話し始めた。

 

「これはできたのか? できた感じなのか?」

「……なんでもいいけど、僕を巻き込むのはやめてくれない? エミールも困ってるだろ」

「あはは……困ってるっていうか、ノアくんがそういうこと考えるのかなって不思議だよね」

「ノリ悪いなぁ。てか、あの茶髪の子、めっちゃタイプなんだけど」

「お前の好みとか聞いてないし。ていうか、僕はまだ食べ終わってないんだから邪魔するな」


 小声のやり取りが盛り上がる中、ノアは周りの騒がしさが自分には関係のない出来事であるかのように、残りの食事を黙々と平らげた。


 

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