第4話 到着

 列車が駅に到着する頃には、アタリカ地方はすっかり夕方に包まれていた。薄明かりが空を染め、夕陽がアタリカの美しい街並みに長い影を落とす。


 車内に到着のアナウンスが流れると、エミールは胸をなで下ろしながら、ほっとした表情を浮かべた。三日間の旅は決して楽なものではなく、体力がない彼にとっては、まるで体がバラバラになったかのような感覚だった。


「やっと着いた……!」


 列車から降りたエミールは、大きく伸びをしながら深呼吸をして旅の疲れをほぐす。一方で、ノアはエミールには目もくれず、新しい土地の景色をじっくりと観察している。

 三日間を隣り合わせで過ごした二人。エミールはその間もノアに積極的に話しかけ続け、ノアは気まぐれに返事をした。その時にノアの名前を知って、退屈することなく旅を終えることができた。


「さて、ノア君。僕はこれから宿を探しに行くんだけど、君はどうする?」

「もう取ってある」

「そっか、じゃあここでお別れだね」


 エミールは少し名残惜しそうに笑う。同じアカデミアの生徒というのもあって、この三日間で彼はノアとかなり打ち解けた気でいる。

 ……本当に打ち解けたのかな? もう慣れたけど、エミールはいまだにノアの表情が変わったのをみたことがない。

 

「ノア君、会えてよかったよ。アカデミアでまた会えたら嬉しいな」

「うん」

「それじゃ、元気でね!」


 エミールは手を振って別れを告げ、混雑する駅の中へと歩き出した。その背中が人混みに紛れていくのを、ノアはしばらく無言で見送る。やがて彼も周囲の喧騒を背に、アタリカの駅を後にした。

 

 駅前の広場から延びる道には、夕方の賑わいを増している出店が並び、人々の笑い声や話し声が溢れていた。木製の台に積まれた果物や、出来立てのスープ、雑貨や装飾品など、様々な品が並び、その香りや彩りにノアは目を奪われる。


 出店に心を引かれながらも、ノアは魅惑を断ち切ってヘレナが指定した場所、オルビス商会へと足を進めていく。オルビス商会の建物は他の商店と比べても少し格式高く、重厚な木の扉が特徴的だ。表向きは一般の商会だが、ノアにはこの場所が結社の隠れた拠点であることを知っていた。

 

 中に入ると、落ち着いた空間が広がっていた。オルビス商会の店内は木目の温かみのある内装で統一され、所狭しと並んだ棚には様々な商品が陳列されている。商品棚の奥には、店番をしている中年の男がノアに気づき、微笑みながら言った。


「いらっしゃいませ、何をお探しですか?」

「店の名物、入れたてのものを一つ。それと……影の紹介で来た。いいのを頼む」


 『店の名物』『入れ立て』『影』

 

 男は一瞬だけ目を細め、笑みを増した。その表情は変わらぬ丁寧な笑顔だったが、言葉に秘められた意味を理解した。


「かしこまりました。奥へどうぞ」


 男はカウンターから出て、ノアを案内するため歩き出した。ノアは無言でその後ろをついていき、店の奥へと進む。店の奥には、一見何の変哲もない木製の扉があり、男はその扉を開けながら「こちらへどうぞ」と促した。


 その部屋に待っていたのは、オルビス商会のエリア担当である幹部だった。五十代ほどの風貌の男で、彼はノアが入ると顔を上げ、ノアに向けて微笑みを浮かべる。


「お待ちしておりました、ノア様。どうぞお座りください」


 ノアは無言で男の前の椅子に腰を下ろすと、従者がそっとドリンクを差し出した。幹部は手元の書類をめくりながら話を続ける。


「会長様からのご指示は伺っております。我々オルビス商会は、ノア様の任務を全面的にサポートするよう命じられています。装備や情報、必要なものがございましたら、遠慮なくお申し付けください……そうそう、日用品などはすべて準備してアカデミアの寮に送っておきましたので、到着次第、滞りなく生活を始められるか存じます」

「わかった……これは?」

「こちらは弊社自慢のフルーツティーです。最近、西の地方で人気が出てきたため、うちでもメニューに取り入れました……おや、気に入っていただけましたか?」

「美味しい」

「そうですか、それは光栄です。後ほどレシピと材料を寮の方にお送りいたしますので、ぜひご堪能ください」


 幹部は手元の資料を一通り整理すると、ノアに向き直り、笑みを浮かべながら言う。ノアは静かに頷くも、部屋の隅で道具や大きな鏡を抱えている従者たちのことが気になった。幹部が喋っている途中で、ドアを塞ぐよう入ってきた。

 幹部は立ち上がり、ノアの注意を引くように手を叩く。


「さて、次はノア様の髪を整えさせていただきます。新しい場所に入るのですから、ある程度の身なりを整えることが必要です」

「……それも、ヘレナさんの指示?」

「はい、会長様のご指示です。ノア様を万全の状態にして送り出したいとのことです。身だしなみもまた、重要な一環ですから」

「…………わかった」

 

 ノアの声は珍しく嫌そうだったが、結局受け入れた。その瞬間、待ってましたとばかりに従者たちが一斉にノアの周りに集まり、手際よく髪を整え始める。


 人に髪を触られることに抵抗を感じつつ、ノアは鏡に映る自分を見つめる。ハサミの音が響き、髪が床に落ちるたび、心の奥で何かが少しずつ削られていくような感覚がした。


 長く、どこか野生的な印象を与えていた髪はすっきりとした長さになり、表情は相変わらず変わらないものの、見た目だけは洗練された好青年になった。

 幹部はノアの姿を見て満足げに頷き、誇らしげな表情を浮かべる。


「いかがですか? なかなか良い仕上がりだと思いますが」

「見慣れない」

「最初は皆そう言うものです。人は新しい自分をすぐには受け入れられませんから。でも、数日もすれば自然に慣れてしまいますよ」

「……そうなの?」

「ええ、これで全ての準備が整いました。今日は長旅でお疲れでしょうから、ゆっくりお休みください。住む場所も既にご用意しておりますので、そちらにご案内いたします」

 

 幹部はノアを建物の裏口から案内し、オルビス商会と少し離れた場所にある宿泊施設へと連れて行く。街の喧騒から少し距離を置いたその場所は静かで、夜の帳が降りる中で星々がかすかに輝いていた。


「こちらが今夜の宿泊場所です。どうぞお使いください。明日になれば、新しい生活が始まります。何かお困りのことがあれば、いつでも商会を訪ねていただければと思います。私たちは君のサポートをする用意ができております」


 ノアは小さく礼を言って、扉を静かに閉めた。部屋は質素ながらも清潔で、必要最低限の家具が整えられていた。ノアは持ってきた小さな荷物を床に置き、ベッドに飛び込んだ。


 窓の外からは遠くの街の明かりがちらほらと見え、かすかな笑い声や話し声が夜風に乗ってノアの耳に届く。ノアはしばらく窓の外を眺め、部屋の静寂に耳を傾ける。


 ノアは明かりを消して、ベッドに横たわるも、なかなか眠れない。異郷の地、アカデミア、爺さんの遺言、秘宝……ノアはまぶたが重くなるのを感じるまで、ずっと静かな思考の中に身を沈めた。

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