第6話 入学式

エミールが散らかった部屋をある程度片付け、野次馬たちが去った頃には、カイとレオがうめき声を上げながら意識を取り戻した。


「いってぇ……なんだったんだ、今の?」


 レオは頭を押さえながら辺りを見回し、同じように頭を抱えているカイと目が合った。その瞬間、二人の間に険悪な空気が再び漂い始め、エミールはまた喧嘩が起こりそうだと察して急いで間に割って入った。


「ちょっと、もうやめようよ! これから一緒に生活するんだからさ」

「……何でだよ、先にやってきたのはこいつだぞ!」


 レオが鋭い口調で返し、カイも「ふざけるな!」と吐き捨てるように言ってエミールを無視する。


「悪いけど、僕がこいつと仲良くやる気はないね」


 二人の間に再び火花が散る中、コインがぶつかり合う小気味よい音が響く。二人はその音に嫌な予感を覚えて振り向くと、ノアが無表情でジュースを飲みながら、片手でコインを回してこちらを見ている。空中でくるくると舞うコインを目にしたカイとレオは、こめかみの痛みがよみがえるような錯覚に襲われた。


 しばらくの間、二人は互いに睨み合っていたが、先に折れたのはレオだった。


「わりぃな……勘違いしちまって、悪気はなかったんだ」

「……いや、僕も過剰に反応しすぎた、むきになって悪かった」


 少し気まずい沈黙が流れたが、二人は小さくうなずき合い、暗黙のうちに和解が成立したことを確認しあった。

 エミールはひとまず二人が喧嘩辞めたことにホッと胸を撫でおろし、感謝しようとノアを見たら、当の本人は飲みかけのジュースをじっと見ていた。


 ……この反応、多分微妙だったんだね。

 

 列車でのノアの行動を思い返しながら、エミールはそう判断して苦笑を浮かべ、まだ少し気まずい空気が流れている二人に振り返る。


「じゃあ、みんながそろったところで、自己紹介しない?」

「……じゃあオレからいくぜ!」


 パシッと気合いを入れるように顔を叩き、レオがはっきりとした声で自己紹介を始める。


「オレはレオ・フォレス。親父の店を手伝ってたけど、なんとかアカデミアに合格して、ここに来たってわけさ。ま、ここでどれだけ役に立つかはわかんねぇけど、よろしくな!」

「……僕はカイ・ヴェリス、家名で呼ばれるのは好きじゃないから、カイでいいよ」

「レオくんとカイくんね、ぼくはエミール・ノルデン。ルノヴィアの辺境から来たんだ。ずっとアカデミアに憧れていて、いろんなことを勉強したくてここに来たんだ。これからよろしくね」


 エミールの自己紹介が終わると、三人の視線は自然とレシピを見返しているノアに集中した。カイとレオは、おそらく気絶させられたばかりの彼を警戒しつつも、どこか好奇心が混ざった視線を投げかける。


「ノア」


 三人がノアに視線を向けた途端、ノアは顔も見上げずに自分の名前を言った。ジュースとレシピを見比べるノアのあまりに短い一言に、カイとレオは一瞬硬直し、そして彼の名前なのだと理解した。


「……相変わらずだね、ノアくん」

「ん? お前ら知り合いなのか?」


 苦笑を浮かべるエミールに、レオが興味津々に尋ねる。カイも興味深げにエミールを見る。

 

「うん、実はアカデミア行きの列車で隣の席だったんだ」

「ああ……ご愁傷さま」


 カイが同情を込めた視線をエミールに送り、レオが興奮気味にノアに向かって声を上げる。


「てかノア! さっきはどうやってオレを気絶させたんだ? まさかコインか? コインなのか? オレにもやり方を教えてくれよ! ……ってどこ行くんだ?」


 いつの間にドアノブを回して部屋を出ようとするノアは、レオの声に足を止め、無言で部屋の壁にかかっている時計を指さす。エミールが時計に目を向けた瞬間、その表情が一気に真っ青になる。


「もうすぐ入学式が始まっちゃう!?」


 その言葉にカイとレオもハッとし、二人して顔色を変えながら声を揃えて「うわっ、マジかよ!」と叫ぶや否や、部屋を飛び出すように駆け出す。


 ノアはそんな三人を無表情で見送り、部屋の鍵をかけてから歩み出した。


「案内をオレに任せとけ! アカデミアの近くに何年も住んでたからな!」


 レオが自信満々に案内役を引き受けて先頭に走り出す。

 彼は胸を叩いて最初の曲がり角を曲がったが、すぐに正反対の方向へと走り出す。エミールは行き先に疑問を抱いが、レオの態度を信じるしかなかった。やがて、4人は行き止まりの前で立ちとまる羽目になり、レオとカイと口論になる。


「アカデミアに詳しいって言ってたくせに、全然違うじゃないか!?」

「うるせぇ! なんとなく行けると思ったんだけどよ……てか、文句あるならお前がやってみろよ!」

「……あーもう! やってやるよ!」


 憤然として先頭を走り出すカイ、しかし彼もアカデミアには詳しくなく、進む道が完全に違っていた。四人は女性寮の前で足を止めた、上級生を思わしき女子生徒に奇妙な目で見られていた。


「ハハ! ここ女性寮じゃないか! いや、ある意味迷ってないか!?」

「……お前、今ここでぶちのめしてやる!」

「ちょっと待って、二人とも、今は喧嘩してる場合じゃないって! ……ノアくん!? なんで壁を登り始めたの!?」

 

 レオが笑いながらカイをからかい、カイは怒りで青筋を立てる。エミールが二人を必死に止める中、ノアは適当な女子生徒に道を尋ねると、近くの建物の壁に手をかけて登り始めた。その突然の行動に、エミールは驚いて声を上げる。


 ノアは屋上から集会場の位置を確認すると、冷静に降りてきて「こっち」と一言だけ告げ、先導役として走り出した。三人は一瞬呆然とした後、慌ててノアの後を追いかけた。

 

 数々の迷走と口論を経て、四人はようやく集会場に間に合った。エミール、カイ、レオの三人は肩で息をしながら服の襟元を引っ張り、荒い呼吸を整えようとしている。その隣で、ノアが呼吸を乱さずに集会場を見上げていた。


 ノアたちが集会場の入口に滑り込むと、入り口にいた教師が眉をひそめ、彼らに気づいて歩み寄ってきた。


「君たち、遅いぞ。もう式が始まっている、急ぎたまえ」


 四人は軽く頭を下げて、中へと足を急がせて会場に入ると、集会所の壮麗な内装に目を奪われた。

 楕円形のドームは外で来た時よりもはるかに広く、天井は淡い光を放つ幾何学模様で飾られ、神秘的な雰囲気を漂っている。建物というより巨大な芸術品と言っても違いはなかった。


 レオが目を輝かせて壇上に映る銀髪の老人を指差す。


「おい見ろよ、あの爺さんムッキムキじゃん!?」

「……クセノフォン先生だ、着目点そこか?」

「いや、お前もよく見てみろ、あの腕、普通じゃねぇって!」


 二人が小声でやり取りをする中、ノアは黙って壇上のクセノフォンを見つめた。老人でありながら、ピンと伸びた背筋と鍛え抜かれた肉体が異様な存在感を放つ。ローブの隙間から見える筋肉は学者というより戦士に近い。髪は歳を重ねて白くなったのではなく、艶やかな銀色をしている。鋭い眼光には知恵の深さが宿っているように見えた。


 ……何よりも、隙が無い。


 堂々と立つその姿には一切の隙が見当たらなかった。ノアは脳内でクセノフォンに攻撃を仕掛けるみたが、どの戦略でも勝てるビジョンが浮かばない。祖父のエズラに匹敵するほどの強者を初めて目にしたノアは、心の中で警戒レベルを一段引き上げる。


「……そして、これから進む君たちに告げる。自らの意志と覚悟をもって学び、知恵を磨け。道を切り拓くのは他でもない、君たち自身だ。このアカデミアで君たちが何を掴み、何を己の信念とするか、私たちは期待している」


 クセノフォンの演説はすでに佳境を過ぎたようで、締めの言葉が静かに響き渡った。しばしの沈黙の後、誰からともなく拍手が湧き起こり、やがて会場全体が万雷の拍手に包まれる。


 ノアも他の生徒たちに倣って静かに拍手をしながら、壇上のクセノフォンをじっと見つめた。その時、一瞬だけ老人と視線が交わったような気がして、ノアの胸にわずかな緊張が走った。

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