第5話 入学式

 しばらくして、カイとレオがうめき声を漏らしながら首をさすり、気絶から意識を取り戻した。


「いってぇ……なんだったんだ、今の?」


 レオが呻きながら辺りを見回し、同じように首を押さえているカイと目が合った。二人の間に微妙な緊張が漂い始め、エミールはすかさずその間に割って入った。


「ねぇ、これから同じ部屋で過ごす仲間なんだから、ここはお互いに仲良くしようよ」と、エミールは柔らかく提案した。


 カイとレオはしばらく、睨みあっていたが、先に折れたのはレオだった。


「わりぃな、勘違いしちまって。悪気はなかったんだ」


「……いや、僕も過剰に反応してしまった。むきになって悪かった」


 しばらくレオを睨んでいたカイだったが、レオの素直な物言いに、ため息まじりに謝った。


 少し気まずい沈黙が流れたが、二人は小さくうなずき合い、暗黙のうちに和解が成立したことを確認しあった。

 

 その様子を見て、エミールはようやく表情を和らげた。「じゃあ、みんながそろったところで、自己紹介しないか?」と、気持ちを切り替えるように提案する。


「じゃあオレからいくぜ!」と、レオが腕を組んで胸を張り、はっきりとした声で自己紹介を始めた。


「オレはレオ・フォレス。親父の店を手伝ってたけど、なんとかアカデミアに合格して、ここに来たってわけさ。ま、ここでどれだけ役に立つかはわかんねぇけど、よろしくな!」


 カイが、少し控えめな態度で話し始める。


「僕はカイ・ヴェリス……家名で呼ばれるのは好きじゃないから、カイでいいよ」


 エミールも自然な笑みを浮かべて、「ぼくはエミール・ノルデン。ルノヴィアの辺境から来たんだ。ずっとアカデミアに憧れていて、いろんなことを勉強したくてここに来たんだ。これからよろしくね」


 三人は自己紹介を終えると、自然と視線は一言も発していないノアに集中した。カイとレオは、さっき気絶させられたばかりの彼を警戒しつつも、どこか好奇心が混ざった視線を投げかける。


 三人がノアに視線を向けた途端、冷ややかな声が響いた。


「ノア」


 振り返りもせず、彼は荷物の整理を続ける。そのあまりに短い一言に、カイとレオは一瞬硬直し、そしてようやくこれが彼の名前なのだと理解した。


「……相変わらずだね、ノア君」と、エミールは苦笑を浮かべた。


「ん?お前ら知り合いなのか?」レオが興味津々に尋ねる。カイも興味深げにエミールを見る。


「うん、実はアカデミア行きの列車で隣の席だったんだ」と、エミールが答えると、カイが小さく「ああ……ご愁傷さま」とでも言いたげに同情を込めた視線をエミールに送った。


 そんなやり取りの最中、ノアは黙々と荷物を下ろしていた。やがてひと段落つくと、ノアは軽くうなずいた。その無表情さの奥に、エミールには何となく小さな満足感が漂っているように見えた。


 作業を終わらせたノアは、黙ってドアの方に向かい、静かにドアノブを回し始めた。


「待って、ノア君、どこに行くの?」とエミールが声をかけると、ノアは足を止め、無言で部屋の壁にかかっている時計を指さした。


 エミールが時計に目を向けた瞬間、その表情が一気に真っ青になる。「え!もうすぐ入学式が始まっちゃう!?」


 その言葉にカイとレオもハッとし、二人して顔色を変えながら声を揃えて「うわっ、マジかよ!」と叫ぶや否や、部屋を飛び出すように駆け出した。


 ノアはそんな三人を無表情で見送り、一拍置いてから静かに部屋の外へと歩み出した。


「案内をオレに任せとけ!アカデミアに詳しいからな!」


 レオが自信満々に案内役を引き受け、戦闘に走り出した。彼はと胸を叩いて最初の曲がり角を曲がったが、すぐに正反対の方向へと歩き出し、エミールは行き先に疑問を抱いが、レオの態度を信じるしかなかった。やがて、4人は怪訝な顔で立ち止まる羽目になり、レオとカイと口論になる。


「おま、自信満々にアカデミアに詳しいって言ってたじゃないか、全然道が違うじゃないか。デカい体の割に脳みそ小さいのか!」カイがレオを睨みつけて吐き捨てる。


「うるせぇ!確かにアカデミアの近くに何年も住んでたから、行けると思ったんだけどよ……てか、てめぇ、やっぱさっきのこと引きずってんだろ!?」レオがムキになって言い返すと、二人は再び火花を散らし始めた。


「じゃあ、お前がやってみろよ!そんなに文句あるならさ!」


 渋々案内役を引き受けたカイだったが、進む道が完全に違っていた。なんと女性寮の建物の前で足を止めたのだ。


「おい、ここ女性寮じゃないか。おめぇ、やっぱ……」


「あ!?おまえ、後で絶対に殺す!」


 レオがカイに意味深な目線を送り、カイがキレだす。二人は口論を続けながらも、なおも走り続けるという器用な技を披露し、互いに罵り合いながら迷走を続けた。


「……ま、まって、ノア君、なんで壁登り始めたの!?」


 その間、黙々と走っていたノアはふと視線を上げ、何の前触れもなく近くの建物の壁に手をかけると、スイスイと登り始めた。エミールは驚きのあまり声を上げてしまう。


 ノアは屋上から集会場の位置を確認したようで、他の三人が唖然として見上げる中、冷静に降りてくると無言で先導役として歩き出した。カイとエミールも「アカデミア生活は一筋縄ではいかなさそうだ」を察しつつ、ノアの後ろを追うしかなかった。


 数々の迷走と口論を経て、四人はようやく集会場に間に合った。エミール、カイ、レオの三人は肩で息をしながら服の襟元を引っ張り、荒い呼吸を整えようとしている。その隣で、呼吸一つ乱さないノアは静かに集会場を見上げていた。


 ノアたちが集会場の入口に滑り込むと、入り口にいた教師が眉をひそめ、彼らに気づいて歩み寄ってきた。


「君たち、遅いぞ。もうすぐ始まる、急ぎたまえ」


 四人は軽く頭を下げて、中へと足を急がせた。四人は、会場の壮麗な内装に思わず目を奪われていた。楕円形のドーム天井は美しい幾何学模様で飾られ、淡い光が静かに放たれて、場内に神秘的な雰囲気を漂わせている。ノアは外で観察したときより、ドームの中が広いことに気づき、軽く目を顰めた。


「おい見ろよ、クセノフォン先生だ!学術界のすごい人らしいぜ」

 

 レオが目を輝かせて壇上に映る銀髪の老人を指差す。


「ただの爺さんかと思ったら、ムッキムキじゃん!あの肩幅、どう見ても学者って感じじゃないだろ?」


 カイが眉を上げ、「……着目点そこか?これだから脳筋は」と呟いた。


 レオはムッとした顔をして、「なんだと!?お前もよく見てみろ、あの腕、普通じゃねぇって!」


 彼らのやり取りをよそに、クセノフォンが壇上に立ち、会場全体に静寂が訪れた。視線を巡らせるクセノフォンを上級生たちは敬意を込めて見つめ、自然と背筋を伸ばしていた。ノアもその目を彼に向けると、クセノフォンはゆったりと口を開いた。


「よくぞ、ここまでたどり着いた」


 その静かな一言は、まるで会場全体を包み込むように深く響きわたった。


「君たちはこれから、この場で多くを学び、多くの知識と出会うことになるだろう。だが、覚えておくのだ。学びの途上には必ず迷いが訪れる。答えは一つではない。時には恐れの道に立たされ、疑問を抱くこともあるだろう。しかし、その迷いこそが、真の探求者に与えられる試練であり、学びの証である」


 彼は学生たちに向けて重々しくうなずきながら、さらに言葉を紡いだ。


「この世界には無数の答えが存在する。しかし、真理は、追い求める者にのみ、その姿を垣間見せる。答えを手にすることに満足してはならない。その背後にある問いを見つけ出し、絶えず探り続けることこそが、知恵ある者の証となるのだ」


 クセノフォンの眼差しは一人ひとりを確かめるように会場を見渡し、その言葉が全員に届くよう語りかけた。


「問い続け、求め続ける者であれ。外にある光を追い求めるのではなく、己の内に灯る信念と知恵を信じるのだ。何を知るべきか、なぜそれを求めるのか、その問いを抱き続けよ。それこそが、真理を追い求める者の誇りであり、知恵の本質である」


 その言葉には確固たる信念が宿り、会場の学生たちはその深さに息を飲んだ。


「そして、これから進む君たちに告げる。自らの意志と覚悟をもって学び、知恵を磨け。道を切り拓くのは他でもない、君たち自身だ。恐れず進め。君たちの一歩一歩が未来を創り出す。未来は君たちの手の中にある」


 しばしの静寂が流れた後、誰からともなく拍手が始まり、やがて会場全体が万雷の拍手に包まれた。


 ノアもその拍手に静かに加わりながら、壇上の老人を見つめると、クセノフォンと目が合ったような気がした。

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