第11話 考古学の授業
アカデミアの教室の一つで、考古学の授業が行われていた。教室の席は半分ほどしか埋まっておらず、出席している生徒たちも各々好き勝手に過ごしている。中には睡魔に負けて机に伏せている者もいた。
そんな中、ノアは黙々とノートを開き、教師が黒板に書き込む内容を真剣に記録していた。
「……ねぇ、あんた、何を書いてるの?」
隣の席に座るエレニアが我慢できずに声をかけると、ノアは顔を上げずに、淡々と答えた。
「フィリオル」
「フィリオル……?」
思わぬ答えに、エレニアはさらに混乱した。生徒の中で珍しく真面目にノートを取っていたノアに感心して、気になってノートを覗き込んだものの、最初はしっかりと授業内容が記されていたが、途中から猫とも鳥ともつかない奇妙な生物の絵が描かれていた。見たこともないような生き物だったが、どこか愛嬌があった。
「というか、珍しいわね。普通、一年生が考古学なんて取らないのよ。大抵は二年以降で楽に単位を取れるからって選ぶものなのに。もっとこう、神秘学とか選ぶもんじゃない?」
「興味があった」
「……本当に?」
エレニアは疑わしげな目でノアを見たが、ノアの表情からは真偽を読み取ることができなかった。そのままノアが絵を描き終え、満足したように顔を上げてエレニアをじっと見つめる。
「……な、何よ?」
「目の下にクマがある。そっちの部屋にもレオがいるの?」
「……レオ? 何の話よ。これは課題が終わらなくて徹夜したからよ」
エレニアがあくびをしながら答える。彼女の机の上には、なんとか完成させた課題が雑然と置かれていた。眠たそうにしているエレニアを見て、ノアはしばらく考え込んだ後、ポケットから小さな瓶を取り出し、エレニアに差し出した。
「……何これ?」
「特製の眠り薬。熊でも飲んだら三日は寝込む」
「ちょっと待って、あんた何てもの渡してんのよ!」
エレニアは驚きの声を上げ、思わず手にした瓶を落としそうになった。なんとか持ち直したものの、瓶がカタリと机に当たり、周囲の注目を集めてしまう。教室内の数少ない目がこちらに向けられる中、エレニアは顔を赤くしながら小さく頭を下げて謝罪した。
騒ぎが収まるのを待ってから、彼女は隣の席で首を傾げているノアに向き直り、小声で問い詰めた。
「あんた、こんな危険なものを渡して、一体どういうつもりなのよ?」
「……? よく眠れる」
ノアはまるで当然のことを言っているかのような顔で答えた。その様子に、エレニアは頭を抱えたくなった。
「あーもう! そういう問題じゃなくて!」
声を抑えつつ、エレニアは身を乗り出してノアを睨みつける。だがノアは全く動じず、淡々と続きを述べた。
「自然由来、危険じゃない」
「……いや、そんなこと聞いてるんじゃなくて!」
エレニアはさらに困惑しながら瓶をじっと見つめた。その中には琥珀色の液体が静かに揺れている。どう見ても普通のものには見えないが、ノアの様子から悪意は感じられない。それでも彼女は困ったように眉を下げた。
「……まぁ、気持ちはありがたいけど、これ飲むのはちょっと……」
エレニアが言いかけたところで、授業をしていた教師が黒板から振り返り、咳払いをした。
「そこの二人、少し集中してくれ」
教師の注意に、エレニアは慌てて姿勢を正し、「すみません」と小さく謝罪した。ノアも無言でうなずき、再びノートに向き直る。
授業が再び進む中、エレニアはちらりと隣のノアを見た。何事もなかったかのように授業内容をノートに記録するその姿に、彼女はほんとに掴みどころのないやつね……っと、思わず苦笑した。
しかし、ノアがふと顔を上げ、エレニアに低い声でぽつりと言った。
「眠れないなら、他にも方法はある。例えば、ハーブティー」
「最初からそれにしてよ!」
エレニアが思わず声を上げると、再び教室内の注目を集めてしまった。顔を真っ赤にした彼女はまた頭を下げ、今度こそ静かに授業を受けることを心に誓ったのだった。
「……今日の授業はここまでだ。何か質問があれば、遠慮せずに聞いてくれ」
授業が終わり、教室の後ろの方で一人の生徒が少し迷いながらも手を挙げた。
「ヴィクター先生、本で読んだのですが、暗黒時代って何なんですか?」
「いい質問だ」
ヴィクターは目を輝かせ、黒板に新しい内容を書き始めた。
「暗黒時代とは、歴史の中でも特に謎に包まれた時代のことだ。その始まりの原因は、今でも完全には解明されていない。暗黒時代より前には、高度な文明が存在していたことが、遺跡や古文書の断片から分かっている。だが、なぜそれが滅びたのか、学者たちの間でも意見が分かれているんだ。ある説では、連続する天災が起き、人口が激減したと言われている。また別の説では、大陸全体を巻き込む戦争が原因だとも考えられている」
ヴィクターは一拍置いてから、さらに続けた。
「もしかすると、天災と戦争が同時に起こったのかもしれない。結果として、各地で文明は崩壊し、一部の地域では文字の使用すら失われた。人々は過去の知識を失い、後退してしまったのだ……まったくもって、嘆かわしいことだ」
やる気がなかった生徒たちは興味深そうに耳を傾けていた。ヴィクターの語る暗黒時代の説明は、退屈な歴史と打って変わって神秘色が強く、人をワクワクさせるものがあった。
「だが、暗黒時代やそれ以前の文明の謎を解き明かすのが、我々考古学者の使命だ。もしかしたら、いつか君たちの手で、この謎が解明される日が来るかもしれない。私はその日が来るのを、心から楽しみにしているよ」
そう言って、ヴィクターが生徒たちに柔らかい笑顔を向けた時、チャイムが鳴り響いた。
「おっと、つい夢中になって語りすぎてしまったな、このまま話を続けたいところだが、君たちにも次の授業がある。質問があれば、いつでも準備室に来てくれ。講義がないときは、私はそこで待っている」
ヴィクターは苦笑して、授業の終わりを告げた。
「やっと終わったわ」
彼女は大きく伸びをして、机の上に散らばったノートや本を片付け始める。途中、ノアにちらりと目をやると、彼が黙ってこちらを見ているのに気づいた。
「何よ?」
エレニアが問いかけると、ノアは無言で手のひらほどの小さな包みを投げ渡してきた。思わずキャッチし、中身を不審そうに見つめる。
「……今度は何?」
「ハーブティ。ヘレナさんからもらった」
「ヘレナさん? 誰よそれ……っていうか、あんた普段から何を持ち歩いてるのよ?」
エレニアは呆れたような顔をしながら包みを鼻に近づけると、ふわりと漂う穏やかな香りに思わず顔がほころんだ。
「いい香りね。でも、もらっていいの? そのヘレナさんって人からもらったものでしょう?」
「いい。あんまり美味しくなかった」
「……あんたほんと変わってるわね」
エレニアは肩をすくめつつも、包みを丁寧にバッグにしまい込んだ。ノアの突拍子もない行動には毎度振り回されるが、不思議と憎めない。彼と一緒に受ける授業はきっと退屈しないだろう――そんなことをぼんやり考えながら、荷物をまとめたノアが退室する気配を見せず、教室の前方に向かって歩き出したのに気づいた。
「帰らないの?」
エレニアが首を傾げて問いかけると、ノアは振り返らずに短く答える。
「ヴィクター先生に用がある」
「そう、じゃあまたね」
エレニアは軽く手を振ると、慌てて次の授業へと急いだ。教室の扉を出る直前に振り返ると、ノアが淡々とした足取りでヴィクターの元へ向かう姿が見えた。その背中は、どこか話しかけづらい雰囲気をまといながらも、なぜか目を引く不思議な存在感を放っていた。
「まったく、何考えてるのか全然わかんないんだから」
小さくため息をついたエレニアだったが、次の瞬間には気持ちを切り替え、廊下を駆けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます