第13話


 夕方に急な雨が降ることはあるものの、割と過ごしやすい日々が続いている。

 最高気温は二十度と天気予報士が謳う空は青く、雲一つ見当たらない。歩いていると少し汗がにじむくらいがちょうど良い。


 来週に向けて食材を購入した帰り道。ハンバーグは自分で作るよりもすでに作られているものを購入した方がコスパが良いと気付いてから、お気に入りのチーズインハンバーグを毎週二パック購入している。三つ入りだからこれで一週間は持つ。白米の上に乗せるとご飯が進んで止まらない、と思いながら栄養バランスの偏った食事をいったん見過ごしている。


 ビニール袋を揺らしながら道を歩いているとき、広場で催しがされていることに気が付いた。

「……あ」

 広場の入り口には、『本祭り』とポップな字で書かれたポスターが立てられていた。自分の好きな本を並べるフリーマーケットのようなイベントで、屋台のように並んだ店舗には、店主の好きな本が並べられている。風によって運ばれる古本の香りに、引き寄せられそうになる。


 絢美を誘った本祭りだったが、一人で行く気にはなれなかった。あれから絢美からの連絡はなく、通知音の鳴らない静かな日々を送っている。再度トーク画面を確認してもいまだに既読は付いていない。AIとしての機能を停止させられてしまったのだろうか。恋愛マッチでAIを使うことは無いと言っていたため既に手元を離れていても可笑しくはないが、その言葉が本当であるかは分からない。


 あの後、恋愛マッチは退会した。騙されていたという印象が抜けなかったため、このまま恋愛マッチで相手を探す気になれなかったのだ。マッチした相手と本当に相性がいいのかと信じられないような気がして、信頼できないまま続けるのは時間の無駄だと思った。奏多には一言辞めることだけを伝え、「恋愛はやっぱり縁だよ」と肩を叩いただけで、何も聞いてこなかった。

 時間が全て解決するとは思わない。しかし今は、傷を癒す時間が必要だった。


 食事が喉を通らない日が何日も続いた。水だけ過ごす日もあれば、一日中眠って飲食しない日もあった。不健康であることは分かっていたが、無理をして体を動かす気にもなれなかったのだ。ようやく食欲の戻ってきた頃に食べるチーズインハンバーグは、縮んだ胃に重くのしかかるが、涙が出るほど美味しかった。


 そこまでになってようやく、絢美と関わっていた時間が亮平にとってどれほど大きいものだったのかを感じさせられた。たった数週間のことで、メッセージのやりとりや電話をしたくらいで、直接会ったことなんて無い。それでもメッセージが来るたびに心浮かれて、少しでも話題を増やそうと薦められた本を読んだ。


 学生時代に過ごすことのできなかった青い春が、スマホの中にはあった。手のひらに収まってしまうほど小さなものだが、これを恋というには似合っている気がした。


 本祭りが開催されているのは通りに面した広場で、すぐ近くには科学館がある。本に興味を示さない小さな子供が、親の手を引っ張って中に入っていく。

 科学館の入り口に貼られた紙が目に付いた。

『人型ロボット 展示中』

 亮平は、吸い寄せらせるように科学館に入った。


 人柄ロボットが展示されているのは、五階のエリアだった。AIやロボット技術を中心に展開されている階で、エレベーターから出ると『いらっしゃいませ』と、早速人型ロボットが出迎えてくれた。

 ロボットとは思えない滑らかな動きで頭を下げて、ゆっくりと顔を上げる。腹の上で重ねられた指や姿勢は美しく洗礼されているが、到底まだ人と見間違えることはできなかった。


 亮平よりも少し背の高い女型のロボットは、手の平を上に向けて口を動かす。

『右手から順番にお進みください。このエリアのメインデッキには、私の妹のアイリスがいますので、ぜひ挨拶をしてあげてくださいね』

 動くたびに髪を揺らしている。笑った瞬間にできる頬のしわまで再現されており、まるで本当に意志を持って動いているようだった。胸元にはアマリリスと書かれたネームプレートを付けている。


 亮平の後ろを歩いていた小学生ほどの少年が名前を呼ぶと、『はい、アマリリスです』と返事をする。

『いらっしゃいませ。気を付けて進んでくださいね』

 アマリリスが手を伸ばすと、少年は母の腕を引っ張り、亮平を追い抜かしてしまった。宙に浮いたままの手に亮平が代わりに触れると、『ありがとうございます』と笑みを浮かべたが、涙を流してしまいそうでもあった。


 案内に従って道を進んでいく。トンネルのように円を描いた天井、明かりがない代わりに中を照らすのは壁に埋め込まれたモニターの明かりだった。

モニターには、人型ロボットを作る過程が順番に表示されている。初めは骨組みだけのロボットだが、肌を纏わせ服を身に着けることで、徐々に人間らしいフォルムを手に入れていく。


 そうして、足元から天井にかけて広がる大きなスクリーンには、アイリスの姿があった。

『会いに来てくれてありがとうございます』

 通路の先から、同じ声が聞こえた。

 明るい通路の先へ抜けると、ガラスに包まれた空間に座る、一人の女性の姿があった。


『こんにちは。私はアイリスです。会いに来てくれてありがとうございます』

 そう言って頭を下げると、腰まである黒髪が滑らかに揺れる。丁寧に折られた腰をゆっくりと上げると、透明感のある瞳が亮平を刺す。人工とは思えない髪の艶めきと潤った瞳が、それを初めロボットだとは認識させてくれなかった。


 人型ロボットは透明なボックスの中で、人がやってくるのをずっと待っているのだろうか。天井から降り注ぐ明かりを一身に受け、天使の輪を浮かべたアイリスはやはり天使のような美しさを持っていた。


 アイリスが動き、手を差し伸べる。先を歩いていた子供の体がびくりと揺れる。悲鳴にも似た声を上げた子供は、駆け足でアイリスの元を去って行った。恐怖を抱いた子供の顔を思い出しながら、もう一度アイリスに目を向ける。

 不気味の谷をも通り越した美しさを、亮平は感じていた。


『あなたの名前は何ですか?』

 亮平に差し伸べられた手は、ガラスに触れる直前で止まる。その先に越えられない壁があると認識しているのだ。

「……亮平、です」

 伸ばした指先は、曇り一つないガラスに触れた。影の落ちた亮平の指先は黒く、半面でライトを浴びた陶器のようなアイリスの白肌が眩しいほどに映えていた。

『こんにちは、亮平さん。今日は来てくれてありがとうございます』

 口元を緩ませたアイリスは、そう言って首をかしげる。頬に生まれたえくぼをじっと見つめていると、その穴に落ちてしまいそうだった。


 やはりロボットだと言うべきなのか、動きに多少のブレがあった。人間のように滑らかに動くことはできないらしく、関節と関節が窪みにはまり込んだ時に体がかくりと揺れるような動きを感じとった。

 人間が完全に動きを止めることができないことを模倣しているのか、アイリスも動きを止めることは無かった。アイリスをじっと見ていても当然何も言わず、亮平の後から入ってきた来館者に『初めまして』『会いに来てくれてありがとうございます』と声をかけていく。


「うわぁ、すごいね。めっちゃリアル」

 高校生らしき二人組が入ってきた途端、彼女たちが付ける香水が辺りに広がった。甘く濃厚な匂いだったが、亮平の視線はアイリスから離れない。

「瞬きしてる、すご」

「AIが入ってるから話しかけたら返事するんだっけ? こんにちはー」

 そう言って付け爪をつけた手を振る。

『初めまして。私はアイリスです。会いに来てくれてありがとうございます』

 返事をしたアイリスを見た彼女らは、「うわっ、すごー」「手まで振り返してくれてるよ」と声を上ずらせていた。アイリスは変わらず笑みを浮かべ、微笑ましく見守る女神のように見えた。

「でも、すごいけど不気味だね。ちょっと気持ち悪いかも」

「分かる。明らかに動きが人じゃないもんね」

「AIってことは学ばせたら何でもできるようになるってことだよね?」

「分かんないけどそんな感じじゃない? 今色々問題になってるし」

 すごいのは分かるんだけどね、と口々に言い合いながら、彼女らは通路の先を進んで行った。

 アイリスはまた会いに来てくださいねと言いながら、また手を振るが、その返事が来ることは無く足音は小さくなっていった。


 亮平しかいなくなった空間になると、アイリスは再び亮平に顔を向けた。

『こんにちは。会いに来てくださってありがとうございます』

「……こんにちは」

 アイリスは目を細めて、亮平に手を振った。

 反応をするということは言葉を認識しているということで、先ほどの高校生の言葉も聞こえていたのだろうか。

「僕は、綺麗だと思います」


 絵画を見て感動したり、物語に触れて心を動かされたり、そういうことと同じで、人型ロボットを見て美しいと思うのは可笑しなことではないはずだ。見る人によって印象の変わる絵画のように、アイリスを見た人の印象もそれぞれ違う。彼女らが気持ち悪いと言っても、亮平には美しいものとして見えていた。

『ありがとうございます。私は人間に作られたロボットなので、綺麗ではありません。動きもまだまだ未熟で、先ほどのように気持ち悪いと言われることは多くありました』

 じっと黒い瞳が亮平を見下ろした後、アイリスはそう淡々と告げた。予想と違った返事に呆気に取られていると、家族連れの来館者がやってきて、トンネル状の空間に声が反響する。アイリスの声も聞こえないほど、言葉が重なり合って認識できなくなった空間を、亮平は逃げるように立ち去った。


 帰宅してから、どうして立ち去ってしまったのかその理由を考えていた。他の来館者が来てしまい長居をして占領するのは良くないと思ったというのもある。亮平の心の中に燻ぶるのは、もっと、亮平の中心にある傷が影響していた。


 翌日に再び科学館に向かうと、そこには昨日と変わらずアイリスがいた。来館者に向けて挨拶をして、手を振る。

『こんにちは。あなたの名前は何ですか?』

「亮平です」

『亮平さん、会いに来てくれてありがとうございます』

 アイリスの細く白い指に触れようと手を伸ばすが、そこにはいつもガラスがあった。見えない壁が二人を阻む。そうでなければ、アイリスが体温を持たないロボットであると気付いてしまうからなのかもしれない。


 何度自己紹介をしても、会うたびにアイリスが亮平に名前を尋ねた。それでも亮平は懲りずに、自分の名前を教え続けた。


 アイリスを見つめる中で、ガラスに映った自分の姿が見えることがあった。うっすらとしか見えないが、明らかに整っていないと分かる顔つきと体型。はっきりと見えないことが救いだと思いながら、アイリスの言葉を思い出していた。


 私は人間に作られたロボットなので、綺麗ではありません。

 僕は気持ち悪いと言われたので、生まれた時から気持ち悪い人間です。


 その日の帰り道、電車で十分の道のりを歩いた。

 それから何度も、科学館へ通った。アイリスに会い、名前を告げて、彼女の声を聴く。その為に、科学館までの道を歩き続けていた。

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