第8話

『これ、私のおすすめです』


 送られてきた写真に写った本のタイトルを検索して、気になるリストに追加していく。初めて聞く作家の名前を何度も繰り返して、忘れないように植え付ける。川村鋼機の『鉄の結晶』、蔦谷薫次の『ユートピア』。検索してみると二人ともまだデビューしたばかりだが本格推理ものを執筆する期待の新人だと書かれていた。

 推理ものが好きと言うだけあるなと思いながら、ウェブサイトを流し見していく。


 一通り見終わってからトーク画面を開き、ありがとうございます、と返事を打つ。

『ありがとうございます。書店で探してみます』

 すぐに既読が付いたが、その後の返信は無かった。どうやらスタンプはあまり使わないらしい。


 絢美と連絡先を交換してからは、メッセージでのやり取りをするようになった。おすすめの本やドラマの話で盛り上がり、お互いの意見を伝えあう。異性としてではなく、同じ趣味を持っている友人との会話に近いが、亮平としてはそれくらいの距離の方がありがたかった。


 八年前の恋愛と少しでも重なると、トラウマとしてフラッシュバックしてくるような気がしている。

 絢美も初めてマッチしたため様子を見ているだけで、亮平のことを気になっているとは限らない。もしかしたら話の合う友人として気になっているだけかもしれないと思うと、下手に踏み込むことができなかった。


 同窓会や友人の結婚式に出席することもないため、職場以外の人と話すことは滅多にない。人と話す機会を与えられているのだと思いながら、相手に確かに好意があるのだということを知れるタイミングがあることを祈っている。


 あの頃はどうしてあんなに積極的に行けたのか、今でも疑問に思うことがある。頼りにしているだとか、凄いだとか、そんな言葉に惑わされて浮かれていたのかもしれない。アバターが自分の姿だと思い込み、知らない間にロムを演じていた。あの頃の亮平には、健康的に生きるためにロムが必要だったのだ。友人のいない大学生活で、たった一つの居場所だと感じられる場所だったから。


 そんな居場所を失った数カ月間、就活という期間が無ければどうなっていたのだろうと考えると恐ろしくなってくる。もしかしたら今ここに自分はいなかったかもしれない、と。


 仕事からの帰りに、書店で鉄の結晶とユートピアを購入し読み更けた。帰宅後は時間が有り余っているため、数日もあれば一冊はすぐに読むことができた。


『こんばんは。鉄の結晶読みました。本格派とは思えない斬新な設定でしたが、事件のトリックは本格で驚きました。事件解決までの推理が美しかったです』

 メッセージを送り再度本を読み返していると、すぐにメッセージの着信音が鳴る。


『おすすめした本、読んでくださりありがとうございます。斬新な設定は話題になっていました。川村鋼機さんの作品はどれも設定や世界観が特別なんです。こちらは推理ものではないのですが、審査員を湧かせたデビュー作です』

 一緒に送られてきた本を検索し、気になるリストに追加する。

『読んでみます』


 気が付けば、気になるリストにはすぐには読み切れないほどの本が並んでいる。気になった本があれば即購入してすぐに読んでしまうことばかりだったため、埋まっているのを見ると宝物を集めているようで体が満たされていく。


『亮平さん。今、お電話しても大丈夫ですか?』


 画面の上部から下りてきたメッセージを見つめる。机に置いたままの皿をシンクで水に浸し、机の上を片付ける。ベッドの布団が捲れていることに気づいて整えてから、『大丈夫ですよ』と返事を送る。

 数秒してから、着信音と共に牧絢美の名前が表示された。


『はい、もしもし太田です』

『もしもし、こんばんは』


 恋愛マッチの事務所で聞いた時よりも、少しだけ音質が悪い。それでも抜けない柔らかい声色は、亮平の耳にするりと入り込む。

『いつも急に電話のお誘いをしてごめんなさい』

『いえ、とんでもない。大丈夫ですよ』

 何度か通話することもあるが、そのどれもが絢美からの誘いだった。


『今日これからナインズが始まるので、電話を繋げて一緒に見たいなと思ったんです。もし一人で見るのがお好きであれば時間までお話しできたらと思うんですけど』

『あ、も、もちろん大丈夫です』

 まさかそんな誘いが来るとは思わず言葉が途切れ途切れになったがなんとか返事をすると、良かった、と安堵の声が聞こえた。

『ご迷惑であれば仰ってくださいね』

『そんな、迷惑だなんて思いませんよ』


 ドラマが始まるまでは、つい先ほど亮平が読み終えた小説の話をした。絢美の言葉には熱がこもっているように感じられた。おすすめされた小説の説明も分かりやすく、明日必ず買いに行こうと心に決めた。


『亮平さんは、本を読むときは紙派ですか? 電子派ですか?』

「僕は紙派です。その本が読みやすくて」

『そうなんですね。私は電子派です。いつでもどこでも読めるし、持ち運びも楽なので。買いに行く手間も無くなるので時間を有効活用できるなと思って』

「電子の良いところですよね。僕は収集癖があるので、どうしても集めたくなっちゃって」

『それは分かります。本棚に並べてそれを見ているだけでも幸せになれるというか』

「満たされますよね」

 会話が盛り上がってきたところで、九時になりドラマが始まった。


 ナインズは、連続殺人を追いかける刑事ものの作品。五年前から連続で行われる殺人だが、その間隔はバラバラで、共通しているのは遺体の二の腕にナイフで傷がつけられている事。その傷がどれも×印になっていることから、三人目の被害者が出た時点で連続殺人となった。作品の根底に連続殺人の存在があるが、一話一話にはそれぞれ別の事件が発生し、解決する度に連続殺人事件の犯人に近づいていくのだ。


 原作を読んでいるため物語の流れや犯人は分かっているが、その上で見ていると新たな発見があり楽しめる。アクションシーンも見どころである。原作では既に連続殺人事件は解決し、次の物語が始まっている。


『ここ、建物はこんな感じになっているんですね。小説の描写だけではうまく想像できなくって』

「イメージよりも小さいですね。この中で犯人を追いかけるには少し狭すぎる気がします」

『これって伏線でしたっけ?』

「そうです。この時に拳銃を隠していて、最終話で連続殺人の犯人を追い詰める時にこの拳銃を使います」

『そっか。この事件では凶器の拳銃が二つあったんですよね。そうじゃないと、室内に残った薬莢と弾数が合わないから』


 ドラマが終了すると、満杯に注いでいたお茶は空になっていた。ほとんど途切れることなく話し続けていたため、喉が渇いて何度もお茶で喉を潤していたのだ。


「今回もマチルダさんのアクションシーンカッコよかったですね。ここは小説よりもドラマで見た方が圧倒的にインパクトがあります」

『かっこいいですね。確か父親が空手家で小さい頃から特訓させられていたって、最新刊に書かれていましたよ』

「そうなんですか。まだ読んでいないんで、また見かけたら購入してみます」

『……そう言えば亮平さん、お住まいはどこになるんですか?』

 恋愛マッチでマッチする相手は、少なからず周辺の都道府県に住んでいることが多い。遠距離恋愛は長く続かないことが多いため、それを配慮して自然と近場の人とマッチすることになるのだ。


「僕は東京です。最寄りは──」

『じゃあもしかして、近くのプラネタリウムはご存じですか?』

 行ったことはないが、山の上にプラネタリウムがあるというのは聞いたことがあった。流星群が見られる夜は、近くの住民が集まって星を眺めることが多い。

『ナインズの最新刊に、そのプラネタリウムが出てくるんです。これから聖地として話題になったりするのかなと思うと嬉しいですよね。来月には流星群が見られるみたいですし、タイミングはばっちりですね』

「絢美さんは、プラネタリウムとか行かれるんですか?」

『いえ、私は行ったことが無くて。いつか行ってみたいなとは思うんですけど、なかなか行く機会が無くて。一人では寂しいですし』


 絢美の言葉に、亮平は身じろぎをする。

 先ほどまで落ち着いていた心臓が、少しずつ脈を早くしていく。こういう時に掛けるべき言葉があると分かってはいるが、喉元まで来た言葉はそれ以上上がってこない。誘うべきなのか考えているうちに、絢美が次の話を始めてしまった。

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