第9話


「それは誘ってほしい合図だろ!」

 先週の絢美とのやり取りを奏多に話すと、彼は机を叩いてそう言った。


「連絡先を交換しようって言ったのも相手、電話を掛けるのも相手から。絶対誘われるの待ってるって。女の子は誘われたいんだから、受け身でいたいもんなんだよ。向こうからばっかりじゃ情けないぜー」

「そうかもしれないけど、別にそんな意図があって言ったわけじゃなかったらどうしようかとか考えたら、言えなくて……」


 エビフライを口に入れて、言葉を濁す。会話の流れでいつか行ってみたいと言っただけで、誘われたいと思っているわけではないことも無いとは言い切れない。これまで全て彼女からだったため、ここで彼女が駆け引きをするようにも思えなかった。

 揚げたてのエビフライで舌を火傷しそうになり、慌ててお茶を流し込む。


「日和ってばっかりじゃ前に進めないだろ。何のために恋愛マッチしてんだよー」

 はーあ、と大きなため息をつかれてしまい、亮平は肩身が狭くなる。そんなに責めたところで過去は変えられないのに、と思うが、そう思う自分が情けないことも分かっている。

「次、次は誘うから」

「今日だ、また今日電話しろよ」

「……誘って迷惑だと思われたらどうしよう」

「まだ日和ってる? 気になっている相手だったら嬉しいだろ。ようやく向こうから誘ってくれた! って。それでやっぱり亮平さんは無理ですって言われたら、告白して振られる前で良かったって安心できるだろ」

「無理ですって言われた時のダメージが大きい」

「告白して振られるよりもダメージは小さいだろ」

 だし巻き卵を口に放り込んで、咀嚼する。


 いつもより豪華な愛妻弁当を口にしながら、奏多が放つのは亮平への貶しだ。もう少し味わって食べた方が美味しく感じられるのにと思いながら、そうさせているのは自分だと気付く。


「大体、恋愛マッチをする奴は恋人が欲しくてやってる人ばっかりだろ? 友達相手でもできるような話をしているんじゃ、時間の無駄になると思うけど。結婚急いでいる人もいるだろうし。相手って何歳?」

「二十六歳」

「じゃあ今から相手を探して、付き合って結婚までって考えると、大体四年くらいか。三十歳までに結婚したいって思ってたら、それくらいの年齢で行動し始めるだろうな。恋愛マッチをしているなら結婚も視野に入れているだろうし、もし子供が欲しいって思ってたらもっと焦ってるかも」

「焦ってるなら、相手からぐいぐい来るんじゃ」

「自分ばっかりがっついてて相手から好意を感じられなかったら、結婚まで考えられないだろ。一方的に付き合って結婚を迫って、そんなんで幸せな結婚生活は送れない。結婚は思いやり、一方通行では長続きしない。だから恋人のうちからその確認をするんだろ」

 まあ持論だけど、と関西人の知らんけどと似た台詞で締められる。


「まあ恋愛マッチに登録したのは俺だけど、ちゃんと事務所に行ったってことは亮平も恋人が欲しいとか結婚したいとか思っていたわけじゃないの?」

「……そりゃ、ずっと一人でいるのはあれだし、一緒にいてくれる人がいたら良いなとは思ってるけど」

「だったら、その気持ちを出さないと。今はそう思ってるだけで、焦りとか無いかもしれないけど、もう数年経ったら本当に焦り始めると思う。もしくはもう諦めるか」


 コンプレックスを言い訳にして、結婚を諦める未来は容易に想像がついた。今も過去のトラウマを理由に、積極的に動くことができないでいる。諦めることは簡単で、しかしそれが本気ではなかったのだと気付くきっかけにもなってしまう。


 簡単に諦められたら、きっとすぐにエルのことも忘れられていた。就活のおかげで気は紛れていたが、亮平の中からエルが消えることは無かった。トラウマとして植え付けられたというのもあるが、時折エルの柔らかい声や亮平を見る前の顔を思い出してしまうから、きっとそれだけではなかったのだと思う。本気で、エルのことが好きだったのだ。だからこそ簡単に忘れられなくて、トラウマと一緒に黒く固まってしまったのだ。


 行動しなければ、何も実を結ばない。

 絢美との会話を思い返す。好きな本やドラマの話ばかりで、お互いのことを詳しく話したことは無かった。どうして恋愛マッチを始めたのか、結婚願望はあるのか、それらに踏み込んでいいだけの出会いであるはずだ。


「……分かった。今日また、電話してみる」

 ──そうだ。彼女が言ってくれた魔法の言葉があった。

 ええい、ままよ。振られても断られても、なるようになれ。

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