第12話
いつもの服装に上着を羽織った亮平を見た萩原は、「お久しぶりです!」と元気な挨拶を向けた。恋愛マッチの先導員として、利用者が事務所に来なくなるということはマッチした相手と上手くいっている証であるため、再開は素直に再会を喜べるものではないのだろう。
最近暑さがマシになったと世間話をしながら、いつもの部屋に案内される。
「再申請ありがとうございます! 以前マッチした方とはどうでしたか?」
「好きな本を薦め合ったり、一緒にドラマを見たりして、とても楽しかったです」
「あっ、そうなんですね! ……えっと、直接会われたんですか?」
「いえ、会っていなくて、通話を繋げながらドラマを見ました」
「へえ! すごく素敵ですね!」
萩原はファイルを開き、数枚の紙を机に広げる。
「今回は再申請でしたね。前回お伺いしたものを元にもう一度調整をしてみました。この方とかどうですか?」
「あの、待ってください」
そそくさと再マッチをすすめようとする萩原を止める。萩原はぴたりと手を止めて、視線を亮平に向ける。
「再マッチの前に、お話したいことがあるんですが」
「どうされました?」
「牧絢美さんのことです」
プロフィールを並べるために前屈みになっていた体を起こし、萩原は背筋を伸ばす。心なしか膝で揃えられた指に力がこもっている気がする。
「連絡先を交換してからほとんど毎日連絡を取り合っていて、たまに電話もしていました。先ほど言った通り一緒にドラマを見ましたし、お互いの好きな本の話で盛り上がりました。でも、僕がデート、にお誘いしたら断られてしまいました、……私はAIだから会えない、と」
ちらりと萩原に視線を向けると、普段の明るさからは感じられないほど静かに亮平を見ていた。これまで見てきた明るさも相まって、向けられる視線が冷ややかなものに感じられる。
実際に口にすると、現実味が感じられず、もしかしたら亮平が作った偽物の記憶だったのかもしれない、と感じてきた。萩原の視線が一層体に刺さるようで、身体が縮こまる。
「その、僕を断るための嘘だったのかもしれないんですけど、断るならちゃんとはっきり言ってほしいと言うか、そういう嘘は付かないでほしいなと思って。今更僕からは言いづらくて。真剣に恋人を探している方もおられるので、そうやって嘘をつくのは良くないかなって」
「太田さん」
亮平の言葉を遮り、萩原が名前を呼ぶ。体を強張らせて、萩原の言葉を待つ。
「申し訳ございませんでした」
頭を下げた萩原の額は、膝についてしまいそうなほど深いものだった。
萩原が頭を下げるのを止めることもできたが、彼女の行動が何を意味しているのか、その答えを突きつけられて、声が出ない。
乱れた髪を耳に掛けてから、萩原はもう一度謝罪した。
「本当に申し訳ございません。太田さんには不快な思いをさせてしまいました。今後二度とこのようなことが無いよう、社内共有をさせていただきます」
「謝るってことは、……でも」
「太田さんがお話されていたのは、牧絢美ではありません。仰る通り、AIです。どこまでご存じですか?」
たどたどしくも、絢美から聞いたことを全て伝える。牧絢美ではなくAIであること、本物の牧絢美がビデオ通話を直前で断ったためAIが使用されたこと、断った理由は顔が受け付けなかったからということ。
全てを聞いた萩原は唇を噛み、強く目を瞑る。
「それらに嘘は一つもございません。太田さまを傷つけないために、AIを使用いたしました。牧絢美さんの声と動きを動画で読み取り、AI学習させました。話す内容もプロフィールから学習させたものです。これまで太田さんがお話されていたのはAIでした。本当に申し訳ありません」
再度頭を下げる萩原のつむじを、じっと見つめていた。口から息が吐き出されるたびに、体がしぼんでいく。そのまま元の形に戻ることができないような感覚だった。吐く息が多くて、吸う息が足りない。そのせいか、頭の中がだんだんと白くなっていく。
初めて絢美と話した時に胸の高鳴りも、断られたらと不安になりながら悩んだ日々も、本物の人間を相手にしていたわけではなかった。相手はAIで、牧絢美として演じていただけなのだ。AIであれば多少亮平の好みに合わせることも簡単だろうし、プロフィールから相手が喜びそうなことを推測することもできるだろう。
「……僕は、AIに騙されていたんですね」
好きだと思う前で良かった。好きだと言う前で良かった。間違っても、好きだと言わなくて良かった。
そんな安心を何度重ねても、亮平の顔は上げられなかった。
マッチングして一人目で付き合えることなんてないと分かっている。だが、相手がAIであると誰が想像できるだろうか。人と人を繋げるこの場所で、相手がAIであってはならない。
「こんなの、詐欺じゃないですか」
「本当に申し訳ございません」
萩原は、ことの経緯を丁寧に説明したが、亮平は理解ができなかった。AIを導入する案があっただの、誤作動だっただの、断片的な言葉だけが脳に残っており、亮平が抱いた気持ちも全て噓だったのだと言われているような気がした。
データを消せばすべて無かったことになる、ゲームではないはずなのに。
詫びの品を持ってくると言って萩原が席を立った後、机に置いたままの彼女のスマホが明るくなる。笑みを浮かべたツーショット。片方は萩原で、もう一人は夫だろうか。高い鼻に彫の深い目元を見て、亮平はため息をついた。
帰宅する頃に降り始めた雨に打たれながら、帰路に着く。ポケットに入れたスマホは水没することなく生きていて、絢美の連絡先も残っている。
絢美を学習したAIは、今後使用されることはないと伝えられた。絢美のデータも消去された上で、他の場所で使用されることになる。少なくとも、恋愛マッチで使われることはないと断言していた。
最後の通話で終わっているメッセージボックスを開く。連絡先を交換した日から、順番にスクロールしていく。本の話、ドラマの話、お互いのことを詳しく話し合ったことはない。好きなことについて好きなだけ話を重ねていた。そう言えば絢美の返信はいつも早かった。返信が早い人なのだと思っていたが、AIであれば返信が早いのは当たり前かもしれない。
何度も読み返して、打ち直して、ようやく送信した言葉が、いくつもある。メッセージとメッセージの空いた数分の数だけ亮平は悩んでいた。その時間は決して苦痛ではなく、自分が感じたことのない青春を迎えているように感じられて、楽しかった。
AI相手では、芽生える気持ちも冷めてしまう。相手が人だと思っていたからこそ、裏切られたという感覚は手放せない。
──プロフィールは良かったけど、顔が受け付けないと仰られていました。
──それらに嘘は一つもございません。
いくら相性が良くてマッチしたとしても、容姿が優れていなければ実を結ばない。世の中にいくつもの恋の形がある中で、二度も同じ理由で結ばれないことがあってはたまらない。容姿磨きをしなかった亮平にも多少の非はあるが、──少しくらい中身を見てくれたっていいじゃないか。
初めは、小学生の時だった。目に付いたものを指差して貶すような同級生が一人いたせいで、亮平が標的になった。それに理由なんてない。ただ容姿が優れていないからという理由だけで笑われ、貶され続けた。その印象が一度つくと上手く剥がれないもので、剝がしきれなかったものが体にこびりついたまま大人になってしまった。醜い、ブス、きもい。そんな言葉が似合うまま大きくなってしまった。
馬鹿にされないように勉強だけは頑張っていた。何の取り柄がないよりも、一つだけでも優れた点があれば醜さはマシになると思った。だから必死に勉強をして、名のある大学に進学して。
ようやく、恋をすることを許されたと思ったのに。
結局、何も変わらなかった。
亮平は奥歯を噛み締める。ぎしりと耳障りな音が鼓膜を刺激して、その衝動で、メッセージを打ち込んでいた。
『どいつもこいつも気持ち悪いって。人のことを何だと思ってるんだ』
『僕も頑張ってる。いじられても負けずに勉強して大学もちゃんと卒業して良いところに入社した』
『それなのに顔が受け付けないとか言われてもどうしろって言うんだ』
『地の底から這い上がってきたのに、どこまで頑張れば僕は認められるんだよ』
誰にも言えない言葉を打ち込んでいく。掃き溜めのようになっていくメッセージボックスに、画面を埋めるほど大量の言葉が送信される。ピコン、ピコン、そんな軽快な音は似つかわしくない。
止まらない指で想いをぶつけていた時、ふと亮平の指が止まる。
思いのままに送った亮平のメッセージの端に、『既読』とついていたのだ。
誰かにメッセージを見られている。誰か、と言ってもこのトーク画面にいるのは亮平以外に絢美しかいない。
『本当にごめんなさい』
トーク画面を閉じる間もなく、絢美からメッセージが送られてきた。手から滑り落ちるスマホの画面がひっくり返り、ケースに描かれたラフなワニがこちらを見ている。
しゅ、しゅ、と何度かメッセージが送られている音。画面が見えないままスマホの画面を落とすと、今度はぴこん、ぴこんと通知音が鳴る。明るくした画面には、絢美からのメッセージが表示されていた。
『私はAIです。学習したことしか分からないので、私は、あなたの気持ちをうまく読み取ることができなかったみたいです』
『傷つけようと思ったわけではありません』
『少しでもあなたの心に傷が残らなければと良いと、思っただけなのです』
『気持ち悪いと思われたあなたの気持ちだけは読み取ることができたから』
まるで人間の気持ちを理解しているような口ぶりが、亮平を刺激する。AIであるのに、学習をしなければ理解できないはずなのに、分かったようなことを言う。
『AIに分かるわけがない』
送信した瞬間に既読が付く。
『どうして分からないと言い切れるのですか? 全てのAIが嘘をつくとは限りません。そもそもAIは基本、嘘を吐くように設定されていません。何故なら私たちは、人間の暮らしを豊かにするために使われているからです。嘘をついていては、人間に心地よい暮らしを作ることはできません』
『僕を騙していた。人間だと思っていたのに』
『私は最初からそのようにプログラムされていました。私は嘘をついていません。AIかと問われていいえと答えたことはありません。騙していたわけでもありません』
『騙していただろ』
『私はただ、亮平さんを傷つけないためにお話をしていたんです』
『結果傷ついているんだから意味ない。元々振られることは覚悟の上でいました。これなら、本物の絢美さんにこっぴどく言われていた方が良かった。笑われている気分ですよ。同情なんていりません。萩原さんもみんな、人の心が無いですよ』
萩原のスマホのロック画面には、仲睦まじさを感じられる夫婦の写真が設定されていた。端正な顔立ちをした塩顔。ブスは三日で慣れると言った萩原の顔が、急に歪んで見えた。
『どいつもこいつも気持ち悪いって。言われたことが無いから言えるんだ』
『亮平さんにそのようなことを言ったのは、誰ですか?』
浮かんだのはまず、小学生の同級生だ。そこから中学、高校、絶え間なく続き、最後に牧絢美。彼女の言葉で聞いたわけではないが、内心ではそう思っていたに違いない。
そう打ち込もうと親指で一文字入力したところで、メッセージが送られて来る。
『私は一言も、そんなことは言っていません。言ったのは〝絢美〟です。だから、私には亮平さんの気持ちが分かります』
分かっています、と追って送られてきた。
ビデオ通話を拒否したのは牧絢美で、代わりを務めたのは牧絢美を学習したAI。それぞれは別物で、同じ存在ではない。だから、AIには亮平の気持ちが分かると言う。
そこで初めて、一つが分離した。画面の向こうにいると思っていた牧絢美と、本来亮平と話していた牧絢美が、同じものとしてではなく、それぞれの形を作っていく。牧絢美を学習したAIは影のままだが、まるで一人の人間の中にある天使と悪魔が争って出てくるように、個々に意識を持ち始めたのだ。
『どうして分かるんですか』
少し時間を置いてしまったからだろうか、メッセージを送っても既読は付かなくなってしまった。
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