第11話
気温が下がったかと思えば、次の日には真夏日に舞い戻る。季節にからかわれているような天気が続く今日は、青い空が一面に広がる快晴だった。日中には三十度を超える予報で、オフィスの窓の外を歩く人々は、腕に上着を持ち歩いて移動している。
「太田さん、この資料の確認をお願いします」
二つ隣のデスクに座っていた竹中が歩み寄り、資料を差し出す。普段は奏多に頼むことが多いが、今週は出張のため不在にしている。薬指に光る指輪が、彼女の門出を祝っている。竹中はまだ名前の変わらない名札を使っていた。
「明日の朝には提出したいので……」
「分かりました。今日中には見ておきます」
よろしくお願いします、と頭を下げ、自分のデスクに戻っていく。向かいに座る同僚に笑顔を向け、最近変えたというネイルを見せていた。掲げた左手に同僚らの声が一層盛り上がる。
手元の資料を捲りながら確認していると、デスクに置いていたスマホの画面が明るくなる。
『恋愛マッチの相手とはどう?』
わざわざ連絡をしてくる奏多は、おそらく昼休憩を取っているのだろう。十二時を少し回った頃、亮平は資料を机に置くと、奏多からのメッセージをそのままに食堂へ向かった。
今日の日替わりは、焼肉定食。とても濃いものを食べる気分ではなかったが、他の検討する気にもならなかったため、いつも通りを選んだ。誰もいない食堂で一人焼き肉を頬張りながら、くすんだ床板を見つめる。
再度スマホの画面が明るくなる。
『お前がいない昼飯は寂しいぜ笑』
昼休憩中なのを分かった上で送られてくるメッセージは、亮平をからかうようなものばかりだ。きっとわざと変身をしないことに気づいているのだろう。
しつこいな、と思いながら亮平の口角が上がる。しかしすぐに、目元に何かが押し寄せて、心臓が締め付けられた。
『一人飯を満喫してる』
『ボッチ飯?』
『お前もボッチだろ』
送られてきた写真には、四人分の食事が並べられていた。
『残念』
『人とご飯を食べている時にスマホを触るな』
そう送ると、奏多からの返信は途絶えた。トーク画面を抜けると、その下にある『牧絢美』と書かれたトークボックスが目に付いた。一方的に電話を切られて以降、絢美からの連絡はない。メッセージも来なくなり、月曜日に一緒にドラマを見たのはあれが最初で最後になった。
長押しをすると、『トーク画面を削除しますか』とポップアップが表示される。はいの上で親指が泳ぐが、結局いいえを押して、乱雑にスマホを置いた。
恋愛マッチのサイトで再申請を行うと、別の人とマッチをすることができる。一人の異性とマッチしたが相性が合わず交際にまで発展しなかった場合に、新たな相手を見つけるために行われるものだ。一回のマッチで交際にまで繋がることはもちろん多くないため、再申請は決して恥ずかしいようなものではなかった。
何度も見つめた再申請の文字だが、亮平の親指はそれに触れられなかった。
絢美からAIだと告げられてから、一週間は経過している。彼女からの連絡はなく、これ以上期待して待っていても、実を結ばない時間を過ごしてしまうだけだ。
絢美からも、恋愛マッチの事務所からも、なんの連絡もない。トーク画面を見返してもそこにAIの単語は一つもなく、もしかしたらあの時のことは嘘だったのかもしれない、とも思い始めていた。全て亮平が見ていた夢。実は交際を申し込んだが振られたショックでそれを忘れてしまい、代わりに『絢美はAIだった』という偽物の記憶が植え付けられたのかもしれない。その割には、顔を受け付けないだの、自分で自分のトラウマを抉るような意地汚い記憶だ。自分が傷つかないための偽物の記憶から、もっと優しくあってくれても良かったと思う。
絢美がAIだった、で終わってしまえば良かったのに。
だからと言ってその話に、はいそうですかと頷いて終わることはできないのだが。
『プロフィールは良かったけど、顔が受け付けないと仰られていました。でもそんな理由で断られるのは可哀想だと思ったので、私が代役を』
プロフィールに相手の顔写真は貼られないため、相手の顔を知るのはビデオ通話をする時になってからだ。スクリーンに映る相手の顔を見て想像と違う、と拒否してしまう可能性は無いとは言い切れない。
初めてのビデオ通話に緊張しているのに、「やはり相手が拒否をされたのでビデオ通話は無くなりました」というのは、言われる側も言う側も胸に来るものがある。
そういった時のためにAIを導入しているのであれば、それを公言しないのは納得がいく。
しかしそうであるならば、わざわざAIであることを言うことはないはずだ。そうでないと、せっかくAIのことを隠している意味がなくなってしまう。そのため、絢美が亮平と距離を置くためについた嘘だとも考えられた。
AIを活用していることを広められてしまうと、恋愛マッチ自体の印象が下がる可能性がある。いくら断られた相手を気遣うためとはいえ、マッチした相手がもしかしたらAIかもしれない、と感じながらでは疑心暗鬼になってしまう。
それにもしAIを使っているのであれば、利用者からの信頼を得続けるために、会社は何かしら動きを見せるはずだ。
亮平は定食の焼き肉を飲み込むと、恋愛マッチのサイトから再申請を申し込んだ。担当は前回と変わらず萩原だ。
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