第9話

 私はその場から動けない。

 そして、トオルくんはいる。いつもと変わらない優しい笑みを振りまきながら、私に近づいてくる。


 私を助けに来てくれたんだ。縄か何かで縛られているから、「これをほどいて」と言おうとした。


 そしたら、スッとトオルくんは私の横を通り抜けた。


 え。

 何で。私が見えてないの? じゃあ、その笑顔は誰に?


 不安な気持ちが心に募り、トオルくんの背中をまた見る。


 そして、トオルくんは……別の女と、手をつないでいた。

 プツリ、と私の中で何かが切れる。


「……あ」


 口から出る言葉は掠れて、トオルくんに届かない。


「あああああ」


 痛い。胸がズキズキとしている。この世の全てが嫌いだ。トオルくん以外、好きなものなんてない。


 辛い。痛い。怖い。


 だからこそ、トオルくんは私の方に来るべきなんだ。


 だって、私をこの世にとどめちゃったのはトオルくんだよ? 私の人生をぶち壊したのはトオルくんだよ?


 だからこそ、私はその責任を、トオルくんにとってもらわなきゃいけないんだ。


 なんでよ。なんで、私から離れるの。

 じゃあ最初から優しくなんてしないでほしかった。いっそのこと、トオルくんがこの世から――。





「――はぁっ、はぁっ……」


 起きたのは机。途中までしか書かれていない問題の答え。長ったらしい問題文読んでたら……寝ちゃったんだっけ。


 今のは……夢?


 私はまだグラグラする頭を押さえる。かすかに、胸にも痛みが残っていた。汗を拭って、ベッドに倒れ込む。

 まだ時刻は零時。こんなに早い時間に寝るなんて。


 一回寝っ転がってみて、心を落ち着ける。


 ……私、遅いのだろうか。


 決断するのも、行動するのも、何もかもが。

 遅すぎるのだろうか。


「とられる……?」


 田中アヤ。遠くからトオルくんを見ている女。全部全部が、真っ黒に塗りつぶされていく。


 あーあ、消えちゃえばいいのに。

 いらないよ、余分な物なんて。


 私の「愛情これ」はおかしいんだろうか。いや、関係ない。


 早く行動しないと。すぐに、すぐに。

 私が、トオルくん、と。


 頭が痛い。

 苦しい、あの日から。囚われている、ずっと。


 いや、囚われてなんか……私が囚われてるのはトオルくんだけで……。うっ。


 自分を正そうとするたび、強い頭痛がきて、それはやまない。

 私は、私は……。


 トオルくんを、手に入れないと、安心なんかできないよ。

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