第12話

 本当に、最初はどうしてこんな気持ちになるのか分からなかった。


 死ななきゃな、と思うと胸が痛くなって、その「トオル」と名乗った男の子を見てると、さらに胸が締め付けられる。


 このやるせない感情を、どうしたらいいのか分からない。


 私の前の席。

 座っている。


 先生の「プリント配るわよー」という声で我に返った。


 あっ、まずは目の前のこれ、片付けないと。

 でも、死ぬなら放り出してしまってもいいのかな……?


 あぁ分からない。こんなの初めてだ。


「はい」


 前に座った柴咲くんは、くるりとこちらを向いて、プリントを渡してきた。

 はっきりと近くで見えた表情に、ドキリとする。


 何か、自分が悪いことをしてるんじゃないか、という焦り。

 でもそれが続いてほしいという謎の感覚。


「あれ、えっと、花宮さん、だっけ」

「えっ、あ、はい!」


 柴咲くんが名前を呼んだ。

 先生が「花宮さんの前でいいでしょう」と席を決めたときくらいしか、名前を知ることなんてできないのに、聞いて覚えてくれてたんだ……!


「そのプリント、どうしたの? 他の人たちは、やってないみたいだけど……」

「あっ……それは」


 う、どうしよう。

 柴咲くんは何も知らないだろうし、変に気を遣わせるのやだな。


 でも、ごまかすことなんて、私にはできそうにない。


 柴咲くんの目を見ていると、死にたくなくなるし、すごく、何か熱いものが込み上げてくる。


「えっと……やれって、言われてて」

「え?」


 柴咲くんの怪訝そうな表情。あぁ、どうしたら。でも、口が止まらない。


「女子グループに、やっといてって指示されたの。でもね、そんなに難しくないし、私は平気だから」

「先生」


 私の言葉をさえぎって、柴咲くんは手を上げた。


「あの、花宮さんのこのプリント、誰が渡したんですか?」

「あぁ、柴咲くん。えっとね……」


 先生が必死に、柴咲くんをなだめようとしている。

 私も焦っていた。


「おかしくないですか。花宮さんだけ。先生も見て見ぬふりするんですか」

「それはね……」

「他の先生に言っても?」

「私は違うの! 赤川さん、高橋さん、立ちなさい!」


 先生がおたおたして、私にプリントを渡してきた女子を立たせる。


 やっぱり、先生は知ってたんだ。知ってたうえで、私のことを見て見ぬふりしていたんだ。


 そして先生は、書きかけの私のプリントを奪い取り、赤川さんと高橋さんにガミガミと怒りながら渡していく。


「サイアク~……イケメンだと思ったのに」

「ね~。正義ぶっちゃってるよ。転校していい気になってるの?」

「マジでヤダ~……」


 ひそひそと話す声が響く。


 柴咲くんは、無言のまま、私の方をもう一度見た。

 そして、


「ああいうの、感じ悪いよね。花宮さんも、従う必要なんてないよ」

「うん……でも、柴咲くんまで巻き込んじゃって、ごめん」


 私はズキズキと痛む胸を押さえて言った。

 本当に、申し訳なくて仕方がなかった。


 だけど、柴咲くんはにこりと笑った。


「『トオル』って呼び捨てでいいよ。近所さんだし。距離があるように感じるから」

「……私も、『カレン』でいいよ」


 救われた。

 だから、私は警察にあの手紙と睡眠薬を届けた。


 しっかりと、あの親戚はどこかにフェードアウトした。今では、警察の人やカウンセラーさんがサポートしてくれてる。


 その日から――トオルくんは、私にとっての初めての「特別」になった。

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