迫る星

「決着はついたようだね。おめでとう。我が息子。君に鳥葬の槍を譲渡しよう」

「あ、ああ。そうか元々、そういう話だったな」


 隼との勝負に熱くなりすぎて本来の目的を見失っていた。ヘロンさんから、槍を受け取り、軽く振り回す。見た目に反して、意外と重い。船長の記憶からできているからだろうか。


「後は星の砂だけね。さっさと渡しなさいよ。アンタ、負けたんだから」

「ルリも返してください。役目ですよね?」

「敗者に鞭打つのやめてもらっていいか、タカ、船長」


 死体蹴りをしだした2人に仰向けで大の字になっていた隼が甲板を指で叩いた。すると、それに呼応するように船内の扉が開かれて、パロットとルリを連れたセイの姿が現れる。彼女の手にはハートの形が彩られた硝子の瓶があって。


「ヤリマン野郎、こっち来い」

「ねえ、うちのこととんでもない呼び方しなかった? 蹴っていい?」

「やってから言うなよ。ルリ」


 ルリに金玉を蹴られて悶絶する彼は今にも死にそうな顔でルリの体に触れると、その夢双を使用する。少しの間、身動きしない隼がゆっくり離れるとルリは恐る恐る体の動きを確かめる。


「……軽い、軽い!! 動いても動悸が全然起きない!! 体がだるくない!! 体、治った!!」

「本当か、ルリ!!」


 思わず感極まったタカがルリを抱えて、回りだす。そりゃ、余命宣告状態の彼女の体調が回復したなら、踊りだすくらいに嬉しいのは確かだろうから。


「よかった……本当に良かった!!」

「うん、タカ。これでまだまだ一緒に居られるね!!」

「勘違いするなよ。末期症状から、通院レベルまで治しただけだ。ゆっくり休めば全快しないからな。さて、駒鳥!! もう元の姿に戻っていいぞ」


 その言葉にきゃぴきゃぴしていたセイは表情を崩さずに頷いて、その姿が崩れていく。体も顔も全てが崩れて甲板に小さな砂の山が出来上がった。目の前で起きた状況に、唖然としてまじまじ見つめていれば、隼が呆れたよな顔つきで答えをくれた。


「まさか、気づいてなかったのか。駒鳥が僕に対して、あんな姿をとるわけないだろうが。彼女は星の砂で作った偽造彼女だよって、その顔マジで気づいてなかったんだな」

「ソンナコトナイヨ。ホントだヨ」

「お前、演技下手なんだな」


 何はともあれ、無事に終わって何よりだ。4つのアイテムもそろったし、ルリも解放された。後は船長の夢である星鯨の討伐のみ。ここから先は船長の指示を仰ごうと彼女に振り返ろうとして、


「第一、駒鳥が船長やってる船に乗ってて騙されんなよ」


 ──耳を疑った。聞き間違いか?とタカとルリを見るが、彼らも雷に打たれたように目大きく見開いていて。今の言葉が事実なのかと目で体を起こした隼に訴えれば、


「おい、それも知らなかったのか!? いや、確かに今の駒鳥は若い頃の姿だしな。僕もまじまじと見ないと面影からしか分からなかったけど」

「まて、事実なのか……? 嘘ついてだまそうとしてんじゃねえだろうな」

「嘘なんか、つくか。今更。第一、ロビンなんて駒鳥の英語読みだろうが。これだから、学のない馬鹿は」


 明らかになった事実に呼吸すら忘れてしまうくらいに立ち尽くす。船長もまた、動きを止めていた。帽子の下、青い目に黒い髪。どうして気づかなかったのか。見えているのに、合わせる顔がないと本能で目を反らしてしまったからだろうか。


「せ……」


 彼女をなんて呼べばいいか戸惑い、伸ばした手が何も掴まず戻っていく。だけど、彼女から目を離したくなくて、まっすぐに見て気づいた。


「なんだ、あれ?」


 瞬きをする度に、違和感を覚えた。成長している、凄い速さで乗っている軍艦を超えるほどに。見る見るうちに肉の鎧が剥がれて、動物に、動物から腐り果てた死体へ変わっていく。


 最後の瞬きを終えた後に襲ったのは、咆哮。その圧倒的な音の暴力と爆風に竦み上がった瞬間、その巨体は身を捩り、空の海へと体を投げ出した。

 重力に従って、落ちていく………筈がない。その生物は半分以上が骨の骨格しかなく、変色した肉を辛うじて引っ掛けていた。べっとりと紫の肉を黄色に変質した骨に貼り付けて、悠々と空を泳いでいる。


「──『星鯨セラ』」


 咆哮を前に立ち尽くしていた船長の言葉より早く、石臼のような歯が、強大な歯が並ぶ口腔が、軍艦を丸呑みにせんと目の前から迫ってくる。考えるより早く、俺は全員を回収して、悟る。


「逃げ場が、ない………!!」


 そう、ここは雲の海、空の果て。逃げ場などあるはずもない。一度目の咀嚼で半分ほど食われた軍艦を後ろ目に、何かないかと覗き込めば、


「レイヴン!! 飛び降りなさい!」


 いつの間にか船長が海賊船で落下地点に回り込んでいた。すぐさまタカやルリ、ヘロンさんを抱えて飛び降りようとして、


「ダメだ。それじゃあ誰も助からない」


 タカとルリ、ヘロンさんを海賊船に向けて、投げ捨てた。そして振り向きざまに開いていた上顎を躱して、骨身を足場にヘロンさんを抱えたまま叩き潰す。


「何やってんの!? 早く、アンタも来なさいって!!」

「誰かが足止めしないと、全員死ぬ。あの鯨はそういう生き物なんでしょう? だから俺が、やります」


 どす黒い血煙を噴出させながら開いた顎をわずかに閉じたがそれでも白雲を抉るように吸い込みながら、推進する力に衰えはない。準備も出来てない状況では無駄死にだ。ならば誰かが作戦を立てる為の時間を稼がなくちゃならない。

 だから、己自身を。


「??っ! ふざけんな! 約束を破る気!? 私以外に殺されるつもりなの!? それに、隼の言う通りなら、私は──!!」

「なら、なおさらだ。お前がセイ本人なら、ここで死なせたくはないんだよ」


 苦虫を噛み潰したようなセイには悪いが、漸く命の使い所がわかった気がしたんだ。この鯨を野放しにするわけにはいかない。そのために使うべきものだったんだって。


 最期の最期ともなれば、清々しい気持ちで笑えるのだと今更ながらに漸く分かって、前に踏み出した足は、


「馬鹿はお前だよ、屑」


 空を舞う。投げ飛ばされた? 誰に? 疑問点だけが頭を支配する中で、それをやった本人は、身を捩って腕から逃れて甲板に降り立ちながら、今にも倒れそうな状態でコチラを見ていた。


「駒鳥を頼む」


 落ちる俺が叫んだ声が唸り声にかき消される。叩きつけられた甲板、耳を劈く咀嚼音、最後まで好きな人の為に命を張った姿を目に焼き付けながら、


「……最後にかっこいいことしやがって」


 最後まで奥底に踏み込めなかった事を悔やむしかなかった。


22


 揺れに、衝撃に、顔を打たれる感覚があった。

 それが空白の中にあった意識を揺り起こし、現実に覚醒する。顔を持ち上げ、上体を起こそうとしてそれは揺れに阻まれた。


「………ここは?」

「やあ、起きたか、少年。記憶に異常はないな?」

「ヘロンさんか………ああ、嫌ってほど覚えてるよ」


 周りを見渡せば、薄暗い。洞窟の中のようだが、港がある。海底洞窟か何かだろうか。


「ここは、お姉さんの秘密基地でな。星鯨ですら、知らない場所だ。とはいえ時間をかける暇もない。作戦会議といこうか?」

「待てよ。ヘロンさん。アンタ、セイが船長だってこと知ってたんだろ」


 ヘロンさんは記憶を失う前の船長から槍を受け取って契約を結んだと話は聞いていた。つまり、それは、


「何で俺達に言わなかった? 夢の世界から俺を見ていたんだろ? なら、俺とセイの関係も知っていたはずだ!!」

「契約だからだよ。そのことも踏まえて話をしよう。入りたまえ」


 甲板から船内に入れば、あまりにも空気が重たい。当然だろう、完全にしてやられた形だ。中心にある樽を並べたテーブルに適当な椅子を引っ張って顔を突き合わせている。


 全員体調は良さそうだが、顔色は悪い。タカとルリがこちらに気づいて、手だけあげて挨拶したのをきっかけに船長が重苦しい口調で会議を始める。


「全員そろったわね。それじゃあ、始めましょうか。ヘロン。私の契約全てを破棄するわ。話してもらえる?」

「いいとも。まずは何から聞きたいかな?」

「最初からだ。彼女が何者か、どうして、記憶を分けたのか。全てを話してくれ」

「ならまずははっきりさせようか──彼女の名前は駒鳥星空。君たちの傷である少女その人だ」

「当たってほしくない事実ほど、よく当たるんですよねえ」


 タカの顔色が悪い。塩昆布とチョコレートを合わせたみりんをルリに飲まされた時より悪い。当然だろう、多分俺も真っ青を通り越して真っ白な顔な筈だから。


「彼女がこの世界に来たのは3年前かな。初めて出会ったときは覚えているとも。子供の用に膝を抱えて泣いていたんだからね」

「……それはなぜ?」

「夢の世界で君を取り囲むものを知ってしまったからだね。昏睡状態から目を覚まして、君はこの世界に来た。だけど、頭を打った後遺症で自分の担当医がもう満足に走ることができないと言っていたこと。毎晩、自分の肉体が、幼馴染に蹂躙されていたこと。そして──」

「兄貴の未来の延命の為に臓器移植を無理やりさせられそうだったからだ」

「パロット……お前も何か知ってんのか?」

「彼女の心臓、それの移植相手が俺なんだ。それで意味は通じるかな?」


 パロットの言葉に俺達に衝撃が走る。つまり、なんだパロットはオウムだけど、現実の姿は、


「まさか、セイの兄さんなのか……?」

「信じられない、うちらはお嬢の命を無駄に使う相手と仲良くしてたって訳?」

「色々言いたい気持ちはわかるが、最後まで話を聞いてほしいんだ。俺が先に生まれなければ、星空はここまで苦しまなかっただろうから」


今までとは打って変わって人間らしく、言葉に感情を込める。その姿になぜだか、自分が重なった。生まれたことを後悔するその小さな背中に。


「続けてくれ」

「OK。彼女は現実に戻りたくないと言った。戻っても意味がないと。満足に走れない体、女の子としての純情、全てを失った彼女は生きる気力をなくしてしまったのさ」

「何言ってやがる!! 俺達はそんなこと気にしないのに!! 簡単に生きることを諦め……そっか、お前らは俺にこんな気持ちを抱いてたわけか」

「分かってくれて何よりですよ。総長。それで彼女はどうしたんですか? ヘロン」

「ここで話は変わるんだが……ああ、安心してほしい。これは彼女に関わっているから。さて、君たちにはこの世界はどう見える?」

「え、うーん。神秘的な世界?」

「……不思議な世界、と言いましょうか。どうして成り立っているのか理解できないくらいに」

「正解としようか。この世界は現実の人間が夢を見た世界を基盤に夢を集めて、空想の世界を具現化した。お姉さんのような空想の怪物は現実では生きられないのさ。お姉さんも人の夢でできているからね」

「じゃあ、何で俺は生きてられるんだ? ハーフだからか?」

「その通り。君の体は半分が人間。つまり、現実の肉体を基礎としている。受肉とかと似たような原理なわけだが、世界にも同じようなことが言える」

「つまり、この世界も誰かの夢の世界を基盤に他者の夢を重ねて成り立っていると言いたいんですか?」

「察しがよくて何よりさ。その夢の主は現実で永遠に眠り続けてもらうんだ……肉体を腐らせながらね」

「それって人体腐敗化症候の……!!」

「代わりに契約として、その人物には現実と夢の世界を好きに行き来できる船が与えられるんだ。その船の名は『空の息吹』またの名を──」

「星空の海賊船エトワール・コルセール号ってこと。まさか、自分のルーツをここで知ることになるなんてね」


 ずっと黙っていた彼女が口を開く。その顔に陰りも憂いもない。穏やかな海のように凪いでいて。


「なあ、あのさ……なんて言ったらいいか、自分でも分かんねえけど、その大丈夫か?」

「記憶がはっきりしないこと? ホントの自分が悲惨な目に会っていたことにショックでも受けてればよかった?」

「普通は、そうだろ……だって、この世界はお前の夢の世界なんだろ!? 星空(セイラ)が夢見る世界だったんだろ!?」


 今まで出てきた敵がなぜ彼女に縁があったのか、どうして俺達が集まったのか。その答えが語られた事実から、点を繋いで線となる。


「あいつらはお前にとっての悲劇の象徴だ……お前が夢の主なら、悪夢として出てきてもおかしくない」

「4つのアイテムを持っていたのは……悪夢を抑え込む呪いみたいなものでしょうか。つまり、ヘロンさんが持っていた鳥葬の槍、これはあの鯨が持っていたもので間違いないんじゃないですか?」

「正確に言えば、刺さっていたが正解かな? 返そうとしたけど、当時の彼女からそのままお姉さんに持っていてほしいと契約まで交わされたら仕方ないよねえ」

「じゃあ、あの鯨がお嬢の最期の悪夢って訳? 誰が元になってるか、分かるの?」


 ルリの質問にタカと共に頷く。この夢は彼女の悪夢なのだから、彼女が最も辛いと思っていたものが立ちふさがると考えたらいい。


「人の夢を奪う鯨……お嬢はずっとある人達から、自分の夢を捨てるように言われ、命すら捨てるように強制されました」

「セイにそんなことを強制していたのは2人。優秀な医者であり、息子の為に娘を生贄にしようとした──セイの両親、その人だ」


 白鯨、という小説がある。簡単に言えば化け物鯨を殺そうとするエイハブ船長の話だ。そして、その空想上ですらエイハブ船長は倒せなかった。彼女が船長ならば、とんでもなく辛いことをさせなくてはならない。

 現実で逆らえない、絶対的な関係。親という呪縛を彼女は乗り越えなくてはいけないのだから。


「なら、余計に記憶は戻せないわね。あんな鯨ごときに怯えてる昔の私じゃあ、足を引っ張るだけだもの」

「つまり君は弱い自分の為に、今の自分が犠牲になるつもりかい? ロビン。星鯨に勝っても記憶を取り戻せば君という人格は消える可能性が高いというのに」

「馬鹿ね。人生、辛いことばかりなんだから。他人に任せられるなら任せるし、逃げられるなら逃げてもいいのよ。それに──」


 それを聞いても、彼女は揺らがない。自分の存在が泡沫の夢のようなものだと分かっていても。


「──ロビンという人間を生み出してくれた、星空に恩を返さなきゃ、船長の名が廃るでしょうが!」


 自分を生んでくれた夢見る少女に彼女は報いたいのだ。現実の全てが彼女の敵でも、まるで夢の世界は君の味方だと告げるように。


「1時間の準備をしたら、星鯨倒しに行くわよ。気持ちの整理はつけなさいね」


 堂々たる船長の威厳をもって、彼女は部屋を後にしたのだった。

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