夢の世界への旅立ち

「最後の新入りはアンタ?くたびれてるわね、まだ20代くらいでしょ?」


 夜空の黒に映えるような白金の船体を持ち、星を埋め込んでいるのか、闇夜でも淡く照らすマストと帆。つけられている大砲に、帆にかかれた髑髏のマーク。


 御伽噺から飛び出して来たとしか思えない、海賊船がそこにはあった。

 その船首には一人の少女が、帽子の鍔を指先で押し上げている。


 月光には青く、陽光には緑に映える黒髪。軽やかなステップと声色。少女から女性へと変わる僅かな時間を閉じ込めたその少女はこちらを星の瞬きのような蒼い瞳で眺めて、


「で?どうすんのよ、新入り?乗るのか、乗らないのか、はっきりしたら?出港時間はとっくに過ぎてんのよ」


 右目につけられている眼帯を確かめるように指先で弾きながら、試すように笑う。


「………乗るって、これに?」


 疲労から幻覚を見てると言った方が、まだ分かる。それだけ疲れているし、苦労しているからだ。

 だけど、火照る頬を撫でる風は、自分が現実にいる事を教えていて。


「どういう原理で空を飛んでるんだ??飛行船か?それともエンジンか何かが………」

「………つまんないわね。発言も態度も考え方も!」


 目の前の瞬く星の船を前にして、解明するように理論を唱えた俺に彼女は一喝。呆れたようにため息ひとつ。


「アンタは小さな子供に"サンタさんはいないよ。あれはパパとママだよ?"なんて言う夢のない大人?"虹の橋がかかってるからあれを登れば雲の中に入れる!"って叫ぶ子供に光の屈折云々とか説明する野暮な人間なの?」

「そりゃ………しないが」

「思い出しなさいよ、ガキの頃はありとあらゆるものに夢を見ていたはずでしょ?"絵画には魔女が住んでる""雲の中には天空の城がある"なんて………いつからよ。いつから、アンタはそんなつまらない考え方をするようになったの?」


 それは、誰だって等しく経験するはずだ。

 同級生に馬鹿にされ、親から諭され、成長するにつれ現実と折り合いをつけていく中で、ふと気づく。


 自分はいつから──夢の世界に浸らなくなったのかを。


 小さな絶望を伴う甘くて懐かしい喪失。成長過程で誰にでも訪れるはずのそれ。


 ────なのに。


「"空を飛んで雲の中が見たい"その答えに"飛行機に乗ればいい"って即答できる生き方なんて、私はまっぴらね!"空飛ぶ舟で月を目指す"私は、そう答える生き方を選ぶわ!」


 今更取り戻せと言うのか、とうに失ってしまったその想いを。目の濁った大人に諭されることなく、叶うはずがない夢物語を純粋に信じ続けていいというのか。


「今更、信じて何になる? その生き方は捨てた。追いかけるにはあまりにも遅すぎる」


 夢を信じる純粋な目から顔を背けて、胸の痛みと共に吐き捨てる。

 滲むこの胸の痛みは本気であの日、夢物語を語ったゆえの証拠だ。本気で信じて、彼女や仲間と夢を見たのだ。その激情すらも惜しいくらいに。


「なら、今からその夢を追いかければいいじゃない、新入り。難しいことなんて後回し。あの日のお前なら、どうするか。今のお前が選択しなさい!」

「あの日の俺が………?」


 眩しい程の星屑が散って、音を立てて降りた船梯。はじけるレモン色のペンキで塗られた、その上でシニヨンを船長帽に押し込んだ少女が悪戯っぽく手を差し出す。


 あの日の俺が選ぶ答えなんて決まっている。届かないなんて知っていても、挑戦しなきゃ分からない青くてダサくて、それでも馬鹿みたいに夢の輝きを信じていた自分なら。


「純粋に信じ続けた先に彼女に手が届くと思うか?」

「やってみなきゃわからない。人生ってそうでしょ?」


 懐かしいレモンの匂いに誘われるように、俺は一歩踏み出して。ベランダの欄干を越える。これが幻覚なら自殺志願者間違いなしの中で乗り込む為の裸の爪先が震える。


 目を瞑ってほとんどよろめくようにして、どうかすり抜けないでくれと祈りながら俺はそっと船梯に足を掛け──彼女に手を引かれて船の中に転げ込んだ。


「さあ新入り、名前は?」

「真、鴉間真!あの日の夢の続きを追いかけたい!」

「オーケー!じゃあ出港よ!」


 左手を直角に上げて水平に下ろし、同時に号令すると服の襟から手を入れて、チェーンを引っ張り出した。

 先端にはシンプルなシルバーのホイッスルが握られていて。彼女がそれを吹けばヴェールの如く纏った甘い酸味の霧が、レモンの森を通り抜けて来たような香りが体に纏わりつく。


 甘い霧が掻き消え、船底の竜骨が空をゆっくりと突き放す。それを確認した彼女は顎に垂れた汗を拭うと、こちらを見て、吹き出して。


「ふはっ!随分とくたびれてんなとは思って

だけど………まさか元ヤンとはね」

「!?どうして、それを!?」

「ヘロン!鏡持ってこい!」

「あいあいキャプテン!」

「は!? オウムが喋った!?」


 空から声が聞こえ、上を向けばそこには南国に住んでそうなオウムが羽ばたいており。船内に飛んで行ったと思うと、手鏡を持って帰還する。差し出されたそれを見れば、鏡の中には太陽のような金髪の緑の目をした少年がいて。


 船長の少女から差し出された手鏡を見れば、鏡の中には太陽のような金髪の緑の目をした少年がいた。誰よりもぶん殴ってやりたい幼い自分がそこにいて。


「はぁ!?なんで、髪は黒染めしたはずだ!カラコンも!つか若っ!え!?はい?どういうことだ!?」

「言い忘れてたけど、私の船には大人は乗れないわ。だから船員達は全員子供に戻るのよ。夢を、理想を追い求めた青い尻の自分にね!」


 再度見直せば、そこにいたのはやんちゃしていた頃の自分。蒸発した父親の遺伝だったらしい太陽のような金髪に鮮やかな緑の目。

 背丈も小さくなり、けれど余分な贅肉は落ちた若い肉体。それを実感していれば、彼女は無垢な少女の笑顔のまま、片手を出して


「新入り。お前は今から"レイヴン"って名乗りなさい」

「レイヴン………渡鴉ね。OK、船長。因みに名前は?」

「──ロビンだ。ロビン船長。気安く船長って呼びなさい。改めて歓迎するわ、レイヴン。星空の海賊船。エトワール・コルセール号ようこそ!」


 求められた握手に俺は右手を出して答えたのだった。


 4


「煙草が………葉巻に代わってるだと………?」

「それもこれも夢だからよ。ここは星空が夢を見る世界。望むなら、葉巻も煙草に戻るわよ」


 段々小さくなっていく街の明かりを見下ろしながら、ちょっと色々整理しようと煙草を………なぜか変わっていた葉巻を取り出す。葉巻の吸い方なんて興味本位で覚えていたが、まさか使うことになるなんて思わなかった。


 葉巻を吸って、甘い香りを夜の空に垂れ流す。それに釣られてか船長が気づけば隣の欄干によりかかっている。その横顔にどこか見覚えがあった。やる背のない夢のような記憶の底に眠っていた青い日々を思い出すような。


「何よ。人の顔をじろじろ見て。何か聞きたいことがあるなら聞いたらどう?」

「なら、船長の現実は──「言わない」どん、な?」


 気が付けば、目の前の少女には海賊映画でよく見るマスケット銃が握られていて。銃口は俺の喉笛を柔らかく撫でている。

 そこに少女はいなかった。いるのは今にも人間に牙を立てそうな獰猛な獣。不良時代にもあったひりつくような空気感。


「………自分が軽率でした。すみません」

「分かればいいのよ。、分かればね。アンタの可愛い頭に刻んでおきなさい。八咫烏の総長さん?」

「チョット、ナニヲイッテルカ、ワカリマセーン」


 改造学ランを見下ろして、船長の海賊っぽい服を見てると過去の自分のだらしなさを殴りたくなって来た。セイ…星空に言われても直さなかったのがここで帰ってくるとは。


「そんな訳ないだろ! 渋谷を手中に収めてた不良集団! 喧嘩は売らず、売られた喧嘩しか買わない。女子供には手を出さないがモットーのヘッド! 鴉間真!!」

「ちょっとその辺りでやめようか。お兄さんの黒い歴史が顔を覗かせてるからね。 というか詳しすぎない?? オウムの癖になんなの?? ファンなの??」

「夢の世界を旅してたら嫌でも知るんだ! 中でも、お前を毛嫌いしてる奴がいる!」

「そういうことよ。因みにこいつの名前はパロット。喋るオウムよ。仲良くしなさい」

「オウムが喋るとか、マジでここは現実じゃないんだな……」


 これ以上語らせると色々なやんちゃ時代の馬鹿さが出て来るので、割愛。昔の自分がどれだけ他人に迷惑かけて生きてきたかは痛いほど自分がよく分かっているから。

 しかし、現在は八咫烏は解散済みだ。タカに後を託した後はあいつが名前を変えてただのスポーツ集団に変えていたはず。今なお、眠り続ける彼女に教えてもらった空を飛ぶ技術の集団に。


「確か名前は……三羽烏、だったか?」

「さすがの総長でも名前だけは覚えててくれていましたか」

「そりゃ、うちが日本の王座にいるからね!」

「へっ!?」


 おそらくは船室、そこから出てきたのは2人の男女。1人は情熱的な赤髪に金のメッシュを入れたギャルみたいな女と、腕に刺青が彫られた胡散臭い笑顔を讃えた優男。何処かで見たことが、ってか。


「タカ、ルリ!?」

「何よ。アンタら知り合い?」


 知り合いどころかかつての仲間だった。というか学生時代の彼らだった。


「何して、いやマジで、お前ら何でここに!?」

「それはこっちのセリフですよ、総長。貴方、どうせまた下らない嘘か何かに引っかかったんでしょう。馬鹿ですから」

「んだとコラ!? そう言うお前もメルヘンチックな都市伝説試してんじゃねえ! 見た目犯罪者が!」

「ボスがキャンディ買ってた理由ってこれ!? さっきまでのやり取りめっちゃ恥ずいじゃん!」

「言い争いやめなさい。黙らないと全員………船から突き落とすわよ」


 胸倉をつかみ合っての舌戦がドスの聞いた船長の言葉でぴたりと止まる。申し訳なさを覚えつつ、全員が距離を取った。甲板に足音を響かせながら、鼻で笑うように馬鹿にした態度の船長は俺達を見渡してため息1つ。


「不良かっけえ!って古臭すぎるでしょ。1回でも道を踏み外したら人生終了な今の世界でだいぶリスキーな選択じゃない? でも、私はアンタらみたいな馬鹿は嫌いじゃないわ」

「だけどな、人様に迷惑かけない人生が一番だと俺は学んで……いってえ!!」


 なぜだか楽しそうな彼女に意見すれば返答はローキックだった。世論としては何も間違っていない筈の俺の言葉に船長は呆れるを通り越してなぜだか切れ気味だ。


「レイヴン。アンタみたいな詰まらない考え方をする奴が現実で増え続けてるのは何故かわかる?」

「つまらないってなんだ。堅実と言え。堅実と」

「夢が奪われてるからよ。この世界でね」

「スルーですか、会話のキャッチボールが大暴投なんだが……いだい!!」


 返答代わりに更に脛へ一撃。蹲る俺を気にしないままロビン船長は、そのまま右手を前に出してタカやルリに視線をめぐらす。


「この世界は"星空が見ている夢の世界"。現実の奴らはその世界に間借りして、自分の好きな夢を反映してるだけにすぎないの」

「だから夢の世界なのに、街とかあるんだ………という事はもっとファンタジーな場所もあったり?」

「ええ、ルリ。私たちが向かっている"星の海"とかね。で、だ。別に現実で夢を見る奴らが少なくなるだけならいいが、そうはいかなくなったのよ」


 彼女は漸く立ち上がって、月を背後に宣言する。


「"人体腐敗化症候"」

「それは………最近現実で起きてる病ですね? 人間の体が腐っていくって言われてて、腐る以外は生命反応に問題がないから未だに明確な対処法がない病」

「それがもしこの世界の出来事が原因を及ぼしてるって言ったらアンタらは信じる?」

「信じられませんね。まだ伝染病の方が話が分かります」

「少しは考えなさいよ。普通に考えて人体が腐敗なんてしたら、臓器も生命活動も止まるでしょうに」

「うちも病院で見たけど、カビみたいなのが体を覆ってるだけで生きてはいるんだよ。普通ならおかしいって」

「普通の世界じゃ考えられない! これもこの世界の影響だ! 分かったか、新入りども!!」

「オウムに言われるとなんか腹立つな」


 タカやルリの言葉も踏まえれば、5年前いきなり発症し出したその経緯を考えれば、あり得ないことではないのかもしれない。


「だが、何でそんな事が起きてるんだ?」

「夢が食われているからよ。この世界で夢を食われた人は現実の肉体が腐りだすの。夢があれば人間腐らず生きていける。よく言ったものよね」

「だとしても、なんでそんな事をするんだ? やる意味がわからないだろうが」

「知らないわよ。けどその夢を食らってる化け物は知ってる。『星鯨セラ』ね」


 名前からして鯨なのは分かるのだが、何故鯨が夢を食べた上に人間を腐らせて行くのかが分からない。だけど、それが許されることではないのもわかっている。


「じゃあ、なんだ? 彼女は……セイはそいつのせいで悪夢に苛まれ続けてんのか?」


 だって、セイが、彼女が今も眠り続けているのもそいつのせいだというのか。耐えられない怒りが心像でうなる。音を立てて、湧き上がる怒りの目で船長を見れば、彼女は待っていたとばかりに笑う。


「そう睨まないでよ。対処法は簡単。『人の夢を食い尽くした"星鯨セラ"を捕縛し、人々の夢を奪い返す事』よ。如何にも海賊らしくてワクワクして来るでしょう?」


 調子よく試すような物言いに俺は張り詰めた怒りの糸を緩める。ここで彼女に怒りをぶつけるのはお角違いだ。ぶつけるべき相手が分かっているなら、その怪物にぶつければいい。


「俺は……セイを星空を救いたい。その為なら、この体を好きに使いつぶせ。代わりに必ず、その鯨を倒す。約束しろ、船長」

「ええ、もちろん。期待してるわ、八咫烏」


 同盟成立と差し出した手が握り返される。彼女が眠ってから、もう暴力なんて振るわないと決めていたが、今一度解禁しよう。君を救う為ならば、例え地獄に落ちても構わないから。

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