あの日、見上げた星空はもう違う色


「帰って来たか? 宝はどうした? 槍があっただろう?」

「ああ。あったが、交渉したい。宝と槍を渡すからルリを解放してくれ」

「断る。お前たちの交渉を聞く義務はない。さっさと槍を渡せ。そうすればあの世で仲間達と再会させてやる」


 宝を山ほど袋詰めにして、隼の前に立つ。周りから軍人たちが銃で狙っている中、こちらは呑気なヘロンさんと、余裕ありげなタカに海賊帽子を深く被った船長のみ。

 こちらに対して、傲慢さを隠さない隼はセイの後ろ、位置的には尻辺りに添えた手を動かしている。あまりの態度に引きながらもそれを隠して愛想笑いを浮かべて対応すれば、ヘロンさんが薄く笑った。


「それじゃあ、渡せないね。お姉さんは退屈な子が嫌いなんだ」


 前半の明るい言葉からジェットコースターのような急降下、氷河のごとき冷たい言葉に軍人たちも慄く。それに気づかないのはそんな敵意も殺意も全部蛮勇で進んできた隼のみ。


「退屈、だって?」

「だってそうじゃないか。危険な役割は人任せ。今も集団で囲って自分を強く見せようだなんて、男の子として恥ずかしくないのかい? 少年」

「……なんだって?」

「わかりやすく言いなおそうか? 君はお姉さんに会いに来た少年たちより劣っていると言いたいんだよ」

「あ?」


 実を言うと、別に隼のやり方は悪い事ではない。社会に出ればそんなやり方の方が普通なのだから。でも、ここは社会じゃないし、法律もない。なら、多少は俺達のルールでやらせてもらおうか。


「ヘロンさん。そんなこと言ってはダメですよ。彼は最愛の女の子にも昏睡状態での強姦しか思いを伝えられない臆病者なんですから」

「訂正しろ。僕はそれに頼らなくても駒鳥を恋人にできたって!!」


 タカをあまりにも殴りたくなるような声音が隼をおちょくるように問う。本人も自覚があるからなのか、冷静ではないのが目に見えるようで。


「失礼。訂正しましょう。性犯罪者のお猿さんでも人間を恋人にできるんですねえ」


 タカ渾身の煽りにプツッと幻聴だとしてもその音がした。隼の堪忍袋の緒が切れるそんな音を。


「お前らぁ!! この雑魚風情に僕の恐ろしさを教えて──」

「化けの皮薄すぎんでしょ。まっ、そっちの方が都合がいいけど」


 船長が撃鉄をあげ──船長が引き抜いた拳銃から重なる発泡音。6発が殆ど1発に聞こえる弾丸はマストや樽を利用して、跳ね返って、構えていた軍人全ての頭蓋を撃ちぬき、彼らを霧散させてしまう。

 そうなると残るは一人、タカの掌で踊る隼のみだ。ここからは順調。後は奴のプライドをほどほどに刺激して感情に火をつけるだけ。


「形成逆転ですね。さてどうしましょうか。総長?」

「ソレナラいたっ!!」


 船長の無言の抜き手が脇腹に直撃。俺が大根なのは認めるが、言葉で言ってくれないか? おい笑ってんじゃねえよ、タカ。後で覚えてろよ。では気を取り直して。


「こちとら散々、お前の命令に従ってきたわけだ。だったら、こっちのルールに乗っ取るくらいの度量はあるよな? ええ? 犯罪者?」

「お前らも、犯罪者だろうが!! 社会の屑どもが!!」

「俺達は屑だが、お前も犯罪者のカスだろうよ。それともなんだ? そんな度量もないのか? そりゃセイにも嫌われるわけだな」

「調子に乗るなよ、屑ども……僕は強くなった!! お前たちなんてコテンパンにしてやれるんだよ!!」

「じゃあ、そうするか。不良らしいルールでやろう……タイマンだ。勝ったほうが槍もセイも手に入れられる。どうだ?」

「ふん。僕が勝ったら、お前の下半身を露出させて社会的に殺してやる!!」


 いい火加減だ。多少の違和感にも気づかず、発狂するには狂気が足りないちょうどいい感情の昂ぶり。高いプライドとそれを支える見下している俺達が仇になったな。

 ヘロンさんに視線を向ければ、彼女は頷いて。手首を切って、血を噴出させる。それを用いて、空中に文字を書きだした。


「立ち合いはお姉さんが努めよう。『契約』内容は3つ。1.星の砂と鳥葬の槍の譲渡 2.ルリの治療と解放 3.駒鳥星空の接近禁止だ」

「それじゃあ、始めると」

「夢想伝播!!」


 ヘロンさんの開始の合図を出し抜いて発動された夢想伝播から、咄嗟に隣にいた船長とタカを腕力の限り、投げ飛ばす。2人が並走する海賊船の欄干に捕まったのを尻目に、その夢の世界は完成する。灰色に塗り固められた土壁、窓は白く鈍い光の骨檻、自分たちが気づけば歩いていたのは、赤い液体と紫色の子供達でできた床。汚されたベッドの上には花弁が散っている中で中心に立つ男は勝ち誇るように笑っていた。


「『病薬道戯競』!! 教えてやるよ。真面目に生きてきた人間こそが最後に必ず勝つんだって!! 授業料はお前の命だ!!」


 悪夢の手術台へと乗せられた。そう思うしかない現状でも俺はなんだか晴れやかだった。ずっと頭にかかっていた霧が晴れたような、どこまでも走っていけるような夏空を思わせる解放感。


 一言で言えば、負ける気がしないって奴だ。


「時に藪医者。『命をかけて勝つ』のと『命を捨てて勝つ』その違いをお前は知ってるか?」


 踏み出した前足が後ろへ引かれる。意味がわからなかった。隼自身も不明な後退、それが脳に刻まれた本能による警鐘だと気付く頃には、もう遅い。初手で俺を潰すべきだった。


「違いは諦めの有無だ。命を捨てれば勝つなんて、残された人への甘えにしかならない。ならどうするかって、決まってるよな」


 今なら、きっと完成できる。俺の夢の世界を。自分の始まりが間違いじゃないなら、きっとこの夢も間違いではないと思えるから。


「俺はもう諦めない。命をかけて夢を叶える。だから、俺は強い」

「まさか、使えるのか……?」


 紡がれる言の葉、その先に完成する言葉を隼は真っ先に理解して、恐怖を理性で叩き直して、突貫。障害を切り裂く銀のメスを振り翳し──


「夢双伝播"烏有夜天・星雲軌条"」


 ──その爪は燃える世界に阻まれた。


 夜の闇は燃え落ちた。鯨の体内という覚束ない足場は今や消え失せ、広がっているのは木目の床に規則正しく並んだ席。

 つけられた窓から覗くのは瞬く数の星の空。神秘的で幻想的な風景が流れるように過ぎ去っていき、時折聴こえる汽笛の音。


「なるほど。漸く診断結果が出た。お前の夢双は全てがバラバラだったから。燃える足に頑強な体と身体能力。統一性がなくて、納得がいかなかった」


 やはり、隼は賢い。医者としての診断能力から自分が列車に乗っていると判断した隼は別車両から扉を開けて入ってきた俺に確認するように問いかける。


「だが、技術を模倣していると仮定すれば話は早い。条件も大凡の推測がつく。。それが条件ならば」


 夜を切り裂く星の列車に揺られながら、隼は動物のように牙を打ち鳴らして、臨戦体制を整えて。


「お前の夢双は『常勝挑戦』とでも言うべきか?」

「諦めなければいつか必ず夢は叶う。それが俺が今まで生きてきた中で得た答えだよ。生まれた価値が決まるのは生きてる中で何を残したか、だ」


 軽くステップを踏んで、俺もまた構えた。俺は祝福されて生まれてきたなら、今まで道を踏み外した分の償いもしなくては正しい生き方とは言えないだろう。


「だから俺はパルクールで世界の頂上に立つ。そして、俺と同じような望まれない子達の象徴になれるように、挑戦をし続ける。それが俺が生まれた意味だ」

「新しい自分を見つけたのか。誕生日おめでとうと言ってやろうか?」

「祝いの言葉はいらねえよ。祝福ならもうとっくに貰ってる」


 今から始まるのはお伽話のクライマックス。怪物が王子に倒されるありきたりなハッピーエンドを目指して。怪物達は王子側に立つ為に、最後の拳を握りしめた。


21


 

「犯罪者って何考えてんのか、わからなかったけど。今なら分かる。きっと理解しちゃいけない奴らだって事がな」

「まるで僕を異常者のように言うんだな。どうやら目が腐っているらしい。角膜炎か結膜炎あたりか? 検査入院が必要だな」

「そうか。今からアンタも入院コースにしてやるよ」


 その中心で病名を告げる医者は心外だとばかりに口にするが、その先は続かせない。何かをやらせる前に、脚撃を臓腑へ狙い済ませたところへ、左目の位置、まるで切り取られてしまったようにその視界が確保できない。


「だから入院した方がいいと言ったのに。眼球が腐り落ちたようだな。他にも汗に僅かなアンモニア臭が混じっている。肝硬変でも起きたか?」


 咄嗟に落ちた眼球を受け止めた矢先、両手が赤くなっている事に気づく。すぐさま蹴りを放とうにも、下腹部が風船が入ったかのように膨らみ、バランスすらとれない。


「ほう。肝硬変も起きたか? となれば心配なのは静脈瘤の破──」

「それは誤診だ、裁判沙汰だな」


 無慈悲に診断が下される前、割り込ませたのは血の様な紅い椿。花弁1枚1枚が、血霧のそれは小さな針に変わり、医者の間に降り注ぐ。


「この技、吸血鬼の……!! いつ覚えた!!」

「生憎、手本はあったんでね」


 傷口に指先を突っ込んで、僅かな痛みと引き抜いた指先から伸びる運命の赤い糸を振り回し、空気をしならせて藪医者に向けて解き放つ。俺の赤鞭が大気ごと薙ぎ払う。暴風のようなその一撃に対し、あろう事か藪医者は踏み込み、防御せずに無防備でその一撃を受けた。


「っ!?」


 そして変わる顔色を気にせずに振り抜き、列車を繋ぐ扉をぶち抜く。吹き飛ぶ藪医者を追いかけて、椅子を足蹴に天井を跳ねて、肉迫。


「何だこの威力は………お前、吸血鬼だったのか!?」

「ハーフらしいぜ。それより余所見してる暇があるのか?」

「ダンピールか!? だが、この重さ………純血並!! まずは奴の世界を解明しないと」


 眼前にいた俺に藪医者は表情を変える事なく、袖口からメスを弾き飛ばす隠し技、それは真っ直ぐに俺の頭蓋をマシュマロのように貫いて、


「残像だ」

「霧化、だと?」


 その姿が霧散する。背後に回った俺へと裏拳が飛ぶが、それより早く膝を踏み砕き、彼の頭蓋へのあびせ蹴りと繋げて、更に鍛えた逞しい腹筋ごと臓腑を打ち抜く炎を纏った回し蹴り。無数の打撃を全身に撃ち込まれ、藪医者が血反吐を吐いて吹き飛ぶ。それを追いかけ、俺は足裏に発生させた爆風に乗り、高々と跳躍。


「八咫烏の………咆哮!!」


 俺を迎え撃つように、宙へ打ち上がる藪医者が両手を振り回した。直後、銀の刃が俺の肩に突き刺さるが、構わず両脚で藪医者の骨すら焦がし、弾き飛ばして、俺はそのまま地面に叩き落とされる。


「少し、ズキッとしたな」

「傷の再生も、ごほっ………早いのか。お前の夢双伝播は一体何だ?」

「さあ? 馬鹿正直に教えるわけがないだろ」

「まさか銀河鉄道の夜をモチーフにした、ジョバンニとカムパネルラの設定を当て嵌められた訳でもあるまい」

「本当に化け物じみた観察眼だな………そうだよ、なら何となく効果は分かるだろ?」


 過程をすっ飛ばして真実に辿り着く、藪医者には正直なところ感心する。おそらく症状から病名を連想させて具現化させる隼の夢想伝播が彼の医者としての才能の高さを証明している。だからこそ、


「どうして、お前はこんなことをしたんだ? 真っ当にセイに思いを伝えていれば、お前は今頃彼女と幸せになれていたかもしれないのに」


 聞かざるを得なかった。幼馴染とセイから聞いていた。付き合いも俺達より遥かに長い筈。つまり、幾らでも彼女の助けを求める声や辛さを間近で聞いていたはずなんだ。


「答えろ、隼。俺を恨むくらいだから、お前もきっと行動していたんだろ? 仲間たち全員でセイの大会を応援しに行ったり、彼女の誕生日会をバカみたいに祝ったり。休みには彼女と遊びにいったりとかな」

「……ないよ」

「あ? 声が聞こえねえよ。はっきり言ったらどうだ!!」

「してないって言ってんだ!! 応援に来たら?と言われた大会は塾の模試で行けなかったし、誕生日会なんてしたこともない。休日は家で一人くつろいでいたよ。僕はお前と違って、忙しいんだ!! 年中遊んでられるほど暇じゃない!!」

「……それは分かった。じゃあ、聞くがお前は彼女に何で寄り添わなかった? それくらいなら同じ学校にいて家が隣同士のお前こそふさわしいはずだ」


 遊んでばかりなのは否定しない。勉強よりも明日の飯代を稼がなきゃいけないからバイト三昧だったこともあるが、互いの苦労は互いにしか分からないからそこは追及しない。でも、彼女のことが好きなら彼女が抱える闇を知ろうとしないのはおかしいだろう。惚れた女の子を守るのが男の子って奴じゃないのか?


「だって……噂されたら恥ずかしいし、そもそも彼女が困っていることに僕なんかが役に立つ訳ないだろ? 頭、使ってんのか? 考えたらわかるだろ?」

「……夢の世界でお前に出会えてよかった。お前と彼女の関係が正直に聞けて良かった。そして、確信が持てた。セイが言った通りだってな」

「彼女が僕になんて言ってたって?」

「『悪い奴じゃないし、友達としてはいいかもだけど男としては見れないわ』って」


 より正確に言えば、『私と好みが正反対すぎて合わないのよ。アイツはインドア派の女子ならきっといい関係になれるわ。アンタらみたいな不良の屑よりね』という文章が尾ひれにつくが。少なくとも、目の前の男の心を揺らがせるには十分だったらしい。


 煽る俺への憤怒か、情けない自分への怒りか激しい波のように隼の全身から耐えがたい感情の波を感じる。


「図に乗るなよ、屑が……お前の夢双にも当たりはついてる。銀河鉄道の夜に出てくる主役2人の違いは持っている切符だった。ジョバンニが持つのは『天上への切符』それを制限無しと捉えるならば」


 それでも、口にする言葉自体は冷静で、話しながら振るわれた頭蓋への一撃を体を倒しながら、俺は左手で受け止め、そのまま腹筋で起き上がり、近距離での岩を砕く勢いの頭突きをお見舞い。


「吸血鬼の力を100%引き出す。そうだな? 目玉が治っているのもそのおかげか」


 それを隼は真っ向から跳ね除ける。鋼が撃ち合うような音の果てに弾け飛んだのはやはり彼の方で、体制が崩れた彼女へ炎で加速したドロップキックが突き刺さる。


「げほっ………血を吐くのは初めてだな。こう見えて健康には気を遣っていたのだが」

「にしても頑丈だな。ジム通いでも始めたか?」

「如何にも。医者には体力が不可欠だからな。それに……セイに愛を与えるためにも体力は必要だった!」

「強姦魔がいっちょ前に、愛を語ってんじゃねえよ!!」

「不良の屑に言われたくないな!! それに気づいてるか、屑野郎!! これが銀河鉄道の夜がモチーフならば、必ずその時は来るってことを!!」


 ぶつん、と列車内に何かのスイッチが入る音がした。いや本当に嫌になる相手だ。俺自身も予想はしていたが、まさかここまで読まれてるとは。


『次は〜白鳥駅〜白鳥駅〜停車時間は5分です』


 同時に世界が切り替わる。広がるのは鉛色の空に、灰色の海、鼠色の砂場と色が抜け落ちたような世界で、彼女の爪が俺の頬を掠めて、右耳の端を持っていく。


「考察通りだな。お前は列車に乗っている時だけ、純血と同じ吸血鬼の力を利用できる。だが停車駅についた瞬間に、強制的に降ろされ、お前は元に戻る。違うか?」

「正解だよ。流石と言っていい。今の俺はただの人間。でもアンタの病は俺には効かない。もう抗体が出来てるからな」

「馬鹿が。病全てに抗体があるならば、世界から医者の存在は消えている──夢双伝播『病薬道戯競』」


 モノトーンの世界が奴の手術台へと姿を変える。胸元から迫り上がるような吐き気に、眼球を叩かれるような痛みに顔を顰めながらも、膝は折らない。


「電車に戻れば、貴様の夢双伝播が機能するとしても、停車駅で仕留めれば問題はない。大丈夫か? 吐き気や頭痛がありそうだな。メルニエール病か?」


 視界が回る、眩暈がする。だが問題ない耐えればすぐに適応して、あの男から逃げ切れば、再び俺は怪物に変わって奴を討てる。


「適応する時間? そんなもの与えるわけないだろうが」


 だが、隼は俺を逃してはくれないらしい。暴力を超えた暴虐の爪が嵐のように迫ってきていた。それを交わして、いなして逃げまどって、距離をとる。長い時間だ、たった5分。いいカップラーメンを作るくらいの時間がとんでもなく、長く思える。


「屑の癖にしぶといな。お前たちは社会のゴミだとなぜわからん。喧嘩で入院し、ベッドを圧迫、走り屋による事故で巻き添えを受けた患者達も少なくない。お前は社会から望まれていないゴミだと何度言えばわかるんだ? 学習能力がないのか?」

「生憎、社会の規則に反抗しちゃうおバカなもんでね」

「全くだ。なんで駒鳥はこんな弱者男性を好きになったんだ? 女は悪い奴に惹かれるおか言うが、まさか駒鳥までそんな頭が空っぽなガキだとは思わなかった」

「不良だから、医者だから、幼馴染だから、他人にマウントしか取れないから、今のお前がいるんだろうよ。それを自覚しないでセイをだしにしたお前の自慢話はもう結構だ。次はお前が好きなゲームの自慢でも始めるか?」

「僕の自慢はゲームじゃない。長年、他者の病気を観察し、診察してきた観察眼。それが僕の最高の武器だ」


 ふと、脇腹辺りを風が駆け抜けた。視線を向けた先、そこにはごっそりと抉られた傷口から一部内臓がはみ出している。


「無駄に貴様の攻撃を受けていたわけではない。再生力が高い貴様が僕の攻撃から庇う部位を逐一観察し、見つけたのだ」


 喉か溢れた血塊は血泡が浮かぶほど。溢れていく命の源を止血しようと吸血鬼の力を最大限に利用しようとして、ぼんやりとした視界にそれが映った。


「ジョバンニの切符。まさか、血の糸で自分の皮膚に縫い付けてあるとはな。ならば抉り取るまで、そして切符を僕が持つ以上、お前がカムパルネラになる。つまり」


 両手を組み合わせ、顔を庇って、同時に掻き消えるように俺はその場を退いたが、


「池で溺れて死ぬのはお前だ」


 瞬きをすれば空気を飛ばす打撃音が鳴り響き、彼女の狙い澄ました烈巾の一撃を俺は左腕を犠牲にして、防御。その勢いを利用して、回転。藪医者の後ろにまで踏み込み、回し蹴り。


『まもなく、列車が参ります~ご搭乗のお客様はお気をつけください』


 しかし、無情にもそこで列車の搭乗ベルが鳴り響く。


「どうした? 吸血鬼から蚊に転職か?」


 粉塵を撒き散らしながらドリフトのように振り返り、俺の背後を取ったと同時に流れるような動きから、解き放たれる三条の黒が俺の体を貫いた。


「白血病くらいは分かるな? 血小板が足りずに出血する。止血すらまともにできまい」


 体を焼き尽くすような熱が、腹から指先へ眼球へと繋がり、痛みさえも支配して俺の体から自由を奪っていく。


「なるほど。ジョバンニの切符がある方が無制限に力を引き出せるわけか。どれ、解剖をするとしようか。死にながら解剖は僕でもした事がないからな」


 彼は切符を食らうと、逃げようと芋虫のように這いずり回りながら、全身から走る鋭い痛みに苦痛を漏らす俺を足蹴にした。まだ意識のあるうちに少しでも距離を取らなくてはならないが、体が停止の命令を下してくる。


『次はサウザンクロス駅?サウザンクロス駅?停車時間は5分です』


 チャンスだった。切り替わった先は眩い星屑でできた天の川。銀色の霧が差し伸べた救いの手に見えて、全身からかき集めた力で天の川に飛び込む。

 落ちる寸是にこちらにメスが飛んできたが、狙いは見当違いの方へと消えていき、安堵して俺は流れに身を委ねる。傷口の治りが悪い。熱が消えない。


 むしろ、血がどんどん天の川を通じて流れていく。これ以上流せば失血する可能性も高いが、今上がっても無惨に解剖学の検体になるのが話のオチだ。

 酸素不足で狭まる視界を腹の傷口を広げる痛みで気を保つ。消えそうな手足の感覚を確かめるように、自分がやらなくてはならないことを整理。


 やらなくてはいけないのは切符を取り返す事、取り返しさえすれば、最後に俺は必ず逆転できる。武器はあまりない。精々、血を操る事くらいだ。


「諦め…て、たまる、か。さい………ごま、で。やるんだ………」


 思い返す、セイの姿。何も知ろうとしなかった俺が今更だとは思うが、それでも彼女のおかげで少しは前を向けるようになったんだ。ここであいつに勝っても、何も変わらないとは分かってる。だけど、


「だからって………彼奴を好きにされるのは納得がいかないよなあ、鴉間真!!」


 好きな女の子を守るのが男の意地なんだ。だからまだ負けるわけにはいかない


「最後まで足掻かせてもらおうか。俺は挑戦者だからな」


 根拠のない自信を糧に、俺は星の海に沈んでいく。流した血液と共に。血を溶かして、水に混ぜて、それごと操り、浮上する。星の海の水柱と共に。


「まさか本当に溺れて死ぬとは思っていなかったけど、それは予想外だな」

「人生ってのはいつだって予想外の連続だろうが!」


 打ち上げた水柱の天辺から隼を見下ろして、大量の水をぶちまける。対処のしようがない事実にはなす術もない。迫り来るのは乳白色の川だ。隼も逃げようとするが、元はと言えばここは俺の夢の世界。逃げ場などあるわけもなく、水がとめどなく流れ込む。あっという間に、彼の体は乳臭い水の中に沈み込み、自由が利かなくなる。


「なるほど、考えたな。幾ら制限なしの肉体でも、溺れさせればいいというわけか。だが、奴はなぜ水を操れる?」


 だが、隼はその切符による頑強な体躯で水を掻いて、水上を目指す。鼻からも入ってくる液体に嗅ぎ慣れた匂いを覚えて、瞬時に理解する。


「この匂い………血か! 奴め、失血しながら水に大量の血をばら撒き、操ってるわけだな。流水という吸血鬼の弱点も、今のやつはハーフ、効くわけもない」


 無限に続くかと思われるほど、終わりなく間断なく迫る痛みと苦しみ。酸素が持たずに彼は口を開けた。それこそが狙いだった。開いた口に大量の水を流し込む。

 それに肺や内臓を犯されながら、声にならない声で隼が叫ぶが手を抜くとはしない。拷問にも等しい時間、いつ終わるかもわからない自然の脅威は彼であろうとメンタルを削っていく。だが、それもたったの数秒であり、


『まもなく、電車が出発いたします。白線の内側に下がってお待ちください』

「待っていたぞ!」

「その言葉は俺のセリフだけどな」


 座席にゆったりと腰掛けて、流れゆく星屑を感慨深い宝物のように眺めていた俺は、挨拶のつもりで先程壊した左腕を挙げた。何故、回復しているのかなど言う意味もない。


「………先程の水責めは、切符を取り返す為の布石か」

「ああ。溺死も狙ったが、本題は飲み込んだ切符の回収だよ。水が体内に入ればそれを回収する事は血を操れば出来るからな。で、負ける準備はもう出来たか?」

「お前の狙いも物語の終わりも僕が分からないとでも? カムパルネラは石炭袋に逆らえなかった。何故なら彼はただの良き人間だったからだ。だが僕は違う」


 寸前、車窓に映り込んでいたローブの小柄な男。そいつは鏡像越しに藪医者に手を伸ばしたが、窓ガラス全てを切り裂いて、風通しの良い車内に君臨する。


「僕は貴様の執刀医だ。石炭袋など恐れるに足らない」

「まっ、鏡像を映すもの全てを破壊すれば良いってのはいい線だが、それなら真っ先にお前は──俺の目玉を潰すべきだったよ」


 映り込む、緑の瞳のその先に石炭袋の男は大層愉快げに笑って、鏡面の隼を掴むと袋の中に無造作に放り込んでいく。


「まさか、いや、間違いない! 僕の夢を奪って──!!」

「お前の観察眼も不便なものだよな。高い観察力と分析力のせいで、知りたくない未来まで分かってしまうんだから」


 伸ばした手、指先から爪へとその一撃を手の甲で弾き、身を回した肘鉄が風を穿つ。


「だからか? セイと結ばれるなんて夢を見なくなった。現実はそんなに甘くないって分かってたから。打ちのめされても悪夢の現実で生きてきた」


 掠めれば肌を裂き、打てば骨を砕き、その内の臓腑をも貫通する凄まじい体技、それを惜しげもなく振るって、手足を満遍なく駆使した連撃を夢双が使えなくなった隼に叩き込む。


「だけど、外道になればそれを叶えられるかもしれないと思ったら、挑戦するのが人間だ。わかるよ」


 そして、下からの攻撃に僅かに腕に隙間が産まれたのを確認。その間に腕を差し込んで隙間をこじ開けると、隼の顔面に致命の一撃を叩き込む。


「があっ、ら………石炭袋の正体は、ブラックホールと揶揄されてる。それが比喩ならその正体は『夢双の吸収、及び封印』か………げほっ」

「ああ。勿論、俺は吸収した夢双を使うことが出来る。言ったろ? 負ける覚悟は出来たかってな」


 隼の目には傷だらけの自分と、完全体の俺という敵が映っていて。いつものように超えられない現実が目の前に聳えていた。だから、隼は当たり前の日々をこなすように、流そうとして、


「人として、自分の行いが正しいと思う訳はなかった。けれど、忘れられないんだ。忘れたくなかったんだ。彼女をあきらめることなんてできなかった」


 彼は膝を笑わせたまま、情けなくも立ち上がる。


「──あの日、幼い頃、2人で見た満点の星空を」

「それがお前がセイを好きになった瞬間か」

「夢なんて、青臭いと切り捨てても宝箱に閉まって時折見返して後悔するのさ。僕は、後悔をしたくなかった。それが幼い頃に夢を見た、無垢な自分を裏切るとしても」

「でもお前はその為に、セイの心を犠牲にした。好きだった女の子を踏み台にして叶えた夢にお前は胸を張れるのか?」

「張れるさ。どんな方法だろうと、叶えた事実に変わりはない」

「じゃあ、やっぱり俺はアンタの夢の邪魔をするよ。勝った方が自分の夢を叶えられる。分かりやすい決着だ、そうだろ?」

「宣告する。お前の余命は残り数分だ」


 これが最後の攻防。気力で突き出した隼の突き出された左手を空中で猫ひねりのように身体を回転させてそれをかわし、腕を右足で踏みつけ、そこから左肩を踏み台にして飛び上がる。ふらふらとこちらを向こうとする隼に俺の加速した右脚が顔面に叩き込まれて、そのまま意識を刈り取った。


「星空なんて、もう見えない………なのに、何やってるんだ、僕は」


 うわ言のように呟きながら膝から崩れ落ちた彼に応えるように世界が切り替わり、船の甲板に戻っていく。駆け寄るタカに船長を手で制止させて、最期に彼にこう聞いた。


「最後に、聞かせてくれよ。お前が最初に見た夢って何だった?」


 そのまま敗者を見下ろすように、星空を背後に立つ俺を見上げて、隼は全てを受け入れた。敗北も、罪も、自分の人生もこの答えを持って終わることを認めるように。


「『駒鳥と結婚したい』だ。笑ってしまうだろ?」


 愛した人と、子供に囲まれた普遍的な幸せが欲しかっただけだと。その為だけに悪夢のような現実に擦り潰れながら生きてきた彼の夢だけは綺麗だったから、


「笑わないよ。いい夢じゃないか」


 彼の悪夢に終わりを告げるように、単純な言葉で受け入れた。

 彼がもう悪夢を見ないようにと願いながら。

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