スプラッタ

佐藤宇佳子

即物的なからだ

 職場では乗船の機会がある。船の規模は小さいもので小型漁船、大きいと大型フェリーくらいだろうか。それに乗り込み、短ければ数日、長いと二か月近く船上生活を送る。船には衛生管理者がいて、怪我や急病に対応してくださるのだが、まずたいてい男性だ。そのためか、女性が複数人乗船するときには、女性グループの代表者に専用の救急箱が託されることがある。ある船で初めてその管理を任された。

 受け取った箱を居室に持ち帰り、開いてみた。絆創膏ひと箱、ふむふむ。酔い止め薬ひと箱、ふむふむ。消毒薬一本に、ガーゼに包帯、ふむふむ。それらの間にちょこんとおさまっているのは、昼用ナプキンひとつ、ふ、む? ひとパックではなく、ひとつ、ころん。これは何のおまじない?

 これを準備したのは間違いなく男性で、その人は生理の実態を全く知らなかったのだろう。恥ずかしそうに、でもちょっと得意げに、ナプキンのパックからひとつ取り出して救急箱に入れているおじさんの様子が思い浮かぶ。思わず苦笑しつつ、あー、こりゃいかんね、とため息をついた。


 ただし、この出来事は、もう十五年ほど前のことだ。現在、拙作をお読みくださっている男性の皆さま、この話、笑えていますよね? たとえば一回の生理の間に、あるいは一日にナプキンはいくつくらい必要か、見当つきますよね?


 かく言う私も、子供のころからずっと「生理」という言葉を口にするのに抵抗があった。生理にまつわる一番最初の思い出は、小学校低学年のころにさかのぼる。お泊りに来た年上の従姉と一緒にお風呂に入っていたとき、彼女が生理用品をおばあさんから贈られたという話を始めた。聞いていた私は恥ずかしくて何も言えなかった。

 小学校低学年の子供が未知の「生理」なる現象を自然に「恥ずかしい」と思うはずはない。そう感じるようになった経緯を私はまったく覚えていないのだが、おそらく、生理に関する事柄をあっけらかんと口にした私を周囲の大人たちが声を潜めてたしなめたのだろう。調子に乗るわりにひどく懲りるタイプの子供だった私は、これはとても「恥ずべき」「汚らわしき」ことだと悟り、「生理」は忌まわしき存在となったのだろう。


 いまどきの十代、二十代の若者であれば、生理について小・中学校で男女ともに丁寧な教育を受けているかもしれない。災害時の衛生用品の配備でもとんちんかんなことをやらないくらいの知識は身につけているだろう。でも座学からは見えない実情もある。オープンな姉妹がいなければ、男性には想像すらできないこともあろうし、女性だって、自分の体験以外は、ほぼ想像するしかない。どのくらいの期間出血が続きうるのか、ひどいとどれくらい出血するのか、体調はどれくらい悪くなるのか、知らない人もいるだろう。


 カクヨムのエッセイや小説で不正出血あるいは生理の話が隠すことなく公開され、場合によっては男性が実にさばさばと生理について言及しているのを見て、少しだけ自分の中の憑き物が落ちた気がする。「男もすなる生理話といふものを、してみむとてするなり」。この機会に先人に倣って自分の体験した極端な生理の話でもしてみよう。そんなこともあるんだと興味を持っていただき、男女を問わず生理についてオープンに語るきっかけのひとつとなれば嬉しいことだ。


 数年前の一月、その月半ばに始まった生理は激しかった。椅子から立ち上がると、その瞬間、水道の蛇口を開いたかのように、じゃっと出血する。本当に、じゃっ、である。昼用ナプキンはその一瞬でたぽたぽになり、即座にトイレに駆け込んでも、時すでに遅し。ナプキンはあっけなく白旗(いや、赤旗?)を上げ、すでにパンツともども大惨事である。ズボンや椅子を大々的に汚すことがなかったのは幸いだった。


 職場へは一時間ほど歩いて出勤しているのだが、夜用ナプキンがその一時間持たない。やばいやばいと顔を引きつらせながらゲートの守衛さんに挨拶をしつつ、トイレに駆け込む日が何日か続いた。期間も長かった。一般的に正常な生理期間は四日から七日といわれるようだが、その月は三週間近く蛇口の壊れた水道状態が続き、常に夜用ナプキンが手放せなかった。のんきに構えていた私も、さすがに、血、足りなくなるかもと思うようになった。そう感じるくらい、体調が悪化した。


 まず、ひどくむくむようになった。朝、瞼が開かなくなり、足首のくびれがなくなった。ふくらはぎはぼよぼよと膨れ、脛骨の上を指で押さえると見事な低反発枕状態。足の甲までもが風船のようにぷっくり膨れ、正座をするとふわふわした違和感と鈍痛を感じた。

 それから、運動時の顕著な息切れ。職場は建屋の四階にあるが、いつも上っている階段が一気に登り切れず、二階と三階の踊り場で壁にもたれて休むようになった。息切れだけではない。足も上がらない。少し動くと、筋肉痛になる前のような疲労感がすぐに足を襲った。

 氷食症もひどくなった。昔から氷をかじる癖があるのだが、そのときは氷がおいしくておいしくて、時間さえあればがりがりかじっていた。実はこれは歯に悪い。でも、よくないとわかっていても、止められなかった。

 肩こりと激しい頭痛に悩まされるようになった。

 はなはだしい嗜眠にも苦しめられた。眠っても眠っても、眠い。休日はひたすら寝り続けた。平日も朝起きるのが辛く、職場でうとうとしたことも、二度や三度ではなかった(すみません)。


 これらの体調不良はタイミング的に出血過多によるものとしか思えない。しかたなく、近所の婦人科を予約した。


 でも、ただ病院に行くだけじゃ、つまらない。ここでむくむくと好奇心がわいてきた。いったい、いままでどれくらい出血したのだろう? どのくらい、貧血になっているのだろう?


 生理用ナプキンには吸収量のめやすが設定されている。昼用ナプキンは25mL、夜用ナプキンは80mLが基本らしい。ということは、昼用が端から端まで真っ赤になるほど血液を吸収したものを十回交換したなら、出血量は約250mLということになるのだろうか? この吸収量目めやすと三週間のナプキン使用枚数から、出血総量を概算できるかもしれない。


 いや、待て、ナプキンが血で真っ赤になると言っても、それには程度がある。たぷたぷになって、ひっくり返したらナプキンから血が滴る状態を「吸収している」とは言うまい? 保証されている最大吸収量25mLを吸収したらどういう状態になるのか、それ以上に負荷させようとしたらどうなるのか? それを知らねば概算もできなかろう。まずはそれを確認しよう。


 ということで、ナプキンの吸収量と状態を確認した。当初、定量した水をナプキンに注いでみようと考えたが、血液はタンパク質の濃厚溶液だ。高分子に注いだ場合の吸収量や様相は水とは異なることが予想される。ということで実測することにした。


 U社のS製品の昼用羽なしナプキンの風袋を測ったあと、実際に使用して重さを計り、吸収量を求めた。そのときのナプキンの様子と吸収量の関係は以下のとおりになった。


1.ナプキンの八割がた赤くなったもの: 19.0mL

2.ナプキン全面が真っ赤で押せば漏れる状態: 22.7mL

3.ナプキン全面が真っ赤でたぽたぽ、こぼれる直前状態: 38.6mL


 この検討でわかったのは、まず、20mL前後でナプキン交換しておかないと、血が漏れて衣服を汚す可能性が高くなりそうだということである。次に、25mLの吸収量が見込まれているということだが、それだけの血液を含ませたナプキンだと、椅子に腰かけたときに漏れて衣服を汚す可能性がかなり高そうだということ。最後に、もはや血液を保持しているとは言えず、身動きするたびに漏れるものの、公称値の約1.5倍の血液をナプキンに含ませることは不可能ではないということも分かった。


 以上の観察と計測を踏まえて、三週間のひどい生理期間中に私がナプキンに吸収させた血液は、ざっくり平均して吸収量公称値の二、三割と見積もった。そして昼用、夜用の概算使用枚数から、出血総量をざっと計算してみた。


 非常にラフな見積もりだが、約1.5Lになった。


 約1.5L、つまり500mLのペットボトル三本分程度。焦った。いや、さすがにこれはおかしいのではと思ったが、持っている情報からの見積もりだと、こうなる。

 ちなみに、先ほどの使用済みナプキン三つの重量実測値は、出血が比較的多めの日の日中六時間足らずの間の出血量に相当する。つまり、日中の六時間で80.3mLの出血だったということだ。夜間は出血量が減るだろうから、極端な例として日中十二時間のみ出血したと仮定すると、それでも一日当たり160.6mLだけ出血したことになる。三週間の生理期間に1.5L程度の出血量はありえない数値でもなさそうだ。


 それだけ出血したのなら、貧血も進んでいそうである。そこで、出血量を元に、鉄欠乏性貧血の指標に使われるヘモグロビン値を予測してみようと思いついた。ヘモグロビン値は婦人科病院で出血が多いと訴えれば、まず測ってもらえる。あとで答え合わせができるなんて、ちょっとわくわくする。


 私は貧血体質でもともとのヘモグロビン値は9g/dLほどである(女性の基準値は11.4から14.6g/dL)。体内の血液量は体重から概算すると約4500mLとなる。血液が失われても、飲食物から体内に取り込んだ水分が損失分を補うように血管に入ると想定し、体内の血液量は変わらない系を仮定した。つまり、体から血が100mL出たら体に水が100mL吸収されて、減った血液分を補うと仮定した。ただし、入ってきた水の分だけ血は薄まる。また、その水は一定速度で血管内に入り、即座に混合して均一な血液になり、それが同じ速度で体外へ流出すると考える。それらの仮定の上で二十一日間かけて1500mLの血液が一定速度で出血したとすると、血液中のヘモグロビン値は6.4g/dLになると試算された。


 さて、婦人科で診察と血液検査を受けた。がん検診を含め、内診では問題は見つからなかった。問題がないということに安堵しつつも、顕著な原因がなくてもこんな大出血が起きうるということに内心げんなりした。血液検査は結果が出るのに一週間かかるから次回来たときにと言われ帰宅したが、一週間を待たず、呼び出しを受けた。医師の想定以上の貧血具合だったらしい。告げられたヘモグロビン値は6.7g/dL。おお、推定ヘモグロビン値とよく合っている! 数値を示されたときからそれが嬉しくて、ずっとにやにやしていたのではないかと思う。医師の話はあまり覚えていない。


 三週間も出血が続くという比較的極端な例ではあるが、一度の生理で1.5Lの血液が失われ、ヘモグロビン値が2/3強にまで低下する貧血になる場合もあると身をもって実感した。


 過多月経の実情を知ろうとネットで調べていたところ、ある方のブログに遭遇した。もとより過多月経のなかでも出血の激しい人のようだが、あるときこれまでにない激しい出血が六日間続き、体調悪化で家族に連れられて病院へ駆け込んだという。その時は、ヘモグロビン値が出血の前後で11g/dL弱から5g/dL強になっていたのだそうな。一週間足らずでヘモグロビン値が半減するという、この急激な貧血憎悪は話に聞くだに恐ろしい。私も緩やかに進んだ貧血のためにヘモグロビン値が6g/dLを切ったことがあるが、そのときでさえ平地を速足で歩こうとすると息が切れ、胸が痛くなった。六日間という短期間で急激に進んだ貧血だと、はるかにきつかったはずだ。よくそこまで我慢したなあと驚く。


 生理なんて多くの女性がふつうに日常生活を営みつつ乗り越えているんだから大したことないでしょ、と思われがちだ。

 一般的には一度の生理期間の総出血量は140mL程度で、一日当たり30mL出血することはまれらしい。しかし、まれということは、ないということではない。正常な生理期間は短ければ四日程度なのだから、この140mLが二日あるいは三日で出血することだってあるはずだ。一日70mLの出血は心身ともにかなりしんどい。

 また、過多月経に苦しむ人も少なくないし、ふだん出血量が多くない人でも、ホルモンバランス等の影響で大量出血を経験することもありうる。生理中の体調不良で出血が増すこともある。たとえば発熱したときには出血が普段以上に激しくなり焦った。

 スーパーの衛生用品売り場にはおむつのような大型ナプキン製品がいくつも並んでいる。あれを見ると、大量出血はどの女性にとっても、他人事ではないのではないかと思わされる。備えあれば患いなし、ふだん生理で悩むことのない方々にも、こんな事例もあるのだということを知っておいてもらいたい。


 婦人科に呼び出しを食らい、医師の説明があったあと、鉄剤点滴と相成ったものの、体質的に合わず中止、錠剤で様子見となった。それでするすると貧血は改善された。鉄剤を飲んでいるあいだ、二度、経過観察のために血液検査があった(本当はもっとデータを取ってもらいたかった)。それをプロットして、何日でヘモグロビンの値が正常値に到達するか予測したりもした。最終的にヘモグロビン値はめでたく正常範囲の12g/dLにまで(一時的に)上昇し、通院から解放された。


 この一連の体験はなかなかしんどかったし、周囲にも迷惑をかけたのだが、体調の悪さ以上にとても興味深い体験であった。


 何がわくわくするかって、自分のからだが単純な算数に支配されていると認識させられたことだ。出れば出ただけ減り、入れれば入れただけ増える。からだはきわめてシンプルな応答を示した。きっとそれは当たり前のことなのだけれど、日常ではこの「当たり前」を実感する出来事になかなか巡り合わない。


 自分の心やからだは客観的に見づらい。ややもすると、まるで無限に広がっていて永久に存続するかのように感じてしまう。それを「んなこたねえって、おめえのからだだって単なる有機物の塊やし、心だって電気的シグナルの結果やでえ」と鼻で笑ってくれると、なぜだかほっとする。自虐的だなあと思うなかれ。もしかするとそう考えることで生と死がなだらかな地続きであることを受け入れやすくなるかもしれないのだから。


 どんなに頑張ったって手の届かない理想だってある。歯を食いしばって悔しがっているときに、自分が単なる有機物塊だと思うと、かっかしていた頭がすっと冷める、これは存外気持ちよい。有機物ならいずれは朽ち、何十億年と続いてきた地球の物質循環の輪に再合流するのだ。一瞬の輝きにこだわりすぎてもしょうがないね、そう思い、新たな覚悟で人生と向き合えるからかもしれない。

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