それは、知と夢の境界に咲いた一輪の花。
名を「智慧」と授けられたその花は、風に揺れながら、
記憶と未来、現実と幻想の扉を静かにひらく。
虹の霧に浮かぶ影は名を持たず、
ただ、夢よりも淡く、風に溶けるように。
やがて深い眠りのなか、
音もなく響く微かな鼓動。
それは、まだ芽吹かぬ命の気配。
この作品は、短歌と詩文が織りなす幻想。
理性と直感――ふたつの極が交差する刹那のきらめきに、
読む者の心はそっと撫でられ、揺らぎ、静かに満たされてゆく。
風が通り過ぎたあと、
そこに残るのは、言葉にならない「何か」。
あなたの中の、まだ名づけられていない感情に、
そっと寄り添うようなひとときが、ここにはある。
三十一音。
和歌の文字は、そう数えられます。
言葉の数ではなく、音の数です。
だから、詩ではなく歌と呼ばれるのです。
本来、大和言葉で詠まれる短歌を散文詩の言葉で綴った歌。それが本作です。
短歌の事が、わからなくても良いんです。
ただ文字を読んでみてください。
作者である悠鬼さんの中の美しさに則った言葉の連なりを心地よく感じられるはずです。
きち んと書くことを、書き澄ますと言います。
悠鬼さんの詠まれた短歌に接すると、その言葉の意味がよくわかります。
短歌のカタチで並ぶ、透明なほどに澄み切った言葉たち。
私には、一心な祈りのようにさえ感じられました。
心がこめられた言葉たちは、きっと接した方の胸の裡にまで届くことでしょう。
届いてほしいと、思わずにはいられない。
そんな清澄な短歌なのです。
透明感あふれる言葉と静かな余韻が美しい詩です。一輪の花「智慧」をモチーフに、夢と知、記憶と未来、理性と直感――さまざまな二項対立を優しくつなぐイメージの広がりに心が癒されます。「風が通りぬ」「虹の霧」「名も持たず」など、柔らかくも鮮やかな自然の描写が、読み手に“無限の広がり”と“どこか懐かしい心地よさ”を与えてくれました。
難しいテーマを扱いながらも、詩情と抽象性のバランスが素晴らしいです。短い言葉の中に、読み手が自由にイメージを羽ばたかせる余地がしっかり残されていることも、この詩の魅力だと思います。何度も読み返したくなる珠玉の作品です。
正直な感想として、詩の持つ「余白」や象徴性は大きな魅力ですが、解釈の幅がかなり広く、僕にはかなり難解・抽象的と感じました。ただ、その“わかりにくさ”も詩の世界ならではの深みなのかも知れません。
言葉選びや句のリズム、余韻は洗練されているように素人ながら思いました。僕が一推しする3つの理由をあげておきます。
・美しい言葉と余韻、詩的象徴に溢れている
・読後の静かな幸福感
・短い中に深い世界観を感じられる