第四章 和解ならず
第11話
「右足、痛そうですね。ちょっと診させてもらっていいですか?」
俺と愁一郎が初めて喋ったのが、体育祭の時だった。あいつは、校舎裏でちょっと休もうと移動していた俺に、声をかけてきたんだ。
正直びっくりした。隠していたつもりだった右足の不調に気付かれたとか、見るからに大人しそうなあいつが俺みたいな不良に向かって平気な面して声をかけて来たとか、理由は幾つかあった。木村大輔っていえば、他校の教師まで顔をしかめるほどのチンピラだからな。
「ああ? 誰だお前。気易く話しかけんな」
足の痛みでイライラしていた事もあって、俺は無駄にガンをたれて、俺の足を見せろと言ってきたあいつを脅した。
大抵の奴は、俺がちょっと睨んですごんでやれば、すたこら逃げてゆく。しかしあいつは、少しも動じていない様子で「一年の谷原愁一郎といいます」と自己紹介した。そして、俺がリレーで派手に転んだ直後から、右足首の不調を抱えている事を言い当てた。
「一〇分……いや、五分でもいいんで、ちょっとそこに座って靴と靴下脱いで、足を見せてほしいんです」
悪いようにはしませんから。
愁一朗はそう言って、自信ありげな微笑みを浮かべたんだ。
「ホントに五分で捻挫治したんだよな。医者に行く必要がなくなったくらいに」
屋上の手すりに前のめりにもたれた俺は一人、ぼそりと呟いた。
屋上には俺以外、誰もいない。普段は出入り口に鍵がかかっているからだ。俺にとっちゃあ、あんな南錠前、門扉のレバーと大差ない。クリップ一つありゃ速攻で開けられる。
お陰で俺はこうやって一人でゆっくり、昼休みに教師や生徒が下界でうろちょろしてるのを見下ろしながら、紙パックのカフェ・オ・レを飲めるわけだ。
これぞ、神の如き優雅な時間。
ズズズと甘ったるい液体を最後まで吸い上げながら、履き古した上履きの右つま先で、トントンと床を蹴る。
愁一郎の治療から二週間以上が経ったが、捻挫の影響は全くない。それどころか、捻挫前より調子がいいくらいだ。実を言うと、俺の右足は捻挫を繰り返していた。癖みたいになってたんだ。普段から何となくバランスが悪いような気がしてたし、痛みが引いても違和感が残るのはいつものことだった。
当日病欠した女子のせいで、半ば無理やり走らされたクラス対抗リレー。しかも隣の野郎が、こっそり足を引っ掛けて来やがったもんだから、俺は砂埃が上がるくらい派手に転んだ。まあ、俺にちょっかいかけたその陸上部員は、後日ボコボコにしてやったんだが。
あの時医者に行っていたら、いつもと同じように包帯やテーピングで、でぐるぐる巻きにされていたことだろう。それをあいつは、固定も圧迫も、もう必要ないと言った。
あいつがやった事といえば、さっと指先や掌で右足を触った後に、両手で踵と足先を掴んで、大して動かしもせずじっとしていたくらいだ。ただ、何やらえらく集中していたようではあったが。
「捻挫だろうし、防御反応は解いて関節も元に戻したんで。今から膜で締めますから、それで安定するはずです」
愁一郎は『膜』とやらで俺の右足首を一分ほどかけて締めたあと、両手を離した。あとはただ冷やしとけばいい、と言って治療は終わり。
今まで何度も整形外科で世話になってきたが、「膜で締める」なんてキテレツな事をぬかす奴は、医者にも柔整師にもいなかった。
けれど実際あいつが治療した後は、痛みも随分やわらいだし、腫れも引いた。ぐらついていた右足もしっかりふんばれた。
「マジで変な奴だよなぁ。肋骨骨折もぱっと見ただけで当てやがるし。――あ」
噂をすれば、愁一郎だ。花壇の前を歩いてる。体操服姿だな。五時間目は体育か。ご苦労なこった。俺は、今日はもうフケるつもりだけどな。大して暑くねえし、ここで昼寝でもしてっかな。生徒指導の奴らをおちょくるにしても、まだちょっと肋骨が痛えから、今日はやめとこう。いい加減、オフクロの堪忍袋の緒も切れそうになってることだし。大人しくしているほうが良いだろう。
ありがとうな、愁一郎。お前の治療で俺は、二階の窓から飛び降りても受け身の必要がないくらい、強靭な足を手に入れたんだぜ。おかげで、教師を撒くのが面白くって仕方ねえわ。まあ俺は義理がたい男だから、そのうち礼をするつもりだが。
「おん?」
後ろから愁一郎を追いかける、見慣れた丸い物体を発見した。
女子だな。多分女子だ。熊じゃなかったら名取民子だ。ったく、あのクルクルブタ眼鏡。まだ愁一郎のおっかけしてやがんのか。明らか迷惑がられてんの、分ってるくせしてよ。しょうがねえ奴だな。しつけーのは男でも女でも嫌われんだぞ。
あ~あぁ。ド近眼だか乱視だか知らねえが、眼鏡かけてるくせして相手の顔が見えねえのかよアイツは。愁一郎の顔面、引きつりまくってんぞ。
お、そうだ。ここは俺が一肌脱いで、あのクルクル眼鏡を退散させてやるとするか。
不良の恩返しの始まりだ。
俺は下界の子ブタに雷を落とすべく、深く息を吸い込んだ。一応念の為、肋骨が痛まない範囲で。
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