第2話

 むかしむかし、日本がまだ日本という名前になる前の話です。

 あるところに、ひとりのおばあさんがいました。そのおばあさんは、小さな村の指導者で、不思議な力を持っていました。遠くの世界まで見わたせる目と、遠くの音を聞き分けるするどい耳を持っていて、未来を少しだけ、知る事もできました。

 おばあさんは、神様と話すことも、動物や妖怪と友達になることも得意な不思議な人でした。そんなおばあさんが一番上手だったのは、薬草を煎じることです。煎じた薬草を使って、病気の人を治す事が大好きでした。そして、おばあさんから薬草の知識を受け継いだその村の人たちは、たくさんの人を助けることができました。

 病気の原因をすぐに見つけて、薬草で治すその村の人たちは、みんなから『真識人』と呼ばれるようになりました。『真識人』というのは、『真実の知識を持っている人』、という意味です。

 真識人は、誰にも教えてはいけない特別な薬の作り方も知っていました。それは、指導者であるおばあさんだけが飲める、『不老長寿薬』です。ある日、一人の旅人がその薬の存在を知って、盗んでしまいました。

 不老長寿薬には、一度飲むと病気がたちどころに治って、一〇〇年間も年を取らない効能があります。けれど薬を飲んだ人は、薬の効能が切れる一〇〇年後に、ひどい副作用も出てしまうのです。その副作用を止める薬は、ありませんでした。

 死ぬことをおそれて薬を飲んだ人や、軽い気持ちで飲んだ人。たくさんの人がその薬の犠牲になりました。

 人間の心は、永遠の命に耐えられるほど強くありません。寿命というのは、いきものが本来与えられた時間を全うするのにちょうどいい長さなのです。そのことを無視したせいで、薬を飲んだ人たちはとても苦しむことになりました。

 生き続けることに疲れても、薬の効果が切れたら、死よりも恐ろしい副作用が出て、体も心もボロボロになる。そして我慢できずにまた、一〇〇年生きる薬を飲む。

 苦しみのあまり、自ら命を絶つ人もいれば、薬をやめられず、死ぬことも出来ず、しかたなく生き続ける人もいました。薬を飲んだ人はみんな、悲惨な苦しみを味わったのです。

 やがて真識人は、人間を不幸の底なし沼に突き落とす恐ろしい薬を作った悪人だと思われるようになり、命をねらわれはじめました。

 盛者必衰とはこういうことを言います。真識人はどんどん数を減らすばかり。指導者のおばあさんはついに、真識を世の中から消すことを決めたのです。

 おばあさんは生き残った仲間たちと一緒に、深い山奥に隠れました。そこに住む仲間たちを守って下さいと土地神様にお願いしたのです。

 こうして真識人達は、人里離れた山の中でひっそり暮らすようになりました。

 長い年月が経ち、真識人たちは少しずつ数を増やしてゆきました。正体を隠しながら社会に溶け込んで暮らす者もあらわれはじめたので、真識人は薬以外にも、新しい治療法を身につけることができるようにもなりました。そうやって真識人は、薬師の一団から、自然療法全般をあつかう医療結社へと形を変えてゆきました。

病で苦しむ人に出会ったら、せいいっぱい癒しなさい。狩る者たちに気をつけなさい。

 真識の子供たちは、そう教えられます。

 今でもF県の山奥では、土地神様に守られながら、真識の血を引く人たちが、療術士の村を作り、ひっそりと暮らしているのです。



 ベッドで仰向けに寝転がりながら『ましきの物語』を読み終えた僕は、幼児用絵本のような装丁のそれを閉じ、布団の上に無造作に置いた。天井照明の柔らかい電球色を眺めながら、ふう、と息を吐く。

 『ましきの物語』は、「真識に入ります」と宣言した時に手渡された最初の教本だ。確か就学と同時だったから、六歳か。子供でも取り組みやすいように、真識人が辿って来た歴史をかいつまんで昔話風にまとめてあるのが、この本の特徴だ。筆でさっと描いた程度の挿絵も載っている。小学校低学年の子供に読ませるには、ところどころ使われてる言葉が難しい気もするけれど、これは親なり先輩なり、真識の大人と共に学ぶ教材でもあるから、補足説明と共に分りやすい言葉に噛み砕いて教えてもらえる。僕も、父さんを先生としてこの本を開いた。父さんは、「妖怪ババアを美化してる駄本」とか言って、二度と読んではくれなかったけど。

 兎にも角にも、僕はこの本の取得を皮切りに、義務教育と並行して真識人としての教育も受けるようになったんだ。その殆どは、長期休みを利用しての大屋敷での座学および実習だった。

 夏休み、冬休み、ゴールデンウィーク。僕は小学校の六年間と中学の三年間、ここで基本の解剖、生理学に加えて、運動学、病理学、薬理学、触診法など様々な哲学や技術の指導を受け、家に帰れば復習を繰り返し、医書を読み漁った。僕が惹かれたのは、整体の分野だ。特に、気や膜を利用した緩やかな施術は肌に合った。

 整体をしたいなら、毎日感覚を鍛えろ。自分のメンテナンスは自分でしろ。

 これは、小学四年生の頃に得た、父さんからの教え。

――さて、じゃあ今日もやりますか。

 四肢をのばした仰向けの状態で、空からの気、地面からの気。それら二つのバランスを体の真ん中でとりつつ、脊椎のラインに意識を向ける。そうすると自然に、骨格の歪みがゆっくりゆっくり、整いはじめるんだ。今日は第五頸椎が左へ回旋してから、脊椎全体が上下に伸びる感覚を覚えた。それと共に胸郭が開き、大きな吸気が起こる。次いで、胃腸がぐいと胸郭側に滑り上がってきた。

 この変化を、僕は頭の中で可視化する。鍛練とメンテナンス一石二鳥の訓練法だ。就寝前のルーティンになっている。

 ほどなくして骨格と内臓の動きが止まり、矯正が終わった。ふ、と目を開ける。

「やっぱりこの土地のエネルギーは凄いな」

 年季の入った木張りの天井に向かって、ぽつりと呟いた。体感ではあるが、本日矯正に要した時間は五分弱。ここに越して来る前は、矯正が完了するまでに毎日三〇分は必要だった。プロなら、いつでもどこでも施術できなきゃならないんだけど、治療に適したフィールド、というものは確かにあるんだ。そういう意味でも、ここF県の山中にある真識の村は、人が健康になれる場所と言って間違いない。

 僕に貸し与えられている、大正だか昭和だかロマン漂うこの大屋敷の一室は、真識人が集い、また患者を迎える公共施設の一部だ。

『ましきの物語』に書かれた昔話は、お伽話ではなく全て実話。族長は、今でも不老長寿薬を飲んで生き長らえている。真識を狩るハンターは、現代にも存在している。大屋敷では、薬学に特化した人達が、不老長寿薬の拮抗薬を作る研究を続けている。

 僕の父さんは、族長以外で唯一、不老長寿薬を飲んだ真識人で、今年でちょうど四五〇歳になる。二〇年前に断薬法を見つけ出し、二〇代後半で時を止めていた体に老いを取り戻した。それからは、不老長寿薬の犠牲者を自ら探し赴いて、お弟子さんと一緒に断薬の手助けをしている。

 今回の出先は、北海道だ。海外じゃないだけまだ楽なんだろうけれど。いつ帰って来るのやら。

 月を吊るしたようなまん丸いシーリングライトに向かって、僕は開いた右手をのばす。

 父さんは僕にとって、施術の腕も知識量も、実力の開きなど測れないほどに離れている遠い存在だ。それでもこの、よく反る長い指には、血のつながりを感じる。

 俺の元に来てもいい。けれど本格的に教えを請いたければ、せめて高校へ通え。

 中学三年生に進級して間もない頃。義務教育が終わったら父さんについて修業させてくれと頼んだ僕に、あの人はそう答えた。だから僕は渋々、この大屋敷から最寄りの普通科高校を受験したんだ。

「自分は高校どころか、小学校も行ってないくせに」

 あの人によく似た手に向かって、控えめな恨み事を吐く。

 父さんが学歴を気にするタイプじゃないのは知っている。だから僕を高校に行かせたのは、何か別の目的があるんだとも思う。けれどいまだに僕は、父さんの意図が分らない。

 正直、高校は退屈だ。中間テストも体育祭も終わったけど、別にこれと言って特別な出来事なんてなかった。強いて言うなら本日、大きな困り事が一つ発生したくらいだ。

 僕の高校中退願望に拍車をかけた、クラスメイトの名取民子さん。僕に取材依頼をしてきた新聞部員。あの人ホント、どうしようかな。


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