第三章 条件付きの友人関係

第4話

 複数の犬の吠え声が聞こえる。あれは多分、村で飼っている猟犬たちだ。僕は、大屋敷の駐車場に立ちつくし、夜空を背にして炎に飲まれていく大屋敷を呆然と見ている。息を吸う度に、熱い空気が肺を焼く。火にあぶられ、顔がひりひりする。鼻と口を塞ぎたい。顔を背けたい。いやそれよりも、早く消火活動をしなければ。村の皆はどこにいる? 考えばかりがせわしなく働く割に、体が全く動かない。 

 と、腰に硬いものが、く、とあたり、そこではじめて後ろを振り返ることができた。見覚えのない、シャツ姿の痩せ細った中年男が立っている。肉の落ちた顔中に刻まれた深い皺が、恨みを孕んだような怒りの形相に歪んでいる。僕の腰にあてられているのは、拳銃だ。

 相手を刺激しないよう、ゆっくり男に向き合った。するとその男の向こう側に、族長を含めた僕の同胞達が集められているのが見えた。みな一様に怯えた表情で、猟銃を持った数人の男達に囲まれている。男達は、年齢も服装もバラバラだ。

 ハンター。

 まっさきにその言葉が浮かんだ。でもどうして? 真識の名前も、村の場所も、世間様には知られないようにしているのに。どこでバレたんだろう?

 僕の疑問に答えるように、僕に銃をつきつけている痩せた男が、空いている方の手でワイシャツの胸ポケットから折り畳んだ紙を取り出した。それをさっと一振りして広げ、僕の前に突きつける。

「これはあんただろ」

 僕の高校の、校内新聞だ。右下の記事に、証明写真みたいな僕の顔写真。それから文中に、真識の二文字が浮かび上がっている。

「そんな……取材は断ったはず」

「残念だな。これで真識は全滅だ」

 痩せた男の向こう側で、同胞達に向かって猟銃が構えられた。僕の腹にも、銃口が押しつけられる。

 どうすればいい。どうするんだっけ。銃口が向けられた時、どう動けばいいんだっけ? 護身術はどうした。反射的に体が動くようになるまで、父さんから叩きこまれたはずなのに!

 痩せた男の唇がめくり上がり、ギリリと噛みしめられた歯がのぞいた。

「うらぎりもの」

 裏切り者? どうしてハンターにそんな事を言われなきゃならないんだ。

「僕は仲間を裏切った覚えなんか――」

「黙れ」

 痩せた男の指が、引金を引く。

「じゃあな。さかえさん」

 直後。どん、と腹に重い衝撃を感じた。



「はあっ!」

 爆発したような自分の声で、目が覚めた。

 荒い呼吸を繰り返しながら、周囲に視線を配る。体はカチガチに緊張して、上手く動かない。明るい。夜じゃない。頭上には、年季の入った木張りの天井と、月を吊るしたような丸いシーリングライト。いつも通りの自分の部屋だ。どこも燃えていない。僕がいるのは、ベッドの上。ここでようやく、夢を見ていたのだと理解でき、ほっと息をつく。

 と。突然、ベロリと舌を出した茶色い毛むくじゃらが、目の前ににゅっと現れた。うわっ、と悲鳴を上げて飛び上がる。

「お、オジイ……」

 バクバクする心臓を押さえながら村で飼われている年老いた雄犬の名を呼ぶと、そいつが一声、元気に鳴く。どうりで、腹が重く息苦しかったわけだ。中型犬が一匹まるっと乗っているんだから。撃たれたわけじゃないのはよかったけれど。

 酷い寝汗をかいた。Tシャツがべったりして、気持ち悪い。顔を舐めようとしてくるおじいを制しつつ、ベッドから下りた。

「おおい、オジイーっ。愁一郎、起きたかー?」

 開け放たれた扉の向こうから、聞き慣れた声が聞こえた。オジイを部屋に入れた犯人が分った。僕の幼馴染で真知さんの一人息子。屋敷の調理場担当、石盛浅葱いしもりあさぎだ。

「オジイ。明日の朝は浅葱の腹の上に乗って、ジャンプしてやれな」

 オジイは雑種だけど、柴犬そっくりだ。頬袋を掴んで揉んでやると、僕の言っている事が分っているのかいないのか、オジイはくるんと丸まった尻尾を大きくふった。

 さて。できる事なら朝食前にシャワーを浴びて、この不快な汗を流したいところだ。しかし壁掛け時計を見ると、七時を十五分近く過ぎていた。僕がいつも起きるのは、六時過ぎ。

「嘘だろ! 目覚ましは?」

 ダイブするようにベッドに戻り、枕元のスマホを手に取り画面を確かめる。電源が入らない。寝る前に接続したはずの充電コネクタが抜け落ちている。つまり電池切れだ。

 電車は七時五○分発。駅までは自転車で三五分かかるから――

「あああ、遅刻する!」

 べたついた首筋。一階の食堂から香ってくる、味噌汁の香り。そんなものに構っている暇はない。シャワーも朝食も諦めた僕は、壁にかけてある半袖スクールシャツとスラックスのセットを大慌てで引っ掴んだ。

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